INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
生きる基準
 この「心が大事」というブログは、自分で書いていても話がどちらに転ぶかわかりません(笑)。「こういうふうに書いていこう」と予定することもあるのですが、書いているうちに、ある前提となる事柄を説明していないことに気づいて、そちらを書いているうちに、また別のことを書かなければ気が澄まなくなってしまう。
そういう寄り道をしているうちに、寄り道が本道になってしまって、元の話題に戻りにくくなってしまいます。
そういうことが心の性質なのか、と思うようになりました。

たとえば、鉄について書くと文章が硬くなるとか。
豆腐について書くと柔らかくなるとか。
それは冗談ですけれども、一部は本当にそういうことがあります。
書く対象が書き方を規定するということがあるのです。
心はもともとコロコロ変わるから、語源はころころに違いない、というのが私の持論ですが、文章もコロコロ変わってしまいます。

心については、そういうコロコロを繰り返しているうちに、もともと何を書きたかったのか忘れてしまう、物書き人生の中でも不思議な体験をしています。

今回もイニシエーションについて書き継いでもいいし、精神年齢ということについて書いてもいいし。もともとは煩悩について書こうとしていたような気もします。なぜ煩悩について書いたかといえば、霊と煩悩の関係について書きたかったのです。それで宗教についてとかいろいろ書きたい予定があったのです。しかし、全然関係ない地点に来てしまいました。今さら霊と煩悩まで話を戻すのもたいへんなので……

>これからますます時代の変化が激しくなってくると、内面に自分自身の基準を持つということが、たいへん大切なことになってくると思います。

今回は、前回の締めのこの一文からしりとり的に語ろうと思います。

生き方について自分自身の明確な基準を持っている人と持っていない人がいます。

明確な基準とは何でしょう?

単純にいえば、それを近づけて同一化するか、反撥して遠ざけるか、という基準です。
私たちは、ふつう良いものを取り込もうとして、悪いものを遠ざけようとします。
食べ物でも、栄養のあるものを食べて、毒のものを遠ざけます。

こういうことが単純に機能しているのが、明確な基準があるということです。
基準というのは生きた判別機能なのです。

このような機能がぼんやりして人に流されるままの人がいます。
また、良いものを遠ざけ、悪いものを取り込んでいるとしか思えない人がいます。
しかもそれが一回の間違いではなく、何度も繰り返す生き方のクセになっている人がいます。

これはどのようにとらえるべきでしょうか?
判別機能が狂っている?

私は判別機能そのものは生まれつきのものであって狂わないと考えています。
それは人の生命を守る感覚であって、生物としての本能的なものです。
ただ、そういう感覚は使わないと簡単に埋もれてしまいます。
生命の深い感覚よりも心の表層部に後天的な体験によって別の心の回路ができてしまっているのです。

このような回路がどこから生まれるかということ、それを次回書きましょう。
予定通りいけば!

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まとめ
JUGEMテーマ:

あまりにも多くの概念が出てきたので、一度簡単に整理してから先に進みましょう。
心について書くときには、ある概念を説明する途中でまた別の概念を説明しなければいけないということがよく起きるので、読みにくいだろうと思います。

*
家族の心の膠着には3つのレベルがある、ということです。

1は、「お前が悪い」という言葉のレベルでの対立
2は、それが過去の発散できなかった怒りや悲しみとして、恨みとして定着すること。
3は、パブロフの犬の反射のように、怒りや自虐の感情に伴う脳内麻薬に中毒してしまうこと

ここで、一つの大切な法則を読み取っていただきたいのです(まとめといいながら、また別の概念です)。

それは

【精神はいくつもの層で成り立っている】
【同一の空間に二つの物質は存在しえないが、精神的な存在は相互浸透して存在しうる】

ということです。

それぞれのレベル、層の違いがわかりますでしょう?

心を見るときに、物質的に見ることに慣れた人は上記の3つのレベルを同時に1つのものとして見てしまいます。
日常生活の邪魔者としての「問題」は、一かたまりの存在に感じるわけです。
そういうふうにしか見えなければ、適切な対処をすることができません。

この3層にわけることで、単純で具体的な対処を考えることができます。






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