INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
女性のための[愛の哲学] (再録)
今回から、少なくとも2回、「愛」について正面から書いたものをお送りします。
愛という言葉は、たいへん多様に使われていて、僕はあまり好きな言葉ではあ
りませんでした。

つまり曖昧な言葉なのです。
でも、女性の立場から書くという切り口を見つけて、そこから語りだせばいい
んだと思うようになりました。
それについて書いたり語ったりすることはとても重要だと思うようになりまし
た。

愛について考え、書くことは、たいへん面白いものですが、きっとみなさんは
あまり抽象的な概念には興味ないと思うのです。
抽象的な概念も、どのように愛すべきか、愛されるべきかに根底的に考えるに
は大切です。

筋のよい考え方や判断ができるようになって、トラブルが減るのですが、それ
が実践につながるまで待てない、すぐに役立つ情報がほしい、という人が多い
と思います。
今回は僕としては珍しく、極めて具体的な話から書き始めましょう。

それから、4月8日に行う「愛のワークショップ」が女性向けであるために、
女性を中心に書くことをお断りしなければいけません。
しかし、男性にも全く同じことが言える部分も多く、また女性独特の部分も男
性にもいわば「敵情視察」的に面白く読めるのではと思います。

さらに女性専用については二つのことを断り書きする必要があるでしょう。

【なぜ女性専用?】
1つは「なぜ女性専用ワークショップなのか」です。
これは女性参加者に自分を解放してリラックスしてもらうためです。
いま、女子会が流行っていますが、これは女性にとってたいへんな開放感であ
ると思います。男性が混じるとさまざまな配慮から、また男性はノリが違うた
めに、女性たちが充分に自分を解放できない面があるのです。
女性は何かを演じなければならなくなり、ふだんと同じになってしまいます。
ですから混合ではないのです。

その2は、なんで僕が男なのにそれを主宰するのか、女の仲間に混じるのか、
という当然派生するであろう質問に答えましょう。

かなり個人的な話になりますが、僕は週に一度陶芸教室に通っています。この
日は、教室でご飯とお汁を作っておかず持ち寄りでご飯を食べる日なのです。
僕も余裕があるときには、何か一品作って、そうでないときは買って参加しま
す。なにしろ、野菜料理を中心にたいてい十以上も料理が並びます。食いしん
坊としては参加しないわけにはいきません。

この昼食会のメンバーが、先生も含めて五、六人くらい全員女性なのです。
僕の子どもの頃には「女の仲間に男が一人♪」という囃し言葉がありました。
まさにそういう状況です。
これは貴重な体験です。
最初はおとなしく肩身狭くしていました。
でも、だんだん慣れますね。

そんなことを何年もやっていますので、女性の話を黙って聞いていることもで
きるし、流れに合わせて話に参加することもできるようになったのです。
今は普通に料理の話や世間話に参加しています。

本来の人というのは、女性性も男性性も両方持っているものと思います。
魅力的な男性には女性性が、魅力的な女性には男性性がバランスよく現れてい
ます。
僕は最近、自分の中でずいぶん女性性が強くなっていると感じるのです。

さて、本論に入りましょう。

【女性はたくさんの男性とつきあったほうがいい】
具体的な愛の話の第一は、「女性はたくさんの男性とつきあったほうがいい」
ということです。
つきあうといっても、飲み友だち、映画やコンサートを観に行く友だちなども
あります。
必ずしも恋愛やセックスと結びつける必要はありません。
これはとりわけ新しい説ではありません。先行していろいろな人が言っていま
す。
ただ現実に一人の男性にとらわれている女性が多いので、僕なりに書く意味が
あるでしょう。
たとえば、ラーメン屋を開くときに日本中のラーメンを食べ歩く、という人が
います。「いちばんおいしいラーメンは何か」を追求するためです。
このラーメンを男性にあてはめると、「自分にとっていちばんいい男はどんな
男か」ということになります。
もし、おいしくないラーメンしか知らないでラーメン屋を開業すれば、「井の
中の蛙」で、あとでたいへん後悔するかもしれません。

しかし、数を知っていればいいというものでもありません。
日本全国を旅しなくても、健康な感覚があれば、おいしいラーメンは作れます。
作るラーメンの味が食べたラーメン屋の数に比例するのではないことは言うま
でもありません。
いわば直感的で勘のいい人は、一を聞いて十を知るということがあるのです。
しかし、一を聞いてせいぜい一か二しか知ることができない人は、ある程度経
験を積んだほうがいい。

一を聞いても0,5くらいしか知ることができない人は、経験を積むほど屈折し
た考えになってしまうかもしれません。
まあ、つまり一般、「普通」の圏内の人は、ある程度のおつきあいは経験した
ほうが賢くなる、と言えるのです。
ですから、恋愛という枠組みではなくても、気楽にいろいろ接点を増やすよう
にすると、いいですね。
その点、音楽や美術などの芸術や、さまざまな趣味、なんとかソムリエとか、
自分の興味のあるものに対しては腰が軽いほうがいいです。

【セックスはマネジメント】
前の項で書いた広くつきあおうというおつきあいには、必ずしもセックスも恋愛も
含みません。
セックスが絡むと話がややこしくなるので、ガツンとまとめて書いておきます。
現代では、セックスは単なる欲望でも、本能でもありません。
それは多大なマネジメントを必要とする「何か」です。

マネジメントとは、お金に変えるという意味ではなくて、自分の目的や方向性
によって管理・制御しなければならないもの、という意味です。
たとえば、女性が多くの男性とセックスしようとすれば、避妊に気をつけなけ
ればなりません。
また男性同士の嫉妬もうまくかわさなければなりません。
つきあった男性をストーカー化させるのなどはもっての他です。
たいていの場合、世間の評判も気にすることになるでしょう。
これらをうまくやるのは、高度なマネジメントが必要でしょう。

それと対極には、セックスは男性を結婚につり上げるための餌と考えている
「安売りしない派」がいます。
こういうことを書くとどうしても通俗的になりますが、ここでは一つの類型と
して取り上げます。
というのは、欲望に基づく人の行動はとても類型的で、さほどオリジナリティ
はないのです。

「安売りしない派」は、自分の若さ、美貌、魅力といったものは、売り時があ
り、時期が過ぎれば衰えてしまうと考えています。
だから、株でいうと、いちばん「高値で手放す」ことを狙っています。
高値で手放す、ということは、結婚相手に値打ちがある、ということです。
それは心がきれい、とか、やさしいとか、そういうことではなく、収入が多い、
お金持ち、かっこいい、背が高い、学歴が高い、という人と比べて自慢できる
価値になっていきます。
そういう外面的、物質的なことにこそ客観性があると考えています。
これはマネジメントそのものです。

これは愛にまつわることでも、恋愛にまつわることでもなく、セックスにまつ
わることです。
この愛についてのシリーズで、最初に愛はリラックスを前提にする、と書きま
したが、これは全くリラックスしません。
まるでビジネスです。

アンディ・ウォーホルは「セックスはビジネスだ」と言いました。
この彼らしい言葉の真意も、言われた文脈も知りませんが、言い得て妙。
まさにこういう姿勢にはビジネスという側面があります。
また恋愛でもない、というのは、こういうパートナーの探し方には、「比較す
る」という行為がつきまとうからです。

パートナーとしては、年収300万円よりは、600万円のほうがいい。600万円よ
りは1,000万円のほうがいい、ということになります。
恋愛は、このように比較するものではなく、オンリーワンのものです。
そういうものを愛というひとくくりの箱に入れているから話がややこしくなり
ます。

前者のフリーセックス派と安売りしない派、多くの女性はこの両方の要素を持
っているでしょう。
この両極の中間あたりで、揺れている人もいるのではないでしょうか。
もちろん全く違うところに力点がある人もいると思います。
ただどちらにしても、セックスにはマネジメントが必要だということです。
恋愛を純粋なものと考えていると、このマネジメントをなりゆき任せにしてし
まうこともあるかと思います。
愛は純粋でいいけれども、セックスには知恵やマネジメントが必要、それがこ
の項で言いたいことです。

そして、愛とセックスはレイヤーが違う。
それをいっしょに考えると、混乱してしまうでしょう。

【恋愛、結婚、セックスは全く別のもの】
僕がほとんど初めて編集者らしきことでギャラをもらったのは、人類学者の西
江雅之さんのインタビューのテープ起こしでした。
その中で、彼は「人類全体を見渡すと、恋愛とセックスと結婚は、必ずしも結
びついていない」と言っていたのが今日まで印象に残っています。
アフリカのある部族では、ごく年少のときに集団的に最初のセックスを済ませ
てしまう風習か儀式があり、それは恋愛とも結婚とも関係ない、ということで
した。
そもそも人類の半数以上は一夫一婦制でない、ということも言っていました。
これは、ずいぶん前の話ですが、イスラムもヒンズーも一夫一婦制ではないで
すからね。

今日でもそうかもしれません。
僕らは日本以外では、主にアメリカやヨーロッパの映画を観て世界観を作って
いますから、どうしてもキリスト教下の一夫一婦制のもとで恋愛や結婚をイメ
ージします。

しかし、それは人が作ったルールに過ぎません。
人が作ったルールである、ということは、空間や時間がズレると違うというこ
とです。
国や民族、宗教によって違うだけではなく、時代によっても違います。

先日、バリ島で僕が聞いた話で印象的な話があります。
バリの空港の送り迎えなどしてくれるドライバーの友人がいますが、彼が言う
には、「一時期、一人でバリに来る女性とは100パーセント、セックスできた」
というのです。彼のほうから強引に誘うようなことはなく、向こうから食事な
どに誘ってきたというのです。

ところが2000年を境に「5パーセントくらい」に激減したというのです。
まあ、男としてちょっとくやしい話ですが、それは置いときまして、時代の変
化が、気分、行動、モラルなどの大きな変化を生むという一つの例だと思いま
す。

バブルの崩壊は、もう1990年頃だったようですが、まだ回復に希望を持ってい
たり、すみずみにまで波及していなかった。
しかし、2,000年くらいには、女性の気分もたいへんな低成長型にチェンジし
ていったということでしょうか。
ここで言いたいことは、恋愛、結婚、セックスについて何も当たり前のことは
ない、ということです。
ただ時間と空間の文化的要素が支配しているということです。

それからだんだん自由になりましょう。
自由になるというのは、何も反発したり、攻撃的になる必要はありません。
日本の今の時代の雰囲気に適応してうまく行っているのなら、それでいいので
す。
ただ当たり前とされていることで、自分の感覚にそぐわないものがあったら、
それを広い視点から本当に必要か考えることです。

何かを我慢しているということは、それだけで愛を阻害しますから、自分の感
覚で納得いかないことにはとことん対処することです。

【恋愛において没個性化戦略は苦戦する】
最近のブログ記事には、
「男性がいやがるあなたの7つのクセ」とか、「誰にでも好感をもたれる8つの
言い方」とか、そういう記事多いですね。
思わず読んでしまうけれども、内容はあまりないよう。

こういうのを真に受けてはいけません。
誰かが嫌がるのではないか、好かれないのではないか、こうしたら好かれるの
ではないか、そういう視点を中途半端に持つのはよくありません。
残念ながら好かれる人は自然にしていても好かれるのです。
自然にしていては好かれない人が、「こうしたら好かれる」という記事を読ん
でそれを表層的に実行しても不自然に見えるのです。
したがって、こういう記事は自然に好かれる人にも、自然にしていては好かれ
ない人にも役に立ちません。

こういう記事をたくさん読んでも好かれる人にはなりません。
本当に所作を美しくしようと思ったら、茶道でも華道でも着物の着付けでも、
日本古来のものを習えばいいと思います。
伝統的なものには、こうするんです、と決まったことがたくさんある。
最初は言われた通りにするしかない。
やっているうちにその意味がわかってくる。
そういうものには深い栄養があります。

「7つのクセ」的なものを愛読する人は、そういう面倒なことはしたくない。
文化の美しさとかもわかんない。
だから、ただですぐに読めるブログで間に合わせる。
そういうニュアンスしか感じないのです。
そもそも、こうしたら好感を持たれるのではないか、と考えていくと没個性化
するのです。
なにしろ、万人に好かれようとする努力するわけですから、角が丸くなってく
る。
この没個性化戦略は、有利でない、ということを書こうと思います。

面白いから戦略といってみますが、要するにいちばん安易に流れるとこうなる
わけで、何も考えていない人はこの作戦をとるわけです。

僕は編集者をしていたので、売れる小説について考えたときに、このことに気
づいたのです。
誰にでも70点で評価される小説と、8人まで0点の評価でも、2人が100点の評価
をする小説。
人が小説を買うときはシビアなもので、自分にとって85点以上でなければ買わ
ないとする。
そうすると、前者は一冊も売れない。
後者は2冊売れる。
平均点でいうと、前者は70点。後者は20点。でも結果は後者がいい。
人が交際相手を選ぶとなると、小説を選ぶよりシビアですから、理想的には90
点以上取ったほうがいい。
だから平均点にとらわれ、嫌われることを恐れている場合ではないのです。

もちろん、言葉遣いが美しくないとか、がさつなことを直さなくていい、とい
うことではないのです。
欠点は「和らげ」ながら、でも長所をのびのび発揮できるようにしないといけ
ません。
没個性化のこと、違う観点で続きます。

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4月8日土曜日は、「愛のワークショップ」!
ここに書いてあることを「立体的に」理解するチャンスです。
ぜひご参加ください。
またお友達にシェアしていっしょに来てください。

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【女性のどんぐりのせいくらべは大粒から取られる】
没個性化というのは、個性のとんがりを見せないということですから、日本社
会の同調圧力に負けている、あるいは進んで同化していると言えます。
これは叩かれない、という防御的な反応としては一定の効果がありますが、積
極的に行動に出る自由性は次第に失っていきます。

日本にはそういう人はたくさんいますから、ある意味でどんぐりのせいくらべ
に参加することになります。
出ない杭は打たれない、一見安全策に見えるこの作戦が大きな墓穴を掘ること
があります。

だって、どんぐりのせいくらべというのは、すごい競争ですよ。
男性から見れば、女性に個性がなければ、美人のほうがいい、若いほうがいい、
料理が上手なほうがいい、やさしくて性格がいいほうがいい、というごく一般
的な物差しで女性を測るようになるからです。

容姿は生まれつきのものが多いし、若さは一時期だけ。
料理はできる人はできるし、できない人はしない。
結婚準備のために料理教室に行くなど、例外的なケースでしょう。
性格のよさについては、自分の性格を変えられるなどと思っている女性はいな
いでしょう。
あるいは変えたいなんて思わないでしょう。

ただ人あたりはなんとか柔らかくしておきたい、と思うのがせいぜいでしょう。
努力しても仕方ないものか、努力するのがめちゃ面倒くさいものばかり。
非常に手も足も出にくい状況だから、一歩でも前に出るために、エステや新し
い化粧品やら美容器具などでおまじないをかけるのでしょう。
そういう涙ぐましい倒錯的な努力にも関わらず、どんぐりのせいくらべは大粒
から取られるのです。
大きい粒から拾われていって、小粒が残る。

小粒が残る頃には、男性もだいぶ小粒化しているわけで、「ロクな男がいない。
こんなはずではなかった」と嘆くことになるのです。
つまり、目立たない、という作戦を取りながら、小さな差をつけようという姑
息な手段はじつは想像以上にリスキーなのです。

しかも、その結果が出るまでにぼやぼやと時間がかかる。その間に若さを浪費
してしまう。
そういう価値観では、若さには価値があるわけですから、3年前、5年前よりも
自分の値打ちは落ちたと考えることになります。
実際は年齢は関係ありません。何歳でもすてきな人はすてきです。
でも、若さに価値を感じて、それを自分は失ったと考えている人はそこに引け
目が入り込んでしまう。
実際の年齢よりも、この引け目のほうが働くのです。

そんなことにならないためには、普通はこうだ、平均値はこうだ、相場はこう
だ、という物差しで自分を測らないことです。
比較があるところに愛はないのです。

では、個性化したらモテるのか、どうしたら個性化できるのか。
というように疑問が膨らむわけですが、これは生き方全体に関わること。
一口に答えるわけにはいきません。

【ディズニー・デートは0点/結婚の4つの試練】
ディズニー・デートはよくない、という論旨ですけれども、まずディズニーラ
ンドは、最高峰のエンターテイメントである、ということは認めなくてはいけ
ないでしょう。
しかし、デートはせいぜい若いうち、1年に1,2回にしておいたほうがいいので
す。
それ以上ハマるようだと先が思いやられます。

ディズニーランドは至れり尽くせりで、人が楽しむ環境を作り出してくれます。
いわば工場で工業製品が作られるのと同じように楽しみが生産されるのです。
どんな人でも楽しめるように作ってあるのだから(楽しくない人もいるが)、
そこで楽しむことに何の芸もありません。

だいたい数分のアトラクションに1時間も待つ、というのが僕には信じられま
せん。
しっかりお金を払うのに待たされるのはいやですね。

並ぶ人から見れば、バカバカしくないのだと思います。
これだけおおぜいの人がおとなしく並んでいるからには、並ぶ値打ちはあるに
違いない、とお互いを見て思っているに違いないのです。
僕も若い頃、人でごった返した海水浴場に行くと、何か楽しいような気がしま
した。
逆に海の家もないような人のまばらな海岸は何かさびしかった。
今は誰もいない海岸で浜辺を歩くだけでも楽しいのです。
新宿や渋谷のような雑踏、盛り場もできれば避けたくなりました。

盛り場、というのは、盛りがつく、犬が盛る、というのと同じ盛りなんだな、
とあるとき気がつきました。
ざわざわしてなんか興奮する。面白いことがありそうな気がする。
若いときは、そういうところに何かありそうな気がするものです。
ディズニーランドも、人気があるからますます加熱して楽しい気分になるので
しょう。
若いときは人は尖った強い刺激を求めます。
成熟するにつれて、淡い小さな刺激からもしみじみとした喜びを感じられるよ
うになります。
だから、若いときに興奮を求めるのは仕方ありません。しかし、そういう気分
でわさわさしているだけでは、恋人たちは成熟しないのです。

なんとなく、おつきあいってこういうものかな、デートってこういうものかな、
セックスってこういうものかな、と思って、それらしいことに参加しているカ
ップルは、成熟しないままに、なんとなく結婚してみたりするでしょう。
ところがそこに数々の試練が待ち受けています。

まず第一の試練は、結婚式前後です。
ディズニーランドでは、二人きりでせいいっぱいおしゃれしていたものが、相
手の親やら親戚やら、泥臭いものがぞろぞろと出てきます。
相手のご両親にも気に入られなければなりません。
彼が両親とあなたと同時にいるときに、どういう態度を取るかも初めて知るこ
とになります。

いろいろな思惑の中で、結婚式について、場所、日取り、費用、その他、じつ
にさまざまなことを決定しなければいけません。
ディズニーランドは、ヴァーチャルなスペースだから、せいぜい、どうアトラ
クションを回るかくらいを決めればよいでしょう。
しかし、ここで初めて意見の食い違いに出会うかもしれません。
相手が投げやりだったり、強引だったり、自分の趣味と違ったり、考えている
ことが雑だったりすることを初めて知るかもしれません。
さらには相手のことをじつは何も知らなかった、ということに気づく可能性も
あるのです。

成田離婚するカップルは、二人きりの旅行で、どんな激突があるのでしょう?
そういう相手の欠点や、本当の姿をあらかじる知る機会はディズニーランドに
はありません。
夢の国だからです。

第二の試練は、日常生活です。
今は世の中厳しいものです。
彼の帰りはいつも遅いかもしれません。
帰ってきても、仕事で疲れているかもしれません。
イライラしていたり、何か気がかりなことがありそうかもしれません。

あなたも仕事しているかもしれないし、慣れない家事や近所づきあいで聞いて
もらいたいことがあるかもしれません。
そういうときに、お互いに相手に甘えるつもりだと、相手が自分のことばかり
言っていると爆発してしまうかもしれません。
相手のことは、いろいろな場面で出会わないとわからないものです。
結婚前は、話題が携帯から流れてくるニュースとか、そんなのばかりでも済む
でしょう。
でも、それでは相手のことを知るきっかけは少ないでしょう。
デートは楽しさだけで測ってはいけません。

デートでは、
相手のことを理解することができます。
相手に自分のことを知ってもらうことができます。
二人の違いを理解して、いちばんいい接点の持ち方を探すことができます。
次第に大切な深いことも話せる関係を作っていくことができます。

そういうだんだん深くなっていくプロセスがないと関係は成熟しません。
そして、何か大きな話題がなくても、話しているうちに面白くなってくるよう
に息を合わせられるようになるでしょう。

それから、話題が途切れたとき、沈黙の時間があるときにいい感じかどうかは
とても大切。
沈黙が流れると気を使って、なんとか話題で埋めようと頑張るようではしっく
りしていないのです。
二人でぼーっとしていても、リラックスできる。
なんか楽しい。
それが理想です。
いつまでもダラダラといっしょに居られる相手は、結婚しても安心です。
楽しいけれども、用が済むと気を使って疲れてしまうような相手は遊び相手に
とどめたほうがいいでしょう。

ふだんのデートで、そういう関係を深めておけば、疲れているとき、言葉であ
れこれ言い合わなくても、お互いに癒し、和むことができます。
忙しい日常生活の合間で心を通わせ合うには、デートのときに練習しておかな
くてはいけません。
あなたがそのように誘導するのです。

第三の試練、それは妊娠・出産です。
妊娠中は、男には体験できない特別な期間です。
それを楽しく喜びを持って過ごせる人は、健康でとても賢く、女性としての自
信を持っている人と言えます。
妊娠中の体感は、千差万別のようです。
だから、「みんなはどうなの?」という平均値は、参考にはなってもそれ以上
ではありません。

ディズニーランドでは誰もがほぼ均質の体験をしますが、妊娠ではたった一人
の体験をするのです。
自分が感じていることをそのままに受け取らないといけません。
妊娠・出産は病気ではありません。
動物病院に産科はありませんね。
自然のままに生きれば生まれるのが子どもです。
しかし、ペットも年々過保護化しているので、そのうち産科ができても不思議
ではないかもしれません。
つまり、妊娠中にさまざまな困難が生じるとしたら、それは人工的な環境によ
るものなのです。

心理的な不安や恐怖も悪い影響を与えるでしょう。
自分が生きていることの本質にどーんと腰を据えているかどうか、問われる期
間であると思います。

第4の試練は子育てです。
ディズニーランドでは、全て自分の周囲の環境を整えてくれていましたが、今
度は自分が赤ちゃんにとっての環境になるです。
ディズニーランドでは、全て自分が主人公でしたが、子どもが赤ちゃんのうち
はあなたは脇役に回らなければなりません。
生まれたばかりの頃は、夜中に三時間おきくらいに起きて、おっぱいを欲しが
って泣きます。
単純なことをいうと、そういうことに対応しないといけない。
黙って、と言っても泣き止むことはないですから。
言葉を持たない生き物の要求に答えてやらなければいけません。
この主人公から脇役へのシフトを上手に行えるかどうかも、女性としての賢さ
が問われる場面です。
シフトできないと、ブルーに、あるいはヒステリックになってしまいます。
このときに、パートナーがどれほどあなたの状況に寄り添ってくれるか、とい
うことでも気分はずいぶん違うでしょう。
そういう目で今の彼氏を見てください。
*
女性はこのような試練を経て、成熟していくのです。
おわかりでしょうか?
女性は恋愛中も、というより、恋愛を通じて個人として成熟していかないとい
けないのです。
そこでシミュレーションを済ませておかないと、誰かといっしょに暮らし始め
たときに、試練を乗り切るのに要らざる苦労をしないといけません。
ディズニーランドは、個を埋没させる楽しさ(つまり「誰でも楽しめる」空間
であることにおいて)なのです。
自然な場所、たとえば、海辺にいけば、貝や石を拾ったり、泳いだり、魚をと
ったり、スポーツをしたりいろいろな楽しみ方があります。
そこに個性的な体験が生まれますが、ディズニーランドにはそれがないという
ことです。

ディズニーの悪口が目的ではなくて、女性の幸せには個であることはとても大
切だ、と言いたいのです。
ともすると、個であることを抑えたり、ただ大勢に従っていることが女性らし
さだと思われている面があります。
しかし、そこから人生を組み立てるのはとても筋が悪くて苦労することになる
でしょう。
(愛の哲学 続きます)

JUGEMテーマ:恋愛テクニック



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