INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
年末年始のセミナー、WS 参加者急募
12月25日(日)の[シンクローム]セミナー。
参加者緊急募集。
難しい日程のせいか、参加者数、物足りないのです。
ちょっと気になっている方。
「クリスマスと言っても何もない!」方。
ぜひ来てください。

新年7日からは、[大人の成長塾]Rが始まります!

●12/25日(日)。[シンクローム]セミナー。『[シンクローム]VS.チャクラ』
http://synchrome.asia/2016/11/21/1263/

身体自然還元術、[シンクローム]。
セミナーは、初歩から遠隔まで。さらにチャクラへの施術を実験します。
手ほどきから始めますので、どなたでもどうぞ。

●[大人の成長塾]R 2017年1月7日(土)
[大人の成長塾]リアル版を始めます。
楽しいゲームを使って眠っている感覚を開発します。
予備知識なしで、どなたでも参加できます。
レクチャー&ワークショップ。15時から2時間半。
参加費 4,000円

そのあと2時間程度の新年会。参加費2,000円。お酒飲まない方1,000円。

以後の[シンクローム]セミナー予定日。第二土曜日です。
時間を早めて14時からです。お話会も開催します。
2017年1月14日(土) 
2017年2月11日(土)
2017年3月11日(土)
今すぐにカレンダーにチェックを! 

申し込みは、 entry@hiden.jpまで。

セミナー名と日付を書いてお申込みください。
その他に
*お名前
*年齢
*住所

をお書きください。



JUGEMテーマ:ワークショップ



[大人の成長塾] / comments(0) / trackbacks(0)
[大人の成長塾]クロニクル第6号  「お医者嫌い/膝をヤラれて整形外科に行った話」
●こんにちは。村松恒平です。
今回は、僕がお医者に行った顛末です。
読みやすくて面白いのではないかなあ。
本文は珍しく「ですます」ではなく、「である」「だ」調で書いています。

なんかそういう気分だったので。
ハードボイルドというか。

●[大人の成長塾]、そろそろ始めたらいかがでしょうか?
http://seicho.hiden.jp/s_test.html

●[シンクローム]が誰でもできるようなるワークショップ。

[シンクローム]を普通に使える人を100人くらい育てようと、かなり本気で
毎月やっていきます。普及のために参加費もたいへんリーズナブルだと思いま
す。
http://synchrome.asia/2016/11/04/1252/

初めての方もすぐに打ち解ける楽しい雰囲気です。ぜひご参加ください。


********************************************


お医者嫌い/膝をヤラれて整形外科に行った話




病気や怪我は勉強になる。
今回は【教訓】を含めて、その話を書こう。

『薬を飲まずに2カ月でγ-GTPが1500から50に下がる』
http://synchrome.asia/2015/09/07/1054/

は、読んでくれたかな?
γ-GTPは、高いほど悪い。
500だと肝硬変が疑われるような事態なのね。
だから1500とはなかなかぶっ飛んだ数値なのだ。
眼に黄だんも出てたし。

僕はときどきそういう状態になっては生還している。
このときも薬飲まないで自然に治した。

健康をふだんから節制したり養生したりして守ろうという気はない。
好きなように生きて、悪くなったら徹底的に節制養生して戻ってくる。
そういうほうが性に合う。

このときは一週間もやしだけ食って暮らした。
1か月、酒は一滴も飲まなかった。
10キロ痩せた。

こんな乱暴がいつまで続くのかはわからないけど、今のところ快適に生きてい
る。

今回は膝をやっちゃった話。

僕は19のときに母のつきそいで野口整体に行って以来40年、ほとんど薬を飲ん
でいない。
ゼロではないけれども、常習者の世間の人からみればゼロに等しい。
身体についても、40年、アンチ薬品の立場、自然の身体を探求する眼で観察・
研究してきた。
そして、2011年以来この5年間、[シンクローム]でいろいろな人の身体をみ
てきた。

だから、身体についてはある種の専門家と言ってもいいのだ。
でも、身体には何層かあって、自分の関節とか、筋肉のレベルは全然ダメなの
だ。
筋力はとても弱いし、関節は硬い。

ここ数か月、その弱点を克服しようと武道系のトレーニングをしていたのだ。
これでもなかなか研究熱心なのだ。
しかし、先日、筋のいい教えてもらったトレーニングでなく、ちょっと聞きか
じったトレーニングっぽいことをしたら、膝がぴきっといった。

そのときは違和感だけだったのだが、一週間ほどして痛くなってきた。
2、3日経つと、寝床から起き上がるのに、何かに捕まってしかも5分も苦闘する
ようになった。
痛みがあるので、体重をかけたくないのだ。
階段も交互に脚を出しては上り下りできない。
一段ずつ脚を揃えてノロノロと歩かなくはいけない。

僕は「あと何年生きるつもりか?」という話題になると、「300年」と答えるこ
とにしている。
何歳くらいでどれくらい老け込んで、何歳くらいで死ぬ、というのは固定概念
のような気がするのだ。
そして、その意識は実際に身体に反映される。
そういうものを外したらどこまで元気で行くか、という人体実験を自分で行っ
ているのだ。

しかし、こうして脚一本不自由になってみると、急にそこから老いが現実にな
る。
痛い脚を庇うと、別のところに余計な力がかかり、不自由だし、疲れやすい。
いろいろな仕事をする気力もでない。
これではすぐに老け込んでしまう。

身体の不調が勉強になるとは、こういうことである。
人の身体はふだん絶妙のバランスを保っているのだ。
それが一つ欠けると、ふだんの生活のありがたみがわかる。

もっとも「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、元気になったらほとんど忘れてし
まうのだが。


●象徴とは何か?

あまりに情けないので、観世流能楽師の中所さんに[シンクローム]をお願い
した。
[シンクローム]のサイトを見てくれていれば、彼がトップページに体験を寄
稿してくれているのを知っているだろう。

[シンクローム]サイト
http://synchrome.asia/

中所さんから僕は能を習っているが、僕は[シンクローム]を教えた。
それで、ときどき[シンクローム]の交換をする。
お互いに調子が悪いときに、何日分、と貸し借りするのだ。
これはたいへん便利だ。
自分で自分をするのは、可能だが、限界がある。その理由は専門的になるので
ここには書かない。
中所さんの[シンクローム]は効く。
とても感覚がよく集中力がある。
能と[シンクローム]には共通性がある。
それは[象徴性]である。

[象徴性]とは、簡単にいうと、意識の形を明瞭化し、形象化することだ。
くっきりした形象化は力を生み出す。

京都の寺の石庭。あれは、象徴そのものだ。
仏教的な宇宙観を形象化したもの。
宇宙を言葉で説明されるより明瞭になる。
あの広さで、全銀河系を含んだ物理的に知られているすべての宇宙を包含して
いる。
あるいは、それ以上の次元の宇宙をも包含している。

このように[象徴]には集約的機能もある。
宇宙のすべてをコンパクトに集約して見せてくれる。

ここで想像力の豊かな人は、次のように考える。
「[象徴]が宇宙を集約するなら、[象徴]を操作することによって宇宙を動
かせるのではないか?」

これは魔術の始まりである。

おおげさな話ではなく、たとえば、天照大神が天の岩戸に籠ったとき、天地は
闇に閉ざされた。
八百万の神は、じつにさまざまな対策を取るのだが、アメノウズメが踊ったエ
ロチックなダンスが決め手になって、天照大神は天の岩戸から出てくる。
こういうのも一つの象徴、ダンス、芸能によって、気象を動かそうとしたこと
の表れである。

雨乞いにも儀式がある。儀式とは象徴を作り出すシステムだ。
だから、能にも象徴を形象化し、宇宙を動かす力が脈々と流れている。

宇宙を動かすといっても、たとえば、地球の自転、公転を遅くしたり止めたり
したら、人類滅亡の大パニックになってしまうし、そんなことはできはしない。

しかし、身体という閉じられた特殊な宇宙は、秘められた感受性を持っていて、
そこに働きかけるのは難しくない。
強い力は全く必要ない。治癒そのものは身体がする。
身体の自然の中に治癒力は秘められている。
ほんのわずかな不調和がその治癒力を押しとどめているので、そこに働きかけ
る。
それが[シンクローム]だ。


●病院における検査は必要悪●

[シンクローム]を依頼して2日目くらいに、整形外科に行った。
何が起きているか、医学の診断も確認しておきたかった。
何か簡単に治るオマジナイでもあればしてもらいたかった。

近所の整形外科はたいへん繁盛していた。レントゲンを撮って診断を受けるの
に1時間半もかかった。
大きな病院ではないが、なんとレントゲン室と並んでMRIがある。
相当高価な機械である。
5,000万円の安い物があるようだが、だいたいは億。
こんなものを買ったら、どんどん患者を放り込まないといけない。

普通の人は、「こんな機械があって立派な病院」と思うだろうが、僕は嫌いだ
からね。
造影剤なんか冗談ではない。
造影剤使わなくても、強い磁場の中に人が入るので、生体磁場が大きくかき乱
されるはずだ。

そういうダメージで何か障害が起きた場合、全く因果関係は証明されないし、
たいていは意識すらされないだろう。
医師や患者の頭や心の中では、検査による干渉はゼロに等しいと計算されてい
る。

こんなことを心の中で毒づきながら、僕もレントゲンを撮ったわけだが、費用
対効果を考えている。少量の被曝を避けるよりも、情報がほしい。

僕の大学時代の友人は、股関節が悪くて一時期よくレントゲンを撮っていた。
たぶんそのせいで無精子症になったと言っていた。
どれほどレントゲンを撮ると無精子症になるのか。
何十回か、何百回か。今だったら聞くと思うが、当時は聞かなかった。

まあ、大小に関わらず影響はあるということだ。
そして、多くの人はそれは計算外にするけれども、僕はもっと繊細に考える。
必要悪と思って最小限にする。


●医者とのやりとり

まあ、そういう必要悪と思われるレントゲンを見て、「原因は簡単ですね」
とお医者は言った。

「骨と骨の軟骨がなくなっています。軟骨は映りませんが、骨と骨の間に隙間
がないでしょう。そこが軟骨なのです」。
たしかに隙間がない。あとで画像検索しても、どうも世間より圧倒的に少ない。

あれだー。
テレ東なんかでよく宣伝している「ヒアルロン酸」とか「グルコサミン」とか
バカにしてたけど、ターゲットになってしまった! 飲む気ないけど。
(あとで調べると、どうも経口摂取では効果がない、というほうが正しそう)。

「これ、炎症は何ヶ月も治りませんよ」
と医者は無情なことを冷淡に宣告する。
たくさんの人に同じことを言っているのだろう。

何ヶ月も治らない、ということは、一生治らないということに限りなく近いの
だろう。
「あなたはこれからずっと僕(お医者)のお客さん」と言っている気がした。

こちらは半分しか信用していない。その通りになる可能性もあるけれども、
[シンクローム]もあるから。翌週には[シンクローム]セミナーもある。
びっこひいてたら格好悪いな、と頭をよぎる。

「お薬が嫌いなんですねー。でも、2週間だけ出しましょうね。最初が大事で
すからね」
聞き分けの悪い老人に噛んで含めるような調子で言われた。
どうも電子カルテに前回薬を拒否したことが申し送りで書いてあるようだ。

前回は痛風で行った。「尿酸値を下げるお薬出しましょうね」というから「要
らない」といった。
尿酸値、生活で下げないで薬で下げたら、一生飲まなければいけない。
一生一つの薬を飲むなどは、僕にはありえない。
命がけでも絶対にほかの手段を探す。

「薬要らない」と言ったときの医者の鳩が豆鉄砲食らったときのような顔は忘
れられない。
誰も言わないのだろうな。

γ-GTP1500のときも、薬を出すといわれて「要らない」と言ったのは、同じ理
由だ。
さらに薬品を分解するのに負担がかかるのはどこかといえば、肝臓だ。
肝臓の薬を飲んで肝臓を消耗させたら世話はない。

今回は2週間限りと言われたこともあり、また鎮痛はともかく消炎剤はいいか
な、と思ったこともあり、「何の薬ですか?」と聞いて買うことにした。

ロキソニンより弱い薬だという。
もう薬も説明書も捨ててしまったので、薬品名がわからないが、帰って検索す
ると胃を荒らさないと書いてある。

薬は自分がこんな調子でもらうときも、[シンクローム]のクライアントのも
のも、すべて検索する。そうすると、びっちりと副作用が書いてある。

それなのに胃腸薬まできちんと2週間分売りつけられていた。
胃腸薬捨てました。
薬自体も3日ほど飲んで捨てた。
湿布薬も3日ほど。これは何かのときに取ってある。

医者はまたどうせ近く「痛ぇ痛ぇ」と泣きついてくるだろうと思っているよう
だった。
治療手段はといえば、ヒアルロン酸の注射、手術、投薬だ。
野蛮かつ無能だ。
僕にとって、役に立つオマジナイはなかった。

こうして書いているのも、よくなったからである。
その話を書こう。


●一週間で回復する

中所さんに[シンクローム]を依頼した話は書いた。

2日目くらいに、「調子はどうですか?」とメッセージをいただいた。
何か自信ありげだ。
あとで聞くと「手応えがあった」という。

僕のほうは、痛みはちょっと和らいだかなあ、というくらいでまだはっきりし
なかった。
ところが寝るときに、微妙に違った。
なんか脚の痛い角度が限定されたような感じがした。
脚にあてものをしてよい角度で寝た。
すると翌日、少し軽くなっている。

この傾向はだんだんはっきりして回復に向かっているという安心感が出てきた。
その前、数日は、寝るたびに新たにひねって負担をかけているような気がして
いたが、明らかに寝るたびに回復する。
これは大きな差だ。

もう一つ面白いかもしれない現象は、膝が炎症というより、水を含んでむくん
だような感じになっていたことだ。何か保護的な作用があったかもしれない。

ちょうどその時期に陶芸の薪窯が3日間あった。
最初は脚をかばって疲れる感じだったが、みるみる回復して、最終日は4時半
起きで昼前まで薪をくべる係ができるくらいに回復した。
階段も一段ずつでなく、交互に降りられるようになった。

ざまあみろである。何が「何ヶ月も炎症が続きますよ」、だ。
もう行かないよ。

……とまあ、たいへん強気な気持ちであるが、今も痛みや歩行に影響はないが、
微妙なひっかかりはある。あまり負担はかけたくない感じ。
[シンクローム]をしたからといって、こんな短期間に軟骨が復活するとは思
えない。

これはどういうことか。
つまり、軟骨が少なくなっても、いつも痛いわけではない。
痛くなったり小康状態になったりする。
あるいは誰でも痛みを感じるわけではない。
そこには確実に別の要素がある。

しかし、医者はその微細な要素には踏み込めない。
だから、注射と薬と手術という手段しかない。

[シンクローム]では、なぜこれが可能かというと、人為でよくしようという
のではないから。
ただ自然に還す。身体の自然の働きの中に、さまざまな手段が秘められている。
それを発露させる。
肝心の部分は人為でないから、微細な要素を調整してくれる。

結局8日間、[シンクローム]をお願いした。
日常生活に差し障りがないところで、あまり借りが増えすぎてもいけないので
ストップした。
もし、[シンクローム]がなかったら医者のいうように何ヶ月も辛い炎症に苦
しんだ可能性が高い。

**

TPPが発効すると、外圧によって医療保険が崩壊すると言われている。
一説によれば、盲腸の手術で数百万円の医療費になるとも。

アメリカでオバマケアによって国民皆保険がようやく実現したのと逆行して、
日本では貧しい人が医療を受けられなくなる可能性が高い。

[シンクローム]が医療すべての代替になるとは言えないが、身体と精神の基
本的なSelf-defenseになる。
これを知っておくと知らないとでは、大きな違いが出る。
全国民に普及すれば、薬の消費はたぶん今の20分1くらいになるだろう。

**

[シンクローム]は、身体自然還元術だといえる。
[大人の成長塾]は、精神、考え方、生き方を自然に還元する原理と方法論を
説いている。
この両輪が必要とされる時代がすでに来ている。
[大人の成長塾] / comments(0) / trackbacks(0)
[大人の成長塾]クロニクル第5号  「不思議な話。不思議の話」
■村松恒平です。

ずいぶん久しぶりのクロニクルになります。というのは、[大人の成長塾]の
執筆がまだ終わっていないのです。本当は3か月くらいで書き上げて、次の仕
事に行きたかったのですが、そんなにきれいに行きませんでした。
いまも1か月分の原稿のストックもありません(笑)。
[大人の成長塾]には、あれも書こうこれも書こうというアイデアがたくさん
あるのですが、書いているうちに、どんどん膨らんだり、予定と違う道に進ん
だりします。

予定と違う道ではあるのですが、脇道にそれたのではないのです。
いわば地球儀のような立体を文章という線的な手段で表そうとしているので、
一筋道がとりにくいのです。
伝えるべき内容を一覧にして各回に振り分けるようにして書いているのではな
いのです。
最初そうしていましたが、書いているうちに予定がどんどん壊れてしまうので
す。
それは内容が自らもっともっと書いてくれないと困る! と訴えて膨れ上がる
ような感じなのです。その結果、中身は非常に濃く深くなっております。
なるべく短い文章の配信の積み重ねにしたかったのですが、文章が長い回が増
えています。

フォーラムという[大人の成長塾]専用の掲示板で読者の反応を知ることがで
きます。
内容についてきて、すごい! 得した! と言ってくれる人もいます。
自分の問題と絡めていろいろ質問する人もいます。
そういうことで理解の程度を測っています。

ここに何も書いてくれない人の反応はわかりません。
途中でついてこれなくなった人もいるかもしれません。
それは「わからん」と言ってもらわないとこちらにもわからないのです。

なるべくわかりやすく書いていますが、抽象的思考に慣れていない人は疲れる
かもしれません。
たぶん、何年か経ってから、「あ、そういう意味だったのか!」と気づく人も
いるでしょう。

合計すると80通くらいのメールになりそうです。
これは、本にまとめてもダメなのです。
時間をおいて配信されるというふくらみの中で、読者の経験と一つになって織
物のように形成されていくのです。

内容の深さには、自信があります。
いますぐにでも入塾できます。

無料のテストくらいしてみてくださいね。
面白いですよ。

成長力基礎テスト
http://seicho.hiden.jp/s_test.html

やはり無料のステップメールが15通ついていますから、これも必読。
自分自身の状態を知れる独立したコンテンツになっています。


■[シンクローム]サイト。大リニューアル!

[シンクローム]サイトを久しぶりに新しくしました。
http://synchrome.asia/

今回は有名なアート・ディレクター、元岡本太郎美術館の副館長、能の観世流
シテ方の3人の方にそれぞれ体験談をいただきました。トップページにありま
すので、ご覧ください。


■シンクローム・セミナー再起動! &ボランティア募集!(1名)

お待たせしました! [シンクローム]セミナー再起動。
10月11月12月にそれぞれ一回設定しました。
毎月一回やります。
たくさんの人に[シンクローム]を使えるようになってもらいたいです。

http://synchrome.asia/2016/10/01/1244/

また当日、開場の1時間前に来て、受付その他手伝ってくれる人募集。
申し込みのメッセージください。
先着、若干一名です。
いつも友人に頼んでいますが、今回公募してみます。

資格はドタキャンしない人。特典は楽屋裏が覗けます(とくに何もないけど)

参加費が無料になります。
セミナー、お話会は普通に参加できます。

今回のシリーズは普及のために料金安めに設定しています。
この機会にぜひご参加ください。


――――――――――――――――-

『不思議な話。不思議の話』

[シンクローム]は、不思議です。
いまだに不思議。

今回は、[シンクローム]5周年で、サイト・リニューアルとセミナー起動を
記念して不思議の話をします。

*

不思議という言葉を不思議に思ったことがある人はいますか?
不思議とは、科学や人間の常識からは外側にある現象をいいますね。

不・思・議。
これでどうして「ふしぎ」という意味になるのでしょう?

と思って調べてみました。

そうすると、「思議する」という言葉があったのです。
「思議する」は、「思いはかること。考えめぐらすこと」

もともとは不可思議だったようです。
「思議する」べからず。

神秘現象を言葉で推し量ろうとしてはいけない、という仏教用語だったようで
すね。

神秘の現象を人間の浅知恵のレベルに落として紐解こうとしてはいけない、と
言っているのです。
通常使われるケースでは、考えてはいけないというより、考えてもわからない
からそのまま受け取る、というニュアンスが強い氣がします。

というわけで、不思議という言葉については「思議」してしまいました。
もう不思議ではなくなりました。

*

[シンクローム]のトップページに登場するヒロ杉山さんを見ていただけます
か。
http://synchrome.asia/

彼は、非常に尖ったアート・ディレクターとして、またアーティストとして独
特の活動をしている巨匠です。
彼のイマジネーションはファッショナブルですが、本質的なものと結びついて
いて強力です。
エンライトメントという集団を率いています。
http://elm-art.com/

文中、僕のことを先生と呼んでくれていますが、それは彼のサービスで、昔、
エディトリアルの仕事をいっしょにした仲間です。

彼がもう一生治らないと諦めていた膝が、[シンクローム]でひょいっと治っ
てしまったのです。
彼は3回と書いていますが、たぶん1回です。
1回だと信憑性が薄いので、配慮して3回にしてくれたのではないかと思います。
あるいは2人の記憶が食い違っているかもしれません(笑)。

僕の記憶では1回だけして、そのときに彼は座り仕事が多いので、「椅子の高
さを調節してぶら下がりもせず、余りもしないジャストにしたほうがいいよ」
とアドバイスしました。
それだけで数ヶ月後、「治りました」と言われたので、僕のほうがびっくりし
ました。

[シンクローム]は手も器具も身体に触れない施術なのです。
物理的接触なし。
もちろん薬もなし。
触れていないのによくなる。
こういう奇跡的なこと、わりとあります。
これは不思議でしょう。
ところが実際に起きると少しも不思議でない。
自然に治ったのと見分けがつかないのです。

でも、そう簡単に結果がでないこともあります。
結果が出る、出ないはどう違うのでしょう。

サイトをリニューアルしたときに、こういう説明を考えました。

「コップに一定量の水が流れ込んでいます。
でも人は気づきません。
コップから水が溢れたときに、人は気づきました」

働きかけは一定量なのです。
効果がすぐに現れるかどうかは、その人の状態によるのです。
コップのへりまで水が入っていた人は、すぐに溢れます。

かなりよい説明だと思うのですが、誰も感心してくれません……♪

さて。

たとえば、薬品の効果をみてみましょう。
強い毒薬であれば、誰でも死んでしまいます。
強い睡眠薬であれば、誰でも寝ます。
強い鎮痛剤であれば、誰でも痛みがとれます。
強い自白剤であれば、自白がとれます。

そのように一律に効果があるものはとても考えやすい。
自分を科学的だと思っている人は、こういうものを基準にしていることが多い
ですね。

科学実験は、複数の同一のものに対して、違う条件を与えて結果を比べますね
(この領域に関しては正式な術語やスマートな表現を知りません)。

しかし、人には同一の個体は決して存在しないのです。
同一人物でも、ショックなことを聞かされた数秒後には全く違う身体になるで
しょう。

人の中には記憶があり、精神活動の内容が身体の緊張としていつも現れていま
す。
また遺伝的要素も複雑で、全く同一条件の身体を揃えることは難しい。
これは生体の場合です。
死体はもっと近似性があるでしょう。

一律でない個体に、一律でない効果を生むものに対して科学がどういうアプロ
ーチをしているのか僕は知りません。

前述のように薬品は一律の効果を生むものがあるのでわかりやすいのです。
あまりに強力に人為的な介入をするので、個体差が問題にならない場合がある
のです。
青酸カリを飲んで死なない人はいないように!

でも、実情は、同じ薬、同じ療法でも効く人と効かない人がいるように、大き
な個体差があるのです。同じ病名でも身体の状態は違います。
同じものを同じ量食べて、1人は太り、1人は太らないというようなことは当た
り前にあるのです。
実験用のラットの場合は、年齢と体重が同じものを揃えれば、個体差は問題に
ならないレベルだと思います。
しかし、人は違うのです。

[シンクローム]は、一律に「こうだ」、という効果を生み出すわけではあり
ません。
ですから、変化の観察にはていねいに一人ずつ見ていくことが必要なのです。
それはメールでします。会って話を聞くよりもどかしいのですが、時間をかけ
て、ていねいにしていきます。
一冊の本になるほど多くの要素があるので、説明は省きます。
一律にこうなる、とわかっているものはわかりやすいですが、そうでないもの
を理解するには知性が必要です。

[シンクローム]は、不思議といっても、体系だった理論はあるのです。
ただ、「なぜ遠隔でできるのか?」と聞かれると、量子力学とか、宇宙物理学
とか、そういう説明になります。
物理学の世界では、「時空」という概念があるのです。時間と空間はもともと
1つのエネルギーなのです。分かれていません。
そう考えると、「ここ」と「あそこ」という物理的な距離も存在しない次元が
あるとわかります。
これが怪しい、インチキだ、と言ったり考えたりするのはとても簡単なことで
す。

僕も別に量子力学を体系だって説明できるわけでもないし、ましてシンクロー
ムを数式で証明することなどできないのです。
ですから、最終的にそこには論理の飛躍、あるいはギャップがあります。
しかし、論理よりも現実に起きた現象のほうが優先されます。

その部分は不思議というしかありません。

全部言葉で説明できることなんて、何の魅力もないのではありませんか?

名画『モナリザ』の魅力を語る言葉は、千万言も集めることができるでしょう。
でも、本物の一枚の絵がそこにあることがなければ意味がないのです。
いくら語っても、語りつくせない。
だからこそ、あの微笑は『謎』の魅力を秘めているのです。

「謎なんか存在しない。あれは平らな板に一連の絵の具を塗ったものだ」と主
張して、自分の知性を勝ちほこる人がいたら、オツムの程度が知れますね。

ですから、[シンクローム]を「それは論理的にありえない」と否定すること
は自分の限界を示しているにすぎないのです。

偶然とはとても言えない濃度で、さまざまな治癒現象が起きているので、シン
クロームは5年も続いているのです。偶然であれば、リピーターもいないし、
僕自身のモチベーションももちません。

あるびっくりする不思議なできごとが目の前で起きた。
そのときにあなたはどうしますか?

「これは何だろう?」と立ち止まり考えるあなた。
あなたはすばらしい。

「こんなことは起きるはずかない。なぜならば……」と考え出す人。無視する
人。
その人はすばらしくない。
自分の感覚が、「教え込まれたこと」に逆らえないのです。
頭の中の枠組みが目の前の現実より先行するのです。

ある人物がこんなことを言っていました。
「信じない人は目の前でコップが浮遊しても信じない。『こんなことは現実で
はない』と主張する」

あなたは種もしかけもないコップが目の前で宙に浮いていたら、不思議だと思
うでしょう?
あるいは合理的説明を求めて、種やしかけを探すかもしれません。
手品の種が見つからなかったときの態度が分かれ道です。

「不思議だけど、こんなことあるんだなあ」
という人と、
「これはありえない。何かの間違いだ」
と目の前の現実を打ち消す人がいます。

打ち消す人は弱い人、精神の構造が硬直してもろい人なのです。
それを受け入れると、既存の構造が壊れて耐えられないから拒否するのです。
その柔軟性がないからです。

イエスかノーか、黒か白かでいつもジャッジしている。
柔軟な精神は、その中間に「わからない」「グレー」という箱があります。
すぐには飲み込めないけど受け取っておこう、という。
この中間の箱がない人は処理に困ると、既存の構造を維持するジャッジをする
のです。

いわゆる半信半疑という状態にもしなったとしたら、悪い状態ではないのです。
中間の箱をちゃんと持っている証拠です。

むかーし。
糸井重里さんはコピーライターとして1980年に、「不思議、大好き。」という
コピーを西武百貨店のために書きました。
これはあざやかなコンセプトのキャンペーンとして一世を風靡しました。
時代の気分を射抜いていたのです。

2016年には、このコピーはヒットしないでしょうね。
みんな日々のジャッジに忙しく、情報は洪水で慌ただしく、「不思議」なんか
にかまっているヒマはなさそうに見えます。

あなたはいま「不思議、大好き。」ですか?


**

第2部♪

気分を変えて。
ちょっとだけ不思議な話を書きましょう。
すごーく地味な話です。

じつは僕はUFOも霊も見たことがありません。
とくに霊感はないのです。
かろうじてスプーン曲げを見たことがあります。

[シンクローム]は霊能ではないのです。
むしろ電気に近いものだと考えています。
つまり、それはあるのです。
しかし、人の役に立つように取り出すことができるようになるまでは、「存在
しなかった」のです。

だから、電気が当たり前ならば、[シンクローム]も当たり前と言いたいので
す。
でも、まだ普及していないから、不思議と言わなければいけません。
電灯だって初めて灯ったときには不思議だったに違いありません。

では、不思議な話を。

ある知り合いの陶芸家の方を中央線沿線のある街に訪ねていったときの話です。

彼は近所の温泉に連れていってくれました。そこで湯に浸かりながら聞いた話
です。

彼の周辺にどうもなにかのドラッグを常習しているグループがいて、彼は苦々
しく思っていたのだそうです。

「それであるとき説教してやったのよ」
と彼は言いました。
「ドラッグというのは、一回はいい(彼の意見です)。意識の拡張、特殊な状
態はこういうものであると知れば、一回でたくさんなんだ、と言ってやった。
それで証拠を見せてやったのよ。じつは僕、空中浮遊ができるの」

意外な秘密を打ち明けられました。

「僕は昔カソリックだったんだけど、あるとき、瞑想室で瞑想していたんだ。
そしたら、通りかかった先輩があとで、『お前あのとき空中に浮いてたぞ』と
いうんだ。自分では全然そんな意識がなかったし、浮遊したいとも思っていな
かったんだけれども自然に浮いてたらしい。それで先輩が『何を言われるかわ
からないから、周りには秘密にして他人には見せるな』と忠告された。それか
ら僕、空中浮遊しようと思えばできるのよ」

どうやら宗教の世界でも、空中浮遊は、神の奇蹟の証明とされるよりは異端と
して排除されるようです。

そのドラッグ集団は、意識について一家言あるヒッピー的な人たちだったよう
ですが、空中浮遊を見せると「ははーっ」と恐れ入ったようです。
どれくらい本質的に反省したかはわかりませんが。

この話を聞いたとき、すぐ「空中浮遊見せてもらいたいなあ」と思いました。
でも、先ほどの「目の前でコップが浮遊しても信じない」という話が頭に浮か
んだので、言うのはやめました。

見ても信じない、という態度があるなら、見なくても信じる、という反対の態
度もありうるわけです。そちらのほうがかっこいい。
相手の人柄も知っているし、その人が「空中浮遊できる」と言ったら、それは
本当だろうと受け取ったわけです。

疑いはほとんどありませんでした。
ただ一度実際に見てみたいという好奇心はありました。
でも、「見せて」というのは、僕の感覚ではダサいのです。

温泉に浸かりながら、そうかあ、浮けるのかあ、と不思議な気分にも浸ったの
です。

実際、オームの麻原はできたそうですが、これは怪しいから勘定に入れないで、
他にもできる人の話を2,3聞いたことがあります。
「誰々(固有名詞忘れた)が浮くのを何度も見た」というような親しい友人の
話ですから、僕は本当だと思います。

「うちのじいさんは座布団ごと浮いてすっと移動できた」という話も聞きまし
た。
人が浮くのが不思議なら、座布団もいっしょに浮いても不思議はありません。

スプーンを曲げた話なら、10回くらい聞きました。
お母さんとか、おばさんとか、お祖母さんとか、女性のケースが多いです。
テレビ見て真似したらできちゃったみたいな、考えすぎない素直な人がいいよ
うです。

あるセミナーで指導したら、大部分の人が曲げたみたいな記事も読んだことが
あります。
誘導次第では、そういうこともありうるでしょうね。

あとは、人と違うものを見る人はたくさんいます。
しかし、言うと仲間はずれにされるから、子どもの頃から親しい人にしか話さ
ないのです。

美術関係にはとても多い。
そういう感覚をベースに他の人は思いもつかないような表現をしている人がい
ます。
二人きりになったときに、あるいは親しい人だけになったときに、ぼそっとそ
ういう話を聞くことがよくあります。
あるいは僕のほうから「何か見えてる?」と聞くことがあります。

他の人と共通ではない色や形が見えているのです。
たぶんピカソや岡本太郎も、何か特異な視野を持っていただろうと想像してい
ます。

それは、現代医学でいうと、統合失調症という病気に分類されてしまうかもし
れません。

でも、僕はそれは一つの感覚だと思っています。
人の感覚はとても限定的な使われ方をしているのです。

お面をかぶると、目の穴からしか覗けなくなって、人の視野は狭くなりますね。
そのような視野狭窄が人同士の共通項になっているのです。

それに慣れてしまうと、お面を外した広い視野は脳で処理できなくなってしま
います。
そうすると病気という形で現れるのです。

何かが見えるアーティストの人たちは、このお面に普通の人と違うもう一つの
穴が空いているとか、穴が普通の人より広いとか、そういう感覚の違いがある
のです。
それを病気というネガティブな方向ではなく、ポジティブに使っているのです。

本来、人はお面をかぶらない全面的な視野に耐えられるのです。
適切な理解と教育、トレーニングがあればです。

(しかし、国はそういう創造的な人が増えてしまうのを望んでいません。
建前では、創造性と言いながら、画一的な人間が大部分なのが、労働力として
都合がいいのです)

つまり、物質的な視野とは違う何かが見えるというのは、人の可能性なのです。
可能性の一部が露出して来ているのです。

芸術表現、小説も含めてを上手になりたいと思うなら、この感覚の開発に意識
的でなくてはなりません。

どうしたら開発できるかは、一冊の本になってしまうのでパス。
([大人の成長塾]は、表現論ではありませんが、これに役立つ基礎的な考え
方があります。興味ある方はどうぞ)


空中浮遊もスプーン曲げも、それ自体が有用なことはなく、ただ人の「可能性」
を示しているのです。
スプーン曲げたって不便になるだけだし。金属加工に使えるわけでもありませ
ん。
空中浮遊で海外旅行に行ったという話も聞きません。

もっとも仙人は雲に乗ってどこにでも行けたようですから、そういうこともで
きるかもしれません。

仙人の話は明らかなファンタジーだと思うかもしれませんが、僕は現実とファ
ンタジーに線引きをしたくないのです。

実際のところ、現代は僕が子どもの頃のファンタジーを実現しているSF社会な
のです。
スマホのような携帯通信機器プラスコンピュータのようなもの。これはSFでし
た。
将棋や囲碁で人間を打ち負かす人工知能、ヴァーチャルリアリティ、高機能ロ
ボット、インターネット、遺伝子操作、すべてがあっという間に実現してしま
ったのです。

ファンタジーには人を導く機能があるのです。

科学技術はむしろ危険なくらいの勢いで、ファンタジーの領域に突入していま
す。
AIはあと10年で人間の仕事をほとんど奪うと言われています。
そうなると、ブラック・ファンタジーが実現していきます。

そうならないためにはどうするか。
人の内的な可能性を新たな開拓地にしていくしかないのです。
そういう可能性の拡張をしないままでは、多くの人は格差の広がりの中でたい
へん行きづらい思いをするでしょう。
あらゆる面で効率があがり、生産性が上がるのに、人が生きて行く環境は苛酷
で貧しくなっていくのです。

ホイミ! ベホイミ! 私たちは、ゲームの中では、魔法の世界に生きています。
しかし、ゲーム以外の世界では、まったく保守的に等身大の既存の現実しか信
じようとしません。幸せでない人ほど目の前の現実で頭がいっぱいなのです。
まるでそこにしがみついていれば何かが保障されているかのように。
しかし、現実は次第に激流になり、滝壺に落下していくかもしれません。
不思議領域、ファンタジーの領域をまじめに開発しましょう。
[シンクローム]セミナーは、そういう仲間達が集まる入り口です。


**

不思議話どうだったでしょうか?
自分のほうがよほど不思議な話を知っている。自分も人は言えない感覚や能力
を持っている。
そういう人もたくさんいるのではないでしょうか。

何か言いたくて、むずむずした方は、文章に書いてメールをください。
面白いのが来たら、このクロニクルで取り上げたいと思います。

匿名、ペンネームがよい人はそれを明記してください。

では、不思議の世界に少しばかり自分の生活と意識を拡張したい人!
セミナーでお待ちしています。
[大人の成長塾] / comments(0) / trackbacks(0)
[大人の成長塾]クロニクル第4号  「うまくいっていないなら変化しなさい」
■みなさん、こんにちは。
GWは、いかがお過ごしでしょうか?

僕はフリーランスの頃から、日曜祝日ってあまり関係ないのです。
平日も遊んでいるし、逆に日曜祝日も原稿を書いていたり仕事をしています。

日曜祝日はどこに行っても混んでる可能性があるし、宿泊費なども高いことが
あるので、むしろ仕事していることが多いです。

みなさんの過ごし方もさまざまではないかと思います。
バリバリに充実した計画を立てている方は、楽しんできてください。

「とくに何もやることないなー」という方は、[大人の成長塾]入塾を検討し
ましょう!

と、話はそこにオチました。

■[大人の成長塾]は、連休明け5月7日に値上げをいたします。
1万円が1万2,000円になります。

どういう値上げかと言いますと、
*内容が質量ともに当初の予定より充実してきたこと(まだ書いているのです)。
*1万2,000円のほうが月1,000円でわかりやすい。
*今後提携や、宣伝のことを考えるときに、単価が安いと作戦が限定される。

などなどです。
今後上がることはあっても下がることはないので、GWに「[大人の成長塾]ど
うかなあ?」とちょっと考えみてください。


 WEB上の診断テストをやってみる⇒ステップメールの解説で理解する♪
⇒[大人の成長塾]無料体験版(無料のステップメール[15のヒント])
は↓こちら。
http://seicho.hiden.jp/s_test.html


――――――――――――――――――――


●[大人の成長塾]塾生体験

[大人の成長塾]の中身が自分に合うだろうか?
今さら自分が成長なんかするんだろうか?
と気になっている方はまだまだいると思います。

今回は、[大人の成長塾]の塾生、たまがわさん(女性・38歳)が紹介コメン
トを書いてくれたので紹介します。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
わたしが大人の成長塾に参加することを決めた動機は
『しあわせに生きていきたい』と心から思ったからです。
成長塾の教えは、易しいです。
努力や頑張り、とは違う世界のお話です。
しかし、ひとは易しいことをややこしく受け取る。
その、『シンプルなことを複雑にしている自分』
に気づいたあたりから、変化は始まります。
長年背負い込んだ荷物をおろすのは勇気がいるけど
それは敗北でも、失敗でも、キツイ事でもない。
その重さを、テコのように使えばいいんです。
疎ましかった荷物のすべてが学びの種になります。
人生に無駄はない、と心から実感できます。

成長塾への参加に必要なものは、以下3つ。
□一歩踏み出す勇気(命まではとられません!)
□素直なこころ(誰もが持っているので心配無用!)
□自分への期待(ゴールを描かず、過程を楽しむ!)

まったく異なる人生を歩んできたであろう
住む場所も年齢も職業もバラバラな人たちが、
それぞれの、ささやかで貴い冒険を共有する場所。
それが『大人の成長塾』です。

================

たまがわさんは、入られた当初、心の中にあれこれこだわり、ひっかかりがあ
る感じでした。
おっかなびっくりでためらいがあったと思います。
仕事でも消耗して悩んでいました。
でも、そういうことをフォーラム([大人の成長塾]専用掲示板)にどんどん
書く積極性がありましたから、みるみる元気になりました。

シンクロームも3ヶ月申し込まれて、まだ途中ですが、身体の健康についても
大きく回復しています。[大人の成長塾]もまだ3分の1を過ぎたところですか
らね。
1年経ったらどこまで成長するでしょう。

『しあわせに生きていきたい』、そう「心から」思ったら、あとは[大人の成
長塾]に任せてもらったらいいんです。心からというところ、意外に大切なの
です。
本人にしっかりした動機があれば、[大人の成長塾]は機能します。
でも、ちょっとした意地とか、こだわりとか、自尊心とかが『しあわせに生き
ていきたい』よりも大きな要素になることが多い人は時間がかかります。



「うまくいっていないなら変化しなさい」、今回そうタイトルをつけてみまし
た。

*あれこれ悩みがある。
*けっこうな頻度でどよ〜んと落ち込む。
*未来のことを考えると憂鬱になる(実際は不安なだけで「考えて」はいない
ですけどね)。
*楽しい充実した時間が少ない。
*これでいいのだろうかと不安だ。

そういう悩みを持っている人はかなりの割合いるのではないでしょうか。
それどころか、複数があてはまる、全部あてはまる、という人もいるのではな
いでしょうか。

そういう状況は変えられます。
女性誌などの見出しを見ると「違うわたしになりたーい!」的な見出しがよく
あります。
[大人の成長塾]の場合は違う人になるというより、その人の本来自然に戻る、
ことになります。それがいちばん大きく、本質的な変化なのです。
本来に戻ると、人は成長するのです。
ワキ筋にそれると、成長は止まるのです。

いちばん元気で活き活きしていたときを思い出してください。
小学校でも中学校でもいいのです。
それが本来の姿です。
人はどんよりしたものではないのです。

小さいときからいじめられて、「一度も活き活きしたときはなかった」という
人もいました。
でも、あなたは違うでしょう? 自分が輝いていたときのことを思い出してく
ださい。

いま、それよりもどんよりしているとしたら、それにははっきりした要素があ
るのです。

どんよりしているのに行動を起こさないのには、言い訳があります。
いろんなバリエーションがありますが、つきつめると次の2行です。

*自分なりにやってきたけど、ダメだった。
*きっと何をやってもダメなのではないか?

自分なりのやり方、判断に偏ったところがあるから、いつも同じパターンには
まってしまって、「やっぱりダメだ」となるのです。

自分はダメダメだ、とときどき落ち込むけれども、自分の判断は頑固に手放さ
ない、というのが変化しない人の典型です。
心理学でいうと、人は自分が投資したものを無価値と思いたくないらしいので
す。
つまり、自分の判断のクセでたいへん無駄な苦労をしたり、トラブルを招いた
りした。
ちっともうまくいかなかった。

でも、それは一つのエネルギーの投資だから、それを無価値だと思うことには、
たいへんな抵抗があるのです。

だから、そういう状態になったら、自分自身で自分をよくすることはできない
のです。
いつも今までの努力は価値があるという合理化をしてしまう。

そこには、他人の言葉、他人の発想を取り入れて、違う原理を導入していかな
いといけないのです。
でも、自己啓発書の類は、自分の都合のいいように読んでしまう可能性が高い。
最近は自己啓発書を「キャリアポルノ」と命名した人がいます。
「自己啓発書を読み漁っては実際に行動しないで満足する」人たちがいて、あ
る種の興奮状態に導き、マスターベーションさせるポルノに過ぎない、という
意味でしょう。

[大人の成長塾]は、一年という期間の中でじわじわと侵食(笑)します。
興奮して読み捨てにすることができません。
いつも自分の発想と照らし合わせてもらうような働きかけがありますから、読
んでいくとともに血肉化します。

自分を変えたい、変化したい、という声が少しでも心の奥底から聞こえたら、
[大人の成長塾]に申込みましょう。
考え込んだら、先ほど書いた合理化が働きます。
何もしないほうが古い自分を温存できる。

あなたの中にもそういう変化への「抵抗勢力」がいるのです。
考え込むと彼らが強くなります。
純粋な衝動を感じたときに動くのが吉、です。

値上げ前に申込みましょう!


 WEB上の診断テストをやってみる⇒ステップメールの解説で理解する♪
⇒[大人の成長塾]無料体験版(無料のステップメール[15のヒント])
は↓こちら。
http://seicho.hiden.jp/s_test.html

⇒[大人の成長塾]申し込みは↓こちら。
http://seicho.hiden.jp/entry.html
[大人の成長塾] / comments(0) / trackbacks(0)
[大人の成長塾]クロニクル第3号【秘伝・複数の年齢を持つ】&価格改定
●【秘伝】公開の儀

今回は[大人の成長塾]の【秘伝】を1つ公開します。
【秘伝】というと僕の文章秘伝のことを思い出してくれる方が多いと思います。
もちろん、そこから拝借?しました。

[大人の成長塾]のメールには、【秘伝】、【チェック】、【ミッション】と
いう3つのポイントがときどき出てきます。
【チェック】は、自分のことを振り返ること。
【ミッション】は、実際に少し行動してもらうことです。

本文の流れの中にこの3つの要素が入って、書いてあることを「身体化」「血
肉化」してもらうように工夫しています。

【秘伝】は、僕の長年愛用している考えの「道具」のようなものです。
材木を加工するのに電動工具があると超便利なように、生き方を考え、成長を
促すにも目に見えない道具があったほうがいいのです。

昔、幾何の問題を解くときに「補助線」というものを引いたでしょう。
図形そのものの線ではないけれども、そこに内在する線を引いてやると見えな
かった形がはっきり見えてくる。ずっと考えやすくなってスルスルと問題が解
ける。

僕としては、【秘伝】は、そういうものと考えています。

で、この【秘伝】を成長塾の塾生たちに惜しみなく伝授しているのですが、今
回は内部でも公開していない【秘伝】を書きます。たぶんこのメルマガでの
【秘伝】の公開は今後あまりありません。
[大人の成長塾]本体を充実させたいのです。

今回公開するのは、[大人の成長塾]って一体何やっているの? と思ってい
る人も多いと思うからです。
その文字通りの【秘伝】を公開します。
もし「えーっ!面白い」「がーん」となった人がいたらぜひ[大人の成長塾]
に参加してください。
今すぐ参加するか、永遠に参加しないか。
迷い続けるのは人生がもったいない!

「気づき」という言葉はあまりに便利過ぎて好きではないのですが、その「気
づき」の純度というものを今回テイスティングしていただければと思います。

新しい塾生、あなたを歓迎いたします。


●値上げいたします!

4月は新しいことを始める季節ですね。
新しい成長を始めましょう!
お申し込みは4月30日までに!

諸般の事情により、5月1日から[大人の成長塾]受講料を1年間10,000円から
12,000円に値上げします。
ステップメールを60通と書いていたのですが、どうやら予定より増えて70通か
ら80通の間くらいになりそうです。最初の頃に気前よく配信設定をしてしまっ
たので、60通では足りなくなってしまったのです。
書いているうちに中味もますます濃厚になってきております。

2016年中は、もう1つ特典があります。
[大人の成長塾]に申し込まれた方は、遠隔エネルギー調整[シンクローム]
を2日間(3,000円相当)無料体験していただけます。
http://synchrome.asia/


今申し込むのがお得です。

[大人の成長塾]申し込み
http://seicho.hiden.jp/entry.html

****************************************************


●大人になること

みなさんは大人という自覚がありますか?
僕はふだん大人という言葉でものごとを考えませんが、改めて考えてみました。

若いときの恐るべき考えの足りなさを思い出すと、相対的には大人だろう、自
社比では大人だろう、ということができます。
一方ですごく子どもの部分もあります。
そして、どこでいつ大人になったか、なんてことはわかりません。
いろいろな要素が混じりあっています。

社会が高度化するほど、成人年齢は高くなると言われています。
江戸時代の日本では、元服は10代半ばくらいだったようですね。
アフリカなどでも多く10代前半くらいで通過儀礼があると思います。

ふりかえって現代日本はどうでしょうか?

現代日本のような高度化した社会で、20歳で成人というのは、たぶん無理なの
です。
早熟な人もいるでしょうが、たいていはまだ何もコントロールできません。

さらに根源的に考えて成人とは一体なんでしょうか?
何をもって成人とするか、皆さんもちょっと考えましょう。







……3









……2







……1







考えた?





僕の考えを書きますよ。







いちばん短くいい変えると「一人前」になること。

僕のイメージはまず漁師さん。
2人で舟に乗ってする漁があるとすると、大人2人がちゃんといて、お手伝いで
乗っているときは、半人前。
2人のうちの1人になったら一人前。

だから、身体がしっかりしてきたら、15,16でも一人前の仕事ができるかもし
れませんね。
しっかり1人分の稼ぎもできる。

権利とともに義務も与えられる。
一人分の場所を与えられて、「いないと困る」人になる。
これが本来の成人だと思うのです。

農業や自営の商業にも一人前はあると思います。
仕事を覚えて全体に目が届くようになる。
先輩たちのようにすぐにはできなくても、いずれ仕事の全てを受け継いでいく
ことになります。
コミュニティの中でもそのように頼もしい未来のタネとして受け入れられます。

しかし、現代の都会の雇われ仕事では、もっと部分的な仕事しか与えられませ
ん。
いなくては困る、といっても交換可能です。
派遣や臨時雇いも多いし、むしろ消耗品。
コミュニティ的な暖かさやケアもありません。

ときどき子どもは、海で魚が切り身で泳いでいると勘違いしています(僕も小
さなときありました)。
現代の仕事は、そういう頭も尻尾もわからない切り身の状態なのです。

これでは一人前の要件を満たしません。
成人式は挙げても実際には社会は成人した役割を与えていないのです。

一人前の世界は、義務もある代わり、自負心もあります。また報酬もあります。
先輩や仲間もいます。いくらでも先輩に仕事のコツを聞くことができます。
仕事の安定もあります。
その中に成長の栄養がすべてあるのです。

現代の会社組織の与える労働は、人をいつまでも一人前にしません。
それは30代になっても同じです。
ひょっとしたら40代になっても。

かつて終身雇用制があった時代には、雇用された人々は安定感と前進感を持つ
ことができました。長く勤めていれば、給与と地位が少しずつ上がったのです
から。

今は安定感も前進感も多くの仕事でなくなりました。
それに代わるものを企業も国も用意してくれません。

収入的なこともありますが、それにリンクして精神的な充実も、個人が自分で
ケアしなくてはいけなくなりました。
それがうまくいかずに、精神を病む人が多くなったのです。

あなたがその立場だったら(実際のところすごくこういう立場の人が多いので
す)いったいこの事態をどうすればいいでしょう?







再びthinking time.


3


2


1



今度は短い。
かなりじっくり考えないと、数分考えても答はわからないと思うからです。
でもちょっと立ち止まって考えていただきたかった。

僕の意見は、第一感は「人々の意識が変わり、社会の方向が変わり、選択肢が
豊かにならないと解決しない」ですけど。

これは失格ですね。
求められているものと違う。
答は、いま僕がどうするか、いまあなたがどうするか、という形で出さねばな
りません。
実際的に今すぐできることで、何かしなければいけません。

完全な解決ではないかもしれませんが、その解答が今回の【秘伝・複数の年齢
を持つ】です。

複数の年齢を持つとはどんなことでしょうか。

僕はいま実年齢は61歳です。しかし、僕はこれ以外の年齢を意識的に持つよう
になりました。

僕のある部分は2011年の3月11日に生まれたということは何度か書いたかもし
れません。そのとき生まれた僕は5歳なのです。
複数の年齢を意識したのも、成長を実感したのもこの年齢がきっかけですが、
他の年齢について書きましょう。

陶芸を始めたのは、6年前です。複数の年齢はそのときを誕生日0歳として数
えます。
ですから陶芸年齢は6歳です。
陶芸歴6年というのとの違いがわかりますか?

陶芸歴6年というと足し算のような感じがするでしょう?
「多趣味でけっこうでございますなあ」といわれるような。
そうすると61歳の趣味、ということになります。

陶芸年齢6歳、というような生き物がここにいると考えると全く違う発達にな
るのです。
20歳から小説を書いて今35歳の人がいるとすると、「35歳で小説を書いていま
す」と考えるでしょう。そうではなくて、小説家年齢15歳なのです。
そう思って振り返ると、自分がちゃんと発達してきたかどうか、違う目で見ら
れるのです。
「小説家になりたい人」を15年間やってきた。
でも本当は15年前に「小説家0歳」になっていたほうがよかったのです。

全然違うことなのです。

絵は10数年前に描き始めました。子どもの頃に絵の塾でイヤなことがあって長
く中断していたのです。ですから、僕は絵を描く年齢も10代。育ち盛りです。

美術館に足を向けるようになったのも、10数年前です、この美術年齢も絵描き
年齢とはちょっと違うカテゴリーです。

1年少し前から月に一度ですが、能を習っています。ですから、能年齢は1歳で
す。

先日、お芝居の演技のワークショップに行ってきました。
これがかなり面白かったので、演技年齢0歳が新たに加わりました。
別のワークショップにも行ってみる予定。

演劇自体は20歳のときに台本を書いて、そのとき以来4本の戯曲を書き、五回
上演されていますから、演劇年齢40歳といえるのです。
でも、自分が演じるのは全く別の世界で新鮮です。

それからスポーツジム年齢も2年になります。
体重が10キロ。体脂肪率が6くらい減りました(かなり太ってたのです)。
以前は15分で根をあげていた肉体労働が1時間半できるようになりました。

編集者、出版関係の年齢も40歳くらいになります。

あとバンド年齢とかもありますね。

年齢の高いものは、判断力や経験はありますが、活力はそんなに高くありませ
ん。
生まれたばかりの領域は、たいへんエネルギーと好奇心に満ちています。

幼い年齢では、どんどん外の情報を吸収し、また発信します。
自分の実年齢にその活発さを積み重ねていくことで成長を確保できます。
このように複数の年齢を意識することで、私たちは「外から見られる年齢」か
ら自由になることができます。

読者のみなさんのほとんどは僕より若いと思います。
それでも自分の年齢を重く感じていませんか?
僕は自分の年齢は軽いです。
ほとんどのとき忘れています。

僕の年齢、61と言えば、還暦すぎとか、昔でいえば定年過ぎとか、映画が安く
なるとか、つまりは「老人」という領域です。

終活という言葉も最近あって、これは「死の準備」です。自分が死んだあと、
周囲の人が困らないようにあれこれ後片付けをして、遺産のことや何がどうな
っているかを書き記しておくことのようです。
いかにも日本人的な配慮です。

そんなことすると、一気に老け込むか死んでしまいそうなので、僕は嫌ですね。
僕が生きていることは整理される気配がありません。
老人という烙印を外から押されるのは跳ね返せますが、自分自身で押してしま
うと逃げられません。いちばんコワいことです。

しかし、それが外から見た僕の年齢なのです。
これに同調しないためには複数の年齢が必要なのです。

【秘伝・複数の年齢を持つ】には、さらに奥行きがあります。
それぞれの年齢が溶け合うのです。

たとえば、絵を描く私が陶芸をインスパイアする。これはまあ当たり前ですね。
でも、能で育った私が陶芸にその発想やパワーを持ち込むということもあるの
です。
演技を勉強したことが絵に役立つということもあるでしょう。
そうすると、生きているエネルギーをみんな上手に使えるのです。

趣味と呼んでしまうと別々の部屋に分かれていますが、その間の敷居をぶち抜
いて、次第にワンルームになっていくのです。
これが【秘伝・1つの部屋】です。これはたいへん面白いことですが、ここで
は詳細に立ち入りません。たぶん[大人の成長塾]後半で扱います。

僕は僕の中の老人は知識と経験と落ち着いた態度のために使い、生き生きとし
た活力のためには、まだ育ち盛りの年齢を使います。
意識の持ちかただけの話ですが、それでおおいに違います。

幼い年齢には、強烈な成長力があります。
可能性がたくさん開けています。
これを使って、あなたも成長し前進し続けることができます。

「外から見た年齢」には、女性がより多く縛り付けられているのではないでし
ょうか。
結婚を中心に何歳はこういうものだ、という社会通念を押し付けられています。
押し付けられているうちに、自分自身もその縛りの中で自分を見るようになり、
発想や行動が縛られてしまいます。

本当に素敵な女性は、そのような年齢を超越していきます。
40代、50代、60代とどんどん魅力的に成熟していきます。

外から見た年齢の若さだけを売り物にした人は、それを失っていくことに恐怖
します。
しかし、複数の年齢を持った人は、違います。
自分の中で次々に成長していく複数の自分を楽しみにすることができます。

自分の中に種を蒔きましょう。
それを育てていつもエネルギーと実りをもらいましょう。



【チェック】

あなたはいくつの年齢を持っていますか?
振り返って数えてみましょう。
音楽年齢や武道年齢、ヨガ年齢、あれこれあると思うのです。
できればメモしてみましょう。

その一つ一つに成長の楽しみを吹き込みましょう。

【ミッション】

新しい年齢、新しい0歳を自分の中に生み出すこと。







新しい0歳。

[大人の成長塾]はオススメです(そこかっ!? って言われるかな)。

全く新しい概念の生き方を0歳から1年間始めませんか?

それは今後の人生を左右し、ナビゲートする基準、頼りになる地図とコンパス
になります。
何年も立ちすくんでいる人も腕組みをとき、楽しく歩き出すことができます。

さあ、0歳になりましょう!
[大人の成長塾] / comments(0) / trackbacks(0)
苫米地英人氏を論ず / 虚無について
メルマガから転載。

超大作。
第一部は苫米地英人論。

第二部は現代を覆い尽くす虚無について。


『コーチングの徹底ネタばらし(後編)』



第一部
『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしている』


コーチング・シリーズ第3弾として、予告通り苫米地英人氏について、書きま
す。

個人的には氏に恨みや批判があるわけではないのです。
個人についてあれこれ言及するのは、ややためらうのですが、氏も著書のたく
さんある影響力の強い有名人ですから、批評の対象となるのは仕事の一部とい
う面もあるでしょう。

もう一つは、コーチングについて語って苫米地氏に言及しないのは、
むしろアンフェアで失礼なのではないかと思ったのです。
氏について他の論に混ぜて断片的に評価することが難しいので、まとめて書く
ことにしました。

僕はここ2年ほどスポーツジムに通っています。
今はランニングなどの機械にモニターがついています。
便利なもので、それで運動しながらyoutubeが見られるのです。
昨年2015年に、これで苫米地英人氏の公開された映像はほとんど見たのです。
たくさんありますから、1日30分から1時間くらいみても何か月か見続けたと思
います。
ここで語ることは、それがベースになっていることをお断りします。
非常に限られた資料で語ってみるということです。
本については、『洗脳原論』を半分しか読んでいません。
あとは、インターネットの情報を一かじり。

映像は氏の語る内容が新鮮で面白かったので見たのです。
いわゆるコーチングの業界で、氏の存在や影響がどれくらい大きいのか僕には
よくわからないのですが、僕には透徹した理論が勉強になりました。

最初の僕の苫米地氏に対する印象は、胡乱、ウロンな人物ということでした。
しかし、話を聞いてみるとたいへん賢い、明晰で優秀である、まあ天才に類す
ると言っていいかもしれない、ということがわかりました。
また知見も広く、たぶん世の中の上の方や裏側にもあれこれ通じている。
時事問題に対するコメントも、非常に根源的に切れ味がいい。
TOKYO MXの『バラ色ダンディ 木曜日』という番組で時事問題の解説をしてい
ますが、数あるコメンテーターの中でも日本一明快で鋭いものです。
原発やTPPにも反対しているし、体制派ではないところもたいへんありがたい
のです。

そういう代え難い美点にも関わらず、やはりその存在自体の胡乱な印象はあま
り変わらなかったのです。
以下、そのことを書きましょう。

『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしている』

という仮タイトルをつけたのですが、まあ、そういうことなのです。

*

苫米地氏の名前を初めて知ったのは、やはりオウム信者の脱洗脳のときです。
アメリカの有名大学のかなりよい待遇の教授職(具体的に覚えていません)に
つこうとしていたときに脱洗脳をしてほしいと呼び戻された、と氏は言ってい
ます。
脱洗脳に興味があったから職を棒に振ったのか、他のからみがあったのかは、
僕の知る範囲では語っていません。半分、強引に巻込まれたようなことかもし
れません。
しかし、これは、幸運というか、氏の天命であったのではないかと感じられま
す。

かなりの人数の脱洗脳に関わったようです。
洗脳の浅い信者から順にあてがわれたと言います。
これは世界的歴史的にも稀有な機会だと思います。
洗脳された人物が大量にいて、それを脱洗脳する環境があるということは滅多
にないことだと思います。
洗脳された人々たちの集団ならあちこちにいるでしょうが、彼らを集団から引
き離して1人1人脱洗脳していくお膳立ては、なかなかあるものではありません。

そういう意味で、この仕事が氏の本意であったかどうかは別として、今日の氏
のあり方をよしとするならば、幸運であったと思うのです。

もう一つの幸運は、アメリカのコーチングの大家、ルー・タイス氏との出会い
です。
いきなり呼び出されて、かなり親密に、いわばいきなり右腕としての仕事を依
頼されたようです。

もし、洗脳だけでコーチングという窓口がなければ、洗脳が専門の尖った変人
という世の中のポジションはなかなか変わらなかったでしょう。
コーチングというもう一つの枠組みができて、ずいぶん真ん中にでてきて、広
い間口で世の中と接点を持てるようになったはずです。

いわばルー・タイスという一大ブランドの(といっても苫米地氏から聞くまで
は知らなかった)日本の代理人として振る舞えるようになったのです。
苫米地氏のコーチング理論の骨子は、ほとんどルー・タイス氏だと思われます。
訳書が多くないので確認しづらいのですが、肝心の部分は苫米地氏が自分の本
として書いたしまったのでしょう。
しかし、苫米地氏の脳科学理論は、見事に明快に、このコーチング理論を裏打
ち、解説、展開しています。その件に関してはまったく申し分がありません。

では、どこらへんが多重スタンダードなのか、という話に移りましょう。

まず「洗脳」というものが、市民社会的にはかなりまずいものなのです。
つまりテクニックを知れば人を支配できてしまう、ということですからね。
一般人の反応としては、視野にも入れたくない反則技という感じではないでし
ょうか。
しかし、それを使えれば特権的な立場に立てる、と知れば、高い金額を払って
も手に入れたいという層もいるはずです。
それが氏の商売相手なのです。

苫米地氏はこれについて、「これから洗脳を悪用してくる層もいるので防衛の
ためにも洗脳について知る必要がある」ということを言っています。
これはかなり無理がある論理です。
アメリカでは、銃器を「自衛のために持つべき」という論理で売っていますが、
実際に犯罪に使われた件数に対して、自衛に使われたケースは50分の1なのです。
どう考えても自衛のために洗脳を勉強する人間はそんなに多くないのです。

洗脳という方法をリークしながら、それが防衛のためだ、というのは、矛盾と
いう言葉の語源を思わせるなかなかの逆説です。
そういうジレンマは、氏自身、最初の著書『洗脳原論』の頃は、シビアに考え
ていたと思います。

しかし、だんだんどうでもよくなって、節操がなくなって来たようです。

節操がないといえば、たとえば、有名なのは氏の商品の中には、『巨乳になる
音楽』というものがあるようです。
なんですか、それ? と公共の場でつっこまれても氏はヘラヘラしています。
なんでも音源に赤ちゃんの鳴き声がサブリミナルで入っているそうで、それを
聞くとおっぱいが大きくなるという仕組みらしいです。

僕はそういうの嫌いではありません。
しかし、これは学者や科学者のすることではありません。
実証の裏打ちがまったくないはずです。
この一事をもっても、氏は学者とはいえません。
しかし、本人はこのような通俗的な企画にもつきあうのは、「脳科学を普及す
るため」と言っています。

アメリカの大学に帰る気もなさそうだし、日本のアカデミズムの中心は彼のよ
うな存在を受け入れないでしょう。それで学者としての節操や境界線は必要な
くなったのでしょう。

*

また彼にはSMの性癖があると書かれたブログがあります。リンクしませんので
興味がある方は検索してください。
このブログ主は、ハプニングバーなる怪しい場所で氏と「50回は会っている」
と書いています。
美しい奴隷たちを引き連れていて、彼女たちを支配するのにどうやらマインド
コントロールを使っている、とかなり強烈なことが書かれています。

現在、そのようなブログがあるのは事実ですが、ことの真偽はわかりません。
もし、真であれば、マインド・コントロールで女性を支配し、思うがままにす
るなど、世間の道徳とは大きくかけ離れたことだと言えます。
性犯罪に近いと言えますが、しかし、もし女性も氏に興味を持って近づいたと
したら、合意の上であるかは否かはたいへん難しい立証になるでしょう。そも
そも催眠や洗脳に適合する法律があるのかどうかも僕は知りません。

男性が女性を洗脳によって思いのままにすることなどできるのでしょうか?
苫米地氏は、ある動画でこともなげに「できます」と断言しています。
洗脳の中でも比較的簡単な領域のようです。

ただそのあと、
「しませんけどね。だって面白くないでしょう?」
と続けています。

僕はこれを聞いてそのときは納得しました。
たしかに、これはゲームで言えば「無敵モード」です。
何でも思い通りにできてしまう。
面白くもなんともないでしょう。

しかし、しばらくして「待てよ」と思ったのです。
「無敵モード」でときどきは遊んでみたい人もいるでしょうし、いつまで遊ん
でも飽きない人もいるな、と思いついたのです。

「しません」と言っているのだからしてないかもしれませんが、仮にしていて
も「しています」と言ったら大問題になってしまいます。
したがって、していても、していなくても、発言は「しません」となるのです。
したがってこの言明には、意味がないことになります。

ここまで読んで気分が悪くなった人がいるのではないでしょうか。
洗脳の技術が導入されると、個人の意志の尊厳が薄紙のように弱々しく脆いも
のになってしまうのです。

この技術を、苫米地氏はセミナーで教えています。
ひとめ惚れさせる技術みたいな名称で、一人歩きを始めています。
どのレベルまで教えるかということはあるでしょうが、勘のいい人なら悪用で
きるかも知れません。

このように書くことが氏の宣伝になってしまいそうで、イヤなのですが、仕方
ありません。
氏は、人の欲望に迎合して利用するということにまったく節操や躊躇がありま
せん。

「年収一億円になるマインド・セット」などということもときどき言います。
結局欲につられて人が集まってくるのです。
氏はそれを十分に金儲けに利用しています。

氏の哲学的認識は、相当根源的で深いのです。ときどきびっくりさせられます
が、それには人は反応しないのでしょう。
氏の視点からは、日本人はバカ(氏に比べれば誰でも)と欲にかられた俗物に
見えているだろうと想像します。
そういう人間から金を巻き上げるのに躊躇がないのかもしれません。

実際、ネット上では、彼の高額なセミナーについての体験者の報告があります。
相当なお金をつぎ込んで借金を作ったが何も身に付かなかった、目が覚めるま
でに3年かかったというような記述があります。

「年収1億円になるマインド・セット」は大切かもしれませんが、いくら高額
なセミナーに出ても、セットできない人もいるでしょう。マインド・セットが
できても、他の条件が揃わなければダメでしょう。そもそも働いていないニー
トがセミナーに出ても儲かる道理がありません。
その他、いろいろな条件が必要だと思います。

また別の報告では、セミナーでは、まず弟子たちが指導をして彼自身は遅れて
くる、という書き込みがあります。
また会場は禁煙だけど、苫米地氏だけは葉巻を吸っている、という書き込みも
ありました。

そう書かれているということが事実なだけで、これも真偽はわかりませんが、
ありそうなことです。僕の想像はこうです。
これは、何十万かのセミナー料を払った人間に対して「お前たちは十分に金を
払ったつもりかもしれないが、オレにとってははした金だから、勘違いしない
でね」というメッセージなのです。
それをガツンと喰らわせて、心理的ショックを与え、そこからより高額なセミ
ナーに誘導するマインド・コントロールをかけていくのです。
しかし、そこにさらに「バカで俗物」である参加者たちへの軽蔑が透けて見え
ます。
もちろん優秀な人も中にはいるでしょうけどね。

苫米地氏が人をバカにしている、と感じたのは、別のきっかけです。
僕はYouTubeで動画を見ていたわけですが、噛んで含めるような調子で語る動
画では、同じ話の繰り返しが多いのです。
3回くらい同じ事を繰り返しているケースがいくつかありました。

明晰な氏にしてどういうことかと考えますと、一つには聞き手、リスナーと番
組の進行役を軽く見ているということのように思われるのです。
もう一つの理由は、この番組ではここまで語ろう、という情報内容を決めてあ
って、あまり早く本題に行きたくない。それまでは時間を稼いでダラダラする、
ということがあるようです。

話は基本的にうまいので、密度高く話そうと思えばすごい密度になります。
水道橋博士と宮崎哲弥の番組に出たときなどは、すごい密度の内容の濃い話を
しています。

そういうことを考えると、元々、知的なレベルの高い人々と洗練された高度な
会話をしていたい、という面が当然あるのです。
その一方で通俗的な欲望を手玉に取るところもあります。

このような二面性がどこから来たのか、と考えるといくつかの推論があります。
まず日本社会の通俗性に嫌気がさして、真面目にやることがバカバカしくなっ
たかもしれません。
あるいは、二面性は氏の元々の資質かもしれません。

やはり洗脳という技術は、トランプでいえばジョーカー、ワイルドカードなの
です。
ババ抜きでは、悪役の嫌われ者。
七並べでは、両面的。
そして、別のゲームではオールマイティ。

これが通常の倫理観を超越させてしまい、二面性がきれいに花開いた、という
当たりが僕の本命の推測です。

正確にいうと、二面性ではありません。
*学者・研究者としての知的卓越性があり、それが狭い範囲に留まらず、世の
中の裏側にも精通していること。
*洗脳と脱洗脳の第一人者。
*ルー・タイスのコーチングの正統な(たぶん)継承者であること。

この3つは、それぞれ違う要素なのです。
1人が1つだけ持っていても十分に存在感があるし、仕事にもなるでしょう。

しかし、ここにもう一つ
*通俗的に金儲けに走る男

というキャラクターがいちばん中心にいると言えます。
しかし、あまりに多面的に過ぎるために、胡乱だと遠ざける以外には評価が難
しいことになっています。

『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしている』

という理由はおわかりになったでしょうか。

僕は氏の中にすごい善意もあるような気がするのです。
氏のゴールは、「戦争と差別のない世界を作る」です。
ゴールは自分のことではないのです。
さすがに文句のつけようのない究極のゴールです。

しかし、この線に沿って自分の持っている知恵や才能を社会に還元する、とい
うことにおいては、表向き努力も成功もしているようにはあまり見えません。
あるいは、「戦争と差別のない世界を作る」は表ゴールであって、裏ゴールも
あるのかもしれないと勘ぐってしまいます。

たいへんな能力と魅力と多面性を持つ人物なので、評価が難しい面があります。
僕は僕の読者にはあまり深入りすることはお勧めしません。
著書を数冊読んだり、僕のようにYouTubeを見たりするのはいいですがね。
多くの人が胡乱な印象を持って敬遠するのは、正しいでしょう。

素朴に観察すると、そういうわりと普通の結論になりました。


**


第二部
『個の尊厳と4つの虚無』


●[大人の成長塾]の場合。

対比的に[大人の成長塾]のことを書きます。

苫米地論でお腹いっぱいかもしれませんが、もともといわゆるコーチングと
[大人の成長塾]がどう違うか、ということを強調する企画なので、僕として
はこれからが本番なのです(笑)。

[大人の成長塾]では、脱洗脳ではなく、脱教育ということを考えています。
教育も洗脳です。テクニカルに洗脳と呼べるかどうかの評価は苫米地氏に聞か
ないとわかりませんが、結果的に人の心を本来のあり方から逸脱させていくも
のです。

大学まで出ると、6,3,3,4の16年間、大きくいうと一つの思想に偏った教育を
受けるわけです。
文科省というフィルターを通っていて、日本の現代的価値観にどっぷり浸かっ
ているわけですからね。

日本の教育を無批判に受けてきた人は、自分に自信を持っていない人が多いの
です。
全員とは言いませんが、かなり多いです。
他人に評価され、他人と比べられることをずっと続けられてきたのです。

だから、自分がどう評価されるかをいつも気にして行動します。
自分で自分をつねに評価しようとします。
ところがその評価の基準は他人のものなのです。

生命的なものは、もともと自己評価しないのです。
植物も動物も、自己評価しないで立派に生きています。
植物が「自分は生えていいのか」と考えることはありません。
ライオンが「シマウマを食べていいのか」と考えることはありません。
先生や親に「お前はダメだ」と言われることも一度もありません。

全部肯定です。全部自己肯定して、うまく行かなかったところを自分で修正す
るのがいいのです。
ところが、日本の教育では、先回りして「あれはダメ、これはダメ、これはい
い」という結論を刷り込んで行くのです。
自分の体験から学ぶ、ということから遠ざけて、世の中一般と同調することだ
けを善とするのです。

それでは個というものが育たない。

だから、教育され終った人は、自分の生命の中心にいません。
他人にインプットされた判断基準のほうが自分より強いのです。
他人に評価され、それに慣れてしまったがために、他人が評価しない場合でも、
常に人がどう見るかという自己評価をしています。

最近、能を習っているのですが、謡のときに教わったことは、「自分の声を聞
かないでください」ということでした。
「ちゃんと声が出てるかな?」と確かめることは、謡うことと違うことにエネ
ルギーを割いていることになるのです。

習字や絵でもそうなのです。線を引いている最中に「ちゃんと書けてるかな」
と意識を動かしてしまうと、その分エネルギーが淀んでしまいます。
そのことは知っていましたが、やはり謡うときには、自分の声を聞いていまし
た。
応用できていなかったのです。

生きて行くのも同じなのです。
行動するときは、さっと動く。

反省はその結果が出てからでいいのです。
失敗したら、次回は同じ失敗はしない。
途中で「失敗するのではないか」と考えると、集中力が失われた結果、失敗す
る率が高くなります。

そういう心理的なクセが、人を生命の中心から外してしまいます。

「したいから、する」という単純な回路が錆び付いているのです。
そこに余計な心理的な葛藤や圧力が結びついています。

それが成長を阻害するのです。
成長点は自分の中心にありますからね。
成長のエネルギーの波に乗れなくなってしまうのです。

「三つ子の魂百まで」と言います。
生まれついた魂は変わりません。
その魂を育てていくのです。
知識や能力を足し算していくのではありません。
魂そのものが成長するのです。

成長するとは、サイズが大きくなることとは限りません。
人の本質的な成長は、よりシンプルに本来の存在に戻っていくのです。生きる
経験は、自分が何者であるかを知る過程なのです。
自分が何者であるかを知る過程で、より洗練され自由になります。

その自分を中心として、何を感じ、何を考え、何をするかを組織していきます。
知識もそうです。他人にインプットされた知識の断片や概念を要らないものを
捨てて、すべて自分を中心に再組織するのです。

教育によって、自分の生命のセンターから外れてしまっている人は、この編集
作業が思うようにできないのです。センタリングがうまく行っていないからで
す。

教育が知識を教えてくれるからいいものだ、と単純に考えてはいけません。
毒まんじゅうを喰うよりは、飢えていたほうが、身になるものを吸収できます。

不登校の子どもたちは、本能的にそのことを知っているのです。
だから、ご両親は子どもが求めているものが何かを探す精神的な旅に子どもと
共に出ないといけません。

遅れるとか、そういうことはないのです。何が速いかなんてことは人生にはな
い。
そうして子どもが居場所を見つけたときに、ご両親もまた成長しているのです。
そういうきっかけなのです。

[大人の成長塾]は、魂のあり場所にセンタリングをし直すことをいちばん大
切にしています。しかし、そのことは限りなく長い話になりますので、ここで
は扱いません。

ここでいう魂は、心とその生まれついての性質、くらいの意味でよいと思いま
す。
霊とかいうとまた話が難しくなりますからね。
ただ顔や指紋や声紋が1人1人違うように、生まれついての魂もそれぞれの個性、
方向性を持っていると僕は考えています。
花のタネが何色の花を咲かせるか決まっているように、みんなそれぞれの花が
ある。

それを気持ちよく発露できる社会がよい社会だと思っています。
シュタイナー教育などは、一つ一つの魂を発芽させる教育理念を持っています。
「教育は芸術だ」と明言しております。

しかし、日本の学校教育は子どもを一律なサイズ、能力と方向性を持った素材、
あるいは持つべき素材として扱います。工場生産の原料と同じなのです。均一
に製品を作ろうとしている。
規格はずれは、はじき出されます。大量生産の不良品と同じです。

僕が魂とか、個性とか、オリジナリティとかいうと、ときどき冷笑的なコメン
トをする人がいます。ちらほらいるので、ある比率でいるのでしょう。

こういう人たちについて語りましょう。
たぶん今の教育や世の中にすんなり順応した人たちだと思います。
頭がよくて、能力があり、それなりに収入がいい仕事があり、満足している。

そういう人たちは、一度も社会の枠組みからはみ出したことがないから、「自
分とは何か」と悩んだことがないのです。
外国に長く滞在すると、日本人としての自分を意識することがあります。
自己認識は異質性から始まるのです。
社会に同化してしまえば自分はなくてもいい。

日本社会と等質の人たちは、自分というものを意識する必要がないのです。
社会と一体なのですから。

でも、意見は持っているのです。
意見があるから「自分がある」と思い込んでいる。
「我意見あり。故に我あり」。

でも、意見なんてものは世間にいくらでも転がっています。
その中で自分の性質に合うもの、都合のいいものを蓑虫のように身にまとえば、
一丁上がりです。それは一つの傾向性を示していますから、それが自分だと思
えるのです。
でも、それは他人のものを上手に身にまとったに過ぎません。

本当に自分てなんだろう、と考えるのは、一体感から疎外されたときです。
うまく行っていた筈の人生で挫折を感じたときです。
ある人には、そういうときが訪れるかもしれないし、ある人は一生うまくやる
かもしれません。
それも一つの人生です。

[大人の成長塾]の対象は、そういう人たちではありません。

子どもの頃から、ちょっとはみ出していて、それは自分が悪いんじゃないかな、
と感じている人。学校教育では、評価されなかったけど、何か自分の可能性が
あるんじゃないかと思いながら、上手に発芽させられない人。
若いときには、もっと自分の方向が見えていたように思うのに、だんだん流さ
れてわからなくなってしまった人。
もっと自分の元々の可能性に戻って、感じたり考えたり行動したい人。

僕自身が微妙にはみ出して生きてきたので、いわばそのはみ出し部分とのつき
あい方は、何十年も考えてきたエッセンスがあるのです。

ようやく折り合いがついて感じること。
自分というのは、強化したり武装するものではなく、鍛えたり否定したり肯定
したりするものでもありません。ただそこにあるもの。一生つきあっていかな
くてはいけない他人。
でも、何者かいちばん知りたい人。
大切な人です。
自分とのつきあい方を知ると生きるのが楽になります。

自分を愛せない人。
自分を感じられない人。
自分なんてものがあるかないかもわからない人。
自分を否定して憎んでいる人。
そういう人がいまの日本には多すぎます。

自分とのつきあい方を知らないのです。

自分を愛せないまま成長することはできません。
なぜかというと、愛とは太陽の光のようなものです。
これなしでどんな植物も育ちません。
(もやし〜とか、例外はあるかもしれないけど)

自分を愛せない人が増えると、個の尊厳が軽んじられるようになります。

「個の尊厳」は、堅い言葉だからピンと来ないかもしれませんね。「個の尊厳」
は、外から見た言葉、社会的な言葉であって、内側から見ると、「人として楽
しく自由に創造的に生きること」です。

個の尊厳が失われる4つの虚無について書きましょう。
個の尊厳が失われた世界は虚無の世界です。
「楽しくない。自由でない。創造的でない」世界です。

一つは洗脳。
人が人を洗脳するときに、個の尊厳はありません。
お互いに洗脳しあうことを狙って相手を支配しようとする世界は、僕にとって
は虚無の世界です。教育も洗脳であれば、世の中は洗脳汚染だらけです。
テレビや映画もそうです。

MKウルトラ計画

https://goo.gl/Dg9vhu

CIAは、1950年代に洗脳に関わる実験をMKウルトラ計画と称して、集中的に行
いました。
LSDは、このときに開発され、使用されたようです。
それが後に、サイケデリック文化のシンボル的な薬として登場するのです。
共通項は変性意識状態です。

この計画の内容はきれいに揉み消されたようですが、その成果や人脈は、裏で
脈々と生きているとみるべきです。政治体制に不満を持たせないで支配したい
人、自分の商品を疑問なく何回もリピートして買わせたい人などにとっては、
夢の技術です。
研究に関わった人間は、引く手数多(ひくてあまた)だったでしょう。

彼らは引き取られた先でまた研究を始めたでしょう。

二つ目の虚無は暴力。

シリアの破壊された街の映像を見ましたか?
ドローンで撮影された街は行けども行けども爆撃で廃墟と化しています。
SFで見たような廃墟が現実のものとして生々しくそこにあります。

ここにもほんの1,2年前まで普通の生活があったのです。
日本に投下された原爆や東京大空襲もそうです。
あっという間に人の生命や生活を奪います。

やさしい人も気難しい人も、まじめな人もふまじめな人も、父親も母親も子ど
もも、祖父や祖母やペットも、何の見境もなく一瞬で命を奪われてしまいます。
死んでしまった途端に、戦死者何千人、何万人という数字になって個人性は一
切なくなるのです。

ISの台頭に底なしの虚無が増殖していると感じた人は僕だけではないでしょう。
暴力は人の小さな営みを全て無に帰してしまいます。

だからといって、暴力に人の本質があるとは言えないでしょう。

ジョン・レノンは数発の銃弾で生命を奪われました。
だからといって、暴力のほうが音楽より本質的だとは言えないのです。

人の営みは暴力の前にはあまりにも脆いけれども、暴力に対して暴力で対抗す
れば、ますます大切なものが失われます。それが底なしの虚無です。

虚無の3番目は経済です。

最近、好奇心7、研究3くらいの気持ちで、facebookで見かける無料でメールや
動画が見られる、というサービスに登録するのです。
一度試しにしてみてみたら、そんなに押し売り的なことはなかったので、最近
は安心してみています。
(アダルトサイトとか、怪しいのは知りませんから自己責任にしてください)

先日は、資産数十億、年収十数億という31歳の青年実業家のものに登録しまし
た。
内容の感想は、まあ、よくお金稼いだのね。いろいろな人がいるものだな、と
いうくらいでした。でも彼のしている講演の映像で、聞き捨てならない台詞が
出てきました。

郵便貯金を株式市場にぶち込めば、株は上がる、という話です。
郵便貯金は、日本で最も保守的な預金と言われていて、お年寄りの預金が多い
のです。
数百兆円というお金ですから、たしかに短期的に株は上がりますが、そんな分
かりやすくて動きの鈍い金は、海外のハゲタカのような投資家の餌食になって、
あっという間に溶けてしまいます。
安倍首相が年金資金を株にぶちこみまして、数十兆円の損失を出しているのと
同じことです。

郵便貯金は最も保守的であることで、日本の基盤となっているのです。
それを投機の資金に流し込んで溶かしてしまいたい勢力はずっといるのです。

しかし、年金にしても郵便貯金にしても、誰かがいいように使っていいお金で
はありません。
大切な預かり金です。

しかし、僕が呆れたのは、その傲慢ではありません。さらに暴言を吐いたので
す。

郵便貯金が動かないことに苛立ち、その31歳は「年寄りはバカだから」投資を
しない、バカ呼ばわりをさんざんした挙げ句、「年寄りは早く死ねばいい」的
なことを言うのです。
年寄りたちが老後の頼りにしている資金を株式市場に導入したくて、老人たち
は早く死ねばいい、というのです。
会場には軽く笑いが広がりました。同類が集まっていると見えます。
それが株式投資、経済というフィールドなのです。

既存の用語法では、「人間性を疑う」というところですが、僕はもう「人間性」
という言葉を肯定的に使うことは難しい時代に入ったと思います。

洗脳、暴力、戦争、経済は、動物にはありません。
だから、「人間性」とは人間にしかないこと。
人間しかしないことの中に底なしの虚無が生まれつつあるのです。

経済については、リーマン・ショックの引き金になったサブプライム・ローン
や、デリバティブ。今から研究してみれば、それがいかに愚かしいことか客観
的に見えるでしょう。
愚かしいというより、壮大な詐欺と無責任なのです。


サブプライムローンは、頭金なし。預金証明なし。収入証明なしで貸し付ける
ローンだったのです。しかも初期は金利ほとんどなし。
これなら誰でも家が買えるので、収入が少ない、不安定な人々が大量に買った
のです。
そのローンを証券会社が、債券として売り出した。
これはすぐに焦げ付くクズです。
ただし、他の優良債券と混ぜて商品を作った。
ここにたぶん高等数学を使うデリバティブという煙幕を張って人を騙したので
す。
クズだとわかっていて人に売りつけたのです。

3月公開の『マネー・ショート』という映画は、そのことを扱ったコメディだ
と町山智浩さんがラジオで話していました。

日本のバブル経済とその崩壊とかもありました。
景気の本質とは、上がれば下がる、ということなのです。
上がることだけが善で、下がると大騒ぎする、という態度が何も学習させない
のです。
このようなことを経済の本質とみることにいろいろ反論もあるかもしれません。
僕のいう経済はたぶん「経済の人」の「経済」とは違います。
「金融経済」というように限定すべきかもしれませんが、よくわかりません。
これを書いていて思いついたことなので、規定が厳密ではないかもしれません
が、論じてみましょう。

僕にとって経済とは、「お金の流れとお金が作り出すエネルギーの流れの総体
です」。

お金の流れには性質があります。

1, お金があるところにお金が集まる

2, お金がいちばん! 人々の生きる目的の優先順位の1位になろうとする

他にもあるかもしれませんが、とりあえずこの2つで十分です。
お金はつねに優先順位の1位になろうとします。
それは比重が軽いものが水に浮くのと同じように観察される現象です。

ということはお金は、つねに個の尊厳よりも優位になるのです。

実際に私たちは、経済が個の尊厳を犯している場合を日々目撃しています。
福島の核の事故とその処理。その後の老朽化した原発の再稼働の動きなどは、
「命より金が大事」というメッセージそのものです。

またブラック企業や非正規雇用の拡大、格差社会化の流れなども、まさに経済
の働きです。

「経済のプラスの側面はどうした? 経済がなければ生きていけないではない
か?」

というご意見があれば、ごもっともです。

しかし、心配しなくても、僕が批判したくらいでは経済はなくなりません。
強大なものに螳螂の鎌を当てているだけです。
で、別に経済を全廃したいわけではなくて、負の側面を検討して可能であれば、
経済をよりよいものに再定義・再編していきたいのです。

経済の言葉のもとは、江戸時代の「経世済民」「経国済民」という言葉に遡れ
るようです。
wikiによると、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」という意味です。
今日の経済の他に「広く政治・統治・行政全般を指示する語」であったと書い
てあります。

これが、今日的な純粋な金をめぐる技術や、システム、数字を扱う経済という
言葉に転用されてきたのです。
僕は経済は、そんなに数学的に、あるいはテクニカルに純化してはいけないと
思います。
いま、東京で大きなビルを建てるときには、一定のスペースを広場として提供
しなければいけませんね。もし、施主の都合で建ててよければ、敷地いっぱい
の建物だらけになって、街にうるおいも余裕もなくなってしまいます。

経済も、それと同様に負荷をかけ、ハンデをつけてちょうどいい。
「経世済民」という観点が足枷(かせ)になっていてちょうどいいのではない
かと思います。お金が儲かった人や企業は人を救ったり、住みやすい世の中に
するために何かの働きをする。
それが義務や美徳になればちょうどいいと思うのです。

先日、友人と飲んでいて、彼が村上ファンドの村上さんと会ったことがある、
という話になりました。村上さんは金持ちになったら、いいことをしようと思
っていたそうです。
村上さんにとって、何が善なのか、そういう細部はわからないのですが、いざ
お金ができると「よいことをするのは諦めた」そうです。
巨大な金額になると、自分の善とか不善とかの思惑で動かせるものではなくな
ってしまうようです。

「まず大金持ちになって、そのあと、お金の力でいいことをしよう」と思って
いる人がときどきいますが、それは嘘だし、無理なのです。巨額の資金には想
像以上の思惑や圧力がかかるのです。

弱い者のことを考えていたのでは国際競争に勝てない? 
真剣に考えれば、案外別の道が開けると思います。

本来、富の再配分は税で金のあるところからとって、福祉を手厚くすれば、あ
る程度可能ですが、実際は反対の方向に進んでいます。
日本社会の経済的人間の間では、経済で成功したものを讃えて、生活保護を叩
くことが正義になっています。
貧乏人や努力をしない資質の低い人間に社会的資本を振り向けるのは無駄だ。
強い者を優遇したほうが国際的な競争力がついて、「日本」が繁栄するという
意見に先日FBで出会いました。

ある一定の割合でこういう意見の人たちがいると思います。あるいは今日では
支配的な意見かもしれません。立場が違うとしかいいようがないのです。つま
り、貧しい人、弱い人、怠け者の人には、個の尊厳を認めなくていい、という
意見です。それらは単に社会の重荷であり、認めれば、国際的経済競争に負け
てしまうというのです。

それが経済的な考え方の本質です。

弱い者を切り捨て、踏みつけて競争に参加していった果てにあるものは、限り
ない弱者の拡大です。そんなことを続けた社会が本質的な強さを持つとは僕に
は思えないのです。
人生が競争だけになってしまいます。
強者を自任する人はそれでいいでしょうが、競争が続けば、強者も弱者にいず
れ転落していきます。タコは自分の足を喰うと言いますが、それと似た自壊的
な方向性です。

考えを進めると「お金がいちばん!」の世界の第3の性質が出てきます。
短期的な視野しか持たない人のエネルギーが支配することです。
年金を株式にぶち込み、郵便貯金を溶かそうとする。
マイナス金利にする。
すべて目先の対応です。
少しでも株価が上がり市場がにぎわえばいい。

そのあと、社会がどうなろうと関係ない。
後は野となれ山となれ。
つまり、それが「お金がいちばん!」の性質なのです。

たいへん破壊的なのです。

語源の話をしたので、economyの話も。
経済というときは、経世済民関係ない、economyだ、という人もいるかもしれ
ません。
economyは、元々ギリシャ語が語源で、家政、家の管理のことだったと言いま
す。

もともと、家の話。とても小さな話だったのです。
僕はこういう比喩を語ろうと思います。

野山を流れる小川は、人々の生活を潤します。
しかし、いったん洪水になって暴れ河になれば、人の生活や生命すら押し流し
ます。
今の経済はもう洪水、奔流状態なのです。
小川も洪水も「水の流れ」ということでは共通していますが、人との関係はお
おいに変化します。
情報化や、金融スキルの多様化、国際化、資本の集中化などで、経済は奔流化
しているのです。
求められているのは「治水」の技術なのです。
スローダウンし、細分化する。流れを限定し、大切なものが押し流されないよ
うにする。
必要なところに行き渡るようにする。
「治水的な経済学」が必要なのです。

ところが実際の経済政策は、とにかく流動性を高めるしか能がないように見え
ます。
景気の上り下がりだけを見て一喜一憂するだけで、金がどこにどのように流れ
るか、ということには関心がない。自分の短期的利益に適えばいいという視野
に見えます。

それが安倍政権が株式市場で年金を溶かしてしまい(溶かすは博打用語です)、
青年実業家が郵便預金もぶっこめ、虎の子の貯金を守る老人は死ね、と叫ぶ理
由なのです。

教育(洗脳)、暴力、経済より個の尊厳を優先する、というのは、僕の精神の
基本的な立場です。

3.11以降の論争をずっと見ていて最近やっと思ったことは、人の基本的な立場
はほとんど変わらないということです。
変わらない以上、立場が違う同士の話し合いは意味がありません。
目的が違うゲームをしているのです。

囲碁と将棋では勝負になりませんね。

僕は「個の尊厳を守るにはどうすればいいか」、ということから考え始めれば
いいので、「個の尊厳を守るべきかどうか」という議論には加わる必要がない
のです。

平和を守るには、どうすればいいかということから考え始めるので、「戦争か
平和か」ということは考えなくていいのです。

戦争には個の尊厳がありません。
最も個の尊厳が失われる時間と空間です。

戦争という選択肢も持たなくてはいけない、という人は、国という単位に感情
移入しているのです。国という単位に同化しやすい人は、自分をなくしたい、
見たくないという人です。

国に同化するのを国家主義、あるいは全体主義と言います。
これが第四の虚無です。

僕の父は戦艦武蔵に乗っていて、撃沈され数日海を漂流しました。
通りかかる船に拾われて九死に一生を得ました。
ところが内地に帰る船を輸送船をバシィ海峡というところでまた沈められて、
再び海を漂ったのです。
父はそれでも生き残ったので、僕がいるわけですが、戦後ははっきりとした平
和主義、反戦主義者でした。

最近、ネット上の記事を見て驚いたのですが、バシィ海峡のことが書いてあり
ました。
父の輸送船が沈んだ海峡です。
ここを通る輸送船は7割が沈没させられていたというのです。
それでも平気で船を送り出す神経はどういうものでしょうか。

ネットには日本の戦死の7割は餓死だということが書いてあります。
補給を軽視したために、多くの兵士が餓死したのです。
作戦は軍部や官僚が決めるのでしょう。
いい加減なものです。

最近、マイナンバーが始まって、住基ネットは全廃だと聞いて驚き呆れました。

血税1兆円をドブに捨てた「住基ネット」〜元祖マイナンバー、あれはいった
い何だったのか?

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47571

この記事によると、住基ネットにかかった税金は一兆円。
マイナンバーも近い将来廃止するかもしれないし、その費用は住基ネットどこ
ろではない、ということが書いてあります。

税金の無駄遣いに何の痛痒も感じない。誰も責任を取らないような体制。
それが戦争すると、7割を餓死させ、7割が沈む海に帰還兵を送り出す、そうい
う体制になるのです。
命すら使い捨てにするのです。

戦争は勇ましい以前に、こういう粗雑な精神の指揮のもとに行われるというこ
とを強調せずにいられません。

戦争は人々の生命と尊厳を呑み込む虚無以外の何者でもありません。

僕の母は、戦争で妹を失っています。東京大空襲のときです。

自分の乗っている船が沈んで、生死の境目で二度も漂ったり、家族を爆弾で失
ったりした人の戦争体験があります。僕の両親は戦争を憎んでいました。

それに対して、国と同化して戦争を辞さない精神があります。
これが国家主義です。

国家主義者は個人の体験に同化しないのです。自分を失って国という集合に同
化します。

愛校心とか、愛社精神というものがありますね。
学校や会社に同化する、一体化することに快感があるのです。

大学の応援団は、真夏にも暑苦しい長い学ランを着て、重い旗を持って、ずっ
と立ちっぱなしで声を枯らします。苦しい自己犠牲を払うことで、愛校心を自
他に証明するのです。

愛社精神は、進んでサービス残業するような精神です。

こういうのを滅私奉公と言います。自分を滅して全体に自分を捧げるわけです。
個の尊厳を自分から差し出して失うことで何かを証明してみせるわけです。

僕は一度も味わったことがありませんが、そういうことには快感があるのでし
ょう。

愛校心や、愛社精神は、まだかわいいものです。
その人が好きなら、とめるわけにも行きません。

しかし、愛国心となると、そうも行きません。
愛国心を持つ人は、たいてい他の国を憎んでいます。
日本が好きで、他の国も好きな人は愛国者とは呼ばれません。
愛国者は、アジアの他の国を激しく憎み、蔑み罵倒することで、自分の愛国心
を際立たせ、証明します。
(日本に核爆弾を落としたアメリカを憎む愛国者はなぜかあまりいません)。

愛国心が困るのは、他の人間にも強制することです。
隣国との緊張が高まって、戦争に向かうときに、「戦争反対」という人間は邪
魔者なのです。

日本でも安保法制に反対したキャスターが3人がレギュラー番組を降板させら
れました。

「キャスター3人の降板が首相官邸の圧力によるものだ、と海外メディアは断
定した」

http://ysugie.com/archives/4892

言論がどうのというより、異物・異論を少しずつ潰して行くのです。

他国と戦争をしようというときに、「それはどうなの?」という意見は足を引
っぱるのです。
国民が「一丸となる」のが好きな人たちなのです。

いよいよ開戦が近づくと、戦争に反対することは「利敵行為」となり、「スパ
イ行為」となるのです。
いまの言葉で「在日認定」というのもとてもよく似ています。
そのようなレッテルを貼って、断罪し、排除するのです。

イメージが湧かない方は、『蟹工船』の作家、小林多喜二の死について知って
ください。

作家・小林多喜二 壮絶すぎる拷問死事件の真相

http://matome.naver.jp/odai/2142881833527510301

一人の作家が、反国家的であると見なされて、とても残酷に殺されました。

戦争状態に向かうときに、個の尊厳は最も軽視され、踏みにじられるのです。
このときも拷問は禁止されていましたが、作家を残虐非道に殺した者たちは警
察・検察・報道によって庇われ、一人として裁かれることがありませんでした。

全体に自分を投影・同化してしまう者と、個の尊厳を守る者の道は、やがてこ
んなにも分かれるのです。

いま、日本はとても大きな岐路に立っています。
僕の読者に殺す側に回りたい人はいないと信じます。
だからといって、殺される側にもなりたくないでしょう。

人を呑み込む虚無があちらこちらで増殖しています。
虚無はここに数え上げただけではありません。
他にもあって、これに4つと絡んでいるのです。

M・エンデや、宮崎駿さんにも虚無が人を呑み込むというテーマがありますね。

それに対抗するものは、個の尊厳です。
遠回りのように見えますが、それしかないのです。
「自由で楽しく創造的な生き方」、それを知らない人が全体主義に吸い寄せら
れて、麻薬のように中毒するのです。

今から自由に生きましょう。
今から楽しく生きましょう。
今から創造的に生きましょう。

たった今からです。

個に尊厳を感じるためには、自分自身に尊厳を感じなければいけません。

とても当たり前のことなのですが、まずそれを回復するところから始めます。
自分自身に尊厳を感じる方法を基礎づけていきます。

僕が[大人の成長塾]を始めたのは、そういうわけなのです。

思わぬ大作になってしまいました。

まとめます。

教育(洗脳)を含む4つの虚無が個の尊厳をおびやかしています。
そういう危機の中で、僕の[大人の成長塾]は、虚無の1つである教育の悪影
響を無効化して、生命の中心にセンタリングするためのものです。

何か1つの運動や政党が今の状況を救ってくれることはないのです。
1人1人が粒だって、自分の生命のまっただ中に向かっていくしかないのです。

あなたの参加をお待ちしています。




●今すぐ!
あなたの成長力を測ります。

無料の成長力基礎テスト
http://seicho.hiden.jp/s_test.html



----------------------------------------------------------------------

質問、感想はinfo@seicho.hiden.jpへ。
とりあげるべき質問には誌上でお答えします。

Kohei Muramatsuでfacebookしています。
https://www.facebook.com/kohei.muramatsu

大事なこともくだらないことも日々書いています。
フォローしてみてください。
「読者です」と書いて、メッセージをくれれば友だち申請も承認します。

----------------------------------------------------------------------

●購読と解除●

『[大人の成長塾]クロニクル』 は、
下記の配信システムのいずれかによって配信されています。

 まぐまぐ http://www.mag2.com/ [ID:0000068978]
 メルマ  http://www.melma.com/ [ID:m00042072]
[大人の成長塾] / comments(0) / trackbacks(0)
[大人の成長塾]クロニクル第1号  『コーチングの徹底ネタばらし(中編)』
●コーチングは漏斗型のマーケティングである

web上のコーチングでは、無料で数日間メールを配信してくれるものが多いで
す。
僕も研究のためにfacebookで眼についたものを最近数件登録してみました。

いろいろなヴァリエーションがあるのですが、驚くほど共通のところもありま
す。
その共通点の分析結果を前回と今回で書いています。

この無料メールは何かというと、まあ、撒き餌のようなものです。
これに喰いついた人の何パーセントかは……その歩留まりがいいように彼らは
最善を尽くすのですが、有料のセミナーなどに申し込みます。

コーチングはマーケティングとものすごく近い関係にあります。
マーケティングは、まず大量にDM、チラシ、広告などをうって、それに反応し
て来た人を「見込み客」として確保するところから始まります。
こ見込み客から一定の割合でお金を使うカスタマーになります。
そして、まず最初は安いものを買ってもらう。

安いものである程度の満足を与え、信頼を得て、でも、もっといいものがあり
ますよ、といって、次にもっと高い商品へと誘導するのです。

そのようにだんだん薄い関係から、濃い関係に誘導する網を漏斗(じょうご)
型に作って絞っていくのです。


***

[大人の成長塾]でも、この無料コンテンツを作ってみました。

前回お知らせしたコレです↓

 **

成長力基礎テスト
http://seicho.hiden.jp/s_test.html

このテストをされた方には、内容をさらに詳しく解説した15通の無料ステップ・
メールをお送りします。
興味のある方は、上記サイトでテストをして、メールを受け取ってください。

 **

ただ慣れないものだから、非常に独立性の高いコンテンツになってしまいまし
た。
[大人の成長塾]への誘導としてうまくできている自信がありません(笑)。
これだけでお腹いっぱいになっちゃうかもしれない、と思っています。
無料で、しつこく勧誘したりもないですから、お試しください。

それから、コーチングの世界では、安いといっても、最初のセミナー8万円と
か、ざらにあります。来る人は、何かに強く惹かれたわけなので、お金は問題
じゃない人もいるし、高いほうが内容に自信があるんだろうと思わせる効果も
あります。
そうなると、2万円の参加者を4人集めるより、8万円で1人呼ぶほうが効率がよ
くなるのです。
広告をうって大きく広げるのにも、高い方が好都合なのです。
ですから、自信や実績が出てくると、高くなっていくのです。

そして、これは入り口であって、「あなたもコーチになれますよ」というセミ
ナーは、数十万円、あるいはもっと高いセミナーがある、ということになるの
です。


●[大人の成長塾]の場合

[大人の成長塾]は、システムも違うし、1年間で1万円!と強調しておこうと
思います。
それでもっと高額な何かに誘導しようという意図もないのです。
普通の人が気軽にちょっとした人生のバージョンアップができる機会です。


●コーチングはけっこう苦労話である

コーチの人は、特殊な経験をした人が多いです。
その中には、数年間逆境にあって、歯を食いしばって耐えた、という人が多い
です。
そして、自分は今経済的に成功して、やりたいことをやっているけれども、も
ともとは苦手なものがたくさんあるダメダメ人間だった、という話も多いです。

そういう芽が出ない時期を長く耐えていて、あるとき一つの気づきがあって、
それに気づいてからはトントン拍子、自由自在の人生が始まりました。

「あなたよりダメだった人間がこの通り成功したよ」という話になるわけです。

そのとき気づいた原理と、そのあとの蓄積したものを教える、という構造にな
るわけです。
あなたもそのようになれるなら、何万円払っても惜しくないでしょう? とい
うわけです。

実際、幸福や健康、自分のしたいことを実現できる人生というのは、プライス
レスです。
無限大に近い価値がある。

では、コーチングや情報商材は、それを与えてくれるか?
僕は無料のものをチェックしているだけなので知りません(笑)。

でも、玉石混淆だということは、想像がつきます。
玉といっても、たぶんすごい宝石はないと感じます。
それと、とにかく申し込んでお金を払ってもらうのが先決ですから、いちばん
いい部分はかなり無料のところで露出していると考えていいです。

ある有名なテレビ・プロデューサーに聞いた話ですが、昔、縁日のショーで
「大イタチ」というのがあったそうです。
巨大なイタチがいるというので、お金を払って入ってみると、大きな板に血が
ついていた、という……。
そういうことにならないように気をつけてください。
とくに「これを読むだけですぐに月収100万円」的なものは、絶対に大イタチ
です。
まあ、それはコーチングとは言わないでしょうけどね。

それから、苦労話をするコーチの人は、自分で苦闘し工夫して何かを手に入れ
たわけです。
あなたはそれをお金で買おうとする。
そこにすごく大きな差があるのです。

つまり世界をバックパック一つで貧乏旅行して歩いた人が体験やコツを伝授す
るとします。
でもあなたは旅人ではないのです。
体験のエッセンスだけを買おうとしている人です。

あなたが同じような旅人であれば、彼のアドバイスはとても役に立つでしょう。
しかし、海外に一度も行ったことがなければ、夢物語を買っていることになり
ます。
自分で生きること、自分で工夫すること。
お金で経験をショートカットしようとすることは、自分で現実と向かい合うこ
とから少し遠ざかることです。
そのようなお金の使い方をしてはいけません。


●[大人の成長塾]の場合

僕にはあまり苦労話的なものはありません。
でも、どこで成長という概念が始まったかという話をします。

3.11ですべてが始まりました。

前回書いたコンフォート・ゾーン、つまりぬるま湯的心理環境が3.11で完全に
崩壊してしまったのです。
3.11以前も、僕は心情的に反体制、反権力だと思っていたのですが、それでも
ものすごく日本という国を信じていたんだな、と愕然としました。
3.11以降露出してきた国の形は、僕にとって本当に恐ろしい絶望的なものでし
た。
恐ろしい、絶望的とかは後からまとめた言葉であって、言葉にならない衝撃が
ありました。
毎朝身体の芯から震えが来て止まらないのです。

あえてコーチング用語を使うと、それがコンフォート・ゾーンのかなり壊滅的
な崩壊であったのです。

そのときは何がなんだかわかりませんでしたが、半年か一年経った頃、あれは
出産だったのだな、と気づきました。
産むほうではなくて、生まれるほうです。
母親の暖かい胎内から、無防備で不快な世界に生まれ落ちたのです。
それは苦痛に似ていましたが、まだ苦痛という呼び名すらない体験でした。

そういうわけで僕の本質は3.11で0歳になったのです。
でも、この0歳児は、60歳近いもう1人の自分の経験に守られていたのです。
僕は2つの年齢を持ったのです。

人は0歳から3歳くらいまで特別な成長をします。

僕は年齢相応の眼で世界を見ていたのではなく、0歳児の眼でもう一度世界を
掴み直したのです。
2015年の今は、僕は4歳児。もう1人の僕は61歳です。
そういう二重の視点でものごとを見るようになりました。

生まれたばかりの苦痛を過ぎると、世界はとても新鮮です。
4歳児の僕は好奇心と活力に満ちているし、あれもこれもしたいとワクワクし
ています。
毎日のように発見があり、見るもの聞くものの刺激が血となり肉となる感じが
しています。
さまざまなアイデアも、自然に自由に湧いて来ます。

日本の政治・社会情勢は僕にとって怒りを通り越して、いちいち怒っていられ
ない最悪な感じですが、個人的には元気さのピークといってもいいのです。

このような成長の要素をシェアしたい、というのが、[大人の成長塾]を始め
た理由です。
既存の価値観の全面的な崩壊そのものはシェアできません。
そんなものは、体験しないでいいです。

外からの衝撃によって破壊されるのではなくて、自分の自由意志によって、少
しずつ自分の行動の選択基準を再編集していきます。
そして小さな行動を起こし、感じたことをもう一度フィードバックしていきま
す。
その繰り返しによって、成長を押しとどめている惰性の殻に隙間を作っていき
ます。
その隙間から成長の芽が育って行きます。
やがてその芽が自分の限界の殻さえ打ち砕きます。

すべてを意識的に行います。
成長の力は無意識的なものですが、それを意識的に導く、という原理や方法論
があるのです。

このプロセスを厳密を言いましょう。
成長の力は自然なものです。
みなさんのコメントを読んで、成長は努力をして獲得するものだ、と考えてい
る人が多くて驚きました。
植物の成長を見てください。
彼らは努力していません。
ただ成長する環境や条件があればいいのです。

ところが日本社会では、その環境や条件を阻害する力が大きく働いている、と
いうのが僕の認識です。それをすり抜けるためには、成長の条件を正しく理解
する必要があります。
理解して少しばかり働きかけ、条件を整える。
そこまでは全く意識的である必要があります。

成長の力は明るく希望的なものです。
もし来年も再来年も成長していない自分がいると想像すれば、時代が世知辛く
なっていく流れの中で未来は不安に満ちたものになるでしょう。

[大人の成長塾]は、最後の希望です!


●コーチングは、幻想産業である

前回、このようなメールの内容をご紹介しました。

「ビジネスの現場において『コーチング』という言葉が流行り(?)始めたの
は、4〜5年前だっただろうか。
その手の書籍も目に付くようになり、私の知り合いの経営者も数人、コーチを
付けたと自慢げに云っていた。
が、次に会ったときにはすでに、離れていた。全員がである。
(うろ覚えだが、そうちの1人はクビにしたという表現をしていたように思う)」

この文章からみなさんは何を読み取りましたか?
僕は編集者で文章読みだから、とても深く現場の様子が想像できてしまうので
す。
眼光紙背に徹す、一を聞いて十を知る、です。

コーチをつける、というのは、とても高価なものです。
依頼するのは、金銭的に余裕のある人、余裕はなくてもお金を稼ぐための「投
資」としてなけなしのお金をつぎ込む人の2つに分かれます。

この文に出てくるのは前者でしょう。
企業の経営者です。
企業を余裕で回している人は、それなりの経験、人生観、ポリシーを持ってい
ます。
経験、人生観、ポリシーとは、それ自体メタ認識です。
したがって、経験の浅いコーチがメタなゲームに引き込もうとしても、相手の
ほうが上なのです。
それで全く通用しない、「クビ」ということになるのです。

たいていのコーチは、経験を積んだ経営者にとって「若造」に過ぎないのです。

企業の経営者に対しては、マーケティングのコンサルテーションくらいしない
と通用しないのです。コンサルは、とても具体的なものです。
年商1億円の企業を2億円にする。
それを実現すれば、実労1か月であろうと3日であろうと、500万円、1,000万円
と要求することも可能でしょう。
いくつかのアイデアを提供するだけで、それが可能なケースがあるのです。

どうすればそんなことができるかといえば、他の会社、他の業界に精通してい
て、そこから最適なアイデアを流用してくるからできるのです。
マーケティング界のカリスマ、ジェイ・アブラハムスは、450以上の業種のコ
ンサルをしていて、そこから自由にアイデアを流用していると言います。
450というのは、会社ではなく業種ですよ。
他の会社、他の業界に精通している人は、他の会社でも仕事をしたことがある
のです。
それが財産、実績になります。

では、最初の仕事はどうするんだ? どこの会社も知らないゾ、となりません
か?

そうなのです。
最初は何も知らない。経験の元手がない。
その空虚をどう埋めるかが大問題です。

不可能を可能にする「何か」が必要なのです。

その「何か」が先ほど書いたコーチは「苦労人」である、という話につながり
ます。
ある企業の中で辛酸を舐めるほどに、厳しい体験をします。
光の見えない完全に行き詰まった数年を過ごします。
まだ何もない部署で右も左もわからない状態から、事業の立ち上げをさせられ
たりします。
経理から何から全部一人で勉強し、考えなくてはいけません。

そういう体験を通じて、少なくとも自分のいる会社、業界については身にしみ
て精通し、また会社経営の基本構造は理解します。
それだけでは十分ではないけれども、その経験の元手を使って、仕事を始めれ
ばぽつぽつと仕事が来るうちに、経験の元手は膨らんでいきます。

つまり、コーチはそういう経験の元手がある人が始める仕事です。
元手があって、それだけでも人に伝えたい、教えたいという人が、ビジネスの
フォーマットや、ノウハウのヴァラエティを手に入れるためにコーチングを学
ぶのは意味があります。
何も元手がない人がコーチになろうコーチの講座に出ても何にもなりません。

何の話かというと、コーチングの数万円の初歩セミナーの後は、「あなたもコ
ーチになりませんか?」という誘いが続くことが多いのです。
こちらは、うまくいけばそれが職業になるものですから、何十万円というセミ
ナーになります。
その何十万のセミナーに何人もの人が応募しているように見えるので、「コー
チはおいしい職業」のように見えるのです。

しかし、主たる収入はコーチをすることではなくて、「コーチになれますとい
うセミナー」をすることなのです。
コーチそのものではなくて、コーチを養成する講座が大きな収入になります。

コーチのコーチが儲かるのです。
ただのコーチで喰える人は、よほど実力がある人で、でもそういう人は実績を
元にして、コーチを育てるコーチを始めるのです。
そちらのほうが儲かるから。

したがって飯が喰えるのは、コーチではなく、コーチを育てるコーチである、
と言えるのです。
ですから、自分が家元になるほどに自分に強い自信がなければ、コーチを育て
る講座などに高いお金を払うなどはやめたほうがいいのです。

最初に書いたようにこの文章は、話を単純化して面白くしてありますから、例
外はあるかもしれません。ただコーチングに興味を持つに当たっては、この程
度のことは想像しておいたほうがいいのです。

企業相手のコンサル、起業家相手のコーチング、個人相手のコーチなど、いろ
いろなレベルや方向の話もいっしょになっています。構造はよく似ているから
です。

利益をもたらそうとすれば、企業相手のコンサルのように規模が大きいほうが
じつは簡単な面があると思います。
というのは、企業は多くの資産を持っているからです。それを忘れていたり、
価値を理解していなかったりすることがあります。
それを掘り起こせばダイナミックな構造が出てきます。

しかし、個人は資産や元手(先ほど書いた能力や経験のことです)あるいは職
業すらも持っていない場合があります。そういうときに、コーチングやある種
の情報商材を売るような仕事は、「元手なしで始められる」ような幻想を持ち
やすいのです。

ほとんど幻想を買って、幻想を売るような商売だと言っていいのです。
長続きはしないでしょう。
しかし、個人としての元手を持っていないほど、このような幻想を持ちやすい
のです。

なんか営業妨害してるみたいで、申し訳なくなってきましたけど、実態は明ら
かに悪質なものから、それなりに誠実なものまでいろいろあると思います。
よく見極めていただきたいということです。


●[大人の成長塾]の場合

[大人の成長塾]は、特別な新しいビジネスを勧めることはありません。
今いる場所から始めます。
アプローチを変えれば、今いる場所で成長し続けることができるかもしれませ
ん。
あるいは成長を阻害する場所に長くいるようならば、動く勇気を与えるかもし
れません。
また必要なだけ成長すれば、次のステージが見えてくるかもしれません。

主体は自分です。
大切なのは、自分の内側に成長のエネルギーが満たされていることです。
成長すれば、自然に選択肢が増えるのです。
成長が止まっていれば、選択の余地も少ないのです。


●コーチングは、結局お金である

コーチングは、結局、「どうしたら今より多額のお金を稼げるか」、「どうし
たら自分のやりたいことだけして、経済的に成功するか」というようなテーマ
に収束します。

それは必ずしもコーチングの罪というより、世の中の強い潮流なのです。

世の中の9割の人は、「どうしたら楽をして稼いで、自分のしたいことができ
るか」と考えているのです。
コーチの人が自分のセミナーに人を集めようと思ったら、その欲望を満たしま
すとアピールするしかないのです。
ゴールを設定してくださいといったら、9割の人は経済的な成功や、収入に関
わるゴールを設定するでしょう。

こういう人々の欲望に働きかけるのに、いちばん露骨なのは、「月に200万円
の収入がほしくないですか?」というようなものです。
そういう怪しい広告をときどき見かけるでしょう。
それに比べると「どうしたら絶対に失敗しない起業ができますか?」というの
はまともに見えます。
ここには成功の絶対の秘訣がありますが、それをわけてほしくはないですか?
と囁きかけるのです。
本当は自分で試行錯誤して学ぶべきところを、それなりのお金を出せば、その
時間と苦労とリスクをショートカットできますよ、というわけです。
それなら安いものではありませんか? と。

では、その売り文句は本当でしょうか?
それを教えられて成功した人が1人もいなければ詐欺といっていいでしょう。
では、1,000人に1人が成功したらどうでしょう?
それでは高額の謝礼を取ったら詐欺っぽいですね。
300人に1人では?
100人に1人では?
と考えて行くことができます。

10人に1人が成功しても、残りの9人は期待を満たされなければ不当ともいえま
す。
集客のために欲望を煽れば煽るほど、かなりきわどい商売になります。


●[大人の成長塾]の場合

お金の世界は、基本は競争の世界です。
シェアの奪い合いです。
それは大資本のしていることを見ればわかります。
弱肉強食で、弱い者は潰れて、強者が巨大化します。
個人が起業するときも、それはあまり変わらないのです。
たしかに個人は小回りが利くので、既存のビジネスの隙間を見つけることがで
きるかもしれませんが、あるレベルまで行けば競争の中に組み込まれます。

そういう生き方もけっこうですが、僕は競争は苦手なので、昔からあまり燃え
ないのです。

[大人の成長塾]では、個人のエネルギーの開発、回路を整えることをします。
これは、競争でも奪い合いでもありません。
ある人が成長すれば、周囲も恩恵を受けます。
仕事や人間関係が円滑になります。
ギスギスしていたものが円やかになります。
周囲の人も影響されて成長するかもしれません。
あるものを奪い合うのではなく、そのようにお互いに豊かになるものが好きで
す。

[大人の成長塾]は、お金よりもエネルギーに注目します。
身体をめぐるエネルギーがあります。
心をめぐるエネルギーがあります。
それらが円滑に動き出す回路を作ることによって、成長が成し遂げられます。

成長の過程で、心と身体が統合されたもっと高次のエネルギー場がある、こと
がわかってきます。もっとシンプルに力強い生き方が見えてきます。

個人のエネルギー場が整うと同時に、人と人との関係、社会のエネルギー場も
整い始めます。

この社会のエネルギー場において、血液のように巡っているものがお金なので
す。
ですから、このエネルギー場を整えれば、自然に必要なお金は巡ります。

お金だけにフォーカスしていると、他のエネルギー場が歪んでくることがあり
ます。
そして、肝心なお金すら望んだようには手に入らないことがあります。


[大人の成長塾]には、失敗はありません。
多くの人は少しずつ成長しているからです。
しかし、十分に力強い成長を遂げるには、いくつもの要素を理解する必要があ
ります。
僕はそれを【秘伝】と名付けてみました。
古い読者には懐かしい言葉でしょう?
何十もの【秘伝】をお届けします(現在も執筆中)。

内容はちょっと難しいかもしれません。
しかし、このメルマガを読めている人なら大丈夫です。
何十もある【秘伝】の中から、2つか3つの【秘伝】に感応しただけで、新しい
生活が息吹始めます。


●コーチングは、それ自身1つのストコーマ(盲点)である

知り合いに、もう10年近く、苫米地氏や「引き寄せの法則」やらに、はまって
いる女性がいます。いっこうに経済的な成功をする気配を感じませんが、彼女
は「一度はヒルズ族になってみたい」と言っていました。
ヒルズ族になったら、人々のために何か還元する仕事をしたいと言っていたよ
うに思います。

なかなか面白い女性なのですが、僕は彼女はこの10年間経済的成功というメタ
なゲームにはまって、大切な可能性を失ったように思います。

ちょっと忠告したくらいで止まるようなものではないので、本人が納得するま
でやってみるしかないでしょう。一生納得しないかもしれませんが、それは僕
が関われるようなことではないのです。

コーチングの主流?は、ゴールを設定してストコーマ(盲点)をなくすことだ
と前回書きました。
しかし、ゴールが経済的な成功に置かれれば、それ自体が他にないくらい巨大
なストコーマになるのです。

それは現代日本社会を見ればわかります。
世界史上でも最悪の原発事故が起きても、原発を再稼働し、あまつさえ、海外
にまで売りに行っています。

オリンピックでも、盗作騒動がありましたが、その周辺の騒ぎは、あまりにも
利権的で醜いものです。

世界を見ても、ISの背後にイスラエル、アメリカ、トルコなどがいるという構
図が次第に明らかになってきました(知らない人は検索してください)。
権力欲、金銭欲がとめようもないような、ねじくれた巨大なエネルギーとなっ
て現れています。

お金という糊で、全てが癒着して、自由性、柔軟性を失っているのです。

こんな世の中で、「自分だけが思い通りの生き方をして、経済的な成功(余裕)
を手に入れる」ことを善とするゲームに参加するのは、盲点以外の何者でもあ
りません。
社会の現状を肯定し、補完するものです。

しかし、経済的な成功というゴールをちらつかせなければ、誰も高額なセミナ
ーは受けないでしょう。他のことはみんな自分でなんとかできると思っている
からです。

そういうわけで、コーチングは永遠に盲点であり続けるでしょう。


●[大人の成長塾]の場合

だんだん書いているうちに、[大人の成長塾]はコーチングじゃないじゃん、
とも思い始めてきました(笑)。
でも、まあ、みなさんがプレイヤーで僕がコーチ、という単純な意味でコーチ
ングと呼ぶのはいいかなと思います。

もちろん、狭義の定義を持つ人からは、[大人の成長塾]はコーチングではな
い、と言われるかもしれません。それで構いません。

日本社会の批判を書きましたが、[大人の成長塾]の中には、社会批判もイデ
オロギーも一切でてきません。扱う領域が違います。人の内的なエネルギーに
ついての新しい概念を扱います。

[大人の成長塾]が依拠するのは、イデオロギーではなく「生命」と「自然」
です。
生命が自然な状態にあれば、そこには成長があるのです。

原発や戦争に反対するのも、生命と自然に反するものだからです。
そこには破壊があって、成長がありません。

今の日本社会は人の可能性を閉塞させるような力が強く働いているという認識
があります。
人の中にある生命、自然、成長、それらの可能性を発動させない社会である、
ということです。
教育は本質とズレたことを教えて、自分で考える力を育てません。
企業は目先の収益の数字にとらわれて、人を育てず使い捨てにする方向を強め
ています。

恐ろしいことは、社会がその方向に傾斜していくと、人の心もその相似形にな
ってしまうことです。

たとえば、格差社会になって、貧富の差が激しくなり、しかも貧しさから浮か
びあがるチャンスさえ失われつつある状況があります。
そのときに、自分さえ貧しい側にいなければいい、という心持ちにみんながな
っていくのです。

そして、ひどく小さく閉じた個人ができ上がります。
本人は閉じていることは自衛のつもりだけれども、内面的には少しも満足して
いない、という状況があるのです。

それを打開したいけれども、方法がわからない、と多くの人が思っています。

[大人の成長塾]は、それに対して僕が出した最善の答です。
個人個人が自分のさまざまな可能性に気づくこと。
その可能性を一つ一つ現実にしていくこと。
一人一人が動き出すための大きな設計図を提供したいのです。

人が可能性を発揮できる宇宙の設計図です。

短い言葉で説明するのは、とても難しいのです。
ですから1年という期間をいただくのです。


***

長くなったので、

『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしてい
る』

の項目は次号に回します。

読者にとって苫米地氏の存在がどれほどの比重を占めるかよくわからないので、
扱うのはやめようかと思ったのですが、苫米地氏の熱心な読者の方などから、
「楽しみにしています」というメールをいただいたのでやはり書くことにしま
す。
けっこう黙って気にしている人は多いのではないかと思うのです。

怪人苫米地氏を僕がどのように分析するか、お楽しみに。
[大人の成長塾] / comments(0) / trackbacks(0)
[大人の成長塾]、始めます
メルマガの転載です。
メルマガをとっていない人用に。

人の可能性について書いています。

11月末日までの割引情報あり。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


   村松恒平のシークレット・ドクトリン

   第16号   ●[大人の成長塾]、始めます



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




【始まりとおわび】

[大人の成長塾]、始めます





また村松が変なことを始める、と思うかもしれませんが。

たぶん、これが僕の仕事の集大成になると思います。



このメルマガはもともと文章のメルマガだったわけですが、そこから僕は『心
が大事』(『自然の道』に改称)というブログで心理的なことがらを追及した
り、原発事故に憤ったり、『DRAGON ART CREATOR'S REVIEW』というアートの
投稿誌を作って、美術について書きまくったり、『GOLD2012』という有料メル
マガを作ったり。

やや神秘主義に傾倒したり。

自分でアートやったり、詩を書いたり、小説を書いたり。

その後、身体に興味を持って、シンクローム、内臓ダンスという2つの面白い
発明をしました。



どれも大切なことを言っていたと自分では評価していますが、エネルギーが散
逸していました。

友人に「元『宝島』編集者って紹介するのやめてくれない? もう何十年も前
の話だから」と言ったら、「はて、ではなんと紹介すればいいのやら」と言わ
れました。

自分でも自己紹介に困っていたのです。

これからは胸を張って「[大人の成長塾]を主宰しています」と言えます。



僕の中では、手を出したことは「あれもこれも」ではなく、同じ一つのことの
断片なのですが、出会った人や、読者にはわからなかったと思います。

それぞれ別の読者に興味を持たれるだけで、統合されることがありませんでし
た。



その長い放浪の果てに、「成長」というテーマですべてを統合できそうだと気
づいたのです。

これはとても奥深く広いテーマです。

今回その話のごく一部を書きます。



とてもエキサイティングです。



塾そのものは準備中で開始は来年なのですが、皆さんは僕の大切な読者なので、
最初にお知らせしたかったのです。



そして、お詫び。

「女性のための愛の哲学」は、塾の準備が忙しいので中断となります。

反響はありませんでしたが(笑)、愛読されていた方がいたらごめんなさい。

これもいちばん面白いところはこれからなので、いずれ単行本にする所存です。



では、成長塾の最初の最初の話を致しましょう。


*


【人は自分の可能性の99%を使っていない】



いまあなたは自分に成長の可能性をどれくらい感じていますか?

それを最大限に感じてもらうところから始めましょう。



「人は自分の可能性の99%を使っていない」というタイトルをつけてみました。

人は可能性を1%も使えないのです。



たぶん可能性という言葉を正しくとらえている人は少ないのではないでしょう
か。



可能性は無限大だと慣用句でよく言いますが、本当に無限大なのです。



お休みの日、あなたは何をしようかと考えます。

図書館に行く、ゲームをする、誰かに電話して会う、スポーツをする、料理を
作る、あるいは何もしない、テレビを見る、寝てる、などの選択もあります。



誰かに電話して会うを選んだとして、気楽でバカをやれる相手と、緊張するけ
れども何かを与えてくれる優れた人物などなどの候補があります。

後者に電話したとして、「今日は忙しい」と言われたとします。

そのよう実際に行動することで、見えてくる情報があり、選択の条件が変わり
ます。



そして、「忙しい」と言われたときに、その日に会いたかっただけだから、そ
のまま電話を切ることもできます。「いつがヒマ?」と聞いて約束を取り付け
ることもできます。

あるいは、電話を切ったあと、「本当は忙しいのではなくて、自分のことを嫌
っているのではないか」とクヨクヨすることもできます。



わかりますか、最初に列挙しただけで8つの選択肢がありました。そのあと、
電話する相手の選択肢が2つ、電話したあとの選択肢を3つ書いてみました。

最初の選択肢も8つより多いかもしれないし、捨てた7つにもそれぞれ膨大な分
岐があります。

図書館に行って何の本を借りるか、5冊借りてくるだけで膨大な組み合わせに
なってしまいますね。

そのような選択肢の枝分かれが無限に延びた図を考えてください。

それが単純化された、あなたの可能性です。

こんなに分岐の多いゲームは面白そうでしょう。

何を選択するかで結果があれこれ違うのも想像がつくでしょう。



あなたは、その無限の分岐の中の一つの点であって、一つの道しか選択して通
れないのです。

そして通った道を戻ることもできません。

その一つの道を通ることが無数の選択肢を捨てていることになるのです!



だから、実際は1%どころではないのです。分母が無限で、分子が1。

これは数学的にはゼロということになるのかな。とにかく限りなく小さい。

いずれにしろ、可能性というものはそういうもので、生きることは無限に対す
るゲームなのです。



その分岐の先によい結果と悪い結果、たとえば、快適な人生と不快な人生があ
るとします(幸福とか成功という言葉より、成長という面からは、この言葉を
選びたいのです)。



あなたの可能性の分岐の先にどれくらい快適な人生があると感じますか?

どれくらい不快な人生が?



いや、快、不快は人生そのものではなく、その場その場の体験かもしれません。

しかし、不快の量が多い生活、不快に満ちた生活を僕らはときどき目撃するの
です。



自分の人生はできれば、愉快で快適、喜び多く、苦しみや不安や心配事が少な
いものにしたいですね。



あなたは喜びに満ちた生活を選択できると感じていますか?



多くの人は可能性があることは認めるでしょう。

しかし、自信はない、という人が多いでしょう。

と予想します。そういう時代だからです。



実際、将来喜びに満ちた生活を送れると感じている人は、いまもそれなりに充
実しているはずなのです。

なぜなら今も選択肢の出発点ではなくて、途中だからです。



そして、あなたは選択肢を選ぶときにあるクセがついています。

そのクセの結果が今なのです。

だから、今が充実していれば、未来も充実しています。



では、今充実していない人はどうすればいいでしょう?

選択肢を選ぶ基準を変えていけばいいのです。



「成長」は、ここでは今までの基準をよりよい基準に変えることを言います。



しかし、生活に不満そうな人ほど、頑固に自分のありかたに固執します。

将来が不安なのは当たり前なのですね。

だってどんどん不満が溜まるほうを選択し、向かっているのだから。



では、どのように選択肢を変えていったらいいのか?

その部分を大人の成長塾では扱います。

無限の選択肢を少しでも上から眺め、自分の未来、現在、過去に対する視野を
広げて行きます。そして、自分にとって何がよい選択かを客観的に「見る」の
です。

「見えない」ことが選択を誤らせているので、「見る」だけで変わるのです。

そして、選択肢の中で最善のものを選ぶようになれば、人は自由自在に生きら
れます。



実際、可能性の全てを見渡せるようになれば、それは神と呼んでもいいような
視野ですね。

成長はそのような視野の拡張を伴います。

では、どうすれば成長するのか?

成長は総合的なものです。頭で考え方を変えただけでは選択肢は変わりません。



上記の一連の話は、選択肢が紙に書いてあるとすると、それを上から眺めてい
ます。

しかし、実際の生活はどうでしょうか?



選択肢の断面図は、今のあなたの目の前にあります。

そこにいろいろな選択肢を感じることができるでしょうか?



図書館? 疲れていて本なんか読みたくない。あるいはそんなこと思いつきも
しない。

友達に連絡するのも、みんな忙しいようでおっくうだ。

たまの休みくらいゴロゴロしていたい。

それで結局、ネットの情報やゲームにはまる、という選択もあります。



体調や、眼に見えない感情、ただのクセ、新しいことをするのは面倒くさい、
などなどがあなたの選択を規定して、そこに選択があることすら意識しない、
という場合が多いでしょう。



つまり、選択の基準は頭で考えるものではなく、もう全身に染み付いているも
のなのです。

それが自分だと思って、それから抜け出せないと思っているもの。

そのソフトを入れ替えないといけません。



ソフト全体の入れ替えなしに、よしやるぞ、とときどき発奮努力しても、どこ
かで挫折します。

つまずいてうまく行かなくなる。そうすると、どうせやってもムダだ、とさら
に失敗体験を重ねて、臆病におっくうになっていきます。



成長に努力は要らないのです。



成長という概念のいいところは、「自然」なところです。

家庭菜園をやったことがある人ならわかると思いますが、植物が成長するのに
努力はしていないのです。

ただただ生命力が自然に発露して成長していきます。

とくに育てようと思った植物ではなく、雑草を見ているとそのことがよくわか
ります。



おわかりでしょうか。

この成長塾では、自然の生命力を用います。

ほっといても成長するもの。

それを使っていきます。



ただ現代生活には、成長を阻害する要因がたくさんあります。

それを取り除いていきます。

エネルギーをインプットするのではなく、邪魔するものをどけます。



そして、本来の生命力を発露させ、意識的に成長をイメージし、フォローしま
す。



小学生が中学生になれば、解けなかった問題も解けます。

高校生になれば、それはすでに問題ですらなくなってしまいます。

大学生になれば、もっと自由に自分のテーマを追求できるでしょう。



そのようにして、選択の基準を変えて行きます。

あるいは、選択肢を見下ろせるような視点を持てるようにします。



みなさんは20歳前後から、なんとなく自分がもう完成してしまったようなイメ
ージで生きてきたのではないでしょうか。



そうだとすると、みなさんの「伸びしろ」はだいぶ使われないままに溜まって
います。



使われないで腐っていると、心や身体がいつもモヤモヤしているかもしれませ
ん。



その成長エネルギーを爆発的に解放します。

それが[大人の成長塾]です。



ご期待ください。





●終わりに



今回は可能性という切り口で一つのたとえ話をしましたが、成長概念の考察は
とても多面的で奥深いものです。

心だけでなく、身体の内的成長も含んでいたり。

たくさんのことをまだまだ語りたくてウズウズして仕方ないのですが、成長塾
本体のためにも書くエネルギーはとっておかなくてはなりません。

今回はこれくらいにしましょう。



最後に[大人のための成長塾]とはどんなものか、お話しましょう。



いちばんの柱は60通ほどのステップメールです。

ステップメールは、まず概念、それから方法論、ヒント、ミッション(課題)
などからなっています。メールによるコーチングです。



感想を書いたり、交流や質問のできる専用SNS。ここで質問したり、他の方の
応答を読むことで、理解が立体的多面的になり、いろいろな場面に応用して発
想できるようになります。



関連のワークショップやセミナーがスクーリングに当たります。これは大幅な
優待を考えています。ですから、参加するとすぐに元がとれてしまいます。



期間は1年間。



費用は年間1万円(税別)です。

月にすると800円強。タバコ2箱分。ケーキ2個分くらい。

それで日常にコーチングのメールが届く「ときめき」が手に入ります。

手に入る成長や充実は、あなたの可能性を爆発的に拡張するものですから、十
分値打ちがあると思っています。



コーチングの世界を見回すと、何万円から10万円以上のセミナーはざらにあり
ます。

正直[大人の成長塾]ももう少し高くてもいいかな、と思いましたが、多くの
人に参加していただける価格を選択しました。世の中の煮詰まり具合を見てい
ると、日本人全体がもっと成長しなければいけないと思っています。



内容は本格的です。



一人でも多くの方に「大人になってもこんなに成長できるんだ」と自分で驚い
ていただきたいのです。



ここまで読んで、ワクワクしてきた方、僕の仕事を信用して早くも「申し込み
たい!」という方には2割引の権利をプレゼントします。



年間10,000円のところが8,000円です(税別)。

11月いっぱいに申し込んでください。

お支払いは、開講の準備ができてから改めてご案内しますので、登録だけして
ください。



*

事前登録には、



お名前

住所

年齢

性別

職業

が必要です。



それから「成長」について読んで思ったことを書いてください。



個別にお返事はできないと思いますが、すべて読んで参考と準備の励みにさせ
ていただきます。



送り先は、↓専用アドレスにお願いします。

seicho@hiden.jp

タイトルは、[大人の成長塾 事前登録]としてください。




*

またご意見や質問は、それとは別に歓迎します。

有益な質問には、このメルマガでお答えすることがあると思います。

その場合は匿名にさせていただきます。
JUGEMテーマ:


[大人の成長塾] / comments(0) / trackbacks(0)