INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
まとめ・山を降りた人々

人を勧誘するという行為は何でしょうか。


宗教なりセミナーなりに入ったときに、自分が感動したり、教えを非常によいもの、尊いものだと思うことはあるでしょう。

しかし、それが外から見たら洗脳でしかないのです。


洗脳とは何か、ということを心という観点から見ますと、まず、人の中の価値観をシンプルで反駁が難しいものと入れ替えて焼き付けます。

「この世はすべて幻影である」というようなことでいいのです。

説明は繰り返しされますが、根本的な疑問は提出できません。

その世界ではそれが真実なのです。

人を狭い場所に閉じ込めて、回り中から繰り返しこういうことを言うと、そうかなあ、と思うようになります。


「この世はすべて幻影である」という考えを受け入れれば、それまでの価値観はどうでもいいものとなり、崩壊してしまいます。

一般的な現実感覚を失います。


洗脳はこのプロセスに脳内麻薬を出す仕組みを結びつければいいのです。

脳内麻薬は、一時的に混乱やパニックに陥っても出るし、苦痛によっても快感によっても出ます。

また自分は選ばれた人間だという優越感からも出ます。


ある種の言動に、ご褒美としての脳内麻薬をうまく結びつければ、人は動機づけられます。

猿にもある種のボタン操作をすればエサがもらえると条件づければ、喜んでボタンを押します。

それと同様に人は脳内麻薬ほしさにボタンを押し続けます。


だから、宗教の勧誘をする人は目がキラキラしていることがあります。

それを本当にいきいきとしているのと混同してはいけません。

こういう状態になると、洗脳はなかなか解けないでしょう。

しばらく隔離して、根気よく脳内麻薬との関連づけを解除するしかないでしょう。


こういう偏った価値観を押し付けられるのはたいへん迷惑です。

しかし、こちらが迷惑しても、勧誘する側は善を施そうとしているわけです。

そして、それを受け入れないのは、頑迷であったり、マスコミに洗脳されていたり、悪魔に見入られていたり、と、こちらのほうが悪いことになってしまいます。


そういう間違った優越感は不愉快なので、反発しようとすると、向こうのマニュアルにはまってしまうのです。


いくらキャンペーンをしても振り込め詐欺がなくならないように、こういうセミナーや宗教にひっかかる人はなくならないでしょう。


理解してほしいことで、とても単純なことは、真理を求めるということと、それを人に広めることは違うということです。


たとえば、絵を描く人がいるとしますと、純粋に絵を描くのを楽しむ心と、それを人に売って暮らそう、という心は違うものだということです。

絵がうまくなる、よくなる、というのは無限の道のりです。

そこで、この絵はどうしたら売れるかな、と考えるのは邪念でしかありません。


真理も同様です。人が真理を極めようという努力は、ここで十分ということがありません。


ニーチェの描くツァラトゥストラは、山に籠って瞑想していましたが、ある日、自分の中で溢れかえってくるものを恩恵として人々に分け与えようとして山を降りてきます(という要約でいいと思うのですけれども)。


それを読んで以来、なにか悟ったようなことをいう人は、私にとって「山を降りてしまった人」になりました。

ああ、この人はもう山を降りてしまったんだ……

主にテレピに出るタレント学者みたいな人を見ると感じるのですけれども。

研究という聖域から俗世間に降りてきた器用な人たち。


山にいれば、聖人であり、修行者ですけれども、山を降りてしまえば俗人です。

そして、山で学んだことを高く売りつければ山師です。


山にいて真理を求め続けることは誰も利さない行為です。

しかし、十分に機が熟さないうちに、半端な知識を売りに山から降りてきたらただの商売人です。

どれくらいのものを持ったところで降りてきてしまうかで、器や志が見えてしまいます。


修行を済ませて本当に豊かさを分け与えようと降りてくる人は少ない。


あらゆる教祖というものは、中途で山を降りてきた人たちだと思えば間違いないのです。


そういう人の弟子が何かを押し売りしようとしたら、それはもう食わせ者です。

組織拡大や、売り上げやお布施をあげようとしたら、いくら立派なことを言ってもダメです。


私の『達磨』という小説は、9年間、山を降りなかったどころか、洞窟内で面壁して、一歩も外に出なかった人の話です。

9年というのは、30歳からであれは、39歳までの時間です。

長い。

9という数字は一つの永遠の象徴なのです。

山から降りて来ない人、としての達磨を描いたのです。


人のことをあげつらいましたが、ちなみに私自身は、山のふもとに住む俗人です。山もいいけど、里もいい。そういう隠遁者のようなもので、悟りをひらくほど修行もしたくないのです。


この世では、山から降りてきた人たちがさまざまな教義を売りつけようとてぐすねを引いています。


こういう被害を予防するには、とりあえず、単純な原則を知っておけばいいのです。


よいものは向こうから来ない、ということです。


電話セールスや、訪問販売にはロクなものがないでしょう。

商品性が優れていれば、押し売りのような無理な商売はしません。

本当に必要なものは人は探してでも手に入れるのです。


向こうから働きかけてきたものはすべて危ない、そう思っていれば、いちばん間違いがありません。



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最近びっくりした話 6

 「そういうえば、創始者の人も何かそんなタンクに入ってシステムを考えたとか……」

彼女はそう言いました。


何か特殊で神秘的なタンクの中でソレの啓示を受けたというような話を聞いたのでしょう。

それはアイソレーションタンクに違いありません。

それ見ろ、と私は思いました。

彼女のように末端に組み込まれただけの人が知らないような、精神世界の幅と奥行きを私は何十年も(たいして熱心な探求者ではありませんが期間にすれば30年くらい)観察したり体験しているんだ、と言いたくなりました。


彼女はちょっと考えているようでしたが、さほどそんなことで感心はしない、という態度でした。

タンクが日本にあるということも教えたのですが、自分も体験してみたい、という反応も示しませんでした。

考えているのは勧誘のことだけなのかもしれません。


ここに至って、私はすっかり彼女に関する興味を失ってしまいました。


どう揺さぶっても、個人的な興味や反応を喚起できないからです。

彼女の中に変化する動機がないのだから仕方ありません。

簡単な言葉で言い捨ててしまえば、洗脳されているのです。


彼女のほうも私が全く勧誘に乗る気がない、ということがわかったようで、会見は終わりに近づいていました。30分にも満たない時間だったと思います。


帰り際に彼女は聞きました。

「心理研究会のほうはやっぱり出たらまずいですよね?」


「へ……?!」

まだそんな気があったの。「でてもいいよ」

参加したい人なら誰でも歓迎だから……って……


……。


念のため、

「宣伝や勧誘目的だったら困るけどね」

そう付け加えると彼女はがっくりと肩を落とし、

「そうですか……」


なんだ、まだ勧誘するつもりだったんだ……。

読めども読まず、聞けども聞かず……。


私はすっかり平穏な空気をかき乱されてしまいましたが、自分に起こることはすべて神様からのメッセージなのだ、とスピリチュアルの流儀で考えることにしました。

このできごとにどのような気づきのタネが含まれているのか、ちっともわかりませんが、少なくとも6回分のブログのネタにはなったわけです! 


**

X JAPANのTOSHIも自己啓発セミナー団体に入って、12年間も収入を吸い上げられていたのですね。

タイムリーにこんなニュースがありました。


http://www.narinari.com/Nd/20100112920.html


ニュースがらみで検索していたら、こんなページを見つけました。


自己啓発セミナー対策ガイド

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/5851/seminar01.htm


こんな掲示板もあります。

http://otd8.jbbs.livedoor.jp/SeminarFAQ/bbs_thread?range=100


この掲示板には、彼女が入っていたソレの名前もありました。


このように概観すると、一言、洗脳という概念で終わってしまいますが、ある意味、貴重な体験でした。


一度でいいけどね。


皆さんもひっかかりませんように。


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最近びっくりした話 5
 私は話を少し転換しました。


私はあなたより、ずっといろいろなことを見ているし、知っているし、その中で自分で選択しているのである。

実際に自分から選択したものについては、実際に行動したり体験したりしている。

あなたの持ってきたものはそれに値しないと感じるし、いいものはそもそも押し売りに来ない。


そういうロジックで話したけれども、そういう都合の悪い話には、もちろん彼女はほとんど反応しません。


ただ一点、アイソレーションタンクについて話したときにかすかに反応しました。


こういうものです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アイソレーション・タンク


日本ではここにあります。

http://www.eccoproject.com/shell/healing.html



サイトを見ると相当怪しいと思われるかもしれませんが、オーナーの宮部さんは開発者ジョン・C・リリー本人にも直接会ったことがある面白い人です。ジョン・C・リリーが何者かというと、また話が長いので細かいことはやめときます。アメリカのスピリチュアル系の元祖のような人ですが、今のようなビジネス化したスピリチュアルではありません。もっとピュアでオリジナルで、自由で実験的、冒険的な精神を持った人です。

ある種マッドサイエンティストに近いとも言えます。

怪しいといえば、そうとう怪しいのですが、新しいことをしようと思ったら、怪しいことに片足を踏み込まないわけにはいかないのです。


宮部さんは行くとスパゲティやワインなどを振る舞ってくれて、あれこれと話をして、仲よくなりました。

このアイソレーションタンク、面白がって50回以上入りました。一時期はオーナーの宮部さんに次いで、日本で二番目にタンクに入った人に認定されました。

しかし、やがて熱心な人に抜かれ、お客さんが多くなって、最初の頃のように呑気にあれこれ話す感じではなくなったので、足が遠のきました。

もともと「こういう変なものは応援しよう」という気があったので、流行ってくればもう応援しなくてもいいや、というニュアンスもあったのです。


タンクに入って何かすごい体験があったかと聞かれると、人に言って面白いようなことはあまりありません。

音のない暗闇の中で眠っているのか起きているのかのボーダーラインのような時間がずっとあった、という感じです(この時間はじつは創造的な時間です。だからといって特別なことを思いついたりはしなかったですけれどもね)。

かなりの回数行ったということは何か無意識が喜ぶものがあった、ということだと思います。


およそ、宗教や芸術や哲学というのは、当面何の役にも立たないのが上品であり、本物なのです。

無用の用、虚無への供物、役に立たなければ立たないほど純度が高いものです。

人はそのような無意味に向かって自分のエネルギーを働かせるときに、ふだんと違うエネルギーの世界に入ります。

行動がいつも対価や結果を求めている限り、悟りに近づいてるつもりで実際は遠ざかっていくのです。

僧や修行者が一生かかっても至らないかもしれない悟りというものに、2〜3週間の期間や、100万ぽっちの金(大金ですが)でお手軽に至れると思うのはとても下品な勘違いです。

一年で元金が2倍になるという投資話があったら冷静な人なら誰でも詐欺だと思うでしょう。

それと同じくらいケチ臭いダマシです。

(そんなお金があったら、私のセッションや心理研究会に来てください!)


……というお説教は彼女にはしなかったのですが(たぶん理解しないと思います)、タンクについては彼女はかすかに反応したのです。


(つづく ……次くらいで終わるかな)




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洗脳とかは特にありません!(笑)

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最近びっくりした話 4
 私は私の意見を述べました。


「あなたにとってはソレは特別かもしれないけれども、僕(ここの文章では私で書いてますが、日常は僕だったりオレだったりします)はそういうセミナーたくさん知っているから、特別でもなんでもない。その中の一つでしかないんだよ」

「……」

「日本で流行しているスピリチュアリズムというのは、ほとんどアメリカから来ているのね。もともと神秘主義やオカルティズムの伝統はヨーロッパのものだったのだけれども、アメリカで俗流心理学やエンカウンターグループなんかと結びついて、プラグマティックなスピリチュアリズムが生まれたんだ。僕はそういうアメリカ経由のもの、嫌いなんだ」

「つまりアメリカが嫌いなんですね?」

(嫌いだというと、反応してきました。そこにこだわりがある、と言われそうなので、警戒して)

「……そういうのがたくさんあるんだよ。アムウェイもアメリカでしょう? アムウェイと同じなんだ。アムウェイは石鹸やその他のものを売る。あなたたちは考え方やセミナーを売る。その違いだけ」

「……」

「アムウェイの石鹸だって、じつはすごくいい石鹸だともいうよね。だけれども、僕は買いたいとも試してみようとは思わない。だいたい向こうからくるものにロクなものはない」


こういう部分には何の反論はありませんでした。たぶんマニュアルに書いてないからでしょう。

反応するところは決まっていて、それ以外の部分には無反応です。

こちらの矛盾やこだわりをついて来ようとしているのです。

自分の反応できるパターンを探しているだけで、ほとんど聞いていないと言っていいでしょう。

彼女のオリジナルな意見や反応は返って来ないのです。

彼女は自分がセールスをしているということにもひょっとしたら気づいていないのかもしれません。

セールスではなく、すばらしいモノを「シェアしている」という意識だから、じつにのびのびとしているのでしょう。

しかし、これはまぎれもなく、セールスであり、営業活動です。

自分がセミナーに行くというのは、いわば仕入れです。彼女は高いお金とエネルギーを使ってソレを手に入れた。

今度は彼女がソレを売る番なのです。


日本のスピリチュアリズムは、アメリカ人が考えたソレとマニュアルで成り立っています(もちろん直接ヨーロッパ・ルーツのものもありますが)。ソレを買った人間が次々に商売をしていくという点でネズミ講や家元制度に似ているのです。

だから、売る人間にはオリジナリティは要らないのです。

誰かが発見した真理をシェアしていけばいいのです。


だから、ファーストフードの運営についてアルバイトの店員に文句を言っても仕方ないのと同じで、マニュアルを取り払ってしまうと、自分の判断も考えもない、まことに空疎な存在なのです。


そういう構造自体が私は好きではありません。

ソレが真理であるはずがないからです。

私にとって、真理というのは、一種の真空ゾーンであって人が居られる場所ではないのです。

真理というのは100パーセントのもので、0,000001パーセントでも不純であったら違うのです。

誰かが発明して簡単にシェアできる真理なんてありません。

だから、勢いこういう営業に使われるソレは「真理に似たもの」になります。

似て非なる、つまりエセ真理です。


エセ真理のいいところも悪いところも人生が単純になることです。

人生というのはほうっておくとどんどん価値が複線化していって、収拾がつかなくなるものです。

それを一元化すれば、エネルギーを一つの回路で流すことができるから、一見強くなるのです。

「世の中金だ」と、金に一元化すれば、人がやりたくないことも平気でできるようになります。金もほしいけれども、人を押しのけたり傷つけたりはしたくない、という人よりはずっと明確な行動がとれます。


そういう生き方で一生矛盾を感じないならば、それはある種の幸せかもしれません。

しかし、矛盾というのものは目に見えない世界でたまっていくもので、いつか押しのけていたものが突然襲いかかってきます。

そのときに、それはいつも視野の外に押しやっていたものなので、恐ろしい怪物のように見えます。

それが無意識の世界の一つの現れです。

去年映画にもなった『クリスマスキャロル』は全くそういう物語です。


しかし、そういうトリックの中にある人には何を言っても通じません。


私は別の話をすることにしました。


(つづく)


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最近びっくりした話 3
 
私が困ったような、不愉快なような顔をしていると、彼女は正確な言葉は覚えていませんが、「私に対して何かわだかまりがありますか?」というようなことを余裕を見せて聞いてきました。

私が何かにこだわっていて、彼女は自由である、という対比に持ち込もうとしているように感じました。

それはたしかに存在が不快なのですけど。

セールスで押し掛けてきたほうが自由闊達にしているというのは、困ったものです。


こういう場合、論破してやろうとか、敵意を感じたりするとますますこだわったことになって術中にはまってしまうのです。

それは相手が習熟しているゲームです。

それからは逸脱しないといけません。

スポーツでもルール、レギュレーションを変えると、ある選手にとって有利になったり不利になったりします。

それと同じで、相手のペースにはさせたくないのです。

別に勝ち負けではありませんが、こちらが嫌な気持ちになって、向こうだけいい気持ちで帰られるのは癪なので、用心して話しました。

「いや、メールのやりとりでこういう話だとは思っていなかったので、どうしたものかと困っているんだ」と正直なことを言いました。

私には彼女を論破してやろうとか、改心させてやろうとかいう意志はありません。

ただ、いろいろつついて観察しようというやや意地悪な気持ちなのですから、自由性が高いのです。


てっとり早く「教義」を知りたいと思い、彼女の持ってきた本をぱらぱらとめくりますが、ごちゃごちゃといろいろ書いてあって、一目では容易に読み取れないようになっています。

そのうちの一冊は、何やら質問に答えていくスタイルのテキストになっています。

自己診断テストや占いのようなものは、いまたいへん人気がありますね。

みんな自分が誰だか知りたくて仕方がないようです。

自分で自分が誰だかわからないからでしょう。

私もヒマだったら設問に答えてしまうかもしれません。


3つの点を感じました。


*そういう「自分を知りたい」人々の興味をそそる入り口であること。


*厚い本で、それなりの量の設問に答えるようになっているので、この入り口を入ってしまうと、それなりのエネルギーを投資することになります。そうなると、さらに奥まで知ってみたい、ということになるでしょう。そして、設問に答えれば、さまざまな勧誘の手がかりを相手に与えることになります。


*そして、私のような批判的な野次馬には簡単に内奥がわからないようにしてあることです。


私はこのように記述や会話で進めていくセミナーかと思いましたが、彼女は後に「体験を通じて学ぶ」といいました。

このテキストは入り口にすぎないようです。

それは、何かの反論として言ったのです。セミナーの内容については、全く言及されず、手がかりはありませんでした。しかし、まあいわゆる自己開発セミナーの一種でしょう。


全く知らない読者がいるといけません。

自己開発セミナーについて書いておきましょう。


手元に『人格改造』(JICCブックレット)という冊子があります。これは、某セミナーの受講者が、内容は一切もらさないという約束を破って、体験内容を克明に全部書いてしまったという貴重で興味深い冊子です。

1990年の出版物ですから、たぶん日本でこの種のセミナーが最も隆盛であったのは、1980年代後半くらいなのかもしれません。

セミナーでは何をするかというと、まず参加者が一つの閉じられた場所に集められて、さまざまな心理的ゲームをするのです。それ自体はなかなか興味深く、よくできています。

私たちもふだん人付き合いをしていますが、それを知らない他人同士が、一つのゲームとして、純粋にかなり踏み込んだ形でやっていくのです。そうすると、私たちの生きる日常よりも、自分は誰だろう?ということに関する興味深い事柄がある部分浮かび上がっていくのです。

そして、さまざまなゲームを通して既成概念を壊していくわけですが、最終的には参加者の人格まで否定してしまうというのがキモです。

一人の参加者の周りに人が集まって、その人の欠点を言い立てる、というようなことが後半部分に仕込まれているのです。

「お高くとまっている」とか、「人と目を合わさない」「壁を感じる」というようなことを取り囲まれて口々に言われるわけです。

ふだんの生活であれば、いくらでも逃げ場がありますが、閉鎖された環境の中でゲームとしてやっているから逃げ場がないのです。いちばん聞きたくないことを逃げ場のないところで30分も一時間もさんざんに言われてボロボロになるわけです。

これをされてしまえば、後は何も怖くない。これをされると、ある意味ではこだわりというものが破壊されてなくなるわけです。


そうして壊したところに、今度は周囲がその人を受容するゲームがあります。

さんざんに壊されて、ぽろぽろに泣いているところを今度は抱きとめられて、新しく生まれ変わるわけです。

そして、仲間たちも新しく生まれ変わった彼、彼女を泣きながらいたわり、祝福し、強い仲間意識と感動が生まれるわけです。

そうしながら、処世の単純明快な概念をインプットするのです。


この壊して、また受け入れるという過程で、心の中にものすごいドラマがうまれるわけです。

一種の通過儀礼とも言えるし、実際に生まれ変わったような感動はあるのでしょう。

そして、最後のゲームのミッションは新しい参加者を連れてくることです。

こだわりがなくなった彼(彼女)には、人を勧誘することにも少しもためらいや疑いがないのです。

そうして、参加者がまた参加者を連れてくるという形で、一時期密かに流行ったのです。

宗教の布教に似ています。


ひょっとしたら、今もそういうものが形を変えて脈々と流行っているかもしれませんね。


人の命や、健康、人生、幸福というものは、価値を測ろうとすれば無限大の価値ということになるでしょう。

命を失ったら、何億円もらっても意味がありません。

そういうものだから、それまで心が重かったものが生まれ変わったようになって、積極的な人生を生きられれば、その価値はお金では測れません。


……という理屈で、参加費が何十万にもなるわけです。


反感を持つ人は、「えー、洗脳じゃないのー?」と思うでしょう。

しかし、それで、参加者が満足であれば、ことさら外から非難しても仕方ないことです。

しかし、自分の近しい人がやろうと思っていたら私は止めるでしょうね。

もっと日常の中で学べることだし、こういう人たちの解放はある限られたゲームの中で成立したことです。

本人は解放されたと思っていても、ゲームの中の世界でしか通じないトリックかもしれません。


……というわけで、自己開発セミナーと彼女のソレを同列に語ってしまいましたが、どのような差異があるかは、中身が明かされない以上わからないのです。

しかし、基本は同じではないかと私は推測しているわけです。


バリエーションでいえば、かつてサラリーマン向けに「地獄の特訓」というメソッドもありました。これは、ニセの地図を渡して山を歩かせたりするという強烈なものです。遭難死するほどの山ではなくハイキングコース程度のものでしょうが、一人で地図を頼りに歩いていくと完全に道に迷ってしまうというものです。わざとパニックに陥らせて壊す、という意味では同じです。

もっとも、この特訓はダメ社員を辞めさせるために使われていたとも言われます。

乗り越えればそれもよし、嫌になって逃げ出せば自動的にクビというわけです。

(検索すると今も地獄の特訓、いろいろありますね)。


とにかく体験もののセミナーに行ったら一回壊されると思っていたほうがいいのです。


……そういうわけで、目の前の彼女はこだわりを捨てて生まれ変わった自分に自信を持っています。

ソレによって救われたし、もう転生しなくていいレベルまで来た、という意味のことをちらりと言いました。

解説しますと、この場合、転生するというのは、まだこの地上で修行することがある、ということです。

つまり、転生しないというのは、解脱した、悟った、と翻訳していいようなことを言ったのです。

本人がそういう以上、否定はしませんけどね。


それで、ちと私の意見を話してみました。


(またもつづく)





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↑相変わらず不調。ブラウザ変わったせいかな?

本日心理研究会です。
次回は1月27日です。

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最近びっくりした話2
  私は、困惑していました。

たいへん微妙な心理的状況にあったといっていいのです。


私はこうして毎日ブログにオリジナルな自分の考えを紡いでいるのに、なぜお仕着せのスピリチュアルセミナーを受けた人に何かをシェアされないといけないのか……。

この人は私をバカにしているのか?

いや、最初ボソボソと「ブログは全部は読んでいないのですけど……」ということをいっていた。

きっとほとんど実質的には読んでいないに違いない。

読んでいれば来ないはずだ……。

(まあ、この記事もきっと読んでいないだろうと思って書いているわけです。嘘を書くつもりはないので読んでもかまわないけど)


私の書いたものを読んでいるか、読んでいないかというのはたいへん重要なのです。

というのは、言葉はオーラというか、バリアーのようなものなのです。

つまり、異物の侵入をプロテクトする層なのです。

(だから、みなさんも言葉は大切に使いましょう


私が書いたものを読んで、なおかつ、つきあってくれる人、寄ってきてくれる人というのは、私のことをある程度理解している人であったり、共鳴してくれている人であります。

だから、お互いに相手は何者だ、と警戒して探り合う時間が要りません。

すぐに本質的な話ができます。

私が書いたものという層を通ってきた人と会うと、考えや感覚が違いすぎる人とは会わなくていいので、とても快適なのです。

ところが、彼女はそういうバリアーを突然すり抜けてきた異物であったわけです。


私の気分の一部は、あきらかに怒りであったわけですが、それは23パーセントくらいです。

残りの6割くらいは、ハッカーに自慢のセキュリティーを簡単に破られてしまったSEが陥るような困惑でした(たぶんね)。


なんでこの人はここにいるのだろう?

メールで「ソレではないよね?」と確認したつもりだったのですが、私のソレと彼女のソレは全然、別のソレだったのです。

私にとっては、営業、布教でしかないものが、彼女にとっては、紹介、シェア、だったのです。


彼女のもってきたパンフレットをみると、いちばん初期の短いセミナーが3万円くらい。

それから30万円〜。さらに上。


後でサイトでコースの料金を確認すると。彼女はこのセミナーに100万円くらい払っているはず。


そういうものを心理研究会で宣伝したい、というのはどういう感覚なの? と唖然とした部分もあります。

世間的にいうとかなり常識はずれです。

でも、私は非常識には比較的寛容なのです。

常識はずれのことを言われても、自分がズレているのか、相手かズレているのか、しばらくじっと考えてみたりします。

常識は、世間の都合という素材を組み合わせてできた家のようなものです。

精神とか、宗教とか、芸術とか、セックスとか、違う純粋な原理のベクトルに入ってしまうと、何の力も持たなくなります。

私も半分そういう非常識の世界の住人なので、事態を少しおもしろがっているのです。


非常識だと怒って追い返すこともできたけれども、せっかくの観察の機会です。

私は彼女と話してみることにしました。


つづく


続く**



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↑なんかリンク設定の調子がおかしいのです。

 

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絵は新しいバソコンになって、取り込みがうまくできないので、バソコンの中にデータがある別のシリーズ。

これは、橘川幸夫さんの

『ホントに欲しいものを、言ってみな』

http://www.amazon.co.jp/ホントに欲しいものを、言ってみな-深呼吸和歌集-きつかわゆきお/dp/4930774365


という本の挿画として描いたものです。

橘川さんとは、

『微力の力』

http://www.amazon.co.jp/微力の力-おバカな21世紀、精神のサバイバル-橘川-幸夫-村松/dp/4757737564/ref=pd_cp_b_2


という哲学的?対談集もいっしょに出しています。

よかったら読んでみてください。



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最近びっくりした話

>ついに宗教方面に突入ですね!面白いです!

ところで、カルトには想定問答集があるとのことですが

一般的な老舗宗教はどうなのでしょうか。

はたから見ているぶんにはあまり変わりがないように思えますが。


先日、こんなコメントいただきましたので、そっち方面に話がいくかどうか始めてみましょう。

すぐに始めないのは、それに関連したことで、最近いちばんびっくりした体験の話を書いてみたいからです。


それは、心理研究会のメンバーが集まり始めた去年の暮れのことでありました。

マイミクの女性から「心理研究会に参加したい。それから、ぜひその前にお会いしてお話したいことがある」というメールが来たのです。

マイミクは会ったことがある人限定ですが、この女性とはどこで会ったか覚えていませんでした。


しかし、私の秘伝メルマガの愛読者であると書いてあり、「心が大事」を読んで、心理研究会に参加するというのだから、たぶん感受性の豊かな賢い女性に違いありません。


ただ一つだけ、心配なことがあって、彼女はミクシィのトップに、さるスピリチュアル的な何やらの指導者クラスであるというようなことを書いているのです。

だから、「まさかソレではないですよね?」と直接は書かないけれども、そういう意味のことを確認してメールを送ったら、「ソレではないです」的なメールが返ってきました。


しかし……。


来てみたらまさにソレだったのには、びっくりしました。


心理研究会に参加したい、というのも、ソレの布教というか、営業というかが目的だというのです。

彼女の言葉でいうと、シェア、なのでしょう。

はぁぁ。


これはどういうふうに捉えたらいいのだろう、と私は呆然としてしまいました。



続く**


今回はちょっといいところで文章を切ってみました♪
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