2010.01.06 Wednesday 14:40
ちと、進行中の本題からズレて、インターバルでリンクしておきます。
「うつ百万人」陰に新薬?販売高と患者数比例
こういう記事の読み方が大切です。
私の目的の基本部分は、心という姿カタチのないものを共通の実体として扱えるように言葉の体系を整えることです。
だから、うつ病という見えにくい病気を否定する気はありません。
しかし、うつというのは、一面においてレッテルだということは見ないといけません。
夏目漱石もうつであったと言われます。
しかし、もともと鬱というのは、心の状態であって、病気とは認識されませんでした。
「憂鬱」である、という心の状態としてとらえられていました。
病気と認識されないことで、「怠け病」とかいわれた時代は大して前ではありません。
およそ30年前に私の友人にそのことで苦しんだ体験を聞きましたが、当時はピンと来ませんでした。
というわけで、当時は無理解がありましたが、今は病気という認識が進んで今度は腫れ物に触るようなことになっているのではないでしょうか。
どちらかの極端が正しいのではなくて、やはり思いやりのある人と人との関係の中で、ちょうどよい対応をすべきでしょう。
しかし、やはり見えない病気だから難しいのでしょう。
さて、心が重く苦しい、やる気がでない、という事態の原因は、仕事や家族などの人間関係や、本人の生きてきた経験や考え方、生活習慣などがあり、最後に心そのものの状態に現れるものでしょう。
それらの層が相互に関連しているものを、お医者にいくと「うつ」とレッテルをぺたっと貼って、薬を出してくれるわけです。
したがって、それ以外の要素はすべて捨て去って、人の体内で分泌される成分を化学的に絞り出して神経作用に干渉するという形ですべてをおさめるわけです。
これは解決のようで何の解決でもありませんが、とりあえず、お医者という専門家に委ねることで、一つの形を作り出せるわけです。
そうして「うつ」というレッテルがつきますと、家族、会社などにも一つの短い言葉で自分のことを説明できるようになります。
いわば、その状態が個人の苦しみから社会化されたものになるわけです。
そして、投薬を受けているということで、対策も打っていると言えるわけです。
お医者さんも商売ですから、お客さんがくれば、少なくとも「軽度のうつです」くらいのことはいうわけで、薬なども喜んで出してくれます。
こうなると、本人の中でも「うつ」というレッテルがつきます。
さまざまな要因からうつになったのですが、医者の診断がつくと、「うつ」は結果ではなく、原因となるのです。
「うつだから無理」とか、うつである自分から物事を発想するようになります。
医者が認定する前と後では、自己認識が変わってしまうのです。
健康な人がたまたま状態が悪いのではなく、回復の難しい病人として発想し始めるようになるのです。
この前後のプロセスは、心にとってとても重要なのですけれども、あまり書くと「苦しみがわかっていない」と言う人がいるかもしれません。
この世界について書くことは難しいです。
だから、今日はこれくらいにしておきましょう。
私の立場は、「うつの薬はえんえんと飲み続けるものではない」ということです。
一時の避難として処方することがよい可能性はあると思います。
しかし、周囲を見ていると、一度処方されてしまった人はほとんどやめていないのです。
この引用記事はYOMIURI ONLINEの記事です。
新聞は製薬会社から広告をもらっているので、基本的に薬の批判はしません。
このように記事の形で現れるのは、水面下では相当な事態が起きているからに他なりません。
そういうわけでリンクしておくのです。
抗うつ剤の歴史について知りたいと思ったら以下のブログに当たりました。
参考になるかと思います。
抗うつ剤の歴史とその功罪について
ご本人はお医者さんのようなので、抗うつ剤について条件つきで肯定的です。
しかし、その条件が満たされるのがいかに難しいことか。
冷静な説明ですので、私が読むと、なんて曖昧なものを人は飲まされていることか、と思います。
それから、薬品を扱うと、論点がつねに副作用という限定的な「問題」に絞り込まれてしまいますが、人の心を薬剤でコントロールしようという発想自体が不自然だという観点を忘れてはいけません。
(リンクだけのつもりが説明が長くなりましたぁ…)
神経は心にあらず。
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