INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
「コロナの世界から何を学ぶか」真理について
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 ┃文章×表現《秘伝スクール》 第14号(通算289号)
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 ┃  「コロナの世界から何を学ぶか」
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●みなさまごぶさたしています。だいぶ発行間隔があいてしまいました。
[ZONE22]の情報論を書こうとして、何週間も書きあぐねていました。
壮大なテーマで、しかも細部がややこしい。筆が進みません。

今回、この原稿は宿題にして、短いメルマガをお送りします。
コロナという現象とはいったい何か? について書いています。
そして「真理」というものについて。
重苦しい状況が続きますが、少し違う観点を提供できればと思います。



******「コロナの世界から何を学ぶか」*******

「群盲、象を撫でる」という格言がある。
この格言は差別語狩り、差別に人々が敏感になって以降、だんだん使われなく
なっているだろう。日本ではやがてこの言葉の存在を忘れていくのではないだ
ろうか。

ところが私はこの言葉が大好きで、深いと思っている。
だから必要な場面では使っている。

この格言は歴史的にも地理的にも、広がりがあるようだ。
歴史的淵源は古過ぎてわからないが、ペルシャの昔話にあると聞いたことがあ
る。
あるいはイスラム秘教スーフィと関係があっても不思議ではない。
たいへん由緒ある格言である。

知らない人のために解説すると、たくさんの盲人が象を撫でて、足を撫でた人
は「柱のようだった」、耳を撫でた人は「扇のようだった」、尻尾を撫でた人
は「紐のようだった」、胴体を撫でた人は「壁のようだった」とバラバラのこ
とを言うという格言である。

では、象の全体像はどこにあるのだ?

彼らの言うことをまとめても、まるで象という全体が浮かんでこない。
この格言は「真理」についての知恵なのである。
人が「真理はこうだ」と語るとき、つねにある断片を語っている。
自分が手探りして得た部分的な認識がすべてだと思い込む。
そこに執着するなら、むしろ真理からは遠くなる。
そういう教えをたいへんわかりやすい喩えで表したものだ。

では、真理をつかむにはどうすればいいか。

まず謙虚でなければならない。
真理とは本質的に人には知り得ないものである、という謙虚さだ。
そして、自分が知り得たものは、部分に過ぎないと知れば、全体に対する畏敬
が生まれる。
その中で人の言葉にも耳を傾けることができる。
「柱のようだった」と体験した人も、「扇のようだった」という人の言葉に耳
を傾けることができる。
そして、自分の期待、利害や思惑、思い込みなどから自由な人だけが、少しだ
け全体像に近づける。

*

これを現在のコロナの状況に当てはめてみる。
コロナがどんなウィルス、どんな病気、どんな現象であるか。
これが象である。
みんな口々に「コロナはこうだ!」と口にしている。
しかし、多くの人にとって、どれを取り上げても納得できる全体像にはならな
い。

「象は柱のようなものだ」と決めつけてしまう人もいるだろう。「コロナは風
邪のようなものだ」、「コロナは陰謀だ」それで生き方ははっきりして簡単に
なるが、真理に近いかどうかはわからない。
もともと世界は人にとって、わけのわからないものだったのである。わからな
いものは怖い。

そういう怖いものと向き合う恐怖から、人はおまじない、迷信や、宗教などを
作った。そこに法則的なもの見出し、「未知のもの」を「既知のもの」、「扱
い方を知っていれば怖くないもの」に変換しようとしてきたのである。
そういうおまじないの集大成が科学や医学、さまざまな学問である。

それらは、全ての自然現象を自らのマトリックスの中に取り込んで、「我々は
すべてを知っている。対処できる。未知の部分はわずかでそれを全て征服する
日も近い!」と叫び続けてきたのである。

しかし、医学がすべての病気・症状を治したことは一度もない。
経済学が何かを予見して経済を救ったことは一度もない。
気象学も地質学も台風や地震の被害を軽減することはない。
すべてのおまじないの網目の隙間から、「未知のもの」「制御できないもの」
が顔を出す。

これこそ、人にとっての本来の怖い「世界」である。
それが怖いから世間の人は、学問の権威にすがる。
彼らの後ろにつけば、「未知のもの」に自分自身が出会わなくて済むからだ。
しかし、これから未知のものが台頭してくる。
その名は「自然」である。

当たり前のことをいうが、人類は自然を征服などしていない。しかし、なんと
なく「だいぶいい線行っている」と思っていただろう。
その隙間からいろいろなものがでてくる。

過剰に怖れる必要はない。
人も自然に属している。

そのことを思い出すのだ。



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 文章×表現《秘伝スクール》 第14号(通算289号) 2020/07/21 発行
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1月の領収書

JUGEMテーマ:




領収書をもらう。
来年2月の確定申告のために。

なんとイヤなこと。

心はいまここにある。
しかし、領収書が役にたつのは、来年の2月。

遅延。
魂から遠いことを平然と押し付けてくるシステムが国家。

いらん書類を作らせて、肝心の書類は廃棄。
書類の王はクソ野郎だ。

税金を払うよりましだから、私は領収書をもらう。


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あけましておめでとうございます と、宿題
ぼちぼちしか更新できませんが、本年もよろしく。

*
では、新年の宿題。

心というのは、不思議なものです。
以下の問いにお答えください。


*

問い
「あなたの心」はあなたの思い通りになりますか?
悲しみや怒りや不安が心を支配して、自分でもどうにもとめられないことがあるでしょう?

その場合、「あなた」と「心」は別のものですね。
では「心」ではない「あなた」とは誰でしょう?
あなたの思い通りにならない「心」はあなたの所有物ではありませんね。
では、「あなた」と「心」の関係はどうなっているでしょう?



*
とても素朴な質問ですが、これにきちんと答えられる人は少ないのです。

答えられない人は、「自分は心について知らない」という素朴なことに気づいてください。
言葉と心 / comments(42) / trackbacks(0)
意見と思考停止
 既存のコードやモードに乗るというのは、一種の思考停止である、ということを前回書いた。たとえば、政権末期の鳩山首相を批判するのは、誰にでも、それこそ、中学生くらいの知識や経験があればできた。


批判するためのキーワードはそこらへんに転がっていたからだ。

モードに乗った意見というものは、一見立派に見えるけれども、大したものではない。


死刑制度や原発に対する賛成反対も、最近流行の嫌韓国、兼中国のような主張も、そのモードに入って丸一日もネットを検索すれば、いっばしの小イデオローグになれないこともない。

モードというのは、ファッションの用語でもあります。

最新のモードを身につければ、おしゃれになる。

それと同様に左翼のモードも、右翼のモードも、エコロジーのモードもある。

つまり、蓑虫が蓑をまとうように、人はさまざまなモードをまとうのです。


人が何かを「考えている」というのは、この「モードに入っている」ことを指すことが多い。

数学であれは、数学のモードに入れば、全員が同じコードで考えるから、同じ結論が出る。

しかし、ある政策の是非とか、抽象的な事柄、さまざまにコードの拾いようがあるものは、議論というの別々のモードで進行するから一つの正しい結論に収束するのが難しい。

したがって、おおむね同じモードの人が同意しあうか、異なるモードの人が不毛な論争をするかどちらかしかおおむね起きない。


そういう前提で、意味のある言論とは何なのか、ということを改めて考えなければならない。

考えなければならない、という一連の中の「考え」という言葉についても考えなければならない♪

最初にモードに乗ることは思考停止である、と書いたけれども、思考することがいいことなのかどうかも考えなければならない♪


と、考えることについて考える、ということを始めると、とんでもなくややこしいメタ考え、というものなる。

……という収拾のつかないところで、今日はおしまい。

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現代の呪文
 JUGEMテーマ:

手の小指をぐっと曲げてみてください。たいていの人は、薬指も連動して折れてしまいます。このように連動してしまうことは、バラバラに動くよりも「自由性が低い」状態であると言えます。

「成績が悪いから生きる値打ちがない(あるいは低い)」と考えるのも一つの連動です。
本来、成績と生きる値打ちはほとんど関係がありません。
しかし、自分で「成績が悪い」→「生きる値打ちがない」という言葉の因果関係を作り出してしまうと、これがつねに連動するようになります。

これは「言葉と心」のカテゴリーの第一講です。
大切な入り口なので、よく理解してください。

「成績が悪いから生きる値打ちがない(あるいは低い)」
と同様の因果関係を人はよく作り出します。

「お金がないから幸せではない」
これも一つの「お金がない」→「幸せではない」という連動です。
しかし、お金がなくても幸せな人はいます。
お金があっても不幸せな人もいます。

この人にお金が入ったから幸せになるとは限りません。
中途半端なお金が入ったら、ムダづかいしてしてしまうかもしれません。
大金が入ったら、人を信じられなくなるかもしれません。
あるいは、いくらお金があっても「まだまだ不十分」と満足できないかもしれません。

だから、「お金がない」のと「幸せではない」というのは、本来関係ありません。
テレビで大家族ものなどを見ると、生活費に余裕はなくても楽しくくらして幸せそうです。
幸せでないのは、本人が結びつけてしまっているだけなのです。
(幸せという言葉が何を指すか、ちゃんと考えると、またやっかいなのですが、ここでは便利なので、無批判に使っておきます)

もう一例だけあげます。

「自分は顔がブサイクなので彼氏(彼女)ができない」という人がいます。
これも本人が作り出した因果関係です。
ブサイクでもモテる人はたくさんいます。

しかし、ブサイクなので→モテないと思っている人は、その先にも恐ろしい連動を作り出します。

ブサイクだ→どうせモテない→うつむきがち、消極的になる→ひがみやすく、陰気になる→陰気なので、人が寄りつかなくなる→「ほらみろ、やはりブサイクだとモテない」と連動が強化される→ますます考え方が陰気になる

まあ、こういうサイクルができてしまうのです。



言葉というのは、心に働きかける主要な回路であって、いまに至るも呪文なのです。
自分で自分に呪文をかけて自由性を奪っているのです。
このような呪縛と連動性に囚われた状態を精神における「不自由」と言います。
魔法使いが王子様をカエルにしてしまう呪文がお伽話に出てきますね。
その魔法使いも王子様もカエルも全部自分なのです。

呪文を解くのは、他人にはできません。
成績が悪くて悩んでいる人に、「成績がすべてではない」と言っても聞かないでしょう。
お金がない人に、「お金だけが幸せではない」と言っても、絶対認めないでしょう。
「お金をちょうだい」と言われるかもしれません。
「ブサイク」で悩んでいる人は、心構えを変えるより、整形手術を受けたいと思うかもしれません。

自分で気づくしかないのです。
相対的な価値を自分の全体の価値と連動させてしまうことほど心のエネルギーの流れを歪めて圧迫しまうことはありません。

正しく言葉を使うというのは、死んだような礼儀の話ではなくて、生々しい力学なのです。










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