INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
あけましておめでとうございます と、宿題
ぼちぼちしか更新できませんが、本年もよろしく。

*
では、新年の宿題。

心というのは、不思議なものです。
以下の問いにお答えください。


*

問い
「あなたの心」はあなたの思い通りになりますか?
悲しみや怒りや不安が心を支配して、自分でもどうにもとめられないことがあるでしょう?

その場合、「あなた」と「心」は別のものですね。
では「心」ではない「あなた」とは誰でしょう?
あなたの思い通りにならない「心」はあなたの所有物ではありませんね。
では、「あなた」と「心」の関係はどうなっているでしょう?



*
とても素朴な質問ですが、これにきちんと答えられる人は少ないのです。

答えられない人は、「自分は心について知らない」という素朴なことに気づいてください。
言葉と心 / comments(42) / trackbacks(0)
意見と思考停止
 既存のコードやモードに乗るというのは、一種の思考停止である、ということを前回書いた。たとえば、政権末期の鳩山首相を批判するのは、誰にでも、それこそ、中学生くらいの知識や経験があればできた。


批判するためのキーワードはそこらへんに転がっていたからだ。

モードに乗った意見というものは、一見立派に見えるけれども、大したものではない。


死刑制度や原発に対する賛成反対も、最近流行の嫌韓国、兼中国のような主張も、そのモードに入って丸一日もネットを検索すれば、いっばしの小イデオローグになれないこともない。

モードというのは、ファッションの用語でもあります。

最新のモードを身につければ、おしゃれになる。

それと同様に左翼のモードも、右翼のモードも、エコロジーのモードもある。

つまり、蓑虫が蓑をまとうように、人はさまざまなモードをまとうのです。


人が何かを「考えている」というのは、この「モードに入っている」ことを指すことが多い。

数学であれは、数学のモードに入れば、全員が同じコードで考えるから、同じ結論が出る。

しかし、ある政策の是非とか、抽象的な事柄、さまざまにコードの拾いようがあるものは、議論というの別々のモードで進行するから一つの正しい結論に収束するのが難しい。

したがって、おおむね同じモードの人が同意しあうか、異なるモードの人が不毛な論争をするかどちらかしかおおむね起きない。


そういう前提で、意味のある言論とは何なのか、ということを改めて考えなければならない。

考えなければならない、という一連の中の「考え」という言葉についても考えなければならない♪

最初にモードに乗ることは思考停止である、と書いたけれども、思考することがいいことなのかどうかも考えなければならない♪


と、考えることについて考える、ということを始めると、とんでもなくややこしいメタ考え、というものなる。

……という収拾のつかないところで、今日はおしまい。

言葉と心 / comments(0) / trackbacks(0)
現代の呪文
 JUGEMテーマ:

手の小指をぐっと曲げてみてください。たいていの人は、薬指も連動して折れてしまいます。このように連動してしまうことは、バラバラに動くよりも「自由性が低い」状態であると言えます。

「成績が悪いから生きる値打ちがない(あるいは低い)」と考えるのも一つの連動です。
本来、成績と生きる値打ちはほとんど関係がありません。
しかし、自分で「成績が悪い」→「生きる値打ちがない」という言葉の因果関係を作り出してしまうと、これがつねに連動するようになります。

これは「言葉と心」のカテゴリーの第一講です。
大切な入り口なので、よく理解してください。

「成績が悪いから生きる値打ちがない(あるいは低い)」
と同様の因果関係を人はよく作り出します。

「お金がないから幸せではない」
これも一つの「お金がない」→「幸せではない」という連動です。
しかし、お金がなくても幸せな人はいます。
お金があっても不幸せな人もいます。

この人にお金が入ったから幸せになるとは限りません。
中途半端なお金が入ったら、ムダづかいしてしてしまうかもしれません。
大金が入ったら、人を信じられなくなるかもしれません。
あるいは、いくらお金があっても「まだまだ不十分」と満足できないかもしれません。

だから、「お金がない」のと「幸せではない」というのは、本来関係ありません。
テレビで大家族ものなどを見ると、生活費に余裕はなくても楽しくくらして幸せそうです。
幸せでないのは、本人が結びつけてしまっているだけなのです。
(幸せという言葉が何を指すか、ちゃんと考えると、またやっかいなのですが、ここでは便利なので、無批判に使っておきます)

もう一例だけあげます。

「自分は顔がブサイクなので彼氏(彼女)ができない」という人がいます。
これも本人が作り出した因果関係です。
ブサイクでもモテる人はたくさんいます。

しかし、ブサイクなので→モテないと思っている人は、その先にも恐ろしい連動を作り出します。

ブサイクだ→どうせモテない→うつむきがち、消極的になる→ひがみやすく、陰気になる→陰気なので、人が寄りつかなくなる→「ほらみろ、やはりブサイクだとモテない」と連動が強化される→ますます考え方が陰気になる

まあ、こういうサイクルができてしまうのです。



言葉というのは、心に働きかける主要な回路であって、いまに至るも呪文なのです。
自分で自分に呪文をかけて自由性を奪っているのです。
このような呪縛と連動性に囚われた状態を精神における「不自由」と言います。
魔法使いが王子様をカエルにしてしまう呪文がお伽話に出てきますね。
その魔法使いも王子様もカエルも全部自分なのです。

呪文を解くのは、他人にはできません。
成績が悪くて悩んでいる人に、「成績がすべてではない」と言っても聞かないでしょう。
お金がない人に、「お金だけが幸せではない」と言っても、絶対認めないでしょう。
「お金をちょうだい」と言われるかもしれません。
「ブサイク」で悩んでいる人は、心構えを変えるより、整形手術を受けたいと思うかもしれません。

自分で気づくしかないのです。
相対的な価値を自分の全体の価値と連動させてしまうことほど心のエネルギーの流れを歪めて圧迫しまうことはありません。

正しく言葉を使うというのは、死んだような礼儀の話ではなくて、生々しい力学なのです。










言葉と心 / comments(4) / trackbacks(0)