2009.09.01 Tuesday 15:50
JUGEMテーマ:心
読書の対象を絞り、知識をネットワーク化していく。
この一つのモデルを作り出すと、よく言われる言葉で「自分の頭で物を考える」ということができるようになってきます。
引きこもる人は、学校教育の断片かされ羅列された知識を無批判に取り込んでいく、というスタイルに乗れなかったという面もあると思うのです。
だから、自分自身で知識を、もっと大きくいえば、世界観をネットワークするほうがいいのです。
そのためには、取り込む世界は現代のものではないほうがいいのです。
現代は評価が固まっていない、生きた世界です。
だから、知的対象として閉じることができません。
たとえば、現代政治を知ろうと思っても、次々に新しい事件がおき、新事実が明らかになったりします。
その点、歴史は、ときどき新資料などが出てくることがあっても動きが緩やかです。
前回は作家を集中して読む、という例で考えましたので、今回は、一つのカテゴリーを読む例を挙げましょう。
たとえば、「昆虫」の本を読む、というのがイメージとしてわかりやすいかもしれません。
昆虫の本では、「ファーブルの昆虫記」が有名ですね。
まず、それを読むのが基本として、その他にも昆虫について書かれた本がたくさんあるでしょう。
それからいろいろ図鑑なども、眺めたり。
そうやって主だった本を読んでいくと、いろいろな広がりが出てきます。
中味の濃い本と薄い本が一目で見分けられるようになるでしょう。
蜂や、蟻の社会と人間社会を比べていろいろなことを考えるかもしれません。
個別的な知識を蓄積するだけではなく、生命とは生物とはなんだろう、ということから、人とは何だろう、ということまでつなげると、生きる力になります。
珍しい昆虫を実際に自分で見たくなって旅に出るかもしれません。
他の昆虫好きや、学者などと出会ったときにも、会話や質問、情報交換などができるようになるでしょう。
散逸しがちなエネルギーを一点に集中するから、このようなことが可能になるのです。
こうして自分の知的な陣地を作ります。
陣地を作れば、それを拡大していく方向はいつも具体的に見えています。
インターネットは、閉じていない。そして、つねに変化していくものを映しているのです。
それを基盤に自分の考えを固めるということが難しいということがわかりますでしょうか?
だから、ネットのニュースについたコメントを見ると、非常に感情的で短絡的、そして、自分の固定観念と不十分な情報で判断をくだしているものが多いのです。
自分の考えで人を裁くのは快感なのでしょうが、それは自分の固定観念を露わにしているだけです。
そういう自動的反応を物を考えていることと混同してはいけません。
考えを始めるには、安定した閉じた系が必要なのです。
もう一つ比喩をいうならば、頭の中に自分の箱庭のようなものを作るのです。
その中で物を考えることを始めていくのです。
こういう拠点を作って知的な操作をすることがある程度習慣付くと、自分自身のことを考えるときも、さまざまなことを同時に考えて総合的に判断を下すことができるようになるでしょう。
このような訓練がないと、自分の感情に都合がいい事柄だけを集めて物事を判断するようになります。
ある人が嫌いだとなると、その人のいいところは一切見ない、とか、そういう視野の狭い態度を近頃たいへんよく見かけるのです。
知性と感情はこういう領域で相互に浸透、干渉しています。
知的な枠組がきちんとしていないと、心はいっぺんに一つの方向に偏りやすい傾向があります。
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