INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説

巻頭言

これは心にセンタリングするブログです。

今の世の中は中心がお金や経済で回っています。でもお金で価値が一元化していく流れは、人にはちょっとしんどいものです。だから、それとはズレた次元に、心という中心を求めて行こうと思います。

本当はセンタリングというからには、究極的には魂や霊に、あるいは神に中心を求めたほうが安定がいいでしょう。しかし、現代ではスピリチュアルな領域もすっかりカテゴライズされてしまっていて、語り口も決まりきっています。どこかで読んだようなことが順列と組み合わせを変えて書かれ、何の目新しさもありません。そういう領域で書いてもちっとも面白くないので、心という中途半端な領域で四苦八苦しながら哲学するつもりです。
そもそも、自分の心がわからない者には霊や魂のこともわからんだろうと思います。

読者の皆さんにもお願いがあります。

愛読者を自任される方は、ぜひさまざまにアクティブな応援をお願いします。
これは心を見つめる、心について考える、という運動です。
私が書く、あなたが読む、ということで完結してしまうのは意図するところではありません。

もし読むということが、お昼にコンビニ弁当を食べる、ハンバーガーを食べるということと同じような消費活動に過ぎないなら、昨日と今日と明日に何の変化もありません。

雑多な知識の断片を十分に消化することなく頭脳や心に次々に取り入れて満足するなら、それは「死んだ読書」です。
本来、読書というのは、食事を取るのと同様に書物の内容を血肉化するところにあるのです。
だから、よいものを取って、毒物は取らないようにしなければなりません。
ぜひこのブログについては、生きた読み方をしていただきたい。

なぜなら心というのは生きて、毎日変化していくからです。

もし、心は変わって行かないと思っていれば、このブログを読むことは意味がありません。
むしろ有害かもしれません。

このように読み方を読者に強制する権利も方法も、もとより、著者にはありません。
一度公開した文章を読者が「どのように読もうが勝手」だと思うことを物書きのはしくれとして僕は知っています。
僕もそのように読むことがあります。
ただ、そういう読み方をしてもらいたいと望んでいる、ということはきちんと言葉にしておく必要を感じたのです。
そのような読み方があるということも、著者がそのように思っているということも全く想像しない読者もいるように思うのです。

具体的にはそれは次のようなことです。

  1. 書いてあることを読んで知識として蓄積するのではなく、自分の心、経験と照らし合わせて吟味してください。
  2. そのときに何を感じたか、できるなら言葉にしてみてください。同意ではなく違う意見でもいいのです。
  3. 出てきた言葉をこのブログあてのコメント、メール、あるいは自分のブログやツイッターなどに書いてください。
  4. このブログへのリンク、クレジットなどもお願いします。
毎回ではなくていいのです。
心に自然に言葉が浮かんできたときに。

そのような連鎖全体を書くことととらえたいのです。

それだけは物足りない、さらに応援したい方に!

あるいは違う応援をしたい方に!

本が売れない時代になってきまして、村松も物書きとしての自分の活動を考えなければいけません。
その部分のフォローとしまして。
  1. 単なるカンパ。
  2. 著書を購入する。
  3. 心理研究会に参加する
  4. セッションを受ける
などで、心の中で思うだけでなく、力強く応援してください。
【首相の器】「山本太郎の政治家としての天才性 その4 完結」


*メンタルの達人。無私と赤心の人。

山本太郎氏は、参院選前から時間があれば辻立ちをしていろいろな人と話してきました。
その中でも、すごいのは、集まった人の質問や意見を聞いてその場で答える、ということです。

これができる政治家が日本にどれほどいるでしょうか?
(世界の一流政治家はできます)。
どんな質問が来るかわからない。
すべて勉強していなければ恥をかきます。
もちろん「山本太郎は、すべてにお答えできるわけではありません。知らなかったら教えてください」と、謙虚に前置きしますが、まともな質問にはおよそ答えられる。

知識があるだけではなく、その場で語るべき優先順位を組み立てて淀みなく答えます。言うまでもなく頭脳明晰。

誰かが用意した作文を読むことしかできない、それすらもまともにできない首相とは多いに違います。
「安倍はダメだが、代わる人がいない」という人がたくさんいるのは不思議です。
それは「自民党内がカスばかり」という意味でしかない。
面の皮の厚さだけは、立派な政治家ですが、これ以上無能なアンポンタンはいないです。

山本太郎の演説、参院選に入ってから、たくさんの支持者、サポーターが集まるようになりましたが、それ以前の辻立ちはかなりアウェーな状況とも言えたのです。
その中でなんでも質問してくれ、ご意見も拝聴すると言ったわけです。

近頃は「クソ左翼死ね」という暴言を浴びました。
それでも山本太郎は、少しもひるまず
「ありがとうございます。クソ左翼死ねというお言葉をいただきました。ありがとうございます。死にたくなる世の中を変えたいために私は立候補してるんだ。みんなに生きていていただきたい。」

そして、そのあとに演説に激しい怒りの調子が出てくるのです。
その怒りは、ヤジの本人に向いたものではなく、今までの政治と世の中に向けたものです。
これはさらなる暴言を祓うためでもありますが、僕は違う面も見ています。

怒りのエネルギーを転換しているのです。
ヤジられれば誰でもムッとする。
でも太郎氏は、そのような方向に怒りを向けないで暴言のエネルギーを受け止めてよい方向に流してしまう。

およそ、役者というものは、架空の感情を生きることができます。
台本に書いてある架空の人物の役柄の感情を生きる。
そう感じているように演じるのではなく、本当にその感情を生きるのです。
そういう訓練があります。

太郎氏は当然のそのような訓練を受けて、能力も持っているでしょう。
しかし、その域をはるかに超えて、感情をセルフコントロールしています。

それができるから、ハードな政治の世界、選挙戦を疲れを見せることなく生き残れるのです。
多くの政治家は、無神経、厚顔、ルーティン、都合の悪いものの無視によって、政治の世界をサバイバルしています。
しかし、太郎氏は、誰よりも細やかに気を配り、つねに工夫して創造的であり、自分に都合の悪そうな小さな声にも耳を傾けて活動しています。

政治の世界新しい集団を立ち上げて、そのリーダーとして活動するのは、どれほどの激務でしょう。
それができるのは、明晰な頭脳とともに、メンタルの転換の速さと強さがあるのです。
そうでなければどんなに恵まれた資質を持っていても疲れ果ててしまいます。

その根底には、無私と赤心の2つがあります。

私というものがあっては、とてもこれだけのエネルギーは出てこない。
これが無私。

そして、いつも心から思っていることをいう。
きれいごとではなく、相手に心を通じさせる。

これが赤心。

山本太郎は生意気だ、嫌いだ、という人はここが見えていないのだろうと思います。
自分の人生観という狭い窓からしか人が見られない。
しかし、太郎氏のサポーターたちは、こういう人たちにも話しかけて変心させています。
今まで政治を諦めていた人たちが、そこまでのアクションを起こしています。

それが無私と赤心の力です。

僕は山本太郎氏が首相になって、外交をする姿を見てみたい。
G20に山本太郎が首相として立っていたら、どんなによかっただろうと思います。

いまれいわ新選組が重点的に語っていること以外に、日本には2つの棘が深く刺さっています。

一つは日米安保。
もう一つは原発の廃炉。

どちらもたいへん重大なテーマです。
そして、どちらも放置しておくとどんどん深刻な事態になる。
今までは野党も含め、推進、無策、膠着、隠蔽、弥縫、要するになすすべがありませんでした。


その道はこれから先も茨の道でしょうが、無私なる天才、山本太郎氏には、もっともっと仕事をしてもらわないといけません。

安保や原発を正面から見据えて、適切かつ創造的な努力をしてくれるのは、山本太郎とれいわ新選組しかありません。
一朝一夕に片付くようなことではありませんが、きっと常人では気づかない新しいアプローチを与えてくれると思うのです。

山本太郎が最後の希望であると気づいている人たちは
熱烈に動き出しています。

あなたも一票。あるいはもっと。
お願いします。







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◆山本太郎氏の不正選挙に対する態度


まだ参院選に突入する前に、赤羽で太郎氏の辻説法に出くわし、聞き入ってしまったのですが、質問コーナーで不正選挙について聞かれていましたので、これをお伝えします。

*

太郎氏の返事は「まだ国会で質問したり、法的に動いたりするほどのファクトが出てきていない」
ということでした。

不正選挙の話は「では、投票しても無駄じゃない」ということになるので、太郎氏としては望ましくない。
今はとにかく投票率をあげることが大切なのです。

「もし不正選挙ですべての票を支配できるなら、玉城デニーさんは沖縄知事にはなっていないでしょう」

不正選挙についてあまりナーバスになるべきではないのです。

ぼくも不正はあるのではと疑っていますが、まだ小規模でしょう。圧倒的な投票があれば、選挙結果を左右できません。

不正選挙を摘発するときには、完全に首根っこをおさえて、捕まえるべきで、影に怯えるべきではありません。

投票はボールペンで書く方がいい、といいますが、あるサイトでは、ボールペンの方が謀略で鉛筆のほうがいいと書いてありました(笑)。

それくらい憶測レベルのことが流通しているということです。

とりあえずナーバスにならない。
これでお願いします。
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【首相の器】山本太郎の政治家としての天才性 その3
山本太郎の見ている世界の広さは類がない。

視野が広いということはよく言われるが、太郎氏の場合は、広いだけでなく深い。

またその視界には曇りがなく、乱視や盲点がない。

そこに懐の深さと寛容性がある。

*

れいわ新選組の比例候補特定枠は2人とも全身麻痺である。
1人は障害者、1人は難病。

この人たちは誰の目にも入らない。当事者だけが苦しんでいる。

しかし、太郎氏については「見えない人たち」ではない。

障害者を候補者に立てることは、各党も始めている。しかし、全身麻痺となると、その視線は通り過ぎてしまうだろう。まさに候補者として、議員として活動する障害はたくさんあるわけだから。

太郎氏はそこを選ぶ。彼らが議員になれば、一悶着も二悶着もあるだろう。
それでこそ彼らは「見える人たち」になる。

与党議員は自らの差別感情を隠すのに苦労するだろうし、何人かは失敗するだろう。

日本には精神的なものも含めて障害者は900万人もいるとどこかに書いてあった。
だから、その人たちが国会に「見えない」のはおかしいことだ。
単なるセンセーショナリズムではなくて、今まで起きていなかった当たり前のことが実現するのである。

*

大西つねきさんという人も、大した人物で、フェア党という名前で自分で政治活動をしていて、すでにたくさんのファンがいる。

しかし、彼はれいわ新選組の公募に応募したことを事前に動画で語っている。「受け入れられなければ独自でやるしいっしょにやれればそれに越したことはない」的な。

公募で落ちたらかっこ悪い的なレベルの心の動きはない。
そして山本太郎はもちろん彼を受け入れた。

太郎氏の世界は、このように人を全部吸付け、引きつけ受け入れてしまう。

*

視野の広さは空間だけでなく、時間についてもある。
未来を見通し、シミュレーションしてすばやく判断する能力は尋常ではない。

れいわ新選組の名称については、変だという人がいる。
これは与党が「令和」と連呼できなくしたのだと書いていた人がいて、なるほどと思った。

「元号が変わって新しい時代が来た」的なあまり中身のない話は、与党有利であろう。
中身のない作文にたいへん便利な「令和」をあらかじめ独占してしまったわけである。

アベや与党候補者が令和という言葉を使えないと思うと愉快で仕方がない。

太郎氏はこういうことを見ている気がする。
深謀遠慮ともいえるが、動体視力のよさともいえる。

太郎氏が政治家としてフル回転で働いているのは幸せなことだ。
日本は変わる。
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【首相の器】山本太郎の政治家としての天才性 その1
山本太郎は天才だとつくづく思う。

マイケル・ジャクソンが音楽とダンスの天才であるように、政治の天才である。 

これについては、すでに一冊の本が書けるくらい観察している。

どこが天才か少しだけ例をあげよう。
ほぼ徒手空拳でれいわ新選組を立ち上げて、これだけの熱狂の渦を作っている。
これは誰もが知るところだ。

そこに隠れた天才性の一つは、候補者一人一人を輝かせる力だ。

れいわ新選組の準備、候補者選びに「選挙5回やったくらいのエネルギーを使った」と太郎氏は述べている。
結果的にこれ以上ない、すばらしいメンバーだと思うが、オファーは何人にも断られている。
いわば残った寄せ集めメンバーでもある。
この軍団が輝いて見えるのは、中心に山本太郎がいるからだ。

それぞれ1人で出馬していたら、これだけのスター性は発揮できない。全く当選ラインは覚束ないだろう。

そこに太郎マジックというものがある。

このこと詳細に分析して述べると長いのでやめる。

このような天才が365日、命がけでまったく無駄のない活動をしているのである。

そして、天の時がある。
プレスリーやビートルズが登場するときに、時代は「用意されて」いた。
圧倒的に広がるブームは誰にも止めようがなかった。

同様のことが起きている。
安倍政権の自民党政権としても前代未聞の堕落、日本全体の危機と沈滞が「時代」を用意してくれた。

あと、2.3回の選挙で、れいわ新選組は、与党になる可能性が高いと感じている。そのとき山本太郎は首相になる。
(野党共闘を超えて、参院選後は、連立や統一名簿などを探る動きが激化するだろう)

次の選挙は、今回の選挙には似ていないだろう。
今回の熱いサポーターたちが、いわば基盤になって機能する。
資金も潤沢になる。
他党から議席を持って流入してくるものもいるだろう。

今回の選挙が1から始まったとするなら、15くらいから選挙を始めることができる。

そういうエネルギーを太郎氏は決して取りこぼさない。

テレビも報道しないわけにはいかなくなる。

負ける理由がない。

今回の参院選で怒涛の勢いを見せつけたい。
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