ナチュラルに生きる方法論序説

巻頭言

これは心にセンタリングするブログです。

今の世の中は中心がお金や経済で回っています。でもお金で価値が一元化していく流れは、人にはちょっとしんどいものです。だから、それとはズレた次元に、心という中心を求めて行こうと思います。

本当はセンタリングというからには、究極的には魂や霊に、あるいは神に中心を求めたほうが安定がいいでしょう。しかし、現代ではスピリチュアルな領域もすっかりカテゴライズされてしまっていて、語り口も決まりきっています。どこかで読んだようなことが順列と組み合わせを変えて書かれ、何の目新しさもありません。そういう領域で書いてもちっとも面白くないので、心という中途半端な領域で四苦八苦しながら哲学するつもりです。
そもそも、自分の心がわからない者には霊や魂のこともわからんだろうと思います。

読者の皆さんにもお願いがあります。

愛読者を自任される方は、ぜひさまざまにアクティブな応援をお願いします。
これは心を見つめる、心について考える、という運動です。
私が書く、あなたが読む、ということで完結してしまうのは意図するところではありません。

もし読むということが、お昼にコンビニ弁当を食べる、ハンバーガーを食べるということと同じような消費活動に過ぎないなら、昨日と今日と明日に何の変化もありません。

雑多な知識の断片を十分に消化することなく頭脳や心に次々に取り入れて満足するなら、それは「死んだ読書」です。
本来、読書というのは、食事を取るのと同様に書物の内容を血肉化するところにあるのです。
だから、よいものを取って、毒物は取らないようにしなければなりません。
ぜひこのブログについては、生きた読み方をしていただきたい。

なぜなら心というのは生きて、毎日変化していくからです。

もし、心は変わって行かないと思っていれば、このブログを読むことは意味がありません。
むしろ有害かもしれません。

このように読み方を読者に強制する権利も方法も、もとより、著者にはありません。
一度公開した文章を読者が「どのように読もうが勝手」だと思うことを物書きのはしくれとして僕は知っています。
僕もそのように読むことがあります。
ただ、そういう読み方をしてもらいたいと望んでいる、ということはきちんと言葉にしておく必要を感じたのです。
そのような読み方があるということも、著者がそのように思っているということも全く想像しない読者もいるように思うのです。

具体的にはそれは次のようなことです。

  1. 書いてあることを読んで知識として蓄積するのではなく、自分の心、経験と照らし合わせて吟味してください。
  2. そのときに何を感じたか、できるなら言葉にしてみてください。同意ではなく違う意見でもいいのです。
  3. 出てきた言葉をこのブログあてのコメント、メール、あるいは自分のブログやツイッターなどに書いてください。
  4. このブログへのリンク、クレジットなどもお願いします。
毎回ではなくていいのです。
心に自然に言葉が浮かんできたときに。

そのような連鎖全体を書くことととらえたいのです。

それだけは物足りない、さらに応援したい方に!

あるいは違う応援をしたい方に!

本が売れない時代になってきまして、村松も物書きとしての自分の活動を考えなければいけません。
その部分のフォローとしまして。
  1. 単なるカンパ。
  2. 著書を購入する。
  3. 心理研究会に参加する
  4. セッションを受ける
などで、心の中で思うだけでなく、力強く応援してください。
[大人の成長塾]、始めます
メルマガの転載です。
メルマガをとっていない人用に。

人の可能性について書いています。

11月末日までの割引情報あり。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


   村松恒平のシークレット・ドクトリン

   第16号   ●[大人の成長塾]、始めます



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




【始まりとおわび】

[大人の成長塾]、始めます





また村松が変なことを始める、と思うかもしれませんが。

たぶん、これが僕の仕事の集大成になると思います。



このメルマガはもともと文章のメルマガだったわけですが、そこから僕は『心
が大事』(『自然の道』に改称)というブログで心理的なことがらを追及した
り、原発事故に憤ったり、『DRAGON ART CREATOR'S REVIEW』というアートの
投稿誌を作って、美術について書きまくったり、『GOLD2012』という有料メル
マガを作ったり。

やや神秘主義に傾倒したり。

自分でアートやったり、詩を書いたり、小説を書いたり。

その後、身体に興味を持って、シンクローム、内臓ダンスという2つの面白い
発明をしました。



どれも大切なことを言っていたと自分では評価していますが、エネルギーが散
逸していました。

友人に「元『宝島』編集者って紹介するのやめてくれない? もう何十年も前
の話だから」と言ったら、「はて、ではなんと紹介すればいいのやら」と言わ
れました。

自分でも自己紹介に困っていたのです。

これからは胸を張って「[大人の成長塾]を主宰しています」と言えます。



僕の中では、手を出したことは「あれもこれも」ではなく、同じ一つのことの
断片なのですが、出会った人や、読者にはわからなかったと思います。

それぞれ別の読者に興味を持たれるだけで、統合されることがありませんでし
た。



その長い放浪の果てに、「成長」というテーマですべてを統合できそうだと気
づいたのです。

これはとても奥深く広いテーマです。

今回その話のごく一部を書きます。



とてもエキサイティングです。



塾そのものは準備中で開始は来年なのですが、皆さんは僕の大切な読者なので、
最初にお知らせしたかったのです。



そして、お詫び。

「女性のための愛の哲学」は、塾の準備が忙しいので中断となります。

反響はありませんでしたが(笑)、愛読されていた方がいたらごめんなさい。

これもいちばん面白いところはこれからなので、いずれ単行本にする所存です。



では、成長塾の最初の最初の話を致しましょう。


*


【人は自分の可能性の99%を使っていない】



いまあなたは自分に成長の可能性をどれくらい感じていますか?

それを最大限に感じてもらうところから始めましょう。



「人は自分の可能性の99%を使っていない」というタイトルをつけてみました。

人は可能性を1%も使えないのです。



たぶん可能性という言葉を正しくとらえている人は少ないのではないでしょう
か。



可能性は無限大だと慣用句でよく言いますが、本当に無限大なのです。



お休みの日、あなたは何をしようかと考えます。

図書館に行く、ゲームをする、誰かに電話して会う、スポーツをする、料理を
作る、あるいは何もしない、テレビを見る、寝てる、などの選択もあります。



誰かに電話して会うを選んだとして、気楽でバカをやれる相手と、緊張するけ
れども何かを与えてくれる優れた人物などなどの候補があります。

後者に電話したとして、「今日は忙しい」と言われたとします。

そのよう実際に行動することで、見えてくる情報があり、選択の条件が変わり
ます。



そして、「忙しい」と言われたときに、その日に会いたかっただけだから、そ
のまま電話を切ることもできます。「いつがヒマ?」と聞いて約束を取り付け
ることもできます。

あるいは、電話を切ったあと、「本当は忙しいのではなくて、自分のことを嫌
っているのではないか」とクヨクヨすることもできます。



わかりますか、最初に列挙しただけで8つの選択肢がありました。そのあと、
電話する相手の選択肢が2つ、電話したあとの選択肢を3つ書いてみました。

最初の選択肢も8つより多いかもしれないし、捨てた7つにもそれぞれ膨大な分
岐があります。

図書館に行って何の本を借りるか、5冊借りてくるだけで膨大な組み合わせに
なってしまいますね。

そのような選択肢の枝分かれが無限に延びた図を考えてください。

それが単純化された、あなたの可能性です。

こんなに分岐の多いゲームは面白そうでしょう。

何を選択するかで結果があれこれ違うのも想像がつくでしょう。



あなたは、その無限の分岐の中の一つの点であって、一つの道しか選択して通
れないのです。

そして通った道を戻ることもできません。

その一つの道を通ることが無数の選択肢を捨てていることになるのです!



だから、実際は1%どころではないのです。分母が無限で、分子が1。

これは数学的にはゼロということになるのかな。とにかく限りなく小さい。

いずれにしろ、可能性というものはそういうもので、生きることは無限に対す
るゲームなのです。



その分岐の先によい結果と悪い結果、たとえば、快適な人生と不快な人生があ
るとします(幸福とか成功という言葉より、成長という面からは、この言葉を
選びたいのです)。



あなたの可能性の分岐の先にどれくらい快適な人生があると感じますか?

どれくらい不快な人生が?



いや、快、不快は人生そのものではなく、その場その場の体験かもしれません。

しかし、不快の量が多い生活、不快に満ちた生活を僕らはときどき目撃するの
です。



自分の人生はできれば、愉快で快適、喜び多く、苦しみや不安や心配事が少な
いものにしたいですね。



あなたは喜びに満ちた生活を選択できると感じていますか?



多くの人は可能性があることは認めるでしょう。

しかし、自信はない、という人が多いでしょう。

と予想します。そういう時代だからです。



実際、将来喜びに満ちた生活を送れると感じている人は、いまもそれなりに充
実しているはずなのです。

なぜなら今も選択肢の出発点ではなくて、途中だからです。



そして、あなたは選択肢を選ぶときにあるクセがついています。

そのクセの結果が今なのです。

だから、今が充実していれば、未来も充実しています。



では、今充実していない人はどうすればいいでしょう?

選択肢を選ぶ基準を変えていけばいいのです。



「成長」は、ここでは今までの基準をよりよい基準に変えることを言います。



しかし、生活に不満そうな人ほど、頑固に自分のありかたに固執します。

将来が不安なのは当たり前なのですね。

だってどんどん不満が溜まるほうを選択し、向かっているのだから。



では、どのように選択肢を変えていったらいいのか?

その部分を大人の成長塾では扱います。

無限の選択肢を少しでも上から眺め、自分の未来、現在、過去に対する視野を
広げて行きます。そして、自分にとって何がよい選択かを客観的に「見る」の
です。

「見えない」ことが選択を誤らせているので、「見る」だけで変わるのです。

そして、選択肢の中で最善のものを選ぶようになれば、人は自由自在に生きら
れます。



実際、可能性の全てを見渡せるようになれば、それは神と呼んでもいいような
視野ですね。

成長はそのような視野の拡張を伴います。

では、どうすれば成長するのか?

成長は総合的なものです。頭で考え方を変えただけでは選択肢は変わりません。



上記の一連の話は、選択肢が紙に書いてあるとすると、それを上から眺めてい
ます。

しかし、実際の生活はどうでしょうか?



選択肢の断面図は、今のあなたの目の前にあります。

そこにいろいろな選択肢を感じることができるでしょうか?



図書館? 疲れていて本なんか読みたくない。あるいはそんなこと思いつきも
しない。

友達に連絡するのも、みんな忙しいようでおっくうだ。

たまの休みくらいゴロゴロしていたい。

それで結局、ネットの情報やゲームにはまる、という選択もあります。



体調や、眼に見えない感情、ただのクセ、新しいことをするのは面倒くさい、
などなどがあなたの選択を規定して、そこに選択があることすら意識しない、
という場合が多いでしょう。



つまり、選択の基準は頭で考えるものではなく、もう全身に染み付いているも
のなのです。

それが自分だと思って、それから抜け出せないと思っているもの。

そのソフトを入れ替えないといけません。



ソフト全体の入れ替えなしに、よしやるぞ、とときどき発奮努力しても、どこ
かで挫折します。

つまずいてうまく行かなくなる。そうすると、どうせやってもムダだ、とさら
に失敗体験を重ねて、臆病におっくうになっていきます。



成長に努力は要らないのです。



成長という概念のいいところは、「自然」なところです。

家庭菜園をやったことがある人ならわかると思いますが、植物が成長するのに
努力はしていないのです。

ただただ生命力が自然に発露して成長していきます。

とくに育てようと思った植物ではなく、雑草を見ているとそのことがよくわか
ります。



おわかりでしょうか。

この成長塾では、自然の生命力を用います。

ほっといても成長するもの。

それを使っていきます。



ただ現代生活には、成長を阻害する要因がたくさんあります。

それを取り除いていきます。

エネルギーをインプットするのではなく、邪魔するものをどけます。



そして、本来の生命力を発露させ、意識的に成長をイメージし、フォローしま
す。



小学生が中学生になれば、解けなかった問題も解けます。

高校生になれば、それはすでに問題ですらなくなってしまいます。

大学生になれば、もっと自由に自分のテーマを追求できるでしょう。



そのようにして、選択の基準を変えて行きます。

あるいは、選択肢を見下ろせるような視点を持てるようにします。



みなさんは20歳前後から、なんとなく自分がもう完成してしまったようなイメ
ージで生きてきたのではないでしょうか。



そうだとすると、みなさんの「伸びしろ」はだいぶ使われないままに溜まって
います。



使われないで腐っていると、心や身体がいつもモヤモヤしているかもしれませ
ん。



その成長エネルギーを爆発的に解放します。

それが[大人の成長塾]です。



ご期待ください。





●終わりに



今回は可能性という切り口で一つのたとえ話をしましたが、成長概念の考察は
とても多面的で奥深いものです。

心だけでなく、身体の内的成長も含んでいたり。

たくさんのことをまだまだ語りたくてウズウズして仕方ないのですが、成長塾
本体のためにも書くエネルギーはとっておかなくてはなりません。

今回はこれくらいにしましょう。



最後に[大人のための成長塾]とはどんなものか、お話しましょう。



いちばんの柱は60通ほどのステップメールです。

ステップメールは、まず概念、それから方法論、ヒント、ミッション(課題)
などからなっています。メールによるコーチングです。



感想を書いたり、交流や質問のできる専用SNS。ここで質問したり、他の方の
応答を読むことで、理解が立体的多面的になり、いろいろな場面に応用して発
想できるようになります。



関連のワークショップやセミナーがスクーリングに当たります。これは大幅な
優待を考えています。ですから、参加するとすぐに元がとれてしまいます。



期間は1年間。



費用は年間1万円(税別)です。

月にすると800円強。タバコ2箱分。ケーキ2個分くらい。

それで日常にコーチングのメールが届く「ときめき」が手に入ります。

手に入る成長や充実は、あなたの可能性を爆発的に拡張するものですから、十
分値打ちがあると思っています。



コーチングの世界を見回すと、何万円から10万円以上のセミナーはざらにあり
ます。

正直[大人の成長塾]ももう少し高くてもいいかな、と思いましたが、多くの
人に参加していただける価格を選択しました。世の中の煮詰まり具合を見てい
ると、日本人全体がもっと成長しなければいけないと思っています。



内容は本格的です。



一人でも多くの方に「大人になってもこんなに成長できるんだ」と自分で驚い
ていただきたいのです。



ここまで読んで、ワクワクしてきた方、僕の仕事を信用して早くも「申し込み
たい!」という方には2割引の権利をプレゼントします。



年間10,000円のところが8,000円です(税別)。

11月いっぱいに申し込んでください。

お支払いは、開講の準備ができてから改めてご案内しますので、登録だけして
ください。



*

事前登録には、



お名前

住所

年齢

性別

職業

が必要です。



それから「成長」について読んで思ったことを書いてください。



個別にお返事はできないと思いますが、すべて読んで参考と準備の励みにさせ
ていただきます。



送り先は、↓専用アドレスにお願いします。

seicho@hiden.jp

タイトルは、[大人の成長塾 事前登録]としてください。




*

またご意見や質問は、それとは別に歓迎します。

有益な質問には、このメルマガでお答えすることがあると思います。

その場合は匿名にさせていただきます。
JUGEMテーマ:


[大人の成長塾] / comments(1) / trackbacks(0)
反「反戦争法案」な人たち
反安保の動きを牽制しようという言論がニョキニョキと出て来た。
こんなものにいちいち応対してはいけない。
話が些細なところに持っていかれてはいけない。
原発のときに科学論議がそうだったように(この件は長く憂鬱なので、そしてまた些細な反論を招くので書かない)。
結果的に、原発は人類を滅ぼすクソだ、という本体を取り逃がした。
原発は危険だ。もう要らない。
それだけでよかったのだ。
議論の戦線拡大は不利なほうがすることだ。
情勢を混沌とさせる。
本筋の急所をおさえて、それに答えるまでテコでも動かないのがいい。
*
しかし、目障りなので、反反安保の主要な傾向をあげて分析しておく。
それにあてはまったら性格の悪い馬鹿だから、相手にしなくていい。
**
1.
まず、反戦争法案で動く人々をたいへん類型的で、雰囲気に煽られている人だとレッテルを貼る。
これの延長線上に、民青だとか、共産党に動員されているというもっと極端で下劣なレッテルがある。
2.
そのように類型的で乗せられやすい人と見下げた上で、自分は高見に立ったようにナニか言い出す。
「ボクはそんな雰囲気に流されるような馬鹿じゃないからね。そういう経験や見識豊かなボクみるところ、政府に悪いところもあるよ。でも、なんといっても安保的なナニか必要でしょう……」
のような。
一見中間派のように見せながら、明らかに現体制を補完しています。
これは無邪気にやっていたら、相当馬鹿です。
意図的にやっていたら、相当ねじけています。
戦争法案に賛成ならば最初からそう書けばいいのです。
3.
馬鹿というのは、自分の言論がどう働くか知らない場合です。
いちばん性質が悪いのは、自分も安保法案に反対だが、と思っていながらごちゃごちゃ言うヤツです。
結局、言いたいことは「自分は賢い」ということであって、話をごちゃごちゃさせて邪魔極まりありません。
こういう人のタイムラインを見に行くと、たいてい戦争法案に対して何の反対発言もありません。
ただ他の人を批判して、自分はそれより賢いと主張しているのです。
矮小な自意識のために全体の状況を台無しにしているのです。
4.
さらにもっと悪いケースが顕著にあります。
それは「昔自分はナニナニの運動をしていたが」というヤツ。
こういう人間の反動性がいちばんひどい。
そんなに賢いなら、反対のためになることを言えばいい。
そんなに正しいなら、本当の運動はこうやるんだって見せてから言えばいい。
何もしないで昔話をしたいヤツは去ね、ということです。
目の前の状況を素直にみて、「おかしい」と言える人、行動を始めた人たちだけがただ尊い。
昔何かをした人は、関係ないのです。
すっこんでいればいいのです。
一人で自意識にひっからまって、黙って、暗い部屋で若い人のやることに嫉妬していればいいのです。
自分が何のために何を書いて、どういう影響を与えるのか、誰を利しているのか、きちんとわかってモノを書かなくてはいけません。
戦争法案に賛成であれば、旗色を鮮明にすればいいのです。
ちなみに僕は戦争法案を廃案にする、廃案にしようとしている人たちを応援する。ただその目的のために書いています。
*
「昔、ナニナニをした人」が威張っていたら、この文をシェアしてあげてください。
- / comments(0) / trackbacks(0)
後方支援・三国志・安保法制
またまた女性のための愛の哲学は先送り。
愛のためには、基本環境に平和がなければいけません。

緊急度の高い、そちらのお話です。

**


後方支援というのは、兵站、ロジスティクス、戦争に関わる主に物流のことです。

安保・対米従属戦争法案では、これを主に米軍に対して自衛隊が担うことになり、それが危険か危険でないか、という議論が国会でなされました。

もしもあなたが一度でも三国志を読んだことがあるなら、「危険だ」と一瞬で見抜くでしょう。

三国志には、諸葛亮孔明のような軍師がたくさんでてきます。
その作戦には、必ず兵站に対する攻撃が検討されます。

自国に強国の大軍が迫るような場合。
敵は数十万、自軍は数万という圧倒的な戦力差があるときに、兵站を襲い、奪い、また焼き払うのは最も有力な作戦です。

敵の軍勢が多ければ多いほど、兵站を失えば飢えるのが早いのです。
中国の広大な土地を数十日もかけて行軍している場合、兵站を失えば致命的なダメージとなります。
また兵站を支えている部隊は戦闘部隊ではありませんから、護衛がついているとはいえ、本格的な戦力に襲われればひとたまりもありません。

そのように兵站は作戦上の急所なのです。
襲撃に成功すれば、作戦を失敗させ、情勢を変える大きな戦果を得ることができます。

兵站を狙うには、日本本土へのテロ、という形で国民を人質にとることもできます。デパートや映画館などの無差別爆破などで脅されれば、平安は失われます。
米国への軍事的忠誠をとるか、国民の安全をとるか、苦渋の選択を強いられます。

自民党政府はどちらを選ぶでしょうか?

もちろん、原子力発電所を占拠して自爆テロの脅迫を行うことも可能です。

自国が理不尽に(と少なくとも当人たちに思われ)大軍によって蹂躙されそうになったとき、そのようなことをするものが現れないは言い切れません。

自衛隊はたいへんに強い戦力を持っていますが、交戦権に関してはいわゆる軍隊のように振る舞うことはできません。
また自衛隊員が捕虜になったときに、軍ではないので、ジュネーブ協定での捕虜の扱いには当たらないといいます。

民間人として捕虜になることになります。

それがどういうことを意味するのか。議論はいろいろあるでしょうが、あまりいい感じは浮かびません。

法律上のことでは、自衛隊の脱走や規律違反のケースなども可能性があります。
法律上の不備、ほころびがいろいろ出てくるのです。

従って石破という人は、軍法の整備をすでに心配しています。

つまり、後方支援でも、交戦権や軍法、国際法のさまざまな問題が出て来ます。
つまり、法的に軍という体裁を整えないと具体的な状況に対して全く整合性がないことになるのです。

つまり安保法案が通れば、自衛隊を軍にする方向で動くことになるのです。
安保法案が通ってしまったら、これはもう止められません。
戦争法案と言われる所以です。

止まらないといえば。

要らないダムや河川敷の建設が止まらないでしょう。
核発電所の再稼働も止まりません。
リニアモーターカーの開発も止まりません。
新国立競技場という、誰が見てもアホらしい、まだ始まってもいないものでも、ブレーキをかけるのにたいへんなエネルギーが必要だったでしょう。

この国は歯車が回り始めたらどれほど理性を欠いていても止まらないのです。

自衛隊が軍になれば、徴兵がテーマになるのは妄想とは言えません。

「暮らしの手帳」を作った花森安治氏は、「一銭五厘の旗」という本を書いています。
一銭五厘というのは、ハガキの値段で、つまりハガキ一枚の召集令状で兵隊はいくらでも集められる。「お前らは消耗品だ」という言い方があったらしいのです。

これに対して、軍馬は何円か何十円かしたので、兵隊よりよほど大切だ、と言われ、そのように扱われたらしいのです。

しかし、前回の戦争では、兵站の部門は、兵隊のように勇ましく戦わないということで、そのハガキ一枚の兵隊よりさらに軽く見られていたようです。

その結果、軍人の死の7割近くは戦死ではなく餓死であったと言います。
兵站は勇ましくないからと軽視した軍部の責任です。

年金情報の漏洩やら、官僚、行政、またその天下り機関のいい加減さ、無能さ、無責任は日々腹の立つことであります。
日本が戦争に突入しても、同じレベルのハンドリングになると思っていてください。

戦争そのものが愚かであるだけでなく、戦争の中に大小さまざまな愚かさが詰め合わせになって、国民の生命と生活を圧迫するのです。
今、税金を湯水のようなムダにするように人の命も浪費されます。

前回の戦争で兵站を軽視したように、今回の法案でも、またアメリカの使い走りで兵站を簡単に引き受けてしまいそうです。
どちらも軽視です。とても悪いカルマを感じます。

後方支援は、今回の法案の一端でしかありません。
日本会議、自民党、公明党は、こういうことを含む11の法案を一括審議で通そうとしています。
十分な議論はありません。ただ数の力です。

安倍首相は、アメリカへの追従の他に、近隣諸国と一戦交えたいのだ、とも言われています。
そちらはそちらで恐ろしいことです。

どこかで自衛隊員の血が流れれば、好戦的な人々はアドレナリンを沸騰させ、より声高に軍事強化を叫ぶようになるでしょう。
そうなれば、言論はますます不自由になり、歯止めはまったく利かなくなるでしょう。

ここでストップできなければ、急流を止めることはできなくなるとわたしは思っています。











JUGEMテーマ:三国志


- / comments(0) / trackbacks(0)
6/11日木曜、内臓ダンス+シンクロームのワークショップします。
詳しくはシンクロームのサイトを見てください。

http://synchrome.asia/2015/06/01/1042/
- / comments(0) / trackbacks(0)
美術教育で評価をしてはいけない件。反響がありました
前回の記事に関連して、あるお母さんから次のようなメールが来ました。


**以下引用。前略。

……。

ブログの記事で、美術の教育のあり方についてかかれておられましたけれども、先ほど息子が図工が嫌いだ。と言い出しました。
図工大好き人間だったので、理由を聞いてみると

「きれいなはなの絵を描きましょう。って先生が言うんだよ。きれいな花なんて俺、描けないよ。きれいな色使ってとか、濃淡をつけて、とか丁寧にとか色々言われる。女子じゃねぇから、俺(そんなの無理)。
俺は雑草を描きたい。雑草って、先生に怒られている子どもたちみたいじゃん。じっと先生のお怒りに耐えていて。でも、先生に許してもらえなかったら引っこ抜かれちゃうんだよ。」

うわー、ブログに書いてある通り!
と思ってしまいました。


****

こういう話、たくさん転がっていると思うのです。
いい先生もいるだろうけど、よくない先生もいる。
でも、いちばん大切なことはそこに「理念がない」、ということです。
いい先生もよくない先生もたまたまいるだけで、芸術教育の方法論とか根本的な発想がないのです。

それが、先生の勝手な思いや理屈でどうとでもできるという現状を作っています。

こんな返事を書きました。

**以下返事。

すばらしい自分が何をしたいのか明確な自覚を持っている息子さんではありませんか。

次のように伝えてください。

・・・
今回のことは先生のエゴである。
表現は強制されるものではない。

しかし、生きて行く上で他人のエゴとは必ず出会うものであるから、よい機会だ。
よく観察し、上手に切り抜けなさい。

ある一人の先生のエゴによって、図工や絵を嫌いになるのは筋違いだ。

それはそれとして、好きな絵を描きなさい、


*****


多くのお母さん、お父さんがこういうの変だよ、とわかれば、少しずつ変えていけるかもしれません。
そのために書いています。
JUGEMテーマ:


- / comments(0) / trackbacks(0)
どうしたら自分を愛せますか? 3(自分を育てる方法) 
JUGEMテーマ:恋愛/結婚


自分を愛するには「自分」について真剣に考えないといけません。

前回、こう書きました。

**

「2,000円の生活費があるとします。
1,000円を自分を責めるのに使う。
850円を自分を責められることから守るのに使う。
残りは150円です。

他の人は2,000円のエネルギーで生きているのに、わずか150円のエネルギーしか自分のために使えないのです」

**

こういう状態の場合、自分はどこにいるでしょうか?

1,000円の部分でしょうか?
850円の部分でしょうか?
150円の部分でしょうか?
それともそれを合わせた全体の2,000円でしょうか?

世間では、この2,000円の混乱状態を自分と呼ぶことが多いでしょう。
しかし、自分を愛するときには、150円の分だけを自分と考えるのです。

その理由はこういうことです。
私たちが生まれ、育ったのは自分の力ではないのです。
精子と卵子が結合して生命として誕生する。
それは神様の力、自然の力です。
そして、両親が愛し合ったのは、両親の力です。
育ててくれたのも親です。
それから学校の先生にいろいろなことを習います。

こうして考えると、外の影響を受けたことばかりで、生まれ育つ間には何一つ自分でしたことはないのです。

では、どうすれば自分が何かをしたと言えるようになるでしょうか?
いつから自分を持ち始めるでしょうか?

ちょっと考えてみてください。

とても単純なことです。
単純すぎて誰も言っていないことかもしれません。



その答えは、

1.自分の動機で何かをすること
2.その結果を自分で受け止め評価すること。

この2つです。
簡単で当たり前のことでしょう?

1について。  
意外に私たちは自分の動機で何かをしていません。
親に言われたから。先生に言われたから。会社の仕事だから。世間ではみんなそうしているから。

そういう他人の動機だけでも一定の期間生きていけるのです。
でもあるとき、ふと苦しくなります。
他人が要求することとは何か違うことを自分が求めているような気がする。
そういうことは若いときに確かめてみるべきなのです。

あまりに長いこと自分の動機で動いたことがない人は、自分が何を感じているのか、はっきりつかめなくなってしまいます。

2についても同様です。
言われたことを言われたからする。
言われた通りにする。
言われたことを守れば責任は発生しません。
言われた通りにしないと、不良になります。

評価も親がします。
先生がします。
世間がします。
自分自身が評価をくだし、受け止める時間はありません。

いつも誰かが評価してくれる。
評価を待つようになる。

自分自身で受け止めるという習慣がなくなってしまうのです。

誰かがほめるか、評価してくれないと不安になる。
自分が何をしているのかわからなくなる。
それで、すぐにモチベーションを失ってしまう人が多いのです。

僕だって、こういうブログを書いたら誰かに褒めてもらったり、しっかり読んだ感想なり意見なりの反響がほしい気持ちはあるのです。
実際は反響は期待の100分の1もないです(笑)。
それでも書くのはやめない。
それは書く理由が自分の中にあるからです。

僕はかつて「自由とは自分の理由で生きること」と書きました。
他人が評価してくれなかったらやめるんだったら、それは自分の理由とは言えません。

もちろん他人の評価の中には、していることに意味があるかどうかの指標も含まれています。
それを重視する人は多いでしょう。

たとえば作家や画家で、作ったものが片端から売れて行くなら、作る人にはたいへんありがたい。
それでお金を稼げば世間も評価するでしょう。

中には「お金の儲け方を教える」といってお金を儲けている人もいます。
中身は何もない俗流錬金術ですが、それでも何万人、何千人というファンがいます。

僕はそんなことは書けないし、書きたくないのです。
だからこれでいいのです。
他人の評価を得るために自分を変えられない人もいます。

ゴッホの絵の話を持ち出すのはあまりにベタですが……まあ、そういうことです。
自己評価が絶対ではないけれども、世間の評価もまた絶対ではありません。
僕も自由に書くけれども、世間の評価を期待していないわけではありません。
そういう割合の「塩梅」がその人の生き方のバランスをとって選択肢を広くします。
オール・オア・ナッシングで中間がないと非常に生きづらくなります。

自分で行動し、自分で評価する。
それを一定以上の割合でしないといけない。
そして、他人の評価もある割合でしか受けつけないことです。

芸術教育はとくにこの認識が重要です。
絵を描くことなど、絶対他人が評価してはいけない。
とくに子どもの絵はそうです。

勇気づけたりヒントを与えるのはいいけど、評価してはいけない。
自分で描いたものを自分で受け入れて、次にどうしようかと考える繰り返しが必要なのです。

他人が評価するのは、そのサイクルを破壊することなのです。
僕も子どもの頃、二度に渡って先生の評価ですごく迷わされました。
二度目のときなど、すっかり絵に嫌気がさしてその後30年くらい絵を描かなかったのです。

小中学校の美術の先生というのは、悪くいえば「作家になりそこねた人」ですから、謙虚にしていただきたいのです。
評価することよりも、子どもに絵の楽しさを教えることです。
子どもに絵を描かせて描くことを好きにさせるだけで、とてもいい仕事なのです。

いろいろなケースを書きましたが、元に戻りましょう。

自分の理由で行動する。
自分で自分のしたことを評価し受け止める。

これが一つのサイクルです。魚で言ったら「尾頭つき」です。

美術教育だけではなく、日本の教育にはこのサイクルがありません。
動機も評価も全部誰かが持って行ってしまいます。
中間の面白くもない努力だけが生徒に残されます。

しかし、教育がおかしいといってもよくなった試しはありませんから、自分たちはどうすればいいのか、という話をしましょう。

わたしたちが、他人の理由で行動するのに慣れてしまったこと。
これが「150円」の原因です。

150円というのは、先ほどの

**
「2,000円の生活費があるとします。
1,000円を自分を責めるのに使う。
850円を自分を責められることから守るのに使う。
残りは150円です。

他の人は2,000円のエネルギーで生きているのに、わずか150円のエネルギーしか自分のために使えないのです」

**

このことです。
この150円のエネルギーでは自分を愛せないのです。
では、どうすればいいでしょう?

この150円を投資するのです。
わざわざお金の比喩にした理由はここにあります。
投資とは、先ほどの「尾頭つき」のプロセスを小さなことでいいからしていくことです。

難しい言葉では、「投企」、あるいは「自己投企」と言います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/投企
Wikipediaの説明では、「投げる」ほうはあっても回収する、評価するほうがあやふやですね。

僕はハイデッガーなど面倒くさくて読めませんが、同じようなことを言っていると思います。
ハイデッガーの場合は、150円のことを「主体」というでしょう。
そこから話がどんどんややこしくなる。

私たちが生きていくのに役立てるには、150円でいいのです。
話を進めましょう。

150円を投資したら2割ついて180円で戻ってきます。

実際の投資話では、2割つくと言われたら騙されると思ったほうがいいです。
でも、この話の比喩では本当です。
損することもないし。

この投資で失敗するとしたら、誰かに否定されたときなのです。
しかし、自分自身を投資するのに本来人に干渉されるべきではありません。
もし干渉する人がいるなら、その人に見つからない小さなことから始めましょう。

何度か投資していくうちに、150円は複利で増えて行きます。
150円で2割だと30円ですが、500円だと100円利子がつきます。

だんだん自信がついてきます。

どうしてそんなに利子がつくかというと、
「本来自分のものであったものを取り返している」
からなのです。
自分の行動はもともと自分のものですからね。
自然に戻ろうとしているエネルギーがあるから、そちらには大きく転がるのです。

自分が雪だるま式に増えて行くわけです。
こうして150円だったものが、2,000円のうちの1,000円近くになりますと、「自分は自由だ」という感覚が芽生えます。

自分が愛せるのは、この自由な自分です。
他人の動機や評価でまぜこぜになった自分ではなく。

自分自身が外からの影響と対等になったくらいから、そのような変化が生まれます。

それでも自分自身はまだ半分。
自分はさらに1,000円を越えて全予算の2,000円に近づいてきます。
9割以上が自分のものになると「自由」という状態から、僕が「自然」と呼んでいる状態に移行し始めます。

全く別の変化が起きます。
日々の予算が2,000円であったものが、じわじわと増えて行くのです。
内部の割合ではなく、枠組み自体が拡大して行くのです。
このブログのタイトル「自然の道」とは、そういう意味です。

しかし、このことに深く立ち入るのは今はやめておきましょう。

「どうしたら自分を愛せますか?」がテーマでした。

まず他人の影響と自分を分ける。
次に自分自身を育てる。
そうすると、自分自身を自然に愛せるようになる、ということが答なのです。

「自分探し」が一時期流行りましたが、これからは「自分育て」で行きましょう。

*********

ワークショップ「自然の道」『アートの日』のお知らせ。
自分育てに最適であります!

2015年5月23日14:00
東京都
豊島区目白3-2-9-4階 東社協保育士会会議室

久しぶりに書道をやります。
参加費 3,000円。

腸の感覚を使って書道をします。
自分でやってけっこう面白かったので、みなさんにも楽しんでいただけると思います。
初めての方、歓迎です。


第一部

内臓ダンス+マンダラ+書道。
内臓ダンスで喚起した感覚を使って書を書きます。

面白いものが書けます。

いわゆる書道とは全然基準が違います。
だからしたことがない人でも大丈夫。

習っている人も、違う感覚から書を見直す機会になるでしょう。

筆という道具、墨という液体、これがあると白い紙に無限の広がりが出ます。
お手本のように書くのではなく、そういうアートとして、書を見直します。

必要なものは用意しますので手ぶらで参加できます。

**

第二部

この日の特別イベントとして、終了後、僕が習っている陶芸「サカイ工房」の展示を見に行きます(一部のみ参加も可)。

すぐ隣の池袋駅直近のギャラリーでなので、移動は5分くらいです。

実用的な陶器がほしい方、販売もしているので、けっこう掘り出し物があります。
陶芸のプロではありませんけど、皆さん個性的な作品を作ります。

もちろん、僕の作品もあります!

**

第三部

中華懇親会。

展示を見るのは20分前後。

興奮さめやらぬまま、池袋でおいしい中華を食べて懇親会を予定しております。
予算は食べて飲んで2500円。

内容盛りだくさんです。
ぜひご参加ください。

懇親会参加の方はその旨、お知らせください。

お申し込みは、entry@hiden.jpまで。

- / comments(2) / trackbacks(0)
原発事故で経済が終わること
愛の哲学、続きますが、今回はちょいと社会的なことを書きます。

3.11以降、ずっと政治や社会を見てきたけれども、ようやくそうだったのか、というところに収まったので。


**

ようやく3.11以降の政治家、官僚の動きの全貌が見えてきたように思う。

彼らは最初から福島一発で経済が終わることに気づいていて、そのことだけに対応していたのだ。

生命より経済が大切、というのは、じつは国民の生活のことではなかった。
日本経済がまもなく原発事故によって破綻する、その延命をどうするか、ということであった。

うかつにも、僕は3.11以降のどうにも焦点がズレたような動きは彼らの鈍感さからくるのか、と思ってイライラしていた。

しかし、彼らは自分の利益に関しては十分過ぎるほど頭が回る。
そして、僕らに隠して、生の質のいい重要な情報をつかんでいる。

原発が使い物にならないとなると、今まで資産であったものが、おそろしく危険な金食い虫になる。
+100が-100に逆転するのだから、日本国は倒産するのである。

先日、IMF管理の記事がでていたが、倒産するとIMFから金を借りる。
そうすると、日本全体が差し押さえられる。
公務員給与のカット、退職金ゼロは、ざまあみろな要素もあるが、国民の預金、不動産まで管理下におかれ、IMFに吸い上げられるということが起きるようだ。

このときに自民党の中枢は何を考えたか。
自分と自分の一族の特権、資産を増やすことだ。

実質的な対策よりも、除染のほうがてっとり早く金になる、というようなことだ。

自民党の一年生議員に近い連中は付和雷同しているだけだろうが、世襲議員たち、権力の中枢にいる者は、一様にこの認識を持ったはずだ。

戦争成金、戦後のどさくさに財をなした者。
戦犯ですら、処刑されなかった者は、戦時中のコネクションを活かして財をなした。

とにかく放射能対策よりも、利権があれば、自分も一枚噛むということに忙しかったに違いない。

事故の報道について、大本営発表という言われ方をしていたが、まさに、これから戦争が始まるのではなく、いまは戦時中なのだ。
古株の政治家たちは、原発に関する利権を探して鵜の目鷹の目であろう。

仮に日本が倒産しようと、自分たちは海外に預金や不動産を持ち、日本で利権をあさるだけあさったら、いつでも逃げられる選択肢を持っているはずだ。

とにかく彼らは国民から吸い上げるだけ吸い上げる。

もういわば使い捨てなのであるから、絞れるだけ絞る。
マスコミは押さえたので、他に抵抗してくる基盤はない。

政治家が忙しいのは、権力内部で自分の取り分を確保することであろう。

日本の経済は終わる(倒産する)。
もし開催できる状況であれば、たぶんオリンピックの直後くらいではなかろうか。
オリンピックで最後の金をかき集める。

経済以後に、一般人がどう生きるのか、どう備えるのか、というのは、僕のテーマの一つだが、まだ話についてきた人は一人もいない。

みんな目の前の生活で忙しいのだろう。
僕のような閑人が一人で考えないといけない。

とにかくもはや怒ったり、苛立ったりしている場合ですらない。

戦えると思う人は戦ったほうがいい。
逃げられると思う人は逃げたほうがいい。
自分も成金になれると思う人は権力に媚びたほうがいい。

信じない人、あきらめている人、どうにもできない人、面倒くさい人はいままでと何も変わらずに生きて行くだろう。

そのようにして時代は進む。



- / comments(2) / trackbacks(0)
どうしたら自分を愛せますか? 2(自己愛の強い人について) 




自分を愛しているとは、どういう状態だと思いますか?

自己愛? ナルシスト? それはここで語ろうとしていることとは、また別の領域です。
母親が子どもを愛するのは、ちっとも大げさなものではないでしょう。
たんたんと静かに日常を送る。
その中にひたひたと愛は満ちているのです。

自分を愛するというのは、じつはぼーっとしているようなことです。

*他人が自分をどう思うかに余計な気を使わない。
*他人の基準で自分を測らない。
*自分がしたいことがわかっていて、可能な限りそれを実現する。
*人に何か言われても大して落ち込まない。
*褒められても過剰に舞い上がったりもしない。

そういうある意味、ぼーっとした状態が自分の中に愛があるということだと思います。
自然な状態では、愛は血液のように自分の中をめぐっているのです。
だから、自分を愛している状態とは、「当たり前の状態」であるわけです。

だいたい自分を愛する自分と愛される自分に分裂することが不自然、不健康と言えるのです。
自分を責める自分と、責められる自分が分裂しているのと同様に不健康です。
裁く自分と裁かれる自分。
正しい自分と間違った自分。
みんな分裂です。

人には60兆の細胞があると言われていますが、僕が自然と呼ぶ究極の姿は、60兆の細胞が全部一つの意志で動く状態です。

会議でも、意見が半々に分かれていては、ムダに疲れるだけで、何もできませんね。
全員一致であれば、思った事は瞬時に行動に移せるのです。
一つの意志というと、北朝鮮のような独裁国家を思い浮かべるという反応が現代では多いと思うのです。
しかし、ああいう国家は異端者を投獄したり、処刑したりしないと成立しません。
それは僕の60兆の細胞が全部生き生きした状態とは違うのです。

一つの生命、一つの身体ですから、本来利害の対立はないのです。
イデオロギー、考え方の対立もありません。
では、なぜ現状私たちがいくつもの価値観に分裂しているかといえば、外からインプットされたものに影響されているからです。

頭脳は矛盾した価値観を抱えているのです。頭脳とは、つまり言葉の世界です。
本来統合されえない複数の価値観の断片を私たちはインプットされているのです。

しかし、身体は言葉を抱え込みませんから、一つなのです。
ですから、私たちは身体の声を聞くことで、自分の中の混乱を鎮めていくことができます。

心で心を押さえ付けることはできません。
言い換えれば、言葉で心を押さえ付けることはできません。
一つに統一することができません。

不愉快なことがあって、「怒るな怒るな」と念じても、考えているうちに、かえって火がついて爆発してしまうことがあります。
それは取り扱いを間違えているのです。

身体と心が一致して、分裂が少ない状態、それが自分に対して「愛がある状態」であるととりあえず定義しましょう。

じつは、世間でいわゆる「自己愛の強いタイプ」に分類される人は、内部に分裂を含んでいます。

これには二つのタイプがあります。
一つのタイプは、外では超強気で振る舞うけれども、一人になった途端にどぉぉよよよぉぉぉん、と落ち込むタイプです。
これは、ジェットコースターみたいに無理にアゲるから、その分、落ちるのです。
自信満々と裏腹に自己嫌悪も強いです。

もう一つのタイプは、自分を愛する自分と、愛される自分とがラブラブなタイプです。
これは幸せですが、やはり分裂していると、前者と同じ要素を持っています。

自分を愛するといっても、ぼんやりしたものではなく、たいてい具体的な長所を愛している。たとえば、美貌、頭の良さ、芸術的才能、スポーツ能力、仕事の手腕、何かそういうものに対してナルシスティックになっているのです。

しかし、才能でも何でも上には上がいる。
またそれまでは順風満帆でも、壁にぶつかるときもある。

こういうときに、がーんと落ち込むと最初のタイプに似て来ます。

もう一つの反応は、自己合理化する、ということです。
現実を見ないで自分の都合で世界観をねじ曲げてしまう。
こうなると、「あの人はアレだから」と周囲からも距離を置かれてしまいますが、そういう現実すら見なくなります。

スポーツや、囲碁、将棋のような勝負事は、いやおうなく、自分の相場、限界がわかってしまいます。
しかし、芸術活動などは、「理解しない周囲が見る目がないヤツばかりだ」と合理化することができるのです。
一回自己合理化の回路ができてしまうと、ほとんどそこから抜け出すことはできません。

だから、自分が分裂している状態は、たいへんに不安定で、本当に自分を愛していることにならないのです。

これで、ようやく「どうしたら自分を愛せますか?」に答えられます。

やはり次回に続く。

**

内臓ダンス+シンクロームのお得なセット。
習った日から、自分に恋人に、家族に、ペットにしてあげられます。

シンクローム講座
http://synchrome.asia/2015/03/28/1020/
JUGEMテーマ:恋愛/結婚


- / comments(0) / trackbacks(0)
どうしたら自分を愛せますか? 1
どうしたら自分を愛せますか? について書くと予告したけれど、もう少し、自分を愛せない人について書く必要があるようです。

先日、スピリチュアル系?の記事にこんなことが書いてありました。
二枚の紙を用意します。
一枚には感謝の言葉を書き、一枚には否定的な罵倒辞を並べます。
それをそれぞれ果物と同じ容器に入れておくと、罵倒辞のほうが早く腐るのだそうです。

また血液も同じようにして変化を観察すると、罵倒辞のほうは顕著に悪い変化が現れる、というようなものでした。

本当かどうかわかりません。しかし、そういう結果が出ても不思議ではない気がしますね。

心の中では、もっと明快です。
悪い言葉、否定的な言葉は自分を痛めつけます。

言葉が物質に作用することには否定的な人がいるでしょうが、言葉が心理に作用することは毎日私たちが体験していることです。
ちょっとイヤなことを言われてどーんと落ち込んだり。

自己否定的な人は、毎日それを自分でしているのです。
自分で自分を殴るようなものです。
バカバカしい。

ところがその人は、「自分を否定しているのではなくて、ダメな自分を正しているのです」というでしょう。

しかし、こんなのは30秒で論破できるのです。
そもそも「自分を正す」ことができる自分がいる、というのが嘘なのですからね。
その嘘に陶酔しているのです。

もし自分で自分を正すことができるなら、とっくに正しくなっているでしょう。
正すことができないのは、認識や方法が間違っているからです。
しかし、そのことは正そうとしない。
正されるほうの自分は激しく否定するのに、正すほうの自分は正しいと信じ込んでいる。

10年以上も同じことで自分を否定し続けている人がたくさんいます。

10年以上一つのことをして、何の効果もなかったらどうですか?

とてもムダなのです。
部屋の中で暖房をつけていて、暑すぎるからと同時に冷房をつける、それはムダだと誰でもわかります。
生きて行くのに、自己否定をするのも同じくらいムダです。

2,000円の生活費があるとします。
1,000円を自分を責めるのに使う。
850円を自分を責められることから守るのに使う。
残りは150円です。

他の人は2,000円のエネルギーで生きているのに、わずか150円のエネルギーしか自分のために使えないのです。

では、どうしたらいいでしょうか。
今すぐばかばかしさに気づいてやめることです。

どうしたら自分を愛せますか? の答は、「自分で否定するのをやめること」、なのです。
自分でする。
無責任のようですが、何人ものそういう人と話してきて、いろいろ奮闘努力した上での結論です。

その人は、まず「どうしたらできますか?」と聞きます。こうしたら、というと、「それができないです」というのです。
では、こうしたら、というと、「それもできないです」といいます。
どこまでいっても、「それならできます」「それならできました」という言葉はでてきません。

自分で自分を正そうとするのは無理だ、と書いてあるのを読んだら、「ああ、バカバカしい。やめよう」とすぐにやめればいいのです。
しかし、真剣に読んでいないのです。
自分の都合のいい世界でしか読まない。

自己否定を「やめられません」と言った時点で、もう僕が何を言ってもムダなのです。そこでやめない人はもうやめません。
どうも、あれこれ聞いてくのも、やめることが目的ではなくて、「やめられない」ということを僕という道具を使って証明しようとしているようなのです。やっぱりダメだった、ということを証明するために「どうすればいいですか?」と聞いてくるのです。

ですから、自分でできない人はダメなのです。
ダメと見捨てられて、「ほらみろ、やっぱりダメだ」とますます今いる場所に安住するのが重症の人です。

しかし、そこまで重症でない人のために、どうしたら自分を愛せますか? について考えたことがあるので、次回こそ書きましょう。
(懲りないですね、僕も)

**PR

『言葉のクロッキー』最強の文章切磋琢磨マシーン!
いよいよ4月から始まります。
毎年、少し遅れて申し込む方がいます。
もったいないです。
今すぐ申し込みましょう!

http://croquis.hiden.jp
- / comments(0) / trackbacks(0)
【まず自分から愛すべし】
【まず自分から愛すべし】

愛にはいくつかの基本があります。。
今まで書いて来たことは、ずいぶん変なことを書くなあ、と思われているかもしれないけれど、全部基本なのです。
日常生活でなんなとなく身に付いたクセが基本であるとは限りません。
何か習い事をしたときに、基本姿勢が日常動作と違ってとまどうことがあるでしょう?
しかし、その基本姿勢の上に、合理的な体系が組み立てられるのです。

基本は、わかっているかどうかで、大違いの結果を生みます。
基本を外れていると結局遠回りをします。
遠回りをしただけでなくいい結果を生みません。
土台が歪んだまま上に家を立てるようなものです。

さんざん自分で苦労した結果、帰ってくるのが基本です。
帰って来られればいいですが、ひずんだ形のまま、一生ごまかしごまかし生きなくてはいけなくなるかもしれません。
愛なんてめいめい勝手でいいだろうと思っていませんか?
めいめい勝手でいいんですけど、やっているうちにそこに合理的な筋道が見えてくるのです。

男の世界の喧嘩でも、「勝てばそれでいいだろ」という生き方もあります。
腕力や体力が強いだけの乱暴者もいます。
しかし、素質や腕力だけでは、系統だった武道や格闘技を習った人にはやがて勝てなくなります。
あまりいい比喩ではないですけどね。

前置きはこれくらいにして、もう一つの基本を書きましょう。
愛の基本は、まず「自分を愛すること」です。

愛に生きるためには、自分を好きになるって大切にすることです。
自分自身を大切に扱って育てることです。
いつも身辺をきれいにし、気がかりなことを残さない。
自分を高めるチャンスを探し、いつも心を生き生きとさせておくことです。

自分が愛せない自分を他人に愛してもらうことはできません。

自分でまずいと思っている料理を人に出せないのと同じです。
まずい料理で人をもてなせばどうなりますか?
自分でまずいと思っている料理は、器や盛りつけに気を使うことができません。
相手の好みを考えに入れる余裕もありません。
出したあとの会話もぎこちなく盛り上がりません。
相手が顔をしかめるのではないかと心配し続けないといけません。

これでは愛はありません。

自分で自分は愛せない、だからこそ、人の愛がほしい、という人はけっこう多いのではないでしょうか。
しかし、それは無理筋です。
さびしさを他人で埋めようとして、ずっとうまく行くケースはほとんどありません。

なぜなら、そういう女性が慰められるのは、会って楽しいそのときだけだからです。
一人になると急にさびしく不安になる。
だから頻度高くメールや電話をせずにいられない。
毎日のように会わないと気が済まない。
いわゆる依存です。

そういう女性とつきあえるのは、やはり依存性の高い男性であるか、心よりも若さや身体に惹かれた男性ということになります。
どちらも行く末を考えるとさほどよいことがありません。

だいたい想像がつくでしょう?
たいへん類型的なできごとが起きるのです。
「わたし」が楽しい、「わたし」が苦しい、と切実に感じているけれども、外から見れば、よくある愚かさでしかない。
その決まりきったコースから逸脱できるかどうかが、その女性の賢さなのです。

外からみれば、と書きましたが、その「外から見る」という冷静な視点を自分の中でもてないのです。
外からみようとすると、自動的に自分を叱責したり、否定したりしてしまう。
それはかなり高いパーセンテージで幼いときに母親から言われたことの口真似なのです。
自己否定のシステムについては、それだけで独立して一冊の本が書けるほどなので、いつまで書いてもキリがない。
ここでは、これ以上深入りしないことにしましょう。

愛は血液のように自分の中を循環しているものです。
それがほのかな暖かさとなって人に伝わります。
いずれ詳しく述べますが、愛とは激しいものではなく、そのようなものです。
自己否定は愛の流れを止めてしまいます。

自分の中の愛せない一部について、恋人が癒してくれることはあるでしょう。
しかし、8割くらいは自分が好きでないといけません。

自分が嫌いな人は、4割くらいしか自分のことが好きでないとします。
数字は便宜ですが。そして、生きているからには、たいてい4割くらいは自分が好きなのです。
そうすると、6割を人に負わなければなりません。
6割を男性が負うには、自分を犠牲にしなければなりません。

自分を犠牲にするのは、身体目当ての男か、自分をまだ確立していない男です。

依存性の高い女性が、自分のある男とつきあえば、自分が思うほどかまってもらえないので「冷たい」とうらむことになるでしょう。

精神的に自立した男女が惹かれ合うことのほうが、依存し合うよりずっと品があって、質の高い喜びがあるのです。

日本には「割れ鍋に綴じ蓋」という言葉もあり、そんなに完璧に自立した者同士を考えるのは難しいかもしれません。

それでも、まず8割くらいは自分のことを愛せることは大切なことです。
それをせずに外に愛を求めても失敗します。

どうしたら自分を愛せますか? という質問も当然でてくると思います。
それについては次回書きましょう。

[村松恒平の文章力養成! 4月生募集中]
http://croquis.hiden.jp

JUGEMテーマ:恋愛/結婚

- / comments(0) / trackbacks(0)
←2015年3月『心が大事』をタイトル変更しました」