ナチュラルに生きる方法論序説

巻頭言

これは心にセンタリングするブログです。

今の世の中は中心がお金や経済で回っています。でもお金で価値が一元化していく流れは、人にはちょっとしんどいものです。だから、それとはズレた次元に、心という中心を求めて行こうと思います。

本当はセンタリングというからには、究極的には魂や霊に、あるいは神に中心を求めたほうが安定がいいでしょう。しかし、現代ではスピリチュアルな領域もすっかりカテゴライズされてしまっていて、語り口も決まりきっています。どこかで読んだようなことが順列と組み合わせを変えて書かれ、何の目新しさもありません。そういう領域で書いてもちっとも面白くないので、心という中途半端な領域で四苦八苦しながら哲学するつもりです。
そもそも、自分の心がわからない者には霊や魂のこともわからんだろうと思います。

読者の皆さんにもお願いがあります。

愛読者を自任される方は、ぜひさまざまにアクティブな応援をお願いします。
これは心を見つめる、心について考える、という運動です。
私が書く、あなたが読む、ということで完結してしまうのは意図するところではありません。

もし読むということが、お昼にコンビニ弁当を食べる、ハンバーガーを食べるということと同じような消費活動に過ぎないなら、昨日と今日と明日に何の変化もありません。

雑多な知識の断片を十分に消化することなく頭脳や心に次々に取り入れて満足するなら、それは「死んだ読書」です。
本来、読書というのは、食事を取るのと同様に書物の内容を血肉化するところにあるのです。
だから、よいものを取って、毒物は取らないようにしなければなりません。
ぜひこのブログについては、生きた読み方をしていただきたい。

なぜなら心というのは生きて、毎日変化していくからです。

もし、心は変わって行かないと思っていれば、このブログを読むことは意味がありません。
むしろ有害かもしれません。

このように読み方を読者に強制する権利も方法も、もとより、著者にはありません。
一度公開した文章を読者が「どのように読もうが勝手」だと思うことを物書きのはしくれとして僕は知っています。
僕もそのように読むことがあります。
ただ、そういう読み方をしてもらいたいと望んでいる、ということはきちんと言葉にしておく必要を感じたのです。
そのような読み方があるということも、著者がそのように思っているということも全く想像しない読者もいるように思うのです。

具体的にはそれは次のようなことです。

  1. 書いてあることを読んで知識として蓄積するのではなく、自分の心、経験と照らし合わせて吟味してください。
  2. そのときに何を感じたか、できるなら言葉にしてみてください。同意ではなく違う意見でもいいのです。
  3. 出てきた言葉をこのブログあてのコメント、メール、あるいは自分のブログやツイッターなどに書いてください。
  4. このブログへのリンク、クレジットなどもお願いします。
毎回ではなくていいのです。
心に自然に言葉が浮かんできたときに。

そのような連鎖全体を書くことととらえたいのです。

それだけは物足りない、さらに応援したい方に!

あるいは違う応援をしたい方に!

本が売れない時代になってきまして、村松も物書きとしての自分の活動を考えなければいけません。
その部分のフォローとしまして。
  1. 単なるカンパ。
  2. 著書を購入する。
  3. 心理研究会に参加する
  4. セッションを受ける
などで、心の中で思うだけでなく、力強く応援してください。
どうしたら自分を愛せますか? 1
どうしたら自分を愛せますか? について書くと予告したけれど、もう少し、自分を愛せない人について書く必要があるようです。

先日、スピリチュアル系?の記事にこんなことが書いてありました。
二枚の紙を用意します。
一枚には感謝の言葉を書き、一枚には否定的な罵倒辞を並べます。
それをそれぞれ果物と同じ容器に入れておくと、罵倒辞のほうが早く腐るのだそうです。

また血液も同じようにして変化を観察すると、罵倒辞のほうは顕著に悪い変化が現れる、というようなものでした。

本当かどうかわかりません。しかし、そういう結果が出ても不思議ではない気がしますね。

心の中では、もっと明快です。
悪い言葉、否定的な言葉は自分を痛めつけます。

言葉が物質に作用することには否定的な人がいるでしょうが、言葉が心理に作用することは毎日私たちが体験していることです。
ちょっとイヤなことを言われてどーんと落ち込んだり。

自己否定的な人は、毎日それを自分でしているのです。
自分で自分を殴るようなものです。
バカバカしい。

ところがその人は、「自分を否定しているのではなくて、ダメな自分を正しているのです」というでしょう。

しかし、こんなのは30秒で論破できるのです。
そもそも「自分を正す」ことができる自分がいる、というのが嘘なのですからね。
その嘘に陶酔しているのです。

もし自分で自分を正すことができるなら、とっくに正しくなっているでしょう。
正すことができないのは、認識や方法が間違っているからです。
しかし、そのことは正そうとしない。
正されるほうの自分は激しく否定するのに、正すほうの自分は正しいと信じ込んでいる。

10年以上も同じことで自分を否定し続けている人がたくさんいます。

10年以上一つのことをして、何の効果もなかったらどうですか?

とてもムダなのです。
部屋の中で暖房をつけていて、暑すぎるからと同時に冷房をつける、それはムダだと誰でもわかります。
生きて行くのに、自己否定をするのも同じくらいムダです。

2,000円の生活費があるとします。
1,000円を自分を責めるのに使う。
850円を自分を責められることから守るのに使う。
残りは150円です。

他の人は2,000円のエネルギーで生きているのに、わずか150円のエネルギーしか自分のために使えないのです。

では、どうしたらいいでしょうか。
今すぐばかばかしさに気づいてやめることです。

どうしたら自分を愛せますか? の答は、「自分で否定するのをやめること」、なのです。
自分でする。
無責任のようですが、何人ものそういう人と話してきて、いろいろ奮闘努力した上での結論です。

その人は、まず「どうしたらできますか?」と聞きます。こうしたら、というと、「それができないです」というのです。
では、こうしたら、というと、「それもできないです」といいます。
どこまでいっても、「それならできます」「それならできました」という言葉はでてきません。

自分で自分を正そうとするのは無理だ、と書いてあるのを読んだら、「ああ、バカバカしい。やめよう」とすぐにやめればいいのです。
しかし、真剣に読んでいないのです。
自分の都合のいい世界でしか読まない。

自己否定を「やめられません」と言った時点で、もう僕が何を言ってもムダなのです。そこでやめない人はもうやめません。
どうも、あれこれ聞いてくのも、やめることが目的ではなくて、「やめられない」ということを僕という道具を使って証明しようとしているようなのです。やっぱりダメだった、ということを証明するために「どうすればいいですか?」と聞いてくるのです。

ですから、自分でできない人はダメなのです。
ダメと見捨てられて、「ほらみろ、やっぱりダメだ」とますます今いる場所に安住するのが重症の人です。

しかし、そこまで重症でない人のために、どうしたら自分を愛せますか? について考えたことがあるので、次回こそ書きましょう。
(懲りないですね、僕も)

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【まず自分から愛すべし】
【まず自分から愛すべし】

愛にはいくつかの基本があります。。
今まで書いて来たことは、ずいぶん変なことを書くなあ、と思われているかもしれないけれど、全部基本なのです。
日常生活でなんなとなく身に付いたクセが基本であるとは限りません。
何か習い事をしたときに、基本姿勢が日常動作と違ってとまどうことがあるでしょう?
しかし、その基本姿勢の上に、合理的な体系が組み立てられるのです。

基本は、わかっているかどうかで、大違いの結果を生みます。
基本を外れていると結局遠回りをします。
遠回りをしただけでなくいい結果を生みません。
土台が歪んだまま上に家を立てるようなものです。

さんざん自分で苦労した結果、帰ってくるのが基本です。
帰って来られればいいですが、ひずんだ形のまま、一生ごまかしごまかし生きなくてはいけなくなるかもしれません。
愛なんてめいめい勝手でいいだろうと思っていませんか?
めいめい勝手でいいんですけど、やっているうちにそこに合理的な筋道が見えてくるのです。

男の世界の喧嘩でも、「勝てばそれでいいだろ」という生き方もあります。
腕力や体力が強いだけの乱暴者もいます。
しかし、素質や腕力だけでは、系統だった武道や格闘技を習った人にはやがて勝てなくなります。
あまりいい比喩ではないですけどね。

前置きはこれくらいにして、もう一つの基本を書きましょう。
愛の基本は、まず「自分を愛すること」です。

愛に生きるためには、自分を好きになるって大切にすることです。
自分自身を大切に扱って育てることです。
いつも身辺をきれいにし、気がかりなことを残さない。
自分を高めるチャンスを探し、いつも心を生き生きとさせておくことです。

自分が愛せない自分を他人に愛してもらうことはできません。

自分でまずいと思っている料理を人に出せないのと同じです。
まずい料理で人をもてなせばどうなりますか?
自分でまずいと思っている料理は、器や盛りつけに気を使うことができません。
相手の好みを考えに入れる余裕もありません。
出したあとの会話もぎこちなく盛り上がりません。
相手が顔をしかめるのではないかと心配し続けないといけません。

これでは愛はありません。

自分で自分は愛せない、だからこそ、人の愛がほしい、という人はけっこう多いのではないでしょうか。
しかし、それは無理筋です。
さびしさを他人で埋めようとして、ずっとうまく行くケースはほとんどありません。

なぜなら、そういう女性が慰められるのは、会って楽しいそのときだけだからです。
一人になると急にさびしく不安になる。
だから頻度高くメールや電話をせずにいられない。
毎日のように会わないと気が済まない。
いわゆる依存です。

そういう女性とつきあえるのは、やはり依存性の高い男性であるか、心よりも若さや身体に惹かれた男性ということになります。
どちらも行く末を考えるとさほどよいことがありません。

だいたい想像がつくでしょう?
たいへん類型的なできごとが起きるのです。
「わたし」が楽しい、「わたし」が苦しい、と切実に感じているけれども、外から見れば、よくある愚かさでしかない。
その決まりきったコースから逸脱できるかどうかが、その女性の賢さなのです。

外からみれば、と書きましたが、その「外から見る」という冷静な視点を自分の中でもてないのです。
外からみようとすると、自動的に自分を叱責したり、否定したりしてしまう。
それはかなり高いパーセンテージで幼いときに母親から言われたことの口真似なのです。
自己否定のシステムについては、それだけで独立して一冊の本が書けるほどなので、いつまで書いてもキリがない。
ここでは、これ以上深入りしないことにしましょう。

愛は血液のように自分の中を循環しているものです。
それがほのかな暖かさとなって人に伝わります。
いずれ詳しく述べますが、愛とは激しいものではなく、そのようなものです。
自己否定は愛の流れを止めてしまいます。

自分の中の愛せない一部について、恋人が癒してくれることはあるでしょう。
しかし、8割くらいは自分が好きでないといけません。

自分が嫌いな人は、4割くらいしか自分のことが好きでないとします。
数字は便宜ですが。そして、生きているからには、たいてい4割くらいは自分が好きなのです。
そうすると、6割を人に負わなければなりません。
6割を男性が負うには、自分を犠牲にしなければなりません。

自分を犠牲にするのは、身体目当ての男か、自分をまだ確立していない男です。

依存性の高い女性が、自分のある男とつきあえば、自分が思うほどかまってもらえないので「冷たい」とうらむことになるでしょう。

精神的に自立した男女が惹かれ合うことのほうが、依存し合うよりずっと品があって、質の高い喜びがあるのです。

日本には「割れ鍋に綴じ蓋」という言葉もあり、そんなに完璧に自立した者同士を考えるのは難しいかもしれません。

それでも、まず8割くらいは自分のことを愛せることは大切なことです。
それをせずに外に愛を求めても失敗します。

どうしたら自分を愛せますか? という質問も当然でてくると思います。
それについては次回書きましょう。

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ブログタイトル「自然の道」にしました
本当はもっと早くすべきだったんですけど。

旧題「心が大事」は、いわば心理の領域について言語化する「運動」だったのです。
しかし、心と身体の境目は世の中で思われているほどはっきりしたものではなくて、分けて考えるのは不健全であるという考えに至りました。

身体について考えると、今度は身体と宇宙もつながっています。
そういうことの探求の全体を「自然の道」と呼ぶことにしたのです。

したがって、この「自然」の中にはアウトドア志向はほとんどありません(笑)。

あえて同語反復的なサブタイトルをつけてみました。

自然というより、ナチュラルと言ったほうが、たぶん素直に受け取られやすいのは不思議です。
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愛のワークショップ報告
愛のワークショップ報告


3月14日開催の『愛のワークショップ』、とてもいい感じでした。
レクチャーはかなり概念的で深かったのですが、全体にまろやかで、温泉に入ったような温かい愛のエネルギーが流れました。

……というのは、主催者の自己評価ですが(笑)、参加者にも同様に感じてもらえたと思います。

女性の力はつながることで強くなる、と感じました。
その他、新しいヒント、アイデアなども浮かんだので、機が熟したら第2回を企画したいと思います。
今回も参加者数は多くなかったので、苦しいのですが、少人数でもつないでいきたい企画です。




4月の話。

4月18日14時から2時間、『自然の道 * 内臓ダンスとシンクローム』を行います。参加費は5,000円。懇親会つきです。

今回は内臓ダンスとシンクロームに絞って、濃いめにやります。
とくにシンクロームは、一回で実践できるようになるので、たいへん有用なものだと思います。
こんなに簡単に教えていいのか、とときどき自問します…(笑)。

体験者の方も繰り返し共有することで理解が深まり、施術が安定して他の人にもしてあげられるようになりますので、ぜひご参加ください。
初めての方は、自分や家族のちょっとした身体の不調に対応できるようになって、本当にお得だと思います。

内臓ダンスは、CD(12曲入り2,000円)も完成し、ファンが激増中であります。

**

そして、『言葉のクロッキー』いよいよ2015年度版が4月から始まります。
ピカピカの一年生! 一年に一回の始まりです。
今回は課題を10年ぶり(くらい)に3問増設!
ますますハードな文章虎の穴になりました。
どんなのかはこれがわかりやすいです。

参加者のブログ/『言葉のクロッキー』とは?
http://hirotograph.com/2015/03/13/kotobano_croquis2014/

『言葉のクロッキー』申し込みサイト
http://croquis.hiden.jp
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「愛のワークショップ」は何をするのでしょう?
「愛のワークショップ」いよいよ今度の土曜です。
みなさん様子を見ていますか?
人数今のところかなり少なめです。
あなたが埋没してしまう恐れはありません。

でも目立ちすぎることもありません。
みなさん、このプログラムは初めてですから、なんだかわからないのは同じです。
僕も初めてだし!
自分だけ様子がわからないと思う必要はありません。
予備知識や準備も要りません。

どんなワークショップでしょう?
ここに長い文章を書いていますが、レクチャーはちょっとだけで、7,8割はワークショップになると思います。

たぶん、心のいろいろなところを刺激されているうちに、あっという間に時間が経ってしまうでしょう。
いっしょにゲームをしたあとは、ビールやワインで愛について語り合いましょう。
たぶん懇親会になる頃にはみんな仲良くなっています。

3月14日14時開始!
今すぐ「愛のWS参加」と書いて

entry@hiden.jp

にメールしましょう。
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【男は「生理のない女」である】
【男は「生理のない女」である】


僕は女性にもっと自信を持ってもらいたいし、女性同士がもっと力強く賢く暖かくつながってほしいと思っています。

それは僕の願望というより、そうあることが自然で健康であると感じるからです。
孤立して相談できる相手がいなかったり、孤独になりたくないがゆえに派閥を作ったりするのは本当にもったいない。

女子会が流行っていますが、仲のいい女性同士が本当にリラックスして盛り上がっている姿はとてもよい熱気を感じるのです。

女性と男性は、対立しているのではなく、補いあっています。
女性が元気になれば、男性が引っ込むということはなくて、両方がより高め合うことができます。

哲学者のボーボワールは、「人は女に生まれない、女になるのだ」という有名な書き出しで始まる『第二の性』を書きました。
つまり、自分の本性を生きているのではなく、文化的な抑圧によって女としての生き方を強いられている、というのです。
フェミニズムの先駆ともいうべき作品です。
ボーボワールは、サルトルのパートナー、恋人でしたが、結婚せず、それぞれにまた別の恋人を作ったりする生き方でも先駆的でした。

『第二の性』は、つまり第一の性は男性である。女は第二の性に貶められている、という意味を含みます。

イブはアダムの肋骨から作られたとかですね。
僕は高校生のときに年長のいとこの影響で背伸びして読んだので、途中までで放り出してしまったし、覚えていないことが多いのですが印象には強く残っています。
ボーボワールは古今の文献の中で女がどう語られているかを執拗に検証していきます。

その手法があまりにまわりくどくて、なかなか「こうだ」と断言しないので、若くせっかちな僕はいやになったのだと思います。

しかし、その中で印象に残っているのは、「女は去勢された男だ」という言い回しです。
ちんちんを切られた、あるいは持っていない男、女はそのように扱われていると書いてありました(僕の記憶の中では)。

ボーボワールはあるいはちんちんがほしかったかもしれません。
最近の僕の目から見ると、そんなことが想像されます。
そう思っている女性もいるはずです。
直接聞いたことは一度しかありませんが。

しかし、男性だって女性器(ろくでなし子さんの登場に関わらずその名称は書きにくい)がほしい人はたくさんいます。
いわば対象形なのです。

凸と凹どっちが本質的で優れているかなんてこと考えても仕方ないですね。ボリューム的には字でも凹のほうがむしろありそうです。
女性にはおっぱいやお尻がありますからね。

僕が最近考えているのは、むしろ、男が「生理のない女」だということなのです。
女性は月に一度、生理を体験します。
これによって、毎月自分の身体の内なる営みを確認しているのです。

毎月一度、身体、生命、地上的、具体的なものに引き戻されるのです。
男はそれがないから、ふわふわと夢の世界、観念の世界をさまよいがちなのです。

歯止めがないから、原発を作ったり、戦争をしたりするのです。
原発が深刻な事故を起こしたのに、「原発を止めれば経済が止まる。だから原発は推進する」というのは典型的男の論理です。

子どもたちの命がなくなったら人類は滅びて経済はありません。
しかし、経済がなくなっても生命はあります。
自然の恵みを採集して食べるのは経済ではありません。
もともと金の動きは生命に必須ではないのです。
社会が経済が回らないといけないように発展してきたので、実情はもちろんあらゆる人に経済、お金が必要です。
しかし、少しずつ経済に大きく依存しないで生きようとする人々が出て来ています。

現代社会のあり方は、屋上屋を重ねるという言葉通り、どんどん制度、システム、法律を上塗りしていくだけです。
よくないとわかった組織、制度を反省し、壊して別のデザインに変えるということができないのです。

何十年も前に計画されたダムや、高速増殖炉の「もんじゅ」、リニア新幹線など、素朴に感じることができれば、バカバカしく有害であるとすぐにわかることも止めることができません。

そういう社会を止めることができるとすれば、女性の力であろうと僕は思っています。
男社会は「原子力ムラ」というように全部が連動していますから、強大です。しかし、逆に一つを止めれば全部に波及します。

そういう機運は高まっていますが、具体的に方法、出口は見つかっていません。
僕はその糸口は女性の力だと思っています。
男にはあまり期待できません。
そして、女性の力を社会につないでいくものは愛だと思って、ワークショップを始めるのです。

だからといって、これは社会運動でもないし、フェミニズムでも政治でもありません。

難しいかもしれないことを書きますが、それらのものは、「言葉の運動」になってしまうのです。
運動とは、エネルギーが動いた現れです。
つまり、本質は言葉以前のエネルギーや感覚なのです。
しかし、それを継続させよう、広げようとしたときに、言葉で定義や方針や説明をすることになります。

そうなったときに運動は早くも死にかかります。
言葉は、固定し限定するためのもので、運動ではないのです。

愛はそのようなものではありません。
つねに運動であり、エネルギー、感覚に留まります。
そして、個人をうるおし、人とつながります。

そのような愛が海のように世の中に広がったときに、世の中は動き始めます。

でも、まず一人一人が愛の波動を生きなければなりません。

【生理はバージョンアップである】

生理が重い、つらい、という人はたいへん多いと聞きます。

なんかたいへんネガティブな、女に生まれたことの重荷、税金のように感じている人が多いのではないでしょうか。

でも、実際はそれは違います。
女性の身体は月に一度リセットされるのです。
更新、バージョンアップされます。

経血は使用済みの血です。
月に一度更新されることによって、女性の心身はつねに新鮮な状態を維持しているのです。

生理を悪者にして考えるのは、たいへん逆立ちした考えなのです。
生理が重い人は、どこかで我慢したり、無理をしたりして、生命のエネルギーのめぐりが悪くなっている人が多いのです。

人の身体にはいろいろ例外がありますが、これはおおよそ言えることです。
しかし、逆は真ならずで、生理が軽い人でも心にいろいろ重荷を抱えている人はいます。

女性の身体はそれだけタフなのです。

そして、生理は軽くなります。
僕のしているシンクロームという施術で結果的に軽くなった人は何人かいます。
鎮痛剤を飲まなくて済むようになった人がいます。

僕のしていること以外にも、方法はたくさんあると思います。
苦痛に耐えるのが当たり前と思い込まないでください。
毎月イヤなつらい思いをするだけでなく、女性としての生命が輝きだしているかどうかのバロメーターなので、真剣に考えてみてください。

女性の身体は月の周期と同調しています。
その波にうまく乗れば、女性は自然の力を味方につけることができます。
若さや美しさはそこから来るのです。

いつも自然で愛の力に満ちあふれている。
それが女性の本来の姿です。

*今回はとても大事なことを書きました。
共感された方はぜひシェアしてください。

納得いかない方はぜひコメントを。

そして、今週土曜はワークショップです!

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【女性から別れを告げるとき】

【女性から別れを告げるとき】

カマキリの雌は産卵のために用の済んだ雄を食い殺す、という話がありますね。

ホントかな、と思ってwikiをチェックしたのですが、そういう行為はあるようです。
ただ全てそうするわけではないし、日本産では少ないそうです。

雌のほうが身体が大きくて強いのです。
共食いもよくあることと、あまり特別視しないように書いてあります。
でも、雄が雌を共食いの対象にすることはないとも書いてあります。
自分のDNAを遺していくには合理的なのです。

「極端な種においてはオスはメスに頭部を食べられた刺激で精子嚢をメスに送り込むものがある」というのは凄まじいですね。頭がなくなってもしばらく下半身は生きているようです。

生命というものはまことに面白い。生き延びるためにいろいろな形を取るのです。
DNA、利己的な遺伝子の説(知らない人はググってください)になんでも還元してしまうのは、面白くありませんが、例外はあるにしろ、やはりかなり当たっていると思います。

またそういう本能のシステムに素直に生きたほうが、より自然であろうと思います。

愛とは、そういう自然な生き方の中に流れているエネルギーです。
愛のエネルギーが血液のようにあなたには流れていると考えてください。
人間的な事情、しがらみや執着や思惑などは、血液をドロドロにして、血流を滞らせてしまうものだというのが僕の考えなのです。
メロドラマというのは、愛よりもそういうドロドロを描きます。
それをみんな愛と勘違いしてしまうのです。

愛はそういうドロドロではないし、だからといって、甘い甘いシロップのような夢の世界でもありません。
今回のワークショップは、愛をドロドロから救い出して、リアルでクリアなものにしていこうという主旨です。

カマキリの生殖のように愛は厳粛な側面があります。

前項で、「成長しない男とは別れてしまえ」という内容のことを書きました。
今回は「お前のせいで別れようとしたらたいへんなことになった」と言われないように別れの作法について書きます。

僕はフラれた経験はたくさんありますから、信用してくれて大丈夫です。

さて、別れについて最近いちばん怖いと思っていることがあります。
それは、携帯番号を変えたり、ネットやラインでアカウントを変えたり、何も言わずに連絡手段を断ってしまう、というやり方をする若い人がいるらしいということです。

こういうやり方は、その場はいちばん心理的に楽かもしれませんが、禍根を残します。
相手が暴力的なDV男とかでない限り、こういうやり方をしてはいけません。

なぜかというと、別れを告げられるほうは、「何で?」と思うからです。
疑問もあるし、言い分もある。
そういうモヤモヤを残していると、不満のエネルギーが溜まります。
それが相手をストーカー化させることがあります。

連絡を断って、相手から自分が見えなくなったと思っても調べる手段はたくさんあります。
相手が執着を持っている場合、何をしているかわかりません。
とくにSNSなどに何か書いている人は、行動が丸見えになってしまいます。
相手から自分を見えなくなるより、自分から相手が見えなくなることのほうが大きいのです。

一度は好きになった相手に対して非礼である、と言えます。
礼儀を知らない人に人は悪意を持ちますね。
わざわざ悪意を作り出すことになります。

また相手を好きになった自分に対しても、掌を返すのは失礼です。

そういうわけで、別れるときは一度は対面して話し合いましょう。

そのときに大切なことは、

1 なるべく相手を傷つけないようにする
2 本当のことを言う

の2つです。

1は、相手を傷つければ、傷つけ返そうとするからです。
相手からあなたを傷つけようとしてくるかもしれませんが、反撃してはいけません。
クールにしていましょう。
あなたの目的はきれいに別れることです。

相手が悪意のあることを言えば言うほど、つきあう値打ちがないということを証明してしまっているのですから、その言葉は宙に浮かせておけばいいのです。

2の本当のことをいうのは、嘘をつくと後が面倒臭いからです。バレたときの心配をしないといけません。それから相手のためにも本当のことを言ってあげたほうがいい。
相手の態度が原因であれば、それを指摘すれば彼にはそれを改めるチャンスがあります。

でも、「その欠点は直すから」と言われても本気にしてはいけません。
とにかく一度は別れることです。

彼が失恋のショックで成長すれば、何か月かしていい友達になれるかもしれません。
あるいは、本当に反省すれば、いずれ復縁もあるかもしれません。

嘘をつくのは、そういうチャンスを失ってしまうことです。
乱暴にしたことは、あとで必ず何倍も面倒な後片付けがめぐってきます。
別れ話をこじらせたことがある方は、思い当たることがあると思います。

僕の経験では、女性はこういうことは腹を決めるととても強いです。

自信を持ってできるはずです。

そんな冷静な話ができる彼ではない?
何をされるかわからない?
それはもう人を見る目がなかったのです。
次はもっとよい男とつきあおうと決めてがんばってください。

なお、この別れの作法は、男性から女性にはあまり妥当しないと思います。
男性から別れを告げるのによい方法は、僕は知りません……(笑)

**
愛のワークショップ、楽しいはず! 
何かためらいがある方は気軽に下記にお問い合わせください。

村松恒平
entry@hiden.jp
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質問・感想受けつけます
愛についての一連の投稿について、また個人的な悩みについて、質問や感想を歓迎いたします。

コメント欄、あるいはentry@hiden.jpにお送りください。
メールの場合も、多くの人に参考にしていただくために、お返事はコメント欄または本文でさせていただきます。

また性質のよくない投稿とこちらが判断した場合は、無視または削除することがあります。
あしからず。
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【成長しない男はまたぎ越せ!】
【成長しない男はまたぎ越せ!】

すてきな男性だと思っていたけれども、つきあってみたら急に色褪せた、女性ならそういう体験をすることがあるでしょう。

そんなとき、失敗した、と思ってはいけません。
だって、つきあってみるまではわからなかったんだから。
わかったことに本質があります。
わかったことによって、あなたは一皮剥けた、脱皮して成長したのです。

わかったら、その男のもとは去ることです。
「用が済んだ」のです。

その男性は、成長するためのある種の摩擦材であったと考えることです。

株のような投資では「見切り千両」と言われます。
自分の買った株が下がったときに損をしても小さな損のうちに手放せば、傷が少ないということです。

5〜10パーセントくらい下がったときに決断するのが最良です。
40〜50パーセントも下がったら、悔しくて、あるい取り返す算段が考えにくく、もう売れなくなります。

そういうのを塩漬け状態といいます。

男性の値打ちが暴落したときには、塩漬けにしてはいけません。
あなたの成長、生命、愛が塩漬けになってしまいます。

愛は成長や生命と結びついています。
欲望や執着と結びついたもの(ドラマではこういうものが愛めいたものとして描かれますが)は、堕落した形態です。

自分が成長することが大切で、ある意味で非情なものです。
甘いだけの恋は一面でしかありません。

恋愛には陶酔がありますが、その本質はかなり残酷なものではないかと思います。
ある人に恋をして、それが失われたときに、自分の生きている意味すらも失われたように感じることがあります。
まだ恋愛の麻酔がかかっているから、それに耐えられるのかもしれません。

たぶんすごく変わったホルモンがでて、心身は特殊な状態に置かれているのです。
そのときの陶酔感は至上のものですが、その対象が失われたときには禁断症状が出るのです。

それは一つの試練、イニシエーションです。
人はそれを越えて成長していかないといけない。

近頃の若い人でそこまでの深い感情体験としての恋愛をする人は少ないかもしれませんが、ある比率ではいるでしょう。

僕の長年の自他の観察によれば、このような恋愛の喪失のショックは最も重症な場合、癒えるまでに半年かかります。
なぜかみんな半年なのです。

人の細胞がすべて入れ替わるまで昔は6年かかると言われていたと思うのですが、近頃では半年でほとんどの細胞が入れ替わると言われているようです。
そういうことと関係あるかもしれません。

半年以上という人は、その状態に執着しているといえます。
和田誠さんに『お楽しみはこれからだ』という映画の名台詞を集めたイラスト入りの本がありました。
その中に失恋した男にバーテンダーが「だんな、海には魚がたくさんいますぜ」と言うのがありました。記憶なので正確な言葉ではありませんが、たいへん印象に残っています。
恋愛の主観性と客観性を短く言い切っていますね。

一人に執着しなくても、他にも女性はいますぜ、と言ったのです。

海には魚がたくさんいて、特別なお魚なんていないのです。
あるいはあんまりいない。
少しはいるかな……?

10年以上も前の好きだった人のことを「あれ以上の人はいない」と言っていた女性がいましたが、そんなことでは成長が止まってしまうのです。
長くて半年です。
できれば、3日くらいで切り替えてもいい。

相手に幻滅するのは、つきあい始めとは限りません。
ある人とつきあったとして、男性はあるレベルに留まっているのに、女性はどんどん成長してしまうということがあるのです。
もちろん逆もあるでしょう。

レベルといってもいろいろなレベルがありますね。経済もあれば知性もある。精神性やセンスもある。僕としては、その人の本質的なもの発露して生きるレベルを重視したいですが、まあ、他にもいろいろなレベルがあるわけです。

女性のほうが男性より収入がよくなったら、男性が非常に不機嫌になってうまくいかなくなったなんて話をよく聞きます。
収入で社会的に優越していると思っていたから男に余裕があった。
それが失われたときに、男の限界が急に見えてくることがあります。

つまり、男は意識的、無意識的に主導権争いをしていて支配的な立場にあったのです。
それが崩れると立て直せない。
別に優位に立たなくても対等でいいと思うのですがね。
収入で負けたら卑屈になる、ということは、勝っているときはいばっていたわけです。
男と女の生活には他にもいろいろな面があります。
そんな一つのものさしなどで全ては測れない。

日本的な単純な言葉でいうと、「器が小さい」ということになります。
そういう器の小ささも含めて愛せるなら、あらかじめこっそり収入で勝たないようにしておくことです。
愛せないなら、あるいは自分の仕事が大事なら別れるしかない。

金銭的な例はわかりやすいから上げましたが、つきあい始めたときは、まだお互いに同じようなレベルで波長があっていたものが、数ヶ月、数年のうちに、どちらかが成長してしまう。あるいは潜在的な差が顕在化してくる、ということがあるものです。

そういうときに別の面でそれを補いあうものがあるかどうかということです。
収入が少なくても、やさしくて誠実であればそれでいいとか。
他人から見てどんなに理不尽に見えても、本人同士が納得していればいいのです。

本人同士が納得しているようにみえても、DVやヒモのような場合は同じではありません。
このような場合は、心理的に、あるいはホルモンの分泌的に強力なクセがついてしまっていて、本人の意志よりも支配的です。
簡単にいうと依存ということです。

これは周囲が忠告したり助けたほうがいいです。
ただやはり最後は本人の意志が発動しなければ、周りがやきもきしてもどうにもなりません。
期間が長いと手遅れになります。
宗教の洗脳か、一生治らない病気のようになってしまいます。

恋をしても自分の意志を保ち続けることです。
恋愛や結婚はゴールではなく、プロセスなのです。
「早く結婚を決めて楽になりたい」なんて思っていたらダメです。

結婚などは想像以上に修行の始まりに過ぎません。

女性がいつオバサンになるか、考えていたのですが、今わかりました!
「楽になりたい」人がどんどんオバサン化していくのです。

あれは、ある意味ではとても楽な存在形態なのです。

オバサンという存在に脱落せずに女であり続けるためには意志が必要です。
意志を保っていると、恋愛も結婚もよい張りを保って成熟していきます。
惰性に流れれば、そこにいろいろな澱(おり)が溜まってエネルギーが淀んでいきます。
そうすると成長が止まるのです。

理想はカップルが女性も男性もともに成長していくことです。
そのことについてはまた書きます(たぶん)。


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結婚の4つの試練 違うサイトに上げました!
愛について、さらに深〜い原稿を書いたのですが、NGワードが入っているとかで、どうしてもここに上げられませんでした。

こちらで読んでください。
http://synchrome.asia/2015/03/04/1015/

NGワードが何かは明示されませんが、きっとアレでしょう。
伏せ字にしても言い換えてもダメでした。
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