INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説

巻頭言

これは心にセンタリングするブログです。

今の世の中は中心がお金や経済で回っています。でもお金で価値が一元化していく流れは、人にはちょっとしんどいものです。だから、それとはズレた次元に、心という中心を求めて行こうと思います。

本当はセンタリングというからには、究極的には魂や霊に、あるいは神に中心を求めたほうが安定がいいでしょう。しかし、現代ではスピリチュアルな領域もすっかりカテゴライズされてしまっていて、語り口も決まりきっています。どこかで読んだようなことが順列と組み合わせを変えて書かれ、何の目新しさもありません。そういう領域で書いてもちっとも面白くないので、心という中途半端な領域で四苦八苦しながら哲学するつもりです。
そもそも、自分の心がわからない者には霊や魂のこともわからんだろうと思います。

読者の皆さんにもお願いがあります。

愛読者を自任される方は、ぜひさまざまにアクティブな応援をお願いします。
これは心を見つめる、心について考える、という運動です。
私が書く、あなたが読む、ということで完結してしまうのは意図するところではありません。

もし読むということが、お昼にコンビニ弁当を食べる、ハンバーガーを食べるということと同じような消費活動に過ぎないなら、昨日と今日と明日に何の変化もありません。

雑多な知識の断片を十分に消化することなく頭脳や心に次々に取り入れて満足するなら、それは「死んだ読書」です。
本来、読書というのは、食事を取るのと同様に書物の内容を血肉化するところにあるのです。
だから、よいものを取って、毒物は取らないようにしなければなりません。
ぜひこのブログについては、生きた読み方をしていただきたい。

なぜなら心というのは生きて、毎日変化していくからです。

もし、心は変わって行かないと思っていれば、このブログを読むことは意味がありません。
むしろ有害かもしれません。

このように読み方を読者に強制する権利も方法も、もとより、著者にはありません。
一度公開した文章を読者が「どのように読もうが勝手」だと思うことを物書きのはしくれとして僕は知っています。
僕もそのように読むことがあります。
ただ、そういう読み方をしてもらいたいと望んでいる、ということはきちんと言葉にしておく必要を感じたのです。
そのような読み方があるということも、著者がそのように思っているということも全く想像しない読者もいるように思うのです。

具体的にはそれは次のようなことです。

  1. 書いてあることを読んで知識として蓄積するのではなく、自分の心、経験と照らし合わせて吟味してください。
  2. そのときに何を感じたか、できるなら言葉にしてみてください。同意ではなく違う意見でもいいのです。
  3. 出てきた言葉をこのブログあてのコメント、メール、あるいは自分のブログやツイッターなどに書いてください。
  4. このブログへのリンク、クレジットなどもお願いします。
毎回ではなくていいのです。
心に自然に言葉が浮かんできたときに。

そのような連鎖全体を書くことととらえたいのです。

それだけは物足りない、さらに応援したい方に!

あるいは違う応援をしたい方に!

本が売れない時代になってきまして、村松も物書きとしての自分の活動を考えなければいけません。
その部分のフォローとしまして。
  1. 単なるカンパ。
  2. 著書を購入する。
  3. 心理研究会に参加する
  4. セッションを受ける
などで、心の中で思うだけでなく、力強く応援してください。
山澤清さんに会いに行った話
山澤清さんに会いに行った話


本年6月くらいに、こんな記事を読んだ。

「金がないなら稼げ」元ヒモのマッドサイエンティスト農家が語る人類改造計画
http://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango07

この記事おもしろい。
「元ヒモのマッドサイエンティスト農家」とは、どんな人だ? と思うでしょう。
読んでみると、なんとも魅力的な人物で、底が抜けたバケツのように深い。
隙だらけのように見えて、やっていることは大変理にかなっているように思われる。

ブログをFBでシェアして、この人、一度会いに行ってみたい、と思った。
この人のすごいところは、自分の原理で動いていること。
それも頭で考えた原理ではなくて、生き方が根っから違う生物みたい。
世の中の原理とは大きくズレているはずなのに、生命力が強過ぎて、押さえ込まれることがない。
自由自在に生きているように見える。

坂口恭平さんにも、同じ印象を持つが、こちらは、何か悩みとか、相談とか、用事とかないと、漠然と会いにいくのはややためらわれる。

Facebookで「会ってみたいなー」と書くと、仙台の鈴木琴似さんから、やはり「会ってみたいですね」とコメントがついた。
では、会いに行こうか、となりました。
ただ、それだけのことから会いに行ったのです。
するべきことをする、義務を果たすより、こういう思いつきを実行に移すのは快感です。
自分の世界が広がります。

立派な人でも、隙のない人であれば、いきなり会いにはいけない。
多忙な人に、「何しにきた?」と言われると困りますからね。
記事から漂う空気感は、そういうものがない。
そこも魅力だったのです。

自分で作った野菜のレストランをしているので、そこで食事をして、少しお話をうかがえますか? とメールしたら、スタッフの方からのメールで快諾をいただきました。
そんなことで8月14日に仙台からKさんのクルマに乗せていただいて、鶴岡のレストランを訪ね、会見が実現したのです。

僕に執筆の時間がないので、さらなる道中のいきさつなどは省きます。

ただ少しだけ。
レストランの料理は、肉魚使わず、調味料最低限。それで滋味豊かで、ゆっくり味わいたくなる満足のいくものでした。
レストランには、多種多様な作物を育てている巨大なビニールハウスを通ります。お話はそこの一角に座ってお聞きしました。
ここには、ひっきりなしに来客があります。
山澤さんは、わけへだてなく、いろいろな人と話し込んでいます。

山澤さんの話は、水量の多い河の流れのようで、とどまることがありません。
話と話の合間にわずかに質問などをはさむこともできますが、質問しなくても話は途切れません。
今回は商業媒体に発表するなどの目的のあるインタビューではないので、ほとんど質問ははさまず聞く一方でした。
それでも2時間止まりませんでした。
こちらの都合で退去したので、それがなければ、もしかすると、さらに数時間続いたかもしれません。

深い意図もなしに、気楽に会いに行きましたが、お世話になった琴似さんはじめ、数人の友人にレポートを促されました。
稀有な人物にせっかく会ったので、ブログ記事に書くことにしました。社会的にも意味あることと思います。

録音はもとよりメモも取っていませんので、記憶、印象での再生となります。
精度の保証はないということですが、インタビューは仕事でしていたので、さほどひどくはないでしょう。
ただ独特の早口の口調は、再現できません。適当な口語になります。

—————————山澤さんとの会見要旨------------------------------
▶︎話の順番は覚えてない。適当なところから始める。

●心は赤ちゃん ハルシオンと酒

「俺は身体は年寄りだけど、心は赤ちゃんなんだよ。いつも何しようかって考えてる。24時間暇で暇で」

24時間といっても寝る時間があるでしょう (by 琴似さん

「俺寝たくないないんだよ。ほっとくといつまでも目がぱっちり開いて起きているの。仕方ないから、ハルシオンを酒で飲んでシャットダウンするの」

それめちゃくちゃ身体に悪いですよ!

「平気だよ。もう20年もそうやっている」


▶︎身体は老人というが、そうは見えない。70歳くらいなのに、たくましい40代くらいに見える。お肌つやつや。これも原種の野菜パワーのおかげだろうか。「身体にいいことは何もしていない」というが、両足に2キロの重りをつけていると冒頭の記事にある。
山澤さんの「何もしていない」はどういうレベルかわからない(ちなみにこの日はつけていなかったから、やめたのかもしれない)。
「24時間暇で暇で」というのも、文字どおりに受け取ることはできない。たしかに僕らに話をしてくれたことを含めて、4時間ほどの滞在中、見ている限り、ずっと接客をしていた。
それも仕事といえば仕事で、きっと他の仕事も「暇だから」すごい集中力でしているに違いない。
酒とハルシオンは、よいこのみなさんは決して真似してはいけない。ハルシオンだけでもいけない。山澤さんはたぶん肉体も特殊であると思う。

琴似さんはハルシオンに酒は、「嘘でしょう」と真に受けていなかったが、僕はありうると思う。
身体ごと原理が違う。
太陽の中で核融合が起きているように、この人の中では夾雑物のない創造性がつねに爆発していて、それが超人的なエネルギーを生んでいる。そういう印象を受けた。

身体に悪い話をさらにしよう。

「俺は1日60本タバコを吸うの。2年前から始めた。俺の仕事は嗅覚が大事だ。指先にタバコの匂いがつくとそれが鈍る。でも、いいやと吸うことにしたの。60本のノルマ吸いきれなくて、夜中に3本いっぺんに吸うこともある。……俺は人との約束はどうでもいいが、自分との約束は守るの。60本吸うと決めたら吸う」

▶︎どうやらいわゆる禁煙ファシズム的なこと、世の中が一つの方向に傾いてしまうことに頭に来て始めたらしい。
だからといって60本吸わなくてもいいと思うが。

「副流煙がどうの、という人がいるが、お前が食ってるポテトチップスのほうがよほど身体に悪いってぇの。ようするに今をとるか、100年後をとるか、2つに1つなんだ。今をよくしようとするのにみんな頑張ると、100年後のことは誰も考えなくなる」

▶︎100年後とは、野菜の品種の改悪と食べ物の劣化が子どもたちに与える影響のことを主に言っている。嫌煙権で自分のいまの健康をうるさく気遣うくせに、未来のこと、全体のことを少しも想像しない精神に対して憤っている。今か未来か。両方ではなぜダメかはわからなかった。
聞けばロジックがあったと思うけれども。

「だから俺はタバコを吸うことにして、ピアスの穴も開けたの」


▶︎金の丸いピアスは、白金台のマダムからのプレゼントだという。イエローダイヤがどうしたとかで、数十万円するという。
ピアスも、「今なんかどうでもいい」という表現なのだ(たぶん)。
にしきのあきらから壷をもらった、とも言っていた。
全国にファンがいるのだろう。
レストランを開くに当たって、投資家を募ったときも、東京に説明会に行って必要資金のうち800万円(だったと思う)を調達した。資金のごく一部だ。
投資家は億の単位で出したがったが、「農業やるのにそんな金いらない」と断った。
結局カネでしばられることになるからだ。


●自立している
「俺の会社は35年やっているけど、ほとんど横這い。ほんの少しずつ右肩上がりで、つぶれもせずに続いている。こんな会社ないよ。野菜食べれば生きていけるから、何が起きても困らない。どんな政府になってもいいんだ。なんならイスラムの政権でもいい。だから、俺、選挙権いらないんだ。いらないから返します、と返還にいったら、それは困ります、と断られた」

▶︎選挙で棄権する人は多いが、権利を返還しようとする人はいないだろう。
なんとも過剰で、山澤さんらしい。
さきほど「人との約束はどうでもいい」と書いたが、山澤さんは何より束縛を嫌う。たぶん「他人との約束は破ってもいい」ではなく、約束めいた関係はできる限り作らないで生きている。
大きな利益を生むような構造は、できても作り出さない。
およそ事業家で億単位の融資に心を動かさない人間はいないだろう。
でも山澤さんは違う。
それではカネの動きのほうがメインになってしまうからだ。
そして野菜という食べ物があれば、カネにはほとんど依存しなくていい。
そういう安定と自立を確保して生きている。
それは上手に商売をして荒稼ぎをしているより、ずっと自然で賢く見える。

*フォトリーディングと料理

「化粧品の免許を取るには、こんなに(両手を40〜50センチくらい広げて)資料を読まないといけない。俺は写真を撮るみたいに記憶できるんだ(フォトリーディングができるらしい)。それでも1年半かかった」

「資格は他も調理師免許の他、いくつももっている。(なんかニッチな資格をいろいろ言っていたが村松が忘れた)。普通の人は職業の足しにするんだろうが、俺はほとんど使わない。持っていても役に立たないと証明するために持ってる」

「俺はもともと料理人だが、レストランのスタッフに料理は教えないよ。料理は理を料る(はかる)と書く。どの野菜をどれくらい加熱したらうまいか、それを調べることは教える。
原種の野菜は、アクが強かったり、癖がある。そして収量も少ない。それをおいしく食べるには、どれくらい加熱したらおいしいか、一つ一つ調べないといけない。あとは全部任せている」

▶︎山澤さんは、600種類の野菜の原種を集めて育てている。原種は作物からタネがとれる。そのタネから野菜を育てることができる。しかし、いまはタネができないように品種改良された種類の野菜が農業の主流だ。農家は毎年タネを買ってこなければ仕事ができない。
モンサントのような企業が野菜のタネをパテントのように権利化しようとしている大きな流れの中にある。
原種を集めるのはたいへんだったのでは? と聞くと「いや簡単だったよ」という。

早口で説明されたが、村松の聞き取りと解釈が正しければ、次のようである。
原種のタネは、全国のタネ屋に普通にある。
ただ売れないから主流ではないし、ほうっておけば滅びる。
要するに原種はまだ十分にあるけれども、散逸して存在していて滅びる運命にある。
それを山澤さんは、一人で集めて育て、データを集積している。

どこにいけば何のタネがある、というリストを見せてくれた。
これを作るのが常人にとって簡単なことだったとも思えないが、山澤さんの集中力の前には何事でもなかったらしい。

「このリストをもう少し整えたら無料で公開しようと思ってる」

彼をフォローする農家は全国に800人ほどいるらしい。その800人と具体的にどういう関係かは聞けなかった。とにかく彼の話は水量が多く、どんどん流れていってしまう。
しかし、無料で情報を流しているようだ。
そのあとに次のようなやりとりが続く。

「権力ってなんだと思う?」 
珍しく彼のほうから琴似さんに質問した。

「権力ってのは、情報を流さないことによって、自分の優位性を確保することなんだよ。それ以外にないんだ。俺はそのことを植物(生物)から学んだよ」

この権力論は、シンプルで斬新で魅力的だ。
情報だけではなく、カネやエネルギー、そしてタネ。
独占することによって支配しようとする力が権力。
生物から学んだという部分が気になるが、話はどんどん流れていく。

彼自身は惜しげも無く自分の情報を公開しているようだ。
ノウハウや情報をカネに変える気はない。

タネを独占して巨利を得ようとするモンサントのような会社に対して、考えたことかもしれない。

*悩み買います

「俺には悩みというものがないんだよ。悩んでみたい。どうやったら悩めるのか、知りたいんだ。だから、悩み買います、って言っているんだ。悩んでいる人が売ってくれればいいんだけど、『じゃあ、その悩みいくら?』って聞いても値段がつかないんだよ。いざ売ろうとすると、値打ちがないんだ。買ってみたいよ」

*息止めて死ぬ

「あんまり悩みがないから、俺、ときどき息止めて死んでみようかと思うんだ」

と山澤さんは何度か言った。
なんで悩みがなくて死ぬの? と思う人が世の中の大部分ではないかと思うので解説する。

三島由紀夫風にいうと、『生の充溢のあまりの虚無』ということではないかと思う。
事業は順調。
心身は極めて健康で創造力と生命力が溢れている。
悩みはない。

最初に書いたように、太陽の核融合のように生命力が完全燃焼しているとすると。
それは地球に大きな恩恵をもたらす。
しかし、太陽自体には人は住めない。
そして太陽自体が100億年の寿命に倦んでしまうことがあるかもしれない。

だから、酒とハルシオンで強制終了しないと1日が終わらないように、自分の寿命も強制終了しないと終わらない。そう感じているのではないか。
それくらい強い生命力だということだ。

ちなみに自分で息をとめて死ぬことは、常人にはできない。
昔、ミステリ雑誌で「自分で自分の首を絞めて死ぬことができるか?」という記事があった。
「もしも自分の手で紐を使って本気で首を絞めるなら、どこかで気を失って力が抜けてしまう。
ただ紐に摩擦の力が残って首を絞め続けるなら絶命するかもしれない」という論旨であった。

首を絞めてもダメなのだから、自分で息を止めて死ねるものではない。
そんなことができたら、やはり超人という他ない。

*料理チェックの現場にでくわす

帰る頃になって、運のいいことにレストランの女性スタッフが数種類の野菜のエキス、スープを山澤さんに味見してもらおうと持ってきた。このような飲み物を我々もいただいたが、本当においしかった。
野菜だけなのだが、シンプルというより複雑精妙な味がする。

山澤さんは、一口飲んで納得していない顔をした。
「これいくつもの野菜を使っているな。一つ一つ別々に作って混ぜてみな」
たぶん山澤さんの感官は人よりすぐれているはずだ。
タバコを吸い始めても、なお。

山澤さんには、科学者的な実証的・実験精神があるようだ。
一つ一つの野菜が最適な温度で調理されていることの確認。
そのようにして抽出したエキスをどの割合で混ぜたら、いちばんよい味になるのか、いくつも実験してみることだ、と言っているように見えた。

いくつもの配合を作り、メモし、その中からベストのものを選ばなければならない。

それは単純に感覚に頼るより、はるかに手間がかかることだろう。
スタッフの帰り際に、

「いや、これは一般受けするよ。北海道の人間にはこれで十分だろう。でも一般受けするけれども、すぐ飽きられる」

北海道というのは、このスタッフが数年後に北海道でレストランを開く修行中だからだ。
山澤さんは、軽い毒舌を吐いたわけだが、スタッフは慣れているのかけろっとしている。
だいたい味見にサンプルを持ってきたのも、オーナーの承諾を得るためというより、純粋な基準を持つ山澤さんがなんというか、ぶつけてみようと、参考のために試しに来たという風情であった。

▶︎以上、駆け足でのレポートを終わる。
2時間ほどの会見だけをベースに書いているので、解釈について想像力で補った部分がたくさんある。
僕にとって想像力で把握したものは、目でみたもの、耳で聞いたものとさほど違いがない。
もちろん不正確な部分もあるだろう。
そういうものとして読んでほしい。

総じて、注目すべき人物の存在とその発想をさらに広く知らしめたいという善意に基づいて、見たまま感じたままを正直に書いたことだけは間違いない。






追記*

おそるおそるブログに書いたことをご本人にお知らせしたところ、いつも対応してくださるスタッフの方からご返信をいただきました。
ご紹介します。

村松恒平様

メールをありがとうございます。
早速拝見いたしました。
山澤所長が「おれよりおれのこと知ってんじゃないか!」と大変感心いたしまして、
村松様の思ったこと、思ったようにおっしゃっていただいてまったくもって結構なことだ!
と申しておりました。
また機会がございましたら遊びにいらしてください。
どうぞお元気でお過ごしください。
取り急ぎお礼まで


ハーブ研究所スパール
ベジタイムレストラン「土遊農」
       山澤 清
       代 佐藤












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女性のための[愛の哲学] (再録)
今回から、少なくとも2回、「愛」について正面から書いたものをお送りします。
愛という言葉は、たいへん多様に使われていて、僕はあまり好きな言葉ではあ
りませんでした。

つまり曖昧な言葉なのです。
でも、女性の立場から書くという切り口を見つけて、そこから語りだせばいい
んだと思うようになりました。
それについて書いたり語ったりすることはとても重要だと思うようになりまし
た。

愛について考え、書くことは、たいへん面白いものですが、きっとみなさんは
あまり抽象的な概念には興味ないと思うのです。
抽象的な概念も、どのように愛すべきか、愛されるべきかに根底的に考えるに
は大切です。

筋のよい考え方や判断ができるようになって、トラブルが減るのですが、それ
が実践につながるまで待てない、すぐに役立つ情報がほしい、という人が多い
と思います。
今回は僕としては珍しく、極めて具体的な話から書き始めましょう。

それから、4月8日に行う「愛のワークショップ」が女性向けであるために、
女性を中心に書くことをお断りしなければいけません。
しかし、男性にも全く同じことが言える部分も多く、また女性独特の部分も男
性にもいわば「敵情視察」的に面白く読めるのではと思います。

さらに女性専用については二つのことを断り書きする必要があるでしょう。

【なぜ女性専用?】
1つは「なぜ女性専用ワークショップなのか」です。
これは女性参加者に自分を解放してリラックスしてもらうためです。
いま、女子会が流行っていますが、これは女性にとってたいへんな開放感であ
ると思います。男性が混じるとさまざまな配慮から、また男性はノリが違うた
めに、女性たちが充分に自分を解放できない面があるのです。
女性は何かを演じなければならなくなり、ふだんと同じになってしまいます。
ですから混合ではないのです。

その2は、なんで僕が男なのにそれを主宰するのか、女の仲間に混じるのか、
という当然派生するであろう質問に答えましょう。

かなり個人的な話になりますが、僕は週に一度陶芸教室に通っています。この
日は、教室でご飯とお汁を作っておかず持ち寄りでご飯を食べる日なのです。
僕も余裕があるときには、何か一品作って、そうでないときは買って参加しま
す。なにしろ、野菜料理を中心にたいてい十以上も料理が並びます。食いしん
坊としては参加しないわけにはいきません。

この昼食会のメンバーが、先生も含めて五、六人くらい全員女性なのです。
僕の子どもの頃には「女の仲間に男が一人♪」という囃し言葉がありました。
まさにそういう状況です。
これは貴重な体験です。
最初はおとなしく肩身狭くしていました。
でも、だんだん慣れますね。

そんなことを何年もやっていますので、女性の話を黙って聞いていることもで
きるし、流れに合わせて話に参加することもできるようになったのです。
今は普通に料理の話や世間話に参加しています。

本来の人というのは、女性性も男性性も両方持っているものと思います。
魅力的な男性には女性性が、魅力的な女性には男性性がバランスよく現れてい
ます。
僕は最近、自分の中でずいぶん女性性が強くなっていると感じるのです。

さて、本論に入りましょう。

【女性はたくさんの男性とつきあったほうがいい】
具体的な愛の話の第一は、「女性はたくさんの男性とつきあったほうがいい」
ということです。
つきあうといっても、飲み友だち、映画やコンサートを観に行く友だちなども
あります。
必ずしも恋愛やセックスと結びつける必要はありません。
これはとりわけ新しい説ではありません。先行していろいろな人が言っていま
す。
ただ現実に一人の男性にとらわれている女性が多いので、僕なりに書く意味が
あるでしょう。
たとえば、ラーメン屋を開くときに日本中のラーメンを食べ歩く、という人が
います。「いちばんおいしいラーメンは何か」を追求するためです。
このラーメンを男性にあてはめると、「自分にとっていちばんいい男はどんな
男か」ということになります。
もし、おいしくないラーメンしか知らないでラーメン屋を開業すれば、「井の
中の蛙」で、あとでたいへん後悔するかもしれません。

しかし、数を知っていればいいというものでもありません。
日本全国を旅しなくても、健康な感覚があれば、おいしいラーメンは作れます。
作るラーメンの味が食べたラーメン屋の数に比例するのではないことは言うま
でもありません。
いわば直感的で勘のいい人は、一を聞いて十を知るということがあるのです。
しかし、一を聞いてせいぜい一か二しか知ることができない人は、ある程度経
験を積んだほうがいい。

一を聞いても0,5くらいしか知ることができない人は、経験を積むほど屈折し
た考えになってしまうかもしれません。
まあ、つまり一般、「普通」の圏内の人は、ある程度のおつきあいは経験した
ほうが賢くなる、と言えるのです。
ですから、恋愛という枠組みではなくても、気楽にいろいろ接点を増やすよう
にすると、いいですね。
その点、音楽や美術などの芸術や、さまざまな趣味、なんとかソムリエとか、
自分の興味のあるものに対しては腰が軽いほうがいいです。

【セックスはマネジメント】
前の項で書いた広くつきあおうというおつきあいには、必ずしもセックスも恋愛も
含みません。
セックスが絡むと話がややこしくなるので、ガツンとまとめて書いておきます。
現代では、セックスは単なる欲望でも、本能でもありません。
それは多大なマネジメントを必要とする「何か」です。

マネジメントとは、お金に変えるという意味ではなくて、自分の目的や方向性
によって管理・制御しなければならないもの、という意味です。
たとえば、女性が多くの男性とセックスしようとすれば、避妊に気をつけなけ
ればなりません。
また男性同士の嫉妬もうまくかわさなければなりません。
つきあった男性をストーカー化させるのなどはもっての他です。
たいていの場合、世間の評判も気にすることになるでしょう。
これらをうまくやるのは、高度なマネジメントが必要でしょう。

それと対極には、セックスは男性を結婚につり上げるための餌と考えている
「安売りしない派」がいます。
こういうことを書くとどうしても通俗的になりますが、ここでは一つの類型と
して取り上げます。
というのは、欲望に基づく人の行動はとても類型的で、さほどオリジナリティ
はないのです。

「安売りしない派」は、自分の若さ、美貌、魅力といったものは、売り時があ
り、時期が過ぎれば衰えてしまうと考えています。
だから、株でいうと、いちばん「高値で手放す」ことを狙っています。
高値で手放す、ということは、結婚相手に値打ちがある、ということです。
それは心がきれい、とか、やさしいとか、そういうことではなく、収入が多い、
お金持ち、かっこいい、背が高い、学歴が高い、という人と比べて自慢できる
価値になっていきます。
そういう外面的、物質的なことにこそ客観性があると考えています。
これはマネジメントそのものです。

これは愛にまつわることでも、恋愛にまつわることでもなく、セックスにまつ
わることです。
この愛についてのシリーズで、最初に愛はリラックスを前提にする、と書きま
したが、これは全くリラックスしません。
まるでビジネスです。

アンディ・ウォーホルは「セックスはビジネスだ」と言いました。
この彼らしい言葉の真意も、言われた文脈も知りませんが、言い得て妙。
まさにこういう姿勢にはビジネスという側面があります。
また恋愛でもない、というのは、こういうパートナーの探し方には、「比較す
る」という行為がつきまとうからです。

パートナーとしては、年収300万円よりは、600万円のほうがいい。600万円よ
りは1,000万円のほうがいい、ということになります。
恋愛は、このように比較するものではなく、オンリーワンのものです。
そういうものを愛というひとくくりの箱に入れているから話がややこしくなり
ます。

前者のフリーセックス派と安売りしない派、多くの女性はこの両方の要素を持
っているでしょう。
この両極の中間あたりで、揺れている人もいるのではないでしょうか。
もちろん全く違うところに力点がある人もいると思います。
ただどちらにしても、セックスにはマネジメントが必要だということです。
恋愛を純粋なものと考えていると、このマネジメントをなりゆき任せにしてし
まうこともあるかと思います。
愛は純粋でいいけれども、セックスには知恵やマネジメントが必要、それがこ
の項で言いたいことです。

そして、愛とセックスはレイヤーが違う。
それをいっしょに考えると、混乱してしまうでしょう。

【恋愛、結婚、セックスは全く別のもの】
僕がほとんど初めて編集者らしきことでギャラをもらったのは、人類学者の西
江雅之さんのインタビューのテープ起こしでした。
その中で、彼は「人類全体を見渡すと、恋愛とセックスと結婚は、必ずしも結
びついていない」と言っていたのが今日まで印象に残っています。
アフリカのある部族では、ごく年少のときに集団的に最初のセックスを済ませ
てしまう風習か儀式があり、それは恋愛とも結婚とも関係ない、ということで
した。
そもそも人類の半数以上は一夫一婦制でない、ということも言っていました。
これは、ずいぶん前の話ですが、イスラムもヒンズーも一夫一婦制ではないで
すからね。

今日でもそうかもしれません。
僕らは日本以外では、主にアメリカやヨーロッパの映画を観て世界観を作って
いますから、どうしてもキリスト教下の一夫一婦制のもとで恋愛や結婚をイメ
ージします。

しかし、それは人が作ったルールに過ぎません。
人が作ったルールである、ということは、空間や時間がズレると違うというこ
とです。
国や民族、宗教によって違うだけではなく、時代によっても違います。

先日、バリ島で僕が聞いた話で印象的な話があります。
バリの空港の送り迎えなどしてくれるドライバーの友人がいますが、彼が言う
には、「一時期、一人でバリに来る女性とは100パーセント、セックスできた」
というのです。彼のほうから強引に誘うようなことはなく、向こうから食事な
どに誘ってきたというのです。

ところが2000年を境に「5パーセントくらい」に激減したというのです。
まあ、男としてちょっとくやしい話ですが、それは置いときまして、時代の変
化が、気分、行動、モラルなどの大きな変化を生むという一つの例だと思いま
す。

バブルの崩壊は、もう1990年頃だったようですが、まだ回復に希望を持ってい
たり、すみずみにまで波及していなかった。
しかし、2,000年くらいには、女性の気分もたいへんな低成長型にチェンジし
ていったということでしょうか。
ここで言いたいことは、恋愛、結婚、セックスについて何も当たり前のことは
ない、ということです。
ただ時間と空間の文化的要素が支配しているということです。

それからだんだん自由になりましょう。
自由になるというのは、何も反発したり、攻撃的になる必要はありません。
日本の今の時代の雰囲気に適応してうまく行っているのなら、それでいいので
す。
ただ当たり前とされていることで、自分の感覚にそぐわないものがあったら、
それを広い視点から本当に必要か考えることです。

何かを我慢しているということは、それだけで愛を阻害しますから、自分の感
覚で納得いかないことにはとことん対処することです。

【恋愛において没個性化戦略は苦戦する】
最近のブログ記事には、
「男性がいやがるあなたの7つのクセ」とか、「誰にでも好感をもたれる8つの
言い方」とか、そういう記事多いですね。
思わず読んでしまうけれども、内容はあまりないよう。

こういうのを真に受けてはいけません。
誰かが嫌がるのではないか、好かれないのではないか、こうしたら好かれるの
ではないか、そういう視点を中途半端に持つのはよくありません。
残念ながら好かれる人は自然にしていても好かれるのです。
自然にしていては好かれない人が、「こうしたら好かれる」という記事を読ん
でそれを表層的に実行しても不自然に見えるのです。
したがって、こういう記事は自然に好かれる人にも、自然にしていては好かれ
ない人にも役に立ちません。

こういう記事をたくさん読んでも好かれる人にはなりません。
本当に所作を美しくしようと思ったら、茶道でも華道でも着物の着付けでも、
日本古来のものを習えばいいと思います。
伝統的なものには、こうするんです、と決まったことがたくさんある。
最初は言われた通りにするしかない。
やっているうちにその意味がわかってくる。
そういうものには深い栄養があります。

「7つのクセ」的なものを愛読する人は、そういう面倒なことはしたくない。
文化の美しさとかもわかんない。
だから、ただですぐに読めるブログで間に合わせる。
そういうニュアンスしか感じないのです。
そもそも、こうしたら好感を持たれるのではないか、と考えていくと没個性化
するのです。
なにしろ、万人に好かれようとする努力するわけですから、角が丸くなってく
る。
この没個性化戦略は、有利でない、ということを書こうと思います。

面白いから戦略といってみますが、要するにいちばん安易に流れるとこうなる
わけで、何も考えていない人はこの作戦をとるわけです。

僕は編集者をしていたので、売れる小説について考えたときに、このことに気
づいたのです。
誰にでも70点で評価される小説と、8人まで0点の評価でも、2人が100点の評価
をする小説。
人が小説を買うときはシビアなもので、自分にとって85点以上でなければ買わ
ないとする。
そうすると、前者は一冊も売れない。
後者は2冊売れる。
平均点でいうと、前者は70点。後者は20点。でも結果は後者がいい。
人が交際相手を選ぶとなると、小説を選ぶよりシビアですから、理想的には90
点以上取ったほうがいい。
だから平均点にとらわれ、嫌われることを恐れている場合ではないのです。

もちろん、言葉遣いが美しくないとか、がさつなことを直さなくていい、とい
うことではないのです。
欠点は「和らげ」ながら、でも長所をのびのび発揮できるようにしないといけ
ません。
没個性化のこと、違う観点で続きます。

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4月8日土曜日は、「愛のワークショップ」!
ここに書いてあることを「立体的に」理解するチャンスです。
ぜひご参加ください。
またお友達にシェアしていっしょに来てください。

http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=276
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【女性のどんぐりのせいくらべは大粒から取られる】
没個性化というのは、個性のとんがりを見せないということですから、日本社
会の同調圧力に負けている、あるいは進んで同化していると言えます。
これは叩かれない、という防御的な反応としては一定の効果がありますが、積
極的に行動に出る自由性は次第に失っていきます。

日本にはそういう人はたくさんいますから、ある意味でどんぐりのせいくらべ
に参加することになります。
出ない杭は打たれない、一見安全策に見えるこの作戦が大きな墓穴を掘ること
があります。

だって、どんぐりのせいくらべというのは、すごい競争ですよ。
男性から見れば、女性に個性がなければ、美人のほうがいい、若いほうがいい、
料理が上手なほうがいい、やさしくて性格がいいほうがいい、というごく一般
的な物差しで女性を測るようになるからです。

容姿は生まれつきのものが多いし、若さは一時期だけ。
料理はできる人はできるし、できない人はしない。
結婚準備のために料理教室に行くなど、例外的なケースでしょう。
性格のよさについては、自分の性格を変えられるなどと思っている女性はいな
いでしょう。
あるいは変えたいなんて思わないでしょう。

ただ人あたりはなんとか柔らかくしておきたい、と思うのがせいぜいでしょう。
努力しても仕方ないものか、努力するのがめちゃ面倒くさいものばかり。
非常に手も足も出にくい状況だから、一歩でも前に出るために、エステや新し
い化粧品やら美容器具などでおまじないをかけるのでしょう。
そういう涙ぐましい倒錯的な努力にも関わらず、どんぐりのせいくらべは大粒
から取られるのです。
大きい粒から拾われていって、小粒が残る。

小粒が残る頃には、男性もだいぶ小粒化しているわけで、「ロクな男がいない。
こんなはずではなかった」と嘆くことになるのです。
つまり、目立たない、という作戦を取りながら、小さな差をつけようという姑
息な手段はじつは想像以上にリスキーなのです。

しかも、その結果が出るまでにぼやぼやと時間がかかる。その間に若さを浪費
してしまう。
そういう価値観では、若さには価値があるわけですから、3年前、5年前よりも
自分の値打ちは落ちたと考えることになります。
実際は年齢は関係ありません。何歳でもすてきな人はすてきです。
でも、若さに価値を感じて、それを自分は失ったと考えている人はそこに引け
目が入り込んでしまう。
実際の年齢よりも、この引け目のほうが働くのです。

そんなことにならないためには、普通はこうだ、平均値はこうだ、相場はこう
だ、という物差しで自分を測らないことです。
比較があるところに愛はないのです。

では、個性化したらモテるのか、どうしたら個性化できるのか。
というように疑問が膨らむわけですが、これは生き方全体に関わること。
一口に答えるわけにはいきません。

【ディズニー・デートは0点/結婚の4つの試練】
ディズニー・デートはよくない、という論旨ですけれども、まずディズニーラ
ンドは、最高峰のエンターテイメントである、ということは認めなくてはいけ
ないでしょう。
しかし、デートはせいぜい若いうち、1年に1,2回にしておいたほうがいいので
す。
それ以上ハマるようだと先が思いやられます。

ディズニーランドは至れり尽くせりで、人が楽しむ環境を作り出してくれます。
いわば工場で工業製品が作られるのと同じように楽しみが生産されるのです。
どんな人でも楽しめるように作ってあるのだから(楽しくない人もいるが)、
そこで楽しむことに何の芸もありません。

だいたい数分のアトラクションに1時間も待つ、というのが僕には信じられま
せん。
しっかりお金を払うのに待たされるのはいやですね。

並ぶ人から見れば、バカバカしくないのだと思います。
これだけおおぜいの人がおとなしく並んでいるからには、並ぶ値打ちはあるに
違いない、とお互いを見て思っているに違いないのです。
僕も若い頃、人でごった返した海水浴場に行くと、何か楽しいような気がしま
した。
逆に海の家もないような人のまばらな海岸は何かさびしかった。
今は誰もいない海岸で浜辺を歩くだけでも楽しいのです。
新宿や渋谷のような雑踏、盛り場もできれば避けたくなりました。

盛り場、というのは、盛りがつく、犬が盛る、というのと同じ盛りなんだな、
とあるとき気がつきました。
ざわざわしてなんか興奮する。面白いことがありそうな気がする。
若いときは、そういうところに何かありそうな気がするものです。
ディズニーランドも、人気があるからますます加熱して楽しい気分になるので
しょう。
若いときは人は尖った強い刺激を求めます。
成熟するにつれて、淡い小さな刺激からもしみじみとした喜びを感じられるよ
うになります。
だから、若いときに興奮を求めるのは仕方ありません。しかし、そういう気分
でわさわさしているだけでは、恋人たちは成熟しないのです。

なんとなく、おつきあいってこういうものかな、デートってこういうものかな、
セックスってこういうものかな、と思って、それらしいことに参加しているカ
ップルは、成熟しないままに、なんとなく結婚してみたりするでしょう。
ところがそこに数々の試練が待ち受けています。

まず第一の試練は、結婚式前後です。
ディズニーランドでは、二人きりでせいいっぱいおしゃれしていたものが、相
手の親やら親戚やら、泥臭いものがぞろぞろと出てきます。
相手のご両親にも気に入られなければなりません。
彼が両親とあなたと同時にいるときに、どういう態度を取るかも初めて知るこ
とになります。

いろいろな思惑の中で、結婚式について、場所、日取り、費用、その他、じつ
にさまざまなことを決定しなければいけません。
ディズニーランドは、ヴァーチャルなスペースだから、せいぜい、どうアトラ
クションを回るかくらいを決めればよいでしょう。
しかし、ここで初めて意見の食い違いに出会うかもしれません。
相手が投げやりだったり、強引だったり、自分の趣味と違ったり、考えている
ことが雑だったりすることを初めて知るかもしれません。
さらには相手のことをじつは何も知らなかった、ということに気づく可能性も
あるのです。

成田離婚するカップルは、二人きりの旅行で、どんな激突があるのでしょう?
そういう相手の欠点や、本当の姿をあらかじる知る機会はディズニーランドに
はありません。
夢の国だからです。

第二の試練は、日常生活です。
今は世の中厳しいものです。
彼の帰りはいつも遅いかもしれません。
帰ってきても、仕事で疲れているかもしれません。
イライラしていたり、何か気がかりなことがありそうかもしれません。

あなたも仕事しているかもしれないし、慣れない家事や近所づきあいで聞いて
もらいたいことがあるかもしれません。
そういうときに、お互いに相手に甘えるつもりだと、相手が自分のことばかり
言っていると爆発してしまうかもしれません。
相手のことは、いろいろな場面で出会わないとわからないものです。
結婚前は、話題が携帯から流れてくるニュースとか、そんなのばかりでも済む
でしょう。
でも、それでは相手のことを知るきっかけは少ないでしょう。
デートは楽しさだけで測ってはいけません。

デートでは、
相手のことを理解することができます。
相手に自分のことを知ってもらうことができます。
二人の違いを理解して、いちばんいい接点の持ち方を探すことができます。
次第に大切な深いことも話せる関係を作っていくことができます。

そういうだんだん深くなっていくプロセスがないと関係は成熟しません。
そして、何か大きな話題がなくても、話しているうちに面白くなってくるよう
に息を合わせられるようになるでしょう。

それから、話題が途切れたとき、沈黙の時間があるときにいい感じかどうかは
とても大切。
沈黙が流れると気を使って、なんとか話題で埋めようと頑張るようではしっく
りしていないのです。
二人でぼーっとしていても、リラックスできる。
なんか楽しい。
それが理想です。
いつまでもダラダラといっしょに居られる相手は、結婚しても安心です。
楽しいけれども、用が済むと気を使って疲れてしまうような相手は遊び相手に
とどめたほうがいいでしょう。

ふだんのデートで、そういう関係を深めておけば、疲れているとき、言葉であ
れこれ言い合わなくても、お互いに癒し、和むことができます。
忙しい日常生活の合間で心を通わせ合うには、デートのときに練習しておかな
くてはいけません。
あなたがそのように誘導するのです。

第三の試練、それは妊娠・出産です。
妊娠中は、男には体験できない特別な期間です。
それを楽しく喜びを持って過ごせる人は、健康でとても賢く、女性としての自
信を持っている人と言えます。
妊娠中の体感は、千差万別のようです。
だから、「みんなはどうなの?」という平均値は、参考にはなってもそれ以上
ではありません。

ディズニーランドでは誰もがほぼ均質の体験をしますが、妊娠ではたった一人
の体験をするのです。
自分が感じていることをそのままに受け取らないといけません。
妊娠・出産は病気ではありません。
動物病院に産科はありませんね。
自然のままに生きれば生まれるのが子どもです。
しかし、ペットも年々過保護化しているので、そのうち産科ができても不思議
ではないかもしれません。
つまり、妊娠中にさまざまな困難が生じるとしたら、それは人工的な環境によ
るものなのです。

心理的な不安や恐怖も悪い影響を与えるでしょう。
自分が生きていることの本質にどーんと腰を据えているかどうか、問われる期
間であると思います。

第4の試練は子育てです。
ディズニーランドでは、全て自分の周囲の環境を整えてくれていましたが、今
度は自分が赤ちゃんにとっての環境になるです。
ディズニーランドでは、全て自分が主人公でしたが、子どもが赤ちゃんのうち
はあなたは脇役に回らなければなりません。
生まれたばかりの頃は、夜中に三時間おきくらいに起きて、おっぱいを欲しが
って泣きます。
単純なことをいうと、そういうことに対応しないといけない。
黙って、と言っても泣き止むことはないですから。
言葉を持たない生き物の要求に答えてやらなければいけません。
この主人公から脇役へのシフトを上手に行えるかどうかも、女性としての賢さ
が問われる場面です。
シフトできないと、ブルーに、あるいはヒステリックになってしまいます。
このときに、パートナーがどれほどあなたの状況に寄り添ってくれるか、とい
うことでも気分はずいぶん違うでしょう。
そういう目で今の彼氏を見てください。
*
女性はこのような試練を経て、成熟していくのです。
おわかりでしょうか?
女性は恋愛中も、というより、恋愛を通じて個人として成熟していかないとい
けないのです。
そこでシミュレーションを済ませておかないと、誰かといっしょに暮らし始め
たときに、試練を乗り切るのに要らざる苦労をしないといけません。
ディズニーランドは、個を埋没させる楽しさ(つまり「誰でも楽しめる」空間
であることにおいて)なのです。
自然な場所、たとえば、海辺にいけば、貝や石を拾ったり、泳いだり、魚をと
ったり、スポーツをしたりいろいろな楽しみ方があります。
そこに個性的な体験が生まれますが、ディズニーランドにはそれがないという
ことです。

ディズニーの悪口が目的ではなくて、女性の幸せには個であることはとても大
切だ、と言いたいのです。
ともすると、個であることを抑えたり、ただ大勢に従っていることが女性らし
さだと思われている面があります。
しかし、そこから人生を組み立てるのはとても筋が悪くて苦労することになる
でしょう。
(愛の哲学 続きます)

JUGEMテーマ:恋愛テクニック



恋愛 / comments(0) / trackbacks(0)
女性のための[愛のワークショップ]4/8
2017年4月8日土曜日 14時から18時。(後半2時間はお茶会)。
場所、東京山手線目白駅から1分。
豊島区目白3-2-9-4階 会議室。

*******

愛こそは、現代のいちばん深いテーマであることは誰でも感じることではないかと思います。

しかし、愛って何でしょう? と聞けば、正確な定義については、誰しもちょっと考えこんでしまうかもしれません。

とても身近で、とても遠く、つかみどころがないもの。
それが愛ではないでしょうか。

そして、いちばん深い悩みも愛。

「愛だけが俺を迷わせる」と桑田くんの歌詞にもありますね。

「愛こそがすべて」とビートルズも言っています。

「ないと困る。あると悩む」

それが愛かもしれません。

この講座はちょっとビットなレクチャーと、楽しいゲームで愛の輪郭をつかんでいくものです。
愛を伝える、愛を受け取る、そんなことが遊びを通じて上手になります。

*
この講座は「恋愛がうまくいく」「上手になる」というような目的に限定されません。
愛といっても、恋愛から家族愛、隣人愛、友愛、人類愛といろいろありますね。
人と人との間に潤滑油のように必要なもの、それも愛です。

年齢も関係ありません。
10代から60代、70代まで歓迎いたします。

*********

なぜ僕が愛について語るのか? という話を少しだけしましょう。

僕のテーマは「生命」と「自然」です。
この2つは、人にとっていちばん根源的なものです。

太陽、大気、海、大地、動物、植物、微生物、私たちの環境を支えているものは、自然なのです。
地球上の自然の営みがなければ、生命がありません。
生命がなければ、お金があっても使えません。

ですからこの2つが根源なのです。

今はテクノロジーの進化によって、どんどん先端化された知識が増殖していきますが、それによって根源の感覚が失われては元も子もないのです。

ですから、僕はその根源の感覚を取り戻すことを仕事にしているのです。

愛もまた人が生きる、人が生かされる根源です。
その中身については講座で具体的に語ることにしますが、愛もまた生命と自然に結びついています。

愛は「開かれたエネルギーの系」なのです。

それを閉じるものは、エゴや恐怖や不安……です。

ワークショップで何をするかというと、エネルギーを流す練習をします(僕は人の中のエネルギーの専門家なのです)。
主にちょっとしたときに対人的な不安が顔を出さないようにします。

人生の中では、それは怖い人でも、ゲームの中で自然にできるようになります。

「愛」という言葉はちょっと大げさなのですが、コミュニケーションとかいう言葉よりも、やはり正面から「愛」と言ってみたいのです。




**********

内容

ワークショップを2時間。

内容は秘密。
ゲームを5つくらいします。
企業秘密でもあるし、来てのお楽しみにします。

2時間くらいで打ち解けたところでお茶会にします。
コーヒー、紅茶、日本茶、お抹茶。
軽食、たぶん何種類かおいしいサンドイッチを作ろうと思います。
前回は、ホンネ・トークが炸裂しました。

お酒もでます。
おつまみは乾きものくらいなので、お菓子やおつまみの持ち込みを歓迎します。

忙しい方、2時間以降は退室自由です。
参加費ワークショップとお茶会で4,000円です。

お茶会不参加の方は、1,000円引き。

お申し込みは、entry@hidenまで。
「愛のWS参加」と書いてお申し込みください。

折り返しお返事差し上げます。
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マインドゲームス+新年会 1月7日(土)
みなさまあげましておめでとうございます。

新年の快調なスタートに、新企画〈マインド・ゲームス 〉に参加しましょう!

1月7日土曜日15時から。

凧揚げも、福笑いも、百人一首も、すごろくも、羽根つきも、なくしてしまった僕らのために。

新年を新しいゲームで始めましょう。

表現力、直観力、想像力、創造力を問われ、刺激されます。

●3大特典
【パフォーマンス】
*今回、テレビで有名な石花ちとくさんに縁起のいい「石花」のパフォーマンスを見せてもらう予定です。

【相談コーナー】
*新年会では、「一言質問コーナー」を設けます。人生について、表現について、悩み事を一人一つだけ相談することができます。
ただし、ひそひそ話はできません。みんなに聞かれてもいい公開質問だけです。

【新年の門出にお清め】
*新年なので珍しい火打石によるお清めをします。




▪️▪️▪️▪️詳しい内容▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️

●ふだん使わない内面の力を発揮するように開発されたゲームをします。
といっても難しいものではなく、かなり遊びです。
大人の遊び。

●遊びとは、求心力を一度外して、遠心にふること。遠心にふったものが還ってくる。プーメランのように。それをまた遠心にふる。その繰り返しが楽しみになるのです。そうすることによって中心がどこにあるかがわかります。

●子どもたちは発達段階によって、自分の能力ギリギリのものを遊びに選ぶのです。赤ちゃんがはいはいの次に立とうとするのも、遊びなのです。
そのようにして人は成長します。

●現代社会では、人は一面的な情報、一面的な刺激しか受けません。
それでは十分に遊べないのです。

●大人にも発達を促す遊びが必要です。
忘れていたものを思い出し、自分の中に新しいsomethingを発見しましょう。
マインド・ゲームで。

***********************
●ゲーム詳細

内臓ダンス

30ドル

マンダラ

10秒演劇

他 (個々の内容は参加してのお楽しみです)
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参加費 4,000円

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そのあと2時間強程度の新年会。
参加費2,000円。お酒飲まない方1,000円。

お申込みは、entry@hiden.jp

お名前
年齢
都道府県
新年会も参加かどうか。
ひとこと〈何かあれば)を記載してお送りください。

(新年会のみの参加は3.000円になります。定員あり)。
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