ナチュラルに生きる方法論序説

巻頭言

これは心にセンタリングするブログです。

今の世の中は中心がお金や経済で回っています。でもお金で価値が一元化していく流れは、人にはちょっとしんどいものです。だから、それとはズレた次元に、心という中心を求めて行こうと思います。

本当はセンタリングというからには、究極的には魂や霊に、あるいは神に中心を求めたほうが安定がいいでしょう。しかし、現代ではスピリチュアルな領域もすっかりカテゴライズされてしまっていて、語り口も決まりきっています。どこかで読んだようなことが順列と組み合わせを変えて書かれ、何の目新しさもありません。そういう領域で書いてもちっとも面白くないので、心という中途半端な領域で四苦八苦しながら哲学するつもりです。
そもそも、自分の心がわからない者には霊や魂のこともわからんだろうと思います。

読者の皆さんにもお願いがあります。

愛読者を自任される方は、ぜひさまざまにアクティブな応援をお願いします。
これは心を見つめる、心について考える、という運動です。
私が書く、あなたが読む、ということで完結してしまうのは意図するところではありません。

もし読むということが、お昼にコンビニ弁当を食べる、ハンバーガーを食べるということと同じような消費活動に過ぎないなら、昨日と今日と明日に何の変化もありません。

雑多な知識の断片を十分に消化することなく頭脳や心に次々に取り入れて満足するなら、それは「死んだ読書」です。
本来、読書というのは、食事を取るのと同様に書物の内容を血肉化するところにあるのです。
だから、よいものを取って、毒物は取らないようにしなければなりません。
ぜひこのブログについては、生きた読み方をしていただきたい。

なぜなら心というのは生きて、毎日変化していくからです。

もし、心は変わって行かないと思っていれば、このブログを読むことは意味がありません。
むしろ有害かもしれません。

このように読み方を読者に強制する権利も方法も、もとより、著者にはありません。
一度公開した文章を読者が「どのように読もうが勝手」だと思うことを物書きのはしくれとして僕は知っています。
僕もそのように読むことがあります。
ただ、そういう読み方をしてもらいたいと望んでいる、ということはきちんと言葉にしておく必要を感じたのです。
そのような読み方があるということも、著者がそのように思っているということも全く想像しない読者もいるように思うのです。

具体的にはそれは次のようなことです。

  1. 書いてあることを読んで知識として蓄積するのではなく、自分の心、経験と照らし合わせて吟味してください。
  2. そのときに何を感じたか、できるなら言葉にしてみてください。同意ではなく違う意見でもいいのです。
  3. 出てきた言葉をこのブログあてのコメント、メール、あるいは自分のブログやツイッターなどに書いてください。
  4. このブログへのリンク、クレジットなどもお願いします。
毎回ではなくていいのです。
心に自然に言葉が浮かんできたときに。

そのような連鎖全体を書くことととらえたいのです。

それだけは物足りない、さらに応援したい方に!

あるいは違う応援をしたい方に!

本が売れない時代になってきまして、村松も物書きとしての自分の活動を考えなければいけません。
その部分のフォローとしまして。
  1. 単なるカンパ。
  2. 著書を購入する。
  3. 心理研究会に参加する
  4. セッションを受ける
などで、心の中で思うだけでなく、力強く応援してください。
[大人の成長塾]クロニクル第3号【秘伝・複数の年齢を持つ】&価格改定
●【秘伝】公開の儀

今回は[大人の成長塾]の【秘伝】を1つ公開します。
【秘伝】というと僕の文章秘伝のことを思い出してくれる方が多いと思います。
もちろん、そこから拝借?しました。

[大人の成長塾]のメールには、【秘伝】、【チェック】、【ミッション】と
いう3つのポイントがときどき出てきます。
【チェック】は、自分のことを振り返ること。
【ミッション】は、実際に少し行動してもらうことです。

本文の流れの中にこの3つの要素が入って、書いてあることを「身体化」「血
肉化」してもらうように工夫しています。

【秘伝】は、僕の長年愛用している考えの「道具」のようなものです。
材木を加工するのに電動工具があると超便利なように、生き方を考え、成長を
促すにも目に見えない道具があったほうがいいのです。

昔、幾何の問題を解くときに「補助線」というものを引いたでしょう。
図形そのものの線ではないけれども、そこに内在する線を引いてやると見えな
かった形がはっきり見えてくる。ずっと考えやすくなってスルスルと問題が解
ける。

僕としては、【秘伝】は、そういうものと考えています。

で、この【秘伝】を成長塾の塾生たちに惜しみなく伝授しているのですが、今
回は内部でも公開していない【秘伝】を書きます。たぶんこのメルマガでの
【秘伝】の公開は今後あまりありません。
[大人の成長塾]本体を充実させたいのです。

今回公開するのは、[大人の成長塾]って一体何やっているの? と思ってい
る人も多いと思うからです。
その文字通りの【秘伝】を公開します。
もし「えーっ!面白い」「がーん」となった人がいたらぜひ[大人の成長塾]
に参加してください。
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迷い続けるのは人生がもったいない!

「気づき」という言葉はあまりに便利過ぎて好きではないのですが、その「気
づき」の純度というものを今回テイスティングしていただければと思います。

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ら80通の間くらいになりそうです。最初の頃に気前よく配信設定をしてしまっ
たので、60通では足りなくなってしまったのです。
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●大人になること

みなさんは大人という自覚がありますか?
僕はふだん大人という言葉でものごとを考えませんが、改めて考えてみました。

若いときの恐るべき考えの足りなさを思い出すと、相対的には大人だろう、自
社比では大人だろう、ということができます。
一方ですごく子どもの部分もあります。
そして、どこでいつ大人になったか、なんてことはわかりません。
いろいろな要素が混じりあっています。

社会が高度化するほど、成人年齢は高くなると言われています。
江戸時代の日本では、元服は10代半ばくらいだったようですね。
アフリカなどでも多く10代前半くらいで通過儀礼があると思います。

ふりかえって現代日本はどうでしょうか?

現代日本のような高度化した社会で、20歳で成人というのは、たぶん無理なの
です。
早熟な人もいるでしょうが、たいていはまだ何もコントロールできません。

さらに根源的に考えて成人とは一体なんでしょうか?
何をもって成人とするか、皆さんもちょっと考えましょう。







……3









……2







……1







考えた?





僕の考えを書きますよ。







いちばん短くいい変えると「一人前」になること。

僕のイメージはまず漁師さん。
2人で舟に乗ってする漁があるとすると、大人2人がちゃんといて、お手伝いで
乗っているときは、半人前。
2人のうちの1人になったら一人前。

だから、身体がしっかりしてきたら、15,16でも一人前の仕事ができるかもし
れませんね。
しっかり1人分の稼ぎもできる。

権利とともに義務も与えられる。
一人分の場所を与えられて、「いないと困る」人になる。
これが本来の成人だと思うのです。

農業や自営の商業にも一人前はあると思います。
仕事を覚えて全体に目が届くようになる。
先輩たちのようにすぐにはできなくても、いずれ仕事の全てを受け継いでいく
ことになります。
コミュニティの中でもそのように頼もしい未来のタネとして受け入れられます。

しかし、現代の都会の雇われ仕事では、もっと部分的な仕事しか与えられませ
ん。
いなくては困る、といっても交換可能です。
派遣や臨時雇いも多いし、むしろ消耗品。
コミュニティ的な暖かさやケアもありません。

ときどき子どもは、海で魚が切り身で泳いでいると勘違いしています(僕も小
さなときありました)。
現代の仕事は、そういう頭も尻尾もわからない切り身の状態なのです。

これでは一人前の要件を満たしません。
成人式は挙げても実際には社会は成人した役割を与えていないのです。

一人前の世界は、義務もある代わり、自負心もあります。また報酬もあります。
先輩や仲間もいます。いくらでも先輩に仕事のコツを聞くことができます。
仕事の安定もあります。
その中に成長の栄養がすべてあるのです。

現代の会社組織の与える労働は、人をいつまでも一人前にしません。
それは30代になっても同じです。
ひょっとしたら40代になっても。

かつて終身雇用制があった時代には、雇用された人々は安定感と前進感を持つ
ことができました。長く勤めていれば、給与と地位が少しずつ上がったのです
から。

今は安定感も前進感も多くの仕事でなくなりました。
それに代わるものを企業も国も用意してくれません。

収入的なこともありますが、それにリンクして精神的な充実も、個人が自分で
ケアしなくてはいけなくなりました。
それがうまくいかずに、精神を病む人が多くなったのです。

あなたがその立場だったら(実際のところすごくこういう立場の人が多いので
す)いったいこの事態をどうすればいいでしょう?







再びthinking time.


3


2


1



今度は短い。
かなりじっくり考えないと、数分考えても答はわからないと思うからです。
でもちょっと立ち止まって考えていただきたかった。

僕の意見は、第一感は「人々の意識が変わり、社会の方向が変わり、選択肢が
豊かにならないと解決しない」ですけど。

これは失格ですね。
求められているものと違う。
答は、いま僕がどうするか、いまあなたがどうするか、という形で出さねばな
りません。
実際的に今すぐできることで、何かしなければいけません。

完全な解決ではないかもしれませんが、その解答が今回の【秘伝・複数の年齢
を持つ】です。

複数の年齢を持つとはどんなことでしょうか。

僕はいま実年齢は61歳です。しかし、僕はこれ以外の年齢を意識的に持つよう
になりました。

僕のある部分は2011年の3月11日に生まれたということは何度か書いたかもし
れません。そのとき生まれた僕は5歳なのです。
複数の年齢を意識したのも、成長を実感したのもこの年齢がきっかけですが、
他の年齢について書きましょう。

陶芸を始めたのは、6年前です。複数の年齢はそのときを誕生日0歳として数
えます。
ですから陶芸年齢は6歳です。
陶芸歴6年というのとの違いがわかりますか?

陶芸歴6年というと足し算のような感じがするでしょう?
「多趣味でけっこうでございますなあ」といわれるような。
そうすると61歳の趣味、ということになります。

陶芸年齢6歳、というような生き物がここにいると考えると全く違う発達にな
るのです。
20歳から小説を書いて今35歳の人がいるとすると、「35歳で小説を書いていま
す」と考えるでしょう。そうではなくて、小説家年齢15歳なのです。
そう思って振り返ると、自分がちゃんと発達してきたかどうか、違う目で見ら
れるのです。
「小説家になりたい人」を15年間やってきた。
でも本当は15年前に「小説家0歳」になっていたほうがよかったのです。

全然違うことなのです。

絵は10数年前に描き始めました。子どもの頃に絵の塾でイヤなことがあって長
く中断していたのです。ですから、僕は絵を描く年齢も10代。育ち盛りです。

美術館に足を向けるようになったのも、10数年前です、この美術年齢も絵描き
年齢とはちょっと違うカテゴリーです。

1年少し前から月に一度ですが、能を習っています。ですから、能年齢は1歳で
す。

先日、お芝居の演技のワークショップに行ってきました。
これがかなり面白かったので、演技年齢0歳が新たに加わりました。
別のワークショップにも行ってみる予定。

演劇自体は20歳のときに台本を書いて、そのとき以来4本の戯曲を書き、五回
上演されていますから、演劇年齢40歳といえるのです。
でも、自分が演じるのは全く別の世界で新鮮です。

それからスポーツジム年齢も2年になります。
体重が10キロ。体脂肪率が6くらい減りました(かなり太ってたのです)。
以前は15分で根をあげていた肉体労働が1時間半できるようになりました。

編集者、出版関係の年齢も40歳くらいになります。

あとバンド年齢とかもありますね。

年齢の高いものは、判断力や経験はありますが、活力はそんなに高くありませ
ん。
生まれたばかりの領域は、たいへんエネルギーと好奇心に満ちています。

幼い年齢では、どんどん外の情報を吸収し、また発信します。
自分の実年齢にその活発さを積み重ねていくことで成長を確保できます。
このように複数の年齢を意識することで、私たちは「外から見られる年齢」か
ら自由になることができます。

読者のみなさんのほとんどは僕より若いと思います。
それでも自分の年齢を重く感じていませんか?
僕は自分の年齢は軽いです。
ほとんどのとき忘れています。

僕の年齢、61と言えば、還暦すぎとか、昔でいえば定年過ぎとか、映画が安く
なるとか、つまりは「老人」という領域です。

終活という言葉も最近あって、これは「死の準備」です。自分が死んだあと、
周囲の人が困らないようにあれこれ後片付けをして、遺産のことや何がどうな
っているかを書き記しておくことのようです。
いかにも日本人的な配慮です。

そんなことすると、一気に老け込むか死んでしまいそうなので、僕は嫌ですね。
僕が生きていることは整理される気配がありません。
老人という烙印を外から押されるのは跳ね返せますが、自分自身で押してしま
うと逃げられません。いちばんコワいことです。

しかし、それが外から見た僕の年齢なのです。
これに同調しないためには複数の年齢が必要なのです。

【秘伝・複数の年齢を持つ】には、さらに奥行きがあります。
それぞれの年齢が溶け合うのです。

たとえば、絵を描く私が陶芸をインスパイアする。これはまあ当たり前ですね。
でも、能で育った私が陶芸にその発想やパワーを持ち込むということもあるの
です。
演技を勉強したことが絵に役立つということもあるでしょう。
そうすると、生きているエネルギーをみんな上手に使えるのです。

趣味と呼んでしまうと別々の部屋に分かれていますが、その間の敷居をぶち抜
いて、次第にワンルームになっていくのです。
これが【秘伝・1つの部屋】です。これはたいへん面白いことですが、ここで
は詳細に立ち入りません。たぶん[大人の成長塾]後半で扱います。

僕は僕の中の老人は知識と経験と落ち着いた態度のために使い、生き生きとし
た活力のためには、まだ育ち盛りの年齢を使います。
意識の持ちかただけの話ですが、それでおおいに違います。

幼い年齢には、強烈な成長力があります。
可能性がたくさん開けています。
これを使って、あなたも成長し前進し続けることができます。

「外から見た年齢」には、女性がより多く縛り付けられているのではないでし
ょうか。
結婚を中心に何歳はこういうものだ、という社会通念を押し付けられています。
押し付けられているうちに、自分自身もその縛りの中で自分を見るようになり、
発想や行動が縛られてしまいます。

本当に素敵な女性は、そのような年齢を超越していきます。
40代、50代、60代とどんどん魅力的に成熟していきます。

外から見た年齢の若さだけを売り物にした人は、それを失っていくことに恐怖
します。
しかし、複数の年齢を持った人は、違います。
自分の中で次々に成長していく複数の自分を楽しみにすることができます。

自分の中に種を蒔きましょう。
それを育てていつもエネルギーと実りをもらいましょう。



【チェック】

あなたはいくつの年齢を持っていますか?
振り返って数えてみましょう。
音楽年齢や武道年齢、ヨガ年齢、あれこれあると思うのです。
できればメモしてみましょう。

その一つ一つに成長の楽しみを吹き込みましょう。

【ミッション】

新しい年齢、新しい0歳を自分の中に生み出すこと。







新しい0歳。

[大人の成長塾]はオススメです(そこかっ!? って言われるかな)。

全く新しい概念の生き方を0歳から1年間始めませんか?

それは今後の人生を左右し、ナビゲートする基準、頼りになる地図とコンパス
になります。
何年も立ちすくんでいる人も腕組みをとき、楽しく歩き出すことができます。

さあ、0歳になりましょう!
[大人の成長塾] / comments(0) / trackbacks(0)
苫米地英人氏を論ず / 虚無について
メルマガから転載。

超大作。
第一部は苫米地英人論。

第二部は現代を覆い尽くす虚無について。


『コーチングの徹底ネタばらし(後編)』



第一部
『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしている』


コーチング・シリーズ第3弾として、予告通り苫米地英人氏について、書きま
す。

個人的には氏に恨みや批判があるわけではないのです。
個人についてあれこれ言及するのは、ややためらうのですが、氏も著書のたく
さんある影響力の強い有名人ですから、批評の対象となるのは仕事の一部とい
う面もあるでしょう。

もう一つは、コーチングについて語って苫米地氏に言及しないのは、
むしろアンフェアで失礼なのではないかと思ったのです。
氏について他の論に混ぜて断片的に評価することが難しいので、まとめて書く
ことにしました。

僕はここ2年ほどスポーツジムに通っています。
今はランニングなどの機械にモニターがついています。
便利なもので、それで運動しながらyoutubeが見られるのです。
昨年2015年に、これで苫米地英人氏の公開された映像はほとんど見たのです。
たくさんありますから、1日30分から1時間くらいみても何か月か見続けたと思
います。
ここで語ることは、それがベースになっていることをお断りします。
非常に限られた資料で語ってみるということです。
本については、『洗脳原論』を半分しか読んでいません。
あとは、インターネットの情報を一かじり。

映像は氏の語る内容が新鮮で面白かったので見たのです。
いわゆるコーチングの業界で、氏の存在や影響がどれくらい大きいのか僕には
よくわからないのですが、僕には透徹した理論が勉強になりました。

最初の僕の苫米地氏に対する印象は、胡乱、ウロンな人物ということでした。
しかし、話を聞いてみるとたいへん賢い、明晰で優秀である、まあ天才に類す
ると言っていいかもしれない、ということがわかりました。
また知見も広く、たぶん世の中の上の方や裏側にもあれこれ通じている。
時事問題に対するコメントも、非常に根源的に切れ味がいい。
TOKYO MXの『バラ色ダンディ 木曜日』という番組で時事問題の解説をしてい
ますが、数あるコメンテーターの中でも日本一明快で鋭いものです。
原発やTPPにも反対しているし、体制派ではないところもたいへんありがたい
のです。

そういう代え難い美点にも関わらず、やはりその存在自体の胡乱な印象はあま
り変わらなかったのです。
以下、そのことを書きましょう。

『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしている』

という仮タイトルをつけたのですが、まあ、そういうことなのです。

*

苫米地氏の名前を初めて知ったのは、やはりオウム信者の脱洗脳のときです。
アメリカの有名大学のかなりよい待遇の教授職(具体的に覚えていません)に
つこうとしていたときに脱洗脳をしてほしいと呼び戻された、と氏は言ってい
ます。
脱洗脳に興味があったから職を棒に振ったのか、他のからみがあったのかは、
僕の知る範囲では語っていません。半分、強引に巻込まれたようなことかもし
れません。
しかし、これは、幸運というか、氏の天命であったのではないかと感じられま
す。

かなりの人数の脱洗脳に関わったようです。
洗脳の浅い信者から順にあてがわれたと言います。
これは世界的歴史的にも稀有な機会だと思います。
洗脳された人物が大量にいて、それを脱洗脳する環境があるということは滅多
にないことだと思います。
洗脳された人々たちの集団ならあちこちにいるでしょうが、彼らを集団から引
き離して1人1人脱洗脳していくお膳立ては、なかなかあるものではありません。

そういう意味で、この仕事が氏の本意であったかどうかは別として、今日の氏
のあり方をよしとするならば、幸運であったと思うのです。

もう一つの幸運は、アメリカのコーチングの大家、ルー・タイス氏との出会い
です。
いきなり呼び出されて、かなり親密に、いわばいきなり右腕としての仕事を依
頼されたようです。

もし、洗脳だけでコーチングという窓口がなければ、洗脳が専門の尖った変人
という世の中のポジションはなかなか変わらなかったでしょう。
コーチングというもう一つの枠組みができて、ずいぶん真ん中にでてきて、広
い間口で世の中と接点を持てるようになったはずです。

いわばルー・タイスという一大ブランドの(といっても苫米地氏から聞くまで
は知らなかった)日本の代理人として振る舞えるようになったのです。
苫米地氏のコーチング理論の骨子は、ほとんどルー・タイス氏だと思われます。
訳書が多くないので確認しづらいのですが、肝心の部分は苫米地氏が自分の本
として書いたしまったのでしょう。
しかし、苫米地氏の脳科学理論は、見事に明快に、このコーチング理論を裏打
ち、解説、展開しています。その件に関してはまったく申し分がありません。

では、どこらへんが多重スタンダードなのか、という話に移りましょう。

まず「洗脳」というものが、市民社会的にはかなりまずいものなのです。
つまりテクニックを知れば人を支配できてしまう、ということですからね。
一般人の反応としては、視野にも入れたくない反則技という感じではないでし
ょうか。
しかし、それを使えれば特権的な立場に立てる、と知れば、高い金額を払って
も手に入れたいという層もいるはずです。
それが氏の商売相手なのです。

苫米地氏はこれについて、「これから洗脳を悪用してくる層もいるので防衛の
ためにも洗脳について知る必要がある」ということを言っています。
これはかなり無理がある論理です。
アメリカでは、銃器を「自衛のために持つべき」という論理で売っていますが、
実際に犯罪に使われた件数に対して、自衛に使われたケースは50分の1なのです。
どう考えても自衛のために洗脳を勉強する人間はそんなに多くないのです。

洗脳という方法をリークしながら、それが防衛のためだ、というのは、矛盾と
いう言葉の語源を思わせるなかなかの逆説です。
そういうジレンマは、氏自身、最初の著書『洗脳原論』の頃は、シビアに考え
ていたと思います。

しかし、だんだんどうでもよくなって、節操がなくなって来たようです。

節操がないといえば、たとえば、有名なのは氏の商品の中には、『巨乳になる
音楽』というものがあるようです。
なんですか、それ? と公共の場でつっこまれても氏はヘラヘラしています。
なんでも音源に赤ちゃんの鳴き声がサブリミナルで入っているそうで、それを
聞くとおっぱいが大きくなるという仕組みらしいです。

僕はそういうの嫌いではありません。
しかし、これは学者や科学者のすることではありません。
実証の裏打ちがまったくないはずです。
この一事をもっても、氏は学者とはいえません。
しかし、本人はこのような通俗的な企画にもつきあうのは、「脳科学を普及す
るため」と言っています。

アメリカの大学に帰る気もなさそうだし、日本のアカデミズムの中心は彼のよ
うな存在を受け入れないでしょう。それで学者としての節操や境界線は必要な
くなったのでしょう。

*

また彼にはSMの性癖があると書かれたブログがあります。リンクしませんので
興味がある方は検索してください。
このブログ主は、ハプニングバーなる怪しい場所で氏と「50回は会っている」
と書いています。
美しい奴隷たちを引き連れていて、彼女たちを支配するのにどうやらマインド
コントロールを使っている、とかなり強烈なことが書かれています。

現在、そのようなブログがあるのは事実ですが、ことの真偽はわかりません。
もし、真であれば、マインド・コントロールで女性を支配し、思うがままにす
るなど、世間の道徳とは大きくかけ離れたことだと言えます。
性犯罪に近いと言えますが、しかし、もし女性も氏に興味を持って近づいたと
したら、合意の上であるかは否かはたいへん難しい立証になるでしょう。そも
そも催眠や洗脳に適合する法律があるのかどうかも僕は知りません。

男性が女性を洗脳によって思いのままにすることなどできるのでしょうか?
苫米地氏は、ある動画でこともなげに「できます」と断言しています。
洗脳の中でも比較的簡単な領域のようです。

ただそのあと、
「しませんけどね。だって面白くないでしょう?」
と続けています。

僕はこれを聞いてそのときは納得しました。
たしかに、これはゲームで言えば「無敵モード」です。
何でも思い通りにできてしまう。
面白くもなんともないでしょう。

しかし、しばらくして「待てよ」と思ったのです。
「無敵モード」でときどきは遊んでみたい人もいるでしょうし、いつまで遊ん
でも飽きない人もいるな、と思いついたのです。

「しません」と言っているのだからしてないかもしれませんが、仮にしていて
も「しています」と言ったら大問題になってしまいます。
したがって、していても、していなくても、発言は「しません」となるのです。
したがってこの言明には、意味がないことになります。

ここまで読んで気分が悪くなった人がいるのではないでしょうか。
洗脳の技術が導入されると、個人の意志の尊厳が薄紙のように弱々しく脆いも
のになってしまうのです。

この技術を、苫米地氏はセミナーで教えています。
ひとめ惚れさせる技術みたいな名称で、一人歩きを始めています。
どのレベルまで教えるかということはあるでしょうが、勘のいい人なら悪用で
きるかも知れません。

このように書くことが氏の宣伝になってしまいそうで、イヤなのですが、仕方
ありません。
氏は、人の欲望に迎合して利用するということにまったく節操や躊躇がありま
せん。

「年収一億円になるマインド・セット」などということもときどき言います。
結局欲につられて人が集まってくるのです。
氏はそれを十分に金儲けに利用しています。

氏の哲学的認識は、相当根源的で深いのです。ときどきびっくりさせられます
が、それには人は反応しないのでしょう。
氏の視点からは、日本人はバカ(氏に比べれば誰でも)と欲にかられた俗物に
見えているだろうと想像します。
そういう人間から金を巻き上げるのに躊躇がないのかもしれません。

実際、ネット上では、彼の高額なセミナーについての体験者の報告があります。
相当なお金をつぎ込んで借金を作ったが何も身に付かなかった、目が覚めるま
でに3年かかったというような記述があります。

「年収1億円になるマインド・セット」は大切かもしれませんが、いくら高額
なセミナーに出ても、セットできない人もいるでしょう。マインド・セットが
できても、他の条件が揃わなければダメでしょう。そもそも働いていないニー
トがセミナーに出ても儲かる道理がありません。
その他、いろいろな条件が必要だと思います。

また別の報告では、セミナーでは、まず弟子たちが指導をして彼自身は遅れて
くる、という書き込みがあります。
また会場は禁煙だけど、苫米地氏だけは葉巻を吸っている、という書き込みも
ありました。

そう書かれているということが事実なだけで、これも真偽はわかりませんが、
ありそうなことです。僕の想像はこうです。
これは、何十万かのセミナー料を払った人間に対して「お前たちは十分に金を
払ったつもりかもしれないが、オレにとってははした金だから、勘違いしない
でね」というメッセージなのです。
それをガツンと喰らわせて、心理的ショックを与え、そこからより高額なセミ
ナーに誘導するマインド・コントロールをかけていくのです。
しかし、そこにさらに「バカで俗物」である参加者たちへの軽蔑が透けて見え
ます。
もちろん優秀な人も中にはいるでしょうけどね。

苫米地氏が人をバカにしている、と感じたのは、別のきっかけです。
僕はYouTubeで動画を見ていたわけですが、噛んで含めるような調子で語る動
画では、同じ話の繰り返しが多いのです。
3回くらい同じ事を繰り返しているケースがいくつかありました。

明晰な氏にしてどういうことかと考えますと、一つには聞き手、リスナーと番
組の進行役を軽く見ているということのように思われるのです。
もう一つの理由は、この番組ではここまで語ろう、という情報内容を決めてあ
って、あまり早く本題に行きたくない。それまでは時間を稼いでダラダラする、
ということがあるようです。

話は基本的にうまいので、密度高く話そうと思えばすごい密度になります。
水道橋博士と宮崎哲弥の番組に出たときなどは、すごい密度の内容の濃い話を
しています。

そういうことを考えると、元々、知的なレベルの高い人々と洗練された高度な
会話をしていたい、という面が当然あるのです。
その一方で通俗的な欲望を手玉に取るところもあります。

このような二面性がどこから来たのか、と考えるといくつかの推論があります。
まず日本社会の通俗性に嫌気がさして、真面目にやることがバカバカしくなっ
たかもしれません。
あるいは、二面性は氏の元々の資質かもしれません。

やはり洗脳という技術は、トランプでいえばジョーカー、ワイルドカードなの
です。
ババ抜きでは、悪役の嫌われ者。
七並べでは、両面的。
そして、別のゲームではオールマイティ。

これが通常の倫理観を超越させてしまい、二面性がきれいに花開いた、という
当たりが僕の本命の推測です。

正確にいうと、二面性ではありません。
*学者・研究者としての知的卓越性があり、それが狭い範囲に留まらず、世の
中の裏側にも精通していること。
*洗脳と脱洗脳の第一人者。
*ルー・タイスのコーチングの正統な(たぶん)継承者であること。

この3つは、それぞれ違う要素なのです。
1人が1つだけ持っていても十分に存在感があるし、仕事にもなるでしょう。

しかし、ここにもう一つ
*通俗的に金儲けに走る男

というキャラクターがいちばん中心にいると言えます。
しかし、あまりに多面的に過ぎるために、胡乱だと遠ざける以外には評価が難
しいことになっています。

『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしている』

という理由はおわかりになったでしょうか。

僕は氏の中にすごい善意もあるような気がするのです。
氏のゴールは、「戦争と差別のない世界を作る」です。
ゴールは自分のことではないのです。
さすがに文句のつけようのない究極のゴールです。

しかし、この線に沿って自分の持っている知恵や才能を社会に還元する、とい
うことにおいては、表向き努力も成功もしているようにはあまり見えません。
あるいは、「戦争と差別のない世界を作る」は表ゴールであって、裏ゴールも
あるのかもしれないと勘ぐってしまいます。

たいへんな能力と魅力と多面性を持つ人物なので、評価が難しい面があります。
僕は僕の読者にはあまり深入りすることはお勧めしません。
著書を数冊読んだり、僕のようにYouTubeを見たりするのはいいですがね。
多くの人が胡乱な印象を持って敬遠するのは、正しいでしょう。

素朴に観察すると、そういうわりと普通の結論になりました。


**


第二部
『個の尊厳と4つの虚無』


●[大人の成長塾]の場合。

対比的に[大人の成長塾]のことを書きます。

苫米地論でお腹いっぱいかもしれませんが、もともといわゆるコーチングと
[大人の成長塾]がどう違うか、ということを強調する企画なので、僕として
はこれからが本番なのです(笑)。

[大人の成長塾]では、脱洗脳ではなく、脱教育ということを考えています。
教育も洗脳です。テクニカルに洗脳と呼べるかどうかの評価は苫米地氏に聞か
ないとわかりませんが、結果的に人の心を本来のあり方から逸脱させていくも
のです。

大学まで出ると、6,3,3,4の16年間、大きくいうと一つの思想に偏った教育を
受けるわけです。
文科省というフィルターを通っていて、日本の現代的価値観にどっぷり浸かっ
ているわけですからね。

日本の教育を無批判に受けてきた人は、自分に自信を持っていない人が多いの
です。
全員とは言いませんが、かなり多いです。
他人に評価され、他人と比べられることをずっと続けられてきたのです。

だから、自分がどう評価されるかをいつも気にして行動します。
自分で自分をつねに評価しようとします。
ところがその評価の基準は他人のものなのです。

生命的なものは、もともと自己評価しないのです。
植物も動物も、自己評価しないで立派に生きています。
植物が「自分は生えていいのか」と考えることはありません。
ライオンが「シマウマを食べていいのか」と考えることはありません。
先生や親に「お前はダメだ」と言われることも一度もありません。

全部肯定です。全部自己肯定して、うまく行かなかったところを自分で修正す
るのがいいのです。
ところが、日本の教育では、先回りして「あれはダメ、これはダメ、これはい
い」という結論を刷り込んで行くのです。
自分の体験から学ぶ、ということから遠ざけて、世の中一般と同調することだ
けを善とするのです。

それでは個というものが育たない。

だから、教育され終った人は、自分の生命の中心にいません。
他人にインプットされた判断基準のほうが自分より強いのです。
他人に評価され、それに慣れてしまったがために、他人が評価しない場合でも、
常に人がどう見るかという自己評価をしています。

最近、能を習っているのですが、謡のときに教わったことは、「自分の声を聞
かないでください」ということでした。
「ちゃんと声が出てるかな?」と確かめることは、謡うことと違うことにエネ
ルギーを割いていることになるのです。

習字や絵でもそうなのです。線を引いている最中に「ちゃんと書けてるかな」
と意識を動かしてしまうと、その分エネルギーが淀んでしまいます。
そのことは知っていましたが、やはり謡うときには、自分の声を聞いていまし
た。
応用できていなかったのです。

生きて行くのも同じなのです。
行動するときは、さっと動く。

反省はその結果が出てからでいいのです。
失敗したら、次回は同じ失敗はしない。
途中で「失敗するのではないか」と考えると、集中力が失われた結果、失敗す
る率が高くなります。

そういう心理的なクセが、人を生命の中心から外してしまいます。

「したいから、する」という単純な回路が錆び付いているのです。
そこに余計な心理的な葛藤や圧力が結びついています。

それが成長を阻害するのです。
成長点は自分の中心にありますからね。
成長のエネルギーの波に乗れなくなってしまうのです。

「三つ子の魂百まで」と言います。
生まれついた魂は変わりません。
その魂を育てていくのです。
知識や能力を足し算していくのではありません。
魂そのものが成長するのです。

成長するとは、サイズが大きくなることとは限りません。
人の本質的な成長は、よりシンプルに本来の存在に戻っていくのです。生きる
経験は、自分が何者であるかを知る過程なのです。
自分が何者であるかを知る過程で、より洗練され自由になります。

その自分を中心として、何を感じ、何を考え、何をするかを組織していきます。
知識もそうです。他人にインプットされた知識の断片や概念を要らないものを
捨てて、すべて自分を中心に再組織するのです。

教育によって、自分の生命のセンターから外れてしまっている人は、この編集
作業が思うようにできないのです。センタリングがうまく行っていないからで
す。

教育が知識を教えてくれるからいいものだ、と単純に考えてはいけません。
毒まんじゅうを喰うよりは、飢えていたほうが、身になるものを吸収できます。

不登校の子どもたちは、本能的にそのことを知っているのです。
だから、ご両親は子どもが求めているものが何かを探す精神的な旅に子どもと
共に出ないといけません。

遅れるとか、そういうことはないのです。何が速いかなんてことは人生にはな
い。
そうして子どもが居場所を見つけたときに、ご両親もまた成長しているのです。
そういうきっかけなのです。

[大人の成長塾]は、魂のあり場所にセンタリングをし直すことをいちばん大
切にしています。しかし、そのことは限りなく長い話になりますので、ここで
は扱いません。

ここでいう魂は、心とその生まれついての性質、くらいの意味でよいと思いま
す。
霊とかいうとまた話が難しくなりますからね。
ただ顔や指紋や声紋が1人1人違うように、生まれついての魂もそれぞれの個性、
方向性を持っていると僕は考えています。
花のタネが何色の花を咲かせるか決まっているように、みんなそれぞれの花が
ある。

それを気持ちよく発露できる社会がよい社会だと思っています。
シュタイナー教育などは、一つ一つの魂を発芽させる教育理念を持っています。
「教育は芸術だ」と明言しております。

しかし、日本の学校教育は子どもを一律なサイズ、能力と方向性を持った素材、
あるいは持つべき素材として扱います。工場生産の原料と同じなのです。均一
に製品を作ろうとしている。
規格はずれは、はじき出されます。大量生産の不良品と同じです。

僕が魂とか、個性とか、オリジナリティとかいうと、ときどき冷笑的なコメン
トをする人がいます。ちらほらいるので、ある比率でいるのでしょう。

こういう人たちについて語りましょう。
たぶん今の教育や世の中にすんなり順応した人たちだと思います。
頭がよくて、能力があり、それなりに収入がいい仕事があり、満足している。

そういう人たちは、一度も社会の枠組みからはみ出したことがないから、「自
分とは何か」と悩んだことがないのです。
外国に長く滞在すると、日本人としての自分を意識することがあります。
自己認識は異質性から始まるのです。
社会に同化してしまえば自分はなくてもいい。

日本社会と等質の人たちは、自分というものを意識する必要がないのです。
社会と一体なのですから。

でも、意見は持っているのです。
意見があるから「自分がある」と思い込んでいる。
「我意見あり。故に我あり」。

でも、意見なんてものは世間にいくらでも転がっています。
その中で自分の性質に合うもの、都合のいいものを蓑虫のように身にまとえば、
一丁上がりです。それは一つの傾向性を示していますから、それが自分だと思
えるのです。
でも、それは他人のものを上手に身にまとったに過ぎません。

本当に自分てなんだろう、と考えるのは、一体感から疎外されたときです。
うまく行っていた筈の人生で挫折を感じたときです。
ある人には、そういうときが訪れるかもしれないし、ある人は一生うまくやる
かもしれません。
それも一つの人生です。

[大人の成長塾]の対象は、そういう人たちではありません。

子どもの頃から、ちょっとはみ出していて、それは自分が悪いんじゃないかな、
と感じている人。学校教育では、評価されなかったけど、何か自分の可能性が
あるんじゃないかと思いながら、上手に発芽させられない人。
若いときには、もっと自分の方向が見えていたように思うのに、だんだん流さ
れてわからなくなってしまった人。
もっと自分の元々の可能性に戻って、感じたり考えたり行動したい人。

僕自身が微妙にはみ出して生きてきたので、いわばそのはみ出し部分とのつき
あい方は、何十年も考えてきたエッセンスがあるのです。

ようやく折り合いがついて感じること。
自分というのは、強化したり武装するものではなく、鍛えたり否定したり肯定
したりするものでもありません。ただそこにあるもの。一生つきあっていかな
くてはいけない他人。
でも、何者かいちばん知りたい人。
大切な人です。
自分とのつきあい方を知ると生きるのが楽になります。

自分を愛せない人。
自分を感じられない人。
自分なんてものがあるかないかもわからない人。
自分を否定して憎んでいる人。
そういう人がいまの日本には多すぎます。

自分とのつきあい方を知らないのです。

自分を愛せないまま成長することはできません。
なぜかというと、愛とは太陽の光のようなものです。
これなしでどんな植物も育ちません。
(もやし〜とか、例外はあるかもしれないけど)

自分を愛せない人が増えると、個の尊厳が軽んじられるようになります。

「個の尊厳」は、堅い言葉だからピンと来ないかもしれませんね。「個の尊厳」
は、外から見た言葉、社会的な言葉であって、内側から見ると、「人として楽
しく自由に創造的に生きること」です。

個の尊厳が失われる4つの虚無について書きましょう。
個の尊厳が失われた世界は虚無の世界です。
「楽しくない。自由でない。創造的でない」世界です。

一つは洗脳。
人が人を洗脳するときに、個の尊厳はありません。
お互いに洗脳しあうことを狙って相手を支配しようとする世界は、僕にとって
は虚無の世界です。教育も洗脳であれば、世の中は洗脳汚染だらけです。
テレビや映画もそうです。

MKウルトラ計画

https://goo.gl/Dg9vhu

CIAは、1950年代に洗脳に関わる実験をMKウルトラ計画と称して、集中的に行
いました。
LSDは、このときに開発され、使用されたようです。
それが後に、サイケデリック文化のシンボル的な薬として登場するのです。
共通項は変性意識状態です。

この計画の内容はきれいに揉み消されたようですが、その成果や人脈は、裏で
脈々と生きているとみるべきです。政治体制に不満を持たせないで支配したい
人、自分の商品を疑問なく何回もリピートして買わせたい人などにとっては、
夢の技術です。
研究に関わった人間は、引く手数多(ひくてあまた)だったでしょう。

彼らは引き取られた先でまた研究を始めたでしょう。

二つ目の虚無は暴力。

シリアの破壊された街の映像を見ましたか?
ドローンで撮影された街は行けども行けども爆撃で廃墟と化しています。
SFで見たような廃墟が現実のものとして生々しくそこにあります。

ここにもほんの1,2年前まで普通の生活があったのです。
日本に投下された原爆や東京大空襲もそうです。
あっという間に人の生命や生活を奪います。

やさしい人も気難しい人も、まじめな人もふまじめな人も、父親も母親も子ど
もも、祖父や祖母やペットも、何の見境もなく一瞬で命を奪われてしまいます。
死んでしまった途端に、戦死者何千人、何万人という数字になって個人性は一
切なくなるのです。

ISの台頭に底なしの虚無が増殖していると感じた人は僕だけではないでしょう。
暴力は人の小さな営みを全て無に帰してしまいます。

だからといって、暴力に人の本質があるとは言えないでしょう。

ジョン・レノンは数発の銃弾で生命を奪われました。
だからといって、暴力のほうが音楽より本質的だとは言えないのです。

人の営みは暴力の前にはあまりにも脆いけれども、暴力に対して暴力で対抗す
れば、ますます大切なものが失われます。それが底なしの虚無です。

虚無の3番目は経済です。

最近、好奇心7、研究3くらいの気持ちで、facebookで見かける無料でメールや
動画が見られる、というサービスに登録するのです。
一度試しにしてみてみたら、そんなに押し売り的なことはなかったので、最近
は安心してみています。
(アダルトサイトとか、怪しいのは知りませんから自己責任にしてください)

先日は、資産数十億、年収十数億という31歳の青年実業家のものに登録しまし
た。
内容の感想は、まあ、よくお金稼いだのね。いろいろな人がいるものだな、と
いうくらいでした。でも彼のしている講演の映像で、聞き捨てならない台詞が
出てきました。

郵便貯金を株式市場にぶち込めば、株は上がる、という話です。
郵便貯金は、日本で最も保守的な預金と言われていて、お年寄りの預金が多い
のです。
数百兆円というお金ですから、たしかに短期的に株は上がりますが、そんな分
かりやすくて動きの鈍い金は、海外のハゲタカのような投資家の餌食になって、
あっという間に溶けてしまいます。
安倍首相が年金資金を株にぶちこみまして、数十兆円の損失を出しているのと
同じことです。

郵便貯金は最も保守的であることで、日本の基盤となっているのです。
それを投機の資金に流し込んで溶かしてしまいたい勢力はずっといるのです。

しかし、年金にしても郵便貯金にしても、誰かがいいように使っていいお金で
はありません。
大切な預かり金です。

しかし、僕が呆れたのは、その傲慢ではありません。さらに暴言を吐いたので
す。

郵便貯金が動かないことに苛立ち、その31歳は「年寄りはバカだから」投資を
しない、バカ呼ばわりをさんざんした挙げ句、「年寄りは早く死ねばいい」的
なことを言うのです。
年寄りたちが老後の頼りにしている資金を株式市場に導入したくて、老人たち
は早く死ねばいい、というのです。
会場には軽く笑いが広がりました。同類が集まっていると見えます。
それが株式投資、経済というフィールドなのです。

既存の用語法では、「人間性を疑う」というところですが、僕はもう「人間性」
という言葉を肯定的に使うことは難しい時代に入ったと思います。

洗脳、暴力、戦争、経済は、動物にはありません。
だから、「人間性」とは人間にしかないこと。
人間しかしないことの中に底なしの虚無が生まれつつあるのです。

経済については、リーマン・ショックの引き金になったサブプライム・ローン
や、デリバティブ。今から研究してみれば、それがいかに愚かしいことか客観
的に見えるでしょう。
愚かしいというより、壮大な詐欺と無責任なのです。


サブプライムローンは、頭金なし。預金証明なし。収入証明なしで貸し付ける
ローンだったのです。しかも初期は金利ほとんどなし。
これなら誰でも家が買えるので、収入が少ない、不安定な人々が大量に買った
のです。
そのローンを証券会社が、債券として売り出した。
これはすぐに焦げ付くクズです。
ただし、他の優良債券と混ぜて商品を作った。
ここにたぶん高等数学を使うデリバティブという煙幕を張って人を騙したので
す。
クズだとわかっていて人に売りつけたのです。

3月公開の『マネー・ショート』という映画は、そのことを扱ったコメディだ
と町山智浩さんがラジオで話していました。

日本のバブル経済とその崩壊とかもありました。
景気の本質とは、上がれば下がる、ということなのです。
上がることだけが善で、下がると大騒ぎする、という態度が何も学習させない
のです。
このようなことを経済の本質とみることにいろいろ反論もあるかもしれません。
僕のいう経済はたぶん「経済の人」の「経済」とは違います。
「金融経済」というように限定すべきかもしれませんが、よくわかりません。
これを書いていて思いついたことなので、規定が厳密ではないかもしれません
が、論じてみましょう。

僕にとって経済とは、「お金の流れとお金が作り出すエネルギーの流れの総体
です」。

お金の流れには性質があります。

1, お金があるところにお金が集まる

2, お金がいちばん! 人々の生きる目的の優先順位の1位になろうとする

他にもあるかもしれませんが、とりあえずこの2つで十分です。
お金はつねに優先順位の1位になろうとします。
それは比重が軽いものが水に浮くのと同じように観察される現象です。

ということはお金は、つねに個の尊厳よりも優位になるのです。

実際に私たちは、経済が個の尊厳を犯している場合を日々目撃しています。
福島の核の事故とその処理。その後の老朽化した原発の再稼働の動きなどは、
「命より金が大事」というメッセージそのものです。

またブラック企業や非正規雇用の拡大、格差社会化の流れなども、まさに経済
の働きです。

「経済のプラスの側面はどうした? 経済がなければ生きていけないではない
か?」

というご意見があれば、ごもっともです。

しかし、心配しなくても、僕が批判したくらいでは経済はなくなりません。
強大なものに螳螂の鎌を当てているだけです。
で、別に経済を全廃したいわけではなくて、負の側面を検討して可能であれば、
経済をよりよいものに再定義・再編していきたいのです。

経済の言葉のもとは、江戸時代の「経世済民」「経国済民」という言葉に遡れ
るようです。
wikiによると、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」という意味です。
今日の経済の他に「広く政治・統治・行政全般を指示する語」であったと書い
てあります。

これが、今日的な純粋な金をめぐる技術や、システム、数字を扱う経済という
言葉に転用されてきたのです。
僕は経済は、そんなに数学的に、あるいはテクニカルに純化してはいけないと
思います。
いま、東京で大きなビルを建てるときには、一定のスペースを広場として提供
しなければいけませんね。もし、施主の都合で建ててよければ、敷地いっぱい
の建物だらけになって、街にうるおいも余裕もなくなってしまいます。

経済も、それと同様に負荷をかけ、ハンデをつけてちょうどいい。
「経世済民」という観点が足枷(かせ)になっていてちょうどいいのではない
かと思います。お金が儲かった人や企業は人を救ったり、住みやすい世の中に
するために何かの働きをする。
それが義務や美徳になればちょうどいいと思うのです。

先日、友人と飲んでいて、彼が村上ファンドの村上さんと会ったことがある、
という話になりました。村上さんは金持ちになったら、いいことをしようと思
っていたそうです。
村上さんにとって、何が善なのか、そういう細部はわからないのですが、いざ
お金ができると「よいことをするのは諦めた」そうです。
巨大な金額になると、自分の善とか不善とかの思惑で動かせるものではなくな
ってしまうようです。

「まず大金持ちになって、そのあと、お金の力でいいことをしよう」と思って
いる人がときどきいますが、それは嘘だし、無理なのです。巨額の資金には想
像以上の思惑や圧力がかかるのです。

弱い者のことを考えていたのでは国際競争に勝てない? 
真剣に考えれば、案外別の道が開けると思います。

本来、富の再配分は税で金のあるところからとって、福祉を手厚くすれば、あ
る程度可能ですが、実際は反対の方向に進んでいます。
日本社会の経済的人間の間では、経済で成功したものを讃えて、生活保護を叩
くことが正義になっています。
貧乏人や努力をしない資質の低い人間に社会的資本を振り向けるのは無駄だ。
強い者を優遇したほうが国際的な競争力がついて、「日本」が繁栄するという
意見に先日FBで出会いました。

ある一定の割合でこういう意見の人たちがいると思います。あるいは今日では
支配的な意見かもしれません。立場が違うとしかいいようがないのです。つま
り、貧しい人、弱い人、怠け者の人には、個の尊厳を認めなくていい、という
意見です。それらは単に社会の重荷であり、認めれば、国際的経済競争に負け
てしまうというのです。

それが経済的な考え方の本質です。

弱い者を切り捨て、踏みつけて競争に参加していった果てにあるものは、限り
ない弱者の拡大です。そんなことを続けた社会が本質的な強さを持つとは僕に
は思えないのです。
人生が競争だけになってしまいます。
強者を自任する人はそれでいいでしょうが、競争が続けば、強者も弱者にいず
れ転落していきます。タコは自分の足を喰うと言いますが、それと似た自壊的
な方向性です。

考えを進めると「お金がいちばん!」の世界の第3の性質が出てきます。
短期的な視野しか持たない人のエネルギーが支配することです。
年金を株式にぶち込み、郵便貯金を溶かそうとする。
マイナス金利にする。
すべて目先の対応です。
少しでも株価が上がり市場がにぎわえばいい。

そのあと、社会がどうなろうと関係ない。
後は野となれ山となれ。
つまり、それが「お金がいちばん!」の性質なのです。

たいへん破壊的なのです。

語源の話をしたので、economyの話も。
経済というときは、経世済民関係ない、economyだ、という人もいるかもしれ
ません。
economyは、元々ギリシャ語が語源で、家政、家の管理のことだったと言いま
す。

もともと、家の話。とても小さな話だったのです。
僕はこういう比喩を語ろうと思います。

野山を流れる小川は、人々の生活を潤します。
しかし、いったん洪水になって暴れ河になれば、人の生活や生命すら押し流し
ます。
今の経済はもう洪水、奔流状態なのです。
小川も洪水も「水の流れ」ということでは共通していますが、人との関係はお
おいに変化します。
情報化や、金融スキルの多様化、国際化、資本の集中化などで、経済は奔流化
しているのです。
求められているのは「治水」の技術なのです。
スローダウンし、細分化する。流れを限定し、大切なものが押し流されないよ
うにする。
必要なところに行き渡るようにする。
「治水的な経済学」が必要なのです。

ところが実際の経済政策は、とにかく流動性を高めるしか能がないように見え
ます。
景気の上り下がりだけを見て一喜一憂するだけで、金がどこにどのように流れ
るか、ということには関心がない。自分の短期的利益に適えばいいという視野
に見えます。

それが安倍政権が株式市場で年金を溶かしてしまい(溶かすは博打用語です)、
青年実業家が郵便預金もぶっこめ、虎の子の貯金を守る老人は死ね、と叫ぶ理
由なのです。

教育(洗脳)、暴力、経済より個の尊厳を優先する、というのは、僕の精神の
基本的な立場です。

3.11以降の論争をずっと見ていて最近やっと思ったことは、人の基本的な立場
はほとんど変わらないということです。
変わらない以上、立場が違う同士の話し合いは意味がありません。
目的が違うゲームをしているのです。

囲碁と将棋では勝負になりませんね。

僕は「個の尊厳を守るにはどうすればいいか」、ということから考え始めれば
いいので、「個の尊厳を守るべきかどうか」という議論には加わる必要がない
のです。

平和を守るには、どうすればいいかということから考え始めるので、「戦争か
平和か」ということは考えなくていいのです。

戦争には個の尊厳がありません。
最も個の尊厳が失われる時間と空間です。

戦争という選択肢も持たなくてはいけない、という人は、国という単位に感情
移入しているのです。国という単位に同化しやすい人は、自分をなくしたい、
見たくないという人です。

国に同化するのを国家主義、あるいは全体主義と言います。
これが第四の虚無です。

僕の父は戦艦武蔵に乗っていて、撃沈され数日海を漂流しました。
通りかかる船に拾われて九死に一生を得ました。
ところが内地に帰る船を輸送船をバシィ海峡というところでまた沈められて、
再び海を漂ったのです。
父はそれでも生き残ったので、僕がいるわけですが、戦後ははっきりとした平
和主義、反戦主義者でした。

最近、ネット上の記事を見て驚いたのですが、バシィ海峡のことが書いてあり
ました。
父の輸送船が沈んだ海峡です。
ここを通る輸送船は7割が沈没させられていたというのです。
それでも平気で船を送り出す神経はどういうものでしょうか。

ネットには日本の戦死の7割は餓死だということが書いてあります。
補給を軽視したために、多くの兵士が餓死したのです。
作戦は軍部や官僚が決めるのでしょう。
いい加減なものです。

最近、マイナンバーが始まって、住基ネットは全廃だと聞いて驚き呆れました。

血税1兆円をドブに捨てた「住基ネット」〜元祖マイナンバー、あれはいった
い何だったのか?

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47571

この記事によると、住基ネットにかかった税金は一兆円。
マイナンバーも近い将来廃止するかもしれないし、その費用は住基ネットどこ
ろではない、ということが書いてあります。

税金の無駄遣いに何の痛痒も感じない。誰も責任を取らないような体制。
それが戦争すると、7割を餓死させ、7割が沈む海に帰還兵を送り出す、そうい
う体制になるのです。
命すら使い捨てにするのです。

戦争は勇ましい以前に、こういう粗雑な精神の指揮のもとに行われるというこ
とを強調せずにいられません。

戦争は人々の生命と尊厳を呑み込む虚無以外の何者でもありません。

僕の母は、戦争で妹を失っています。東京大空襲のときです。

自分の乗っている船が沈んで、生死の境目で二度も漂ったり、家族を爆弾で失
ったりした人の戦争体験があります。僕の両親は戦争を憎んでいました。

それに対して、国と同化して戦争を辞さない精神があります。
これが国家主義です。

国家主義者は個人の体験に同化しないのです。自分を失って国という集合に同
化します。

愛校心とか、愛社精神というものがありますね。
学校や会社に同化する、一体化することに快感があるのです。

大学の応援団は、真夏にも暑苦しい長い学ランを着て、重い旗を持って、ずっ
と立ちっぱなしで声を枯らします。苦しい自己犠牲を払うことで、愛校心を自
他に証明するのです。

愛社精神は、進んでサービス残業するような精神です。

こういうのを滅私奉公と言います。自分を滅して全体に自分を捧げるわけです。
個の尊厳を自分から差し出して失うことで何かを証明してみせるわけです。

僕は一度も味わったことがありませんが、そういうことには快感があるのでし
ょう。

愛校心や、愛社精神は、まだかわいいものです。
その人が好きなら、とめるわけにも行きません。

しかし、愛国心となると、そうも行きません。
愛国心を持つ人は、たいてい他の国を憎んでいます。
日本が好きで、他の国も好きな人は愛国者とは呼ばれません。
愛国者は、アジアの他の国を激しく憎み、蔑み罵倒することで、自分の愛国心
を際立たせ、証明します。
(日本に核爆弾を落としたアメリカを憎む愛国者はなぜかあまりいません)。

愛国心が困るのは、他の人間にも強制することです。
隣国との緊張が高まって、戦争に向かうときに、「戦争反対」という人間は邪
魔者なのです。

日本でも安保法制に反対したキャスターが3人がレギュラー番組を降板させら
れました。

「キャスター3人の降板が首相官邸の圧力によるものだ、と海外メディアは断
定した」

http://ysugie.com/archives/4892

言論がどうのというより、異物・異論を少しずつ潰して行くのです。

他国と戦争をしようというときに、「それはどうなの?」という意見は足を引
っぱるのです。
国民が「一丸となる」のが好きな人たちなのです。

いよいよ開戦が近づくと、戦争に反対することは「利敵行為」となり、「スパ
イ行為」となるのです。
いまの言葉で「在日認定」というのもとてもよく似ています。
そのようなレッテルを貼って、断罪し、排除するのです。

イメージが湧かない方は、『蟹工船』の作家、小林多喜二の死について知って
ください。

作家・小林多喜二 壮絶すぎる拷問死事件の真相

http://matome.naver.jp/odai/2142881833527510301

一人の作家が、反国家的であると見なされて、とても残酷に殺されました。

戦争状態に向かうときに、個の尊厳は最も軽視され、踏みにじられるのです。
このときも拷問は禁止されていましたが、作家を残虐非道に殺した者たちは警
察・検察・報道によって庇われ、一人として裁かれることがありませんでした。

全体に自分を投影・同化してしまう者と、個の尊厳を守る者の道は、やがてこ
んなにも分かれるのです。

いま、日本はとても大きな岐路に立っています。
僕の読者に殺す側に回りたい人はいないと信じます。
だからといって、殺される側にもなりたくないでしょう。

人を呑み込む虚無があちらこちらで増殖しています。
虚無はここに数え上げただけではありません。
他にもあって、これに4つと絡んでいるのです。

M・エンデや、宮崎駿さんにも虚無が人を呑み込むというテーマがありますね。

それに対抗するものは、個の尊厳です。
遠回りのように見えますが、それしかないのです。
「自由で楽しく創造的な生き方」、それを知らない人が全体主義に吸い寄せら
れて、麻薬のように中毒するのです。

今から自由に生きましょう。
今から楽しく生きましょう。
今から創造的に生きましょう。

たった今からです。

個に尊厳を感じるためには、自分自身に尊厳を感じなければいけません。

とても当たり前のことなのですが、まずそれを回復するところから始めます。
自分自身に尊厳を感じる方法を基礎づけていきます。

僕が[大人の成長塾]を始めたのは、そういうわけなのです。

思わぬ大作になってしまいました。

まとめます。

教育(洗脳)を含む4つの虚無が個の尊厳をおびやかしています。
そういう危機の中で、僕の[大人の成長塾]は、虚無の1つである教育の悪影
響を無効化して、生命の中心にセンタリングするためのものです。

何か1つの運動や政党が今の状況を救ってくれることはないのです。
1人1人が粒だって、自分の生命のまっただ中に向かっていくしかないのです。

あなたの参加をお待ちしています。




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●コーチングは漏斗型のマーケティングである

web上のコーチングでは、無料で数日間メールを配信してくれるものが多いで
す。
僕も研究のためにfacebookで眼についたものを最近数件登録してみました。

いろいろなヴァリエーションがあるのですが、驚くほど共通のところもありま
す。
その共通点の分析結果を前回と今回で書いています。

この無料メールは何かというと、まあ、撒き餌のようなものです。
これに喰いついた人の何パーセントかは……その歩留まりがいいように彼らは
最善を尽くすのですが、有料のセミナーなどに申し込みます。

コーチングはマーケティングとものすごく近い関係にあります。
マーケティングは、まず大量にDM、チラシ、広告などをうって、それに反応し
て来た人を「見込み客」として確保するところから始まります。
こ見込み客から一定の割合でお金を使うカスタマーになります。
そして、まず最初は安いものを買ってもらう。

安いものである程度の満足を与え、信頼を得て、でも、もっといいものがあり
ますよ、といって、次にもっと高い商品へと誘導するのです。

そのようにだんだん薄い関係から、濃い関係に誘導する網を漏斗(じょうご)
型に作って絞っていくのです。


***

[大人の成長塾]でも、この無料コンテンツを作ってみました。

前回お知らせしたコレです↓

 **

成長力基礎テスト
http://seicho.hiden.jp/s_test.html

このテストをされた方には、内容をさらに詳しく解説した15通の無料ステップ・
メールをお送りします。
興味のある方は、上記サイトでテストをして、メールを受け取ってください。

 **

ただ慣れないものだから、非常に独立性の高いコンテンツになってしまいまし
た。
[大人の成長塾]への誘導としてうまくできている自信がありません(笑)。
これだけでお腹いっぱいになっちゃうかもしれない、と思っています。
無料で、しつこく勧誘したりもないですから、お試しください。

それから、コーチングの世界では、安いといっても、最初のセミナー8万円と
か、ざらにあります。来る人は、何かに強く惹かれたわけなので、お金は問題
じゃない人もいるし、高いほうが内容に自信があるんだろうと思わせる効果も
あります。
そうなると、2万円の参加者を4人集めるより、8万円で1人呼ぶほうが効率がよ
くなるのです。
広告をうって大きく広げるのにも、高い方が好都合なのです。
ですから、自信や実績が出てくると、高くなっていくのです。

そして、これは入り口であって、「あなたもコーチになれますよ」というセミ
ナーは、数十万円、あるいはもっと高いセミナーがある、ということになるの
です。


●[大人の成長塾]の場合

[大人の成長塾]は、システムも違うし、1年間で1万円!と強調しておこうと
思います。
それでもっと高額な何かに誘導しようという意図もないのです。
普通の人が気軽にちょっとした人生のバージョンアップができる機会です。


●コーチングはけっこう苦労話である

コーチの人は、特殊な経験をした人が多いです。
その中には、数年間逆境にあって、歯を食いしばって耐えた、という人が多い
です。
そして、自分は今経済的に成功して、やりたいことをやっているけれども、も
ともとは苦手なものがたくさんあるダメダメ人間だった、という話も多いです。

そういう芽が出ない時期を長く耐えていて、あるとき一つの気づきがあって、
それに気づいてからはトントン拍子、自由自在の人生が始まりました。

「あなたよりダメだった人間がこの通り成功したよ」という話になるわけです。

そのとき気づいた原理と、そのあとの蓄積したものを教える、という構造にな
るわけです。
あなたもそのようになれるなら、何万円払っても惜しくないでしょう? とい
うわけです。

実際、幸福や健康、自分のしたいことを実現できる人生というのは、プライス
レスです。
無限大に近い価値がある。

では、コーチングや情報商材は、それを与えてくれるか?
僕は無料のものをチェックしているだけなので知りません(笑)。

でも、玉石混淆だということは、想像がつきます。
玉といっても、たぶんすごい宝石はないと感じます。
それと、とにかく申し込んでお金を払ってもらうのが先決ですから、いちばん
いい部分はかなり無料のところで露出していると考えていいです。

ある有名なテレビ・プロデューサーに聞いた話ですが、昔、縁日のショーで
「大イタチ」というのがあったそうです。
巨大なイタチがいるというので、お金を払って入ってみると、大きな板に血が
ついていた、という……。
そういうことにならないように気をつけてください。
とくに「これを読むだけですぐに月収100万円」的なものは、絶対に大イタチ
です。
まあ、それはコーチングとは言わないでしょうけどね。

それから、苦労話をするコーチの人は、自分で苦闘し工夫して何かを手に入れ
たわけです。
あなたはそれをお金で買おうとする。
そこにすごく大きな差があるのです。

つまり世界をバックパック一つで貧乏旅行して歩いた人が体験やコツを伝授す
るとします。
でもあなたは旅人ではないのです。
体験のエッセンスだけを買おうとしている人です。

あなたが同じような旅人であれば、彼のアドバイスはとても役に立つでしょう。
しかし、海外に一度も行ったことがなければ、夢物語を買っていることになり
ます。
自分で生きること、自分で工夫すること。
お金で経験をショートカットしようとすることは、自分で現実と向かい合うこ
とから少し遠ざかることです。
そのようなお金の使い方をしてはいけません。


●[大人の成長塾]の場合

僕にはあまり苦労話的なものはありません。
でも、どこで成長という概念が始まったかという話をします。

3.11ですべてが始まりました。

前回書いたコンフォート・ゾーン、つまりぬるま湯的心理環境が3.11で完全に
崩壊してしまったのです。
3.11以前も、僕は心情的に反体制、反権力だと思っていたのですが、それでも
ものすごく日本という国を信じていたんだな、と愕然としました。
3.11以降露出してきた国の形は、僕にとって本当に恐ろしい絶望的なものでし
た。
恐ろしい、絶望的とかは後からまとめた言葉であって、言葉にならない衝撃が
ありました。
毎朝身体の芯から震えが来て止まらないのです。

あえてコーチング用語を使うと、それがコンフォート・ゾーンのかなり壊滅的
な崩壊であったのです。

そのときは何がなんだかわかりませんでしたが、半年か一年経った頃、あれは
出産だったのだな、と気づきました。
産むほうではなくて、生まれるほうです。
母親の暖かい胎内から、無防備で不快な世界に生まれ落ちたのです。
それは苦痛に似ていましたが、まだ苦痛という呼び名すらない体験でした。

そういうわけで僕の本質は3.11で0歳になったのです。
でも、この0歳児は、60歳近いもう1人の自分の経験に守られていたのです。
僕は2つの年齢を持ったのです。

人は0歳から3歳くらいまで特別な成長をします。

僕は年齢相応の眼で世界を見ていたのではなく、0歳児の眼でもう一度世界を
掴み直したのです。
2015年の今は、僕は4歳児。もう1人の僕は61歳です。
そういう二重の視点でものごとを見るようになりました。

生まれたばかりの苦痛を過ぎると、世界はとても新鮮です。
4歳児の僕は好奇心と活力に満ちているし、あれもこれもしたいとワクワクし
ています。
毎日のように発見があり、見るもの聞くものの刺激が血となり肉となる感じが
しています。
さまざまなアイデアも、自然に自由に湧いて来ます。

日本の政治・社会情勢は僕にとって怒りを通り越して、いちいち怒っていられ
ない最悪な感じですが、個人的には元気さのピークといってもいいのです。

このような成長の要素をシェアしたい、というのが、[大人の成長塾]を始め
た理由です。
既存の価値観の全面的な崩壊そのものはシェアできません。
そんなものは、体験しないでいいです。

外からの衝撃によって破壊されるのではなくて、自分の自由意志によって、少
しずつ自分の行動の選択基準を再編集していきます。
そして小さな行動を起こし、感じたことをもう一度フィードバックしていきま
す。
その繰り返しによって、成長を押しとどめている惰性の殻に隙間を作っていき
ます。
その隙間から成長の芽が育って行きます。
やがてその芽が自分の限界の殻さえ打ち砕きます。

すべてを意識的に行います。
成長の力は無意識的なものですが、それを意識的に導く、という原理や方法論
があるのです。

このプロセスを厳密を言いましょう。
成長の力は自然なものです。
みなさんのコメントを読んで、成長は努力をして獲得するものだ、と考えてい
る人が多くて驚きました。
植物の成長を見てください。
彼らは努力していません。
ただ成長する環境や条件があればいいのです。

ところが日本社会では、その環境や条件を阻害する力が大きく働いている、と
いうのが僕の認識です。それをすり抜けるためには、成長の条件を正しく理解
する必要があります。
理解して少しばかり働きかけ、条件を整える。
そこまでは全く意識的である必要があります。

成長の力は明るく希望的なものです。
もし来年も再来年も成長していない自分がいると想像すれば、時代が世知辛く
なっていく流れの中で未来は不安に満ちたものになるでしょう。

[大人の成長塾]は、最後の希望です!


●コーチングは、幻想産業である

前回、このようなメールの内容をご紹介しました。

「ビジネスの現場において『コーチング』という言葉が流行り(?)始めたの
は、4〜5年前だっただろうか。
その手の書籍も目に付くようになり、私の知り合いの経営者も数人、コーチを
付けたと自慢げに云っていた。
が、次に会ったときにはすでに、離れていた。全員がである。
(うろ覚えだが、そうちの1人はクビにしたという表現をしていたように思う)」

この文章からみなさんは何を読み取りましたか?
僕は編集者で文章読みだから、とても深く現場の様子が想像できてしまうので
す。
眼光紙背に徹す、一を聞いて十を知る、です。

コーチをつける、というのは、とても高価なものです。
依頼するのは、金銭的に余裕のある人、余裕はなくてもお金を稼ぐための「投
資」としてなけなしのお金をつぎ込む人の2つに分かれます。

この文に出てくるのは前者でしょう。
企業の経営者です。
企業を余裕で回している人は、それなりの経験、人生観、ポリシーを持ってい
ます。
経験、人生観、ポリシーとは、それ自体メタ認識です。
したがって、経験の浅いコーチがメタなゲームに引き込もうとしても、相手の
ほうが上なのです。
それで全く通用しない、「クビ」ということになるのです。

たいていのコーチは、経験を積んだ経営者にとって「若造」に過ぎないのです。

企業の経営者に対しては、マーケティングのコンサルテーションくらいしない
と通用しないのです。コンサルは、とても具体的なものです。
年商1億円の企業を2億円にする。
それを実現すれば、実労1か月であろうと3日であろうと、500万円、1,000万円
と要求することも可能でしょう。
いくつかのアイデアを提供するだけで、それが可能なケースがあるのです。

どうすればそんなことができるかといえば、他の会社、他の業界に精通してい
て、そこから最適なアイデアを流用してくるからできるのです。
マーケティング界のカリスマ、ジェイ・アブラハムスは、450以上の業種のコ
ンサルをしていて、そこから自由にアイデアを流用していると言います。
450というのは、会社ではなく業種ですよ。
他の会社、他の業界に精通している人は、他の会社でも仕事をしたことがある
のです。
それが財産、実績になります。

では、最初の仕事はどうするんだ? どこの会社も知らないゾ、となりません
か?

そうなのです。
最初は何も知らない。経験の元手がない。
その空虚をどう埋めるかが大問題です。

不可能を可能にする「何か」が必要なのです。

その「何か」が先ほど書いたコーチは「苦労人」である、という話につながり
ます。
ある企業の中で辛酸を舐めるほどに、厳しい体験をします。
光の見えない完全に行き詰まった数年を過ごします。
まだ何もない部署で右も左もわからない状態から、事業の立ち上げをさせられ
たりします。
経理から何から全部一人で勉強し、考えなくてはいけません。

そういう体験を通じて、少なくとも自分のいる会社、業界については身にしみ
て精通し、また会社経営の基本構造は理解します。
それだけでは十分ではないけれども、その経験の元手を使って、仕事を始めれ
ばぽつぽつと仕事が来るうちに、経験の元手は膨らんでいきます。

つまり、コーチはそういう経験の元手がある人が始める仕事です。
元手があって、それだけでも人に伝えたい、教えたいという人が、ビジネスの
フォーマットや、ノウハウのヴァラエティを手に入れるためにコーチングを学
ぶのは意味があります。
何も元手がない人がコーチになろうコーチの講座に出ても何にもなりません。

何の話かというと、コーチングの数万円の初歩セミナーの後は、「あなたもコ
ーチになりませんか?」という誘いが続くことが多いのです。
こちらは、うまくいけばそれが職業になるものですから、何十万円というセミ
ナーになります。
その何十万のセミナーに何人もの人が応募しているように見えるので、「コー
チはおいしい職業」のように見えるのです。

しかし、主たる収入はコーチをすることではなくて、「コーチになれますとい
うセミナー」をすることなのです。
コーチそのものではなくて、コーチを養成する講座が大きな収入になります。

コーチのコーチが儲かるのです。
ただのコーチで喰える人は、よほど実力がある人で、でもそういう人は実績を
元にして、コーチを育てるコーチを始めるのです。
そちらのほうが儲かるから。

したがって飯が喰えるのは、コーチではなく、コーチを育てるコーチである、
と言えるのです。
ですから、自分が家元になるほどに自分に強い自信がなければ、コーチを育て
る講座などに高いお金を払うなどはやめたほうがいいのです。

最初に書いたようにこの文章は、話を単純化して面白くしてありますから、例
外はあるかもしれません。ただコーチングに興味を持つに当たっては、この程
度のことは想像しておいたほうがいいのです。

企業相手のコンサル、起業家相手のコーチング、個人相手のコーチなど、いろ
いろなレベルや方向の話もいっしょになっています。構造はよく似ているから
です。

利益をもたらそうとすれば、企業相手のコンサルのように規模が大きいほうが
じつは簡単な面があると思います。
というのは、企業は多くの資産を持っているからです。それを忘れていたり、
価値を理解していなかったりすることがあります。
それを掘り起こせばダイナミックな構造が出てきます。

しかし、個人は資産や元手(先ほど書いた能力や経験のことです)あるいは職
業すらも持っていない場合があります。そういうときに、コーチングやある種
の情報商材を売るような仕事は、「元手なしで始められる」ような幻想を持ち
やすいのです。

ほとんど幻想を買って、幻想を売るような商売だと言っていいのです。
長続きはしないでしょう。
しかし、個人としての元手を持っていないほど、このような幻想を持ちやすい
のです。

なんか営業妨害してるみたいで、申し訳なくなってきましたけど、実態は明ら
かに悪質なものから、それなりに誠実なものまでいろいろあると思います。
よく見極めていただきたいということです。


●[大人の成長塾]の場合

[大人の成長塾]は、特別な新しいビジネスを勧めることはありません。
今いる場所から始めます。
アプローチを変えれば、今いる場所で成長し続けることができるかもしれませ
ん。
あるいは成長を阻害する場所に長くいるようならば、動く勇気を与えるかもし
れません。
また必要なだけ成長すれば、次のステージが見えてくるかもしれません。

主体は自分です。
大切なのは、自分の内側に成長のエネルギーが満たされていることです。
成長すれば、自然に選択肢が増えるのです。
成長が止まっていれば、選択の余地も少ないのです。


●コーチングは、結局お金である

コーチングは、結局、「どうしたら今より多額のお金を稼げるか」、「どうし
たら自分のやりたいことだけして、経済的に成功するか」というようなテーマ
に収束します。

それは必ずしもコーチングの罪というより、世の中の強い潮流なのです。

世の中の9割の人は、「どうしたら楽をして稼いで、自分のしたいことができ
るか」と考えているのです。
コーチの人が自分のセミナーに人を集めようと思ったら、その欲望を満たしま
すとアピールするしかないのです。
ゴールを設定してくださいといったら、9割の人は経済的な成功や、収入に関
わるゴールを設定するでしょう。

こういう人々の欲望に働きかけるのに、いちばん露骨なのは、「月に200万円
の収入がほしくないですか?」というようなものです。
そういう怪しい広告をときどき見かけるでしょう。
それに比べると「どうしたら絶対に失敗しない起業ができますか?」というの
はまともに見えます。
ここには成功の絶対の秘訣がありますが、それをわけてほしくはないですか?
と囁きかけるのです。
本当は自分で試行錯誤して学ぶべきところを、それなりのお金を出せば、その
時間と苦労とリスクをショートカットできますよ、というわけです。
それなら安いものではありませんか? と。

では、その売り文句は本当でしょうか?
それを教えられて成功した人が1人もいなければ詐欺といっていいでしょう。
では、1,000人に1人が成功したらどうでしょう?
それでは高額の謝礼を取ったら詐欺っぽいですね。
300人に1人では?
100人に1人では?
と考えて行くことができます。

10人に1人が成功しても、残りの9人は期待を満たされなければ不当ともいえま
す。
集客のために欲望を煽れば煽るほど、かなりきわどい商売になります。


●[大人の成長塾]の場合

お金の世界は、基本は競争の世界です。
シェアの奪い合いです。
それは大資本のしていることを見ればわかります。
弱肉強食で、弱い者は潰れて、強者が巨大化します。
個人が起業するときも、それはあまり変わらないのです。
たしかに個人は小回りが利くので、既存のビジネスの隙間を見つけることがで
きるかもしれませんが、あるレベルまで行けば競争の中に組み込まれます。

そういう生き方もけっこうですが、僕は競争は苦手なので、昔からあまり燃え
ないのです。

[大人の成長塾]では、個人のエネルギーの開発、回路を整えることをします。
これは、競争でも奪い合いでもありません。
ある人が成長すれば、周囲も恩恵を受けます。
仕事や人間関係が円滑になります。
ギスギスしていたものが円やかになります。
周囲の人も影響されて成長するかもしれません。
あるものを奪い合うのではなく、そのようにお互いに豊かになるものが好きで
す。

[大人の成長塾]は、お金よりもエネルギーに注目します。
身体をめぐるエネルギーがあります。
心をめぐるエネルギーがあります。
それらが円滑に動き出す回路を作ることによって、成長が成し遂げられます。

成長の過程で、心と身体が統合されたもっと高次のエネルギー場がある、こと
がわかってきます。もっとシンプルに力強い生き方が見えてきます。

個人のエネルギー場が整うと同時に、人と人との関係、社会のエネルギー場も
整い始めます。

この社会のエネルギー場において、血液のように巡っているものがお金なので
す。
ですから、このエネルギー場を整えれば、自然に必要なお金は巡ります。

お金だけにフォーカスしていると、他のエネルギー場が歪んでくることがあり
ます。
そして、肝心なお金すら望んだようには手に入らないことがあります。


[大人の成長塾]には、失敗はありません。
多くの人は少しずつ成長しているからです。
しかし、十分に力強い成長を遂げるには、いくつもの要素を理解する必要があ
ります。
僕はそれを【秘伝】と名付けてみました。
古い読者には懐かしい言葉でしょう?
何十もの【秘伝】をお届けします(現在も執筆中)。

内容はちょっと難しいかもしれません。
しかし、このメルマガを読めている人なら大丈夫です。
何十もある【秘伝】の中から、2つか3つの【秘伝】に感応しただけで、新しい
生活が息吹始めます。


●コーチングは、それ自身1つのストコーマ(盲点)である

知り合いに、もう10年近く、苫米地氏や「引き寄せの法則」やらに、はまって
いる女性がいます。いっこうに経済的な成功をする気配を感じませんが、彼女
は「一度はヒルズ族になってみたい」と言っていました。
ヒルズ族になったら、人々のために何か還元する仕事をしたいと言っていたよ
うに思います。

なかなか面白い女性なのですが、僕は彼女はこの10年間経済的成功というメタ
なゲームにはまって、大切な可能性を失ったように思います。

ちょっと忠告したくらいで止まるようなものではないので、本人が納得するま
でやってみるしかないでしょう。一生納得しないかもしれませんが、それは僕
が関われるようなことではないのです。

コーチングの主流?は、ゴールを設定してストコーマ(盲点)をなくすことだ
と前回書きました。
しかし、ゴールが経済的な成功に置かれれば、それ自体が他にないくらい巨大
なストコーマになるのです。

それは現代日本社会を見ればわかります。
世界史上でも最悪の原発事故が起きても、原発を再稼働し、あまつさえ、海外
にまで売りに行っています。

オリンピックでも、盗作騒動がありましたが、その周辺の騒ぎは、あまりにも
利権的で醜いものです。

世界を見ても、ISの背後にイスラエル、アメリカ、トルコなどがいるという構
図が次第に明らかになってきました(知らない人は検索してください)。
権力欲、金銭欲がとめようもないような、ねじくれた巨大なエネルギーとなっ
て現れています。

お金という糊で、全てが癒着して、自由性、柔軟性を失っているのです。

こんな世の中で、「自分だけが思い通りの生き方をして、経済的な成功(余裕)
を手に入れる」ことを善とするゲームに参加するのは、盲点以外の何者でもあ
りません。
社会の現状を肯定し、補完するものです。

しかし、経済的な成功というゴールをちらつかせなければ、誰も高額なセミナ
ーは受けないでしょう。他のことはみんな自分でなんとかできると思っている
からです。

そういうわけで、コーチングは永遠に盲点であり続けるでしょう。


●[大人の成長塾]の場合

だんだん書いているうちに、[大人の成長塾]はコーチングじゃないじゃん、
とも思い始めてきました(笑)。
でも、まあ、みなさんがプレイヤーで僕がコーチ、という単純な意味でコーチ
ングと呼ぶのはいいかなと思います。

もちろん、狭義の定義を持つ人からは、[大人の成長塾]はコーチングではな
い、と言われるかもしれません。それで構いません。

日本社会の批判を書きましたが、[大人の成長塾]の中には、社会批判もイデ
オロギーも一切でてきません。扱う領域が違います。人の内的なエネルギーに
ついての新しい概念を扱います。

[大人の成長塾]が依拠するのは、イデオロギーではなく「生命」と「自然」
です。
生命が自然な状態にあれば、そこには成長があるのです。

原発や戦争に反対するのも、生命と自然に反するものだからです。
そこには破壊があって、成長がありません。

今の日本社会は人の可能性を閉塞させるような力が強く働いているという認識
があります。
人の中にある生命、自然、成長、それらの可能性を発動させない社会である、
ということです。
教育は本質とズレたことを教えて、自分で考える力を育てません。
企業は目先の収益の数字にとらわれて、人を育てず使い捨てにする方向を強め
ています。

恐ろしいことは、社会がその方向に傾斜していくと、人の心もその相似形にな
ってしまうことです。

たとえば、格差社会になって、貧富の差が激しくなり、しかも貧しさから浮か
びあがるチャンスさえ失われつつある状況があります。
そのときに、自分さえ貧しい側にいなければいい、という心持ちにみんながな
っていくのです。

そして、ひどく小さく閉じた個人ができ上がります。
本人は閉じていることは自衛のつもりだけれども、内面的には少しも満足して
いない、という状況があるのです。

それを打開したいけれども、方法がわからない、と多くの人が思っています。

[大人の成長塾]は、それに対して僕が出した最善の答です。
個人個人が自分のさまざまな可能性に気づくこと。
その可能性を一つ一つ現実にしていくこと。
一人一人が動き出すための大きな設計図を提供したいのです。

人が可能性を発揮できる宇宙の設計図です。

短い言葉で説明するのは、とても難しいのです。
ですから1年という期間をいただくのです。


***

長くなったので、

『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしてい
る』

の項目は次号に回します。

読者にとって苫米地氏の存在がどれほどの比重を占めるかよくわからないので、
扱うのはやめようかと思ったのですが、苫米地氏の熱心な読者の方などから、
「楽しみにしています」というメールをいただいたのでやはり書くことにしま
す。
けっこう黙って気にしている人は多いのではないかと思うのです。

怪人苫米地氏を僕がどのように分析するか、お楽しみに。
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[大人の成長塾]、始めます
メルマガの転載です。
メルマガをとっていない人用に。

人の可能性について書いています。

11月末日までの割引情報あり。



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   村松恒平のシークレット・ドクトリン

   第16号   ●[大人の成長塾]、始めます



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【始まりとおわび】

[大人の成長塾]、始めます





また村松が変なことを始める、と思うかもしれませんが。

たぶん、これが僕の仕事の集大成になると思います。



このメルマガはもともと文章のメルマガだったわけですが、そこから僕は『心
が大事』(『自然の道』に改称)というブログで心理的なことがらを追及した
り、原発事故に憤ったり、『DRAGON ART CREATOR'S REVIEW』というアートの
投稿誌を作って、美術について書きまくったり、『GOLD2012』という有料メル
マガを作ったり。

やや神秘主義に傾倒したり。

自分でアートやったり、詩を書いたり、小説を書いたり。

その後、身体に興味を持って、シンクローム、内臓ダンスという2つの面白い
発明をしました。



どれも大切なことを言っていたと自分では評価していますが、エネルギーが散
逸していました。

友人に「元『宝島』編集者って紹介するのやめてくれない? もう何十年も前
の話だから」と言ったら、「はて、ではなんと紹介すればいいのやら」と言わ
れました。

自分でも自己紹介に困っていたのです。

これからは胸を張って「[大人の成長塾]を主宰しています」と言えます。



僕の中では、手を出したことは「あれもこれも」ではなく、同じ一つのことの
断片なのですが、出会った人や、読者にはわからなかったと思います。

それぞれ別の読者に興味を持たれるだけで、統合されることがありませんでし
た。



その長い放浪の果てに、「成長」というテーマですべてを統合できそうだと気
づいたのです。

これはとても奥深く広いテーマです。

今回その話のごく一部を書きます。



とてもエキサイティングです。



塾そのものは準備中で開始は来年なのですが、皆さんは僕の大切な読者なので、
最初にお知らせしたかったのです。



そして、お詫び。

「女性のための愛の哲学」は、塾の準備が忙しいので中断となります。

反響はありませんでしたが(笑)、愛読されていた方がいたらごめんなさい。

これもいちばん面白いところはこれからなので、いずれ単行本にする所存です。



では、成長塾の最初の最初の話を致しましょう。


*


【人は自分の可能性の99%を使っていない】



いまあなたは自分に成長の可能性をどれくらい感じていますか?

それを最大限に感じてもらうところから始めましょう。



「人は自分の可能性の99%を使っていない」というタイトルをつけてみました。

人は可能性を1%も使えないのです。



たぶん可能性という言葉を正しくとらえている人は少ないのではないでしょう
か。



可能性は無限大だと慣用句でよく言いますが、本当に無限大なのです。



お休みの日、あなたは何をしようかと考えます。

図書館に行く、ゲームをする、誰かに電話して会う、スポーツをする、料理を
作る、あるいは何もしない、テレビを見る、寝てる、などの選択もあります。



誰かに電話して会うを選んだとして、気楽でバカをやれる相手と、緊張するけ
れども何かを与えてくれる優れた人物などなどの候補があります。

後者に電話したとして、「今日は忙しい」と言われたとします。

そのよう実際に行動することで、見えてくる情報があり、選択の条件が変わり
ます。



そして、「忙しい」と言われたときに、その日に会いたかっただけだから、そ
のまま電話を切ることもできます。「いつがヒマ?」と聞いて約束を取り付け
ることもできます。

あるいは、電話を切ったあと、「本当は忙しいのではなくて、自分のことを嫌
っているのではないか」とクヨクヨすることもできます。



わかりますか、最初に列挙しただけで8つの選択肢がありました。そのあと、
電話する相手の選択肢が2つ、電話したあとの選択肢を3つ書いてみました。

最初の選択肢も8つより多いかもしれないし、捨てた7つにもそれぞれ膨大な分
岐があります。

図書館に行って何の本を借りるか、5冊借りてくるだけで膨大な組み合わせに
なってしまいますね。

そのような選択肢の枝分かれが無限に延びた図を考えてください。

それが単純化された、あなたの可能性です。

こんなに分岐の多いゲームは面白そうでしょう。

何を選択するかで結果があれこれ違うのも想像がつくでしょう。



あなたは、その無限の分岐の中の一つの点であって、一つの道しか選択して通
れないのです。

そして通った道を戻ることもできません。

その一つの道を通ることが無数の選択肢を捨てていることになるのです!



だから、実際は1%どころではないのです。分母が無限で、分子が1。

これは数学的にはゼロということになるのかな。とにかく限りなく小さい。

いずれにしろ、可能性というものはそういうもので、生きることは無限に対す
るゲームなのです。



その分岐の先によい結果と悪い結果、たとえば、快適な人生と不快な人生があ
るとします(幸福とか成功という言葉より、成長という面からは、この言葉を
選びたいのです)。



あなたの可能性の分岐の先にどれくらい快適な人生があると感じますか?

どれくらい不快な人生が?



いや、快、不快は人生そのものではなく、その場その場の体験かもしれません。

しかし、不快の量が多い生活、不快に満ちた生活を僕らはときどき目撃するの
です。



自分の人生はできれば、愉快で快適、喜び多く、苦しみや不安や心配事が少な
いものにしたいですね。



あなたは喜びに満ちた生活を選択できると感じていますか?



多くの人は可能性があることは認めるでしょう。

しかし、自信はない、という人が多いでしょう。

と予想します。そういう時代だからです。



実際、将来喜びに満ちた生活を送れると感じている人は、いまもそれなりに充
実しているはずなのです。

なぜなら今も選択肢の出発点ではなくて、途中だからです。



そして、あなたは選択肢を選ぶときにあるクセがついています。

そのクセの結果が今なのです。

だから、今が充実していれば、未来も充実しています。



では、今充実していない人はどうすればいいでしょう?

選択肢を選ぶ基準を変えていけばいいのです。



「成長」は、ここでは今までの基準をよりよい基準に変えることを言います。



しかし、生活に不満そうな人ほど、頑固に自分のありかたに固執します。

将来が不安なのは当たり前なのですね。

だってどんどん不満が溜まるほうを選択し、向かっているのだから。



では、どのように選択肢を変えていったらいいのか?

その部分を大人の成長塾では扱います。

無限の選択肢を少しでも上から眺め、自分の未来、現在、過去に対する視野を
広げて行きます。そして、自分にとって何がよい選択かを客観的に「見る」の
です。

「見えない」ことが選択を誤らせているので、「見る」だけで変わるのです。

そして、選択肢の中で最善のものを選ぶようになれば、人は自由自在に生きら
れます。



実際、可能性の全てを見渡せるようになれば、それは神と呼んでもいいような
視野ですね。

成長はそのような視野の拡張を伴います。

では、どうすれば成長するのか?

成長は総合的なものです。頭で考え方を変えただけでは選択肢は変わりません。



上記の一連の話は、選択肢が紙に書いてあるとすると、それを上から眺めてい
ます。

しかし、実際の生活はどうでしょうか?



選択肢の断面図は、今のあなたの目の前にあります。

そこにいろいろな選択肢を感じることができるでしょうか?



図書館? 疲れていて本なんか読みたくない。あるいはそんなこと思いつきも
しない。

友達に連絡するのも、みんな忙しいようでおっくうだ。

たまの休みくらいゴロゴロしていたい。

それで結局、ネットの情報やゲームにはまる、という選択もあります。



体調や、眼に見えない感情、ただのクセ、新しいことをするのは面倒くさい、
などなどがあなたの選択を規定して、そこに選択があることすら意識しない、
という場合が多いでしょう。



つまり、選択の基準は頭で考えるものではなく、もう全身に染み付いているも
のなのです。

それが自分だと思って、それから抜け出せないと思っているもの。

そのソフトを入れ替えないといけません。



ソフト全体の入れ替えなしに、よしやるぞ、とときどき発奮努力しても、どこ
かで挫折します。

つまずいてうまく行かなくなる。そうすると、どうせやってもムダだ、とさら
に失敗体験を重ねて、臆病におっくうになっていきます。



成長に努力は要らないのです。



成長という概念のいいところは、「自然」なところです。

家庭菜園をやったことがある人ならわかると思いますが、植物が成長するのに
努力はしていないのです。

ただただ生命力が自然に発露して成長していきます。

とくに育てようと思った植物ではなく、雑草を見ているとそのことがよくわか
ります。



おわかりでしょうか。

この成長塾では、自然の生命力を用います。

ほっといても成長するもの。

それを使っていきます。



ただ現代生活には、成長を阻害する要因がたくさんあります。

それを取り除いていきます。

エネルギーをインプットするのではなく、邪魔するものをどけます。



そして、本来の生命力を発露させ、意識的に成長をイメージし、フォローしま
す。



小学生が中学生になれば、解けなかった問題も解けます。

高校生になれば、それはすでに問題ですらなくなってしまいます。

大学生になれば、もっと自由に自分のテーマを追求できるでしょう。



そのようにして、選択の基準を変えて行きます。

あるいは、選択肢を見下ろせるような視点を持てるようにします。



みなさんは20歳前後から、なんとなく自分がもう完成してしまったようなイメ
ージで生きてきたのではないでしょうか。



そうだとすると、みなさんの「伸びしろ」はだいぶ使われないままに溜まって
います。



使われないで腐っていると、心や身体がいつもモヤモヤしているかもしれませ
ん。



その成長エネルギーを爆発的に解放します。

それが[大人の成長塾]です。



ご期待ください。





●終わりに



今回は可能性という切り口で一つのたとえ話をしましたが、成長概念の考察は
とても多面的で奥深いものです。

心だけでなく、身体の内的成長も含んでいたり。

たくさんのことをまだまだ語りたくてウズウズして仕方ないのですが、成長塾
本体のためにも書くエネルギーはとっておかなくてはなりません。

今回はこれくらいにしましょう。



最後に[大人のための成長塾]とはどんなものか、お話しましょう。



いちばんの柱は60通ほどのステップメールです。

ステップメールは、まず概念、それから方法論、ヒント、ミッション(課題)
などからなっています。メールによるコーチングです。



感想を書いたり、交流や質問のできる専用SNS。ここで質問したり、他の方の
応答を読むことで、理解が立体的多面的になり、いろいろな場面に応用して発
想できるようになります。



関連のワークショップやセミナーがスクーリングに当たります。これは大幅な
優待を考えています。ですから、参加するとすぐに元がとれてしまいます。



期間は1年間。



費用は年間1万円(税別)です。

月にすると800円強。タバコ2箱分。ケーキ2個分くらい。

それで日常にコーチングのメールが届く「ときめき」が手に入ります。

手に入る成長や充実は、あなたの可能性を爆発的に拡張するものですから、十
分値打ちがあると思っています。



コーチングの世界を見回すと、何万円から10万円以上のセミナーはざらにあり
ます。

正直[大人の成長塾]ももう少し高くてもいいかな、と思いましたが、多くの
人に参加していただける価格を選択しました。世の中の煮詰まり具合を見てい
ると、日本人全体がもっと成長しなければいけないと思っています。



内容は本格的です。



一人でも多くの方に「大人になってもこんなに成長できるんだ」と自分で驚い
ていただきたいのです。



ここまで読んで、ワクワクしてきた方、僕の仕事を信用して早くも「申し込み
たい!」という方には2割引の権利をプレゼントします。



年間10,000円のところが8,000円です(税別)。

11月いっぱいに申し込んでください。

お支払いは、開講の準備ができてから改めてご案内しますので、登録だけして
ください。



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事前登録には、



お名前

住所

年齢

性別

職業

が必要です。



それから「成長」について読んで思ったことを書いてください。



個別にお返事はできないと思いますが、すべて読んで参考と準備の励みにさせ
ていただきます。



送り先は、↓専用アドレスにお願いします。

seicho@hiden.jp

タイトルは、[大人の成長塾 事前登録]としてください。




*

またご意見や質問は、それとは別に歓迎します。

有益な質問には、このメルマガでお答えすることがあると思います。

その場合は匿名にさせていただきます。
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[大人の成長塾] / comments(0) / trackbacks(0)
反「反戦争法案」な人たち
反安保の動きを牽制しようという言論がニョキニョキと出て来た。
こんなものにいちいち応対してはいけない。
話が些細なところに持っていかれてはいけない。
原発のときに科学論議がそうだったように(この件は長く憂鬱なので、そしてまた些細な反論を招くので書かない)。
結果的に、原発は人類を滅ぼすクソだ、という本体を取り逃がした。
原発は危険だ。もう要らない。
それだけでよかったのだ。
議論の戦線拡大は不利なほうがすることだ。
情勢を混沌とさせる。
本筋の急所をおさえて、それに答えるまでテコでも動かないのがいい。
*
しかし、目障りなので、反反安保の主要な傾向をあげて分析しておく。
それにあてはまったら性格の悪い馬鹿だから、相手にしなくていい。
**
1.
まず、反戦争法案で動く人々をたいへん類型的で、雰囲気に煽られている人だとレッテルを貼る。
これの延長線上に、民青だとか、共産党に動員されているというもっと極端で下劣なレッテルがある。
2.
そのように類型的で乗せられやすい人と見下げた上で、自分は高見に立ったようにナニか言い出す。
「ボクはそんな雰囲気に流されるような馬鹿じゃないからね。そういう経験や見識豊かなボクみるところ、政府に悪いところもあるよ。でも、なんといっても安保的なナニか必要でしょう……」
のような。
一見中間派のように見せながら、明らかに現体制を補完しています。
これは無邪気にやっていたら、相当馬鹿です。
意図的にやっていたら、相当ねじけています。
戦争法案に賛成ならば最初からそう書けばいいのです。
3.
馬鹿というのは、自分の言論がどう働くか知らない場合です。
いちばん性質が悪いのは、自分も安保法案に反対だが、と思っていながらごちゃごちゃ言うヤツです。
結局、言いたいことは「自分は賢い」ということであって、話をごちゃごちゃさせて邪魔極まりありません。
こういう人のタイムラインを見に行くと、たいてい戦争法案に対して何の反対発言もありません。
ただ他の人を批判して、自分はそれより賢いと主張しているのです。
矮小な自意識のために全体の状況を台無しにしているのです。
4.
さらにもっと悪いケースが顕著にあります。
それは「昔自分はナニナニの運動をしていたが」というヤツ。
こういう人間の反動性がいちばんひどい。
そんなに賢いなら、反対のためになることを言えばいい。
そんなに正しいなら、本当の運動はこうやるんだって見せてから言えばいい。
何もしないで昔話をしたいヤツは去ね、ということです。
目の前の状況を素直にみて、「おかしい」と言える人、行動を始めた人たちだけがただ尊い。
昔何かをした人は、関係ないのです。
すっこんでいればいいのです。
一人で自意識にひっからまって、黙って、暗い部屋で若い人のやることに嫉妬していればいいのです。
自分が何のために何を書いて、どういう影響を与えるのか、誰を利しているのか、きちんとわかってモノを書かなくてはいけません。
戦争法案に賛成であれば、旗色を鮮明にすればいいのです。
ちなみに僕は戦争法案を廃案にする、廃案にしようとしている人たちを応援する。ただその目的のために書いています。
*
「昔、ナニナニをした人」が威張っていたら、この文をシェアしてあげてください。
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後方支援・三国志・安保法制
またまた女性のための愛の哲学は先送り。
愛のためには、基本環境に平和がなければいけません。

緊急度の高い、そちらのお話です。

**


後方支援というのは、兵站、ロジスティクス、戦争に関わる主に物流のことです。

安保・対米従属戦争法案では、これを主に米軍に対して自衛隊が担うことになり、それが危険か危険でないか、という議論が国会でなされました。

もしもあなたが一度でも三国志を読んだことがあるなら、「危険だ」と一瞬で見抜くでしょう。

三国志には、諸葛亮孔明のような軍師がたくさんでてきます。
その作戦には、必ず兵站に対する攻撃が検討されます。

自国に強国の大軍が迫るような場合。
敵は数十万、自軍は数万という圧倒的な戦力差があるときに、兵站を襲い、奪い、また焼き払うのは最も有力な作戦です。

敵の軍勢が多ければ多いほど、兵站を失えば飢えるのが早いのです。
中国の広大な土地を数十日もかけて行軍している場合、兵站を失えば致命的なダメージとなります。
また兵站を支えている部隊は戦闘部隊ではありませんから、護衛がついているとはいえ、本格的な戦力に襲われればひとたまりもありません。

そのように兵站は作戦上の急所なのです。
襲撃に成功すれば、作戦を失敗させ、情勢を変える大きな戦果を得ることができます。

兵站を狙うには、日本本土へのテロ、という形で国民を人質にとることもできます。デパートや映画館などの無差別爆破などで脅されれば、平安は失われます。
米国への軍事的忠誠をとるか、国民の安全をとるか、苦渋の選択を強いられます。

自民党政府はどちらを選ぶでしょうか?

もちろん、原子力発電所を占拠して自爆テロの脅迫を行うことも可能です。

自国が理不尽に(と少なくとも当人たちに思われ)大軍によって蹂躙されそうになったとき、そのようなことをするものが現れないは言い切れません。

自衛隊はたいへんに強い戦力を持っていますが、交戦権に関してはいわゆる軍隊のように振る舞うことはできません。
また自衛隊員が捕虜になったときに、軍ではないので、ジュネーブ協定での捕虜の扱いには当たらないといいます。

民間人として捕虜になることになります。

それがどういうことを意味するのか。議論はいろいろあるでしょうが、あまりいい感じは浮かびません。

法律上のことでは、自衛隊の脱走や規律違反のケースなども可能性があります。
法律上の不備、ほころびがいろいろ出てくるのです。

従って石破という人は、軍法の整備をすでに心配しています。

つまり、後方支援でも、交戦権や軍法、国際法のさまざまな問題が出て来ます。
つまり、法的に軍という体裁を整えないと具体的な状況に対して全く整合性がないことになるのです。

つまり安保法案が通れば、自衛隊を軍にする方向で動くことになるのです。
安保法案が通ってしまったら、これはもう止められません。
戦争法案と言われる所以です。

止まらないといえば。

要らないダムや河川敷の建設が止まらないでしょう。
核発電所の再稼働も止まりません。
リニアモーターカーの開発も止まりません。
新国立競技場という、誰が見てもアホらしい、まだ始まってもいないものでも、ブレーキをかけるのにたいへんなエネルギーが必要だったでしょう。

この国は歯車が回り始めたらどれほど理性を欠いていても止まらないのです。

自衛隊が軍になれば、徴兵がテーマになるのは妄想とは言えません。

「暮らしの手帳」を作った花森安治氏は、「一銭五厘の旗」という本を書いています。
一銭五厘というのは、ハガキの値段で、つまりハガキ一枚の召集令状で兵隊はいくらでも集められる。「お前らは消耗品だ」という言い方があったらしいのです。

これに対して、軍馬は何円か何十円かしたので、兵隊よりよほど大切だ、と言われ、そのように扱われたらしいのです。

しかし、前回の戦争では、兵站の部門は、兵隊のように勇ましく戦わないということで、そのハガキ一枚の兵隊よりさらに軽く見られていたようです。

その結果、軍人の死の7割近くは戦死ではなく餓死であったと言います。
兵站は勇ましくないからと軽視した軍部の責任です。

年金情報の漏洩やら、官僚、行政、またその天下り機関のいい加減さ、無能さ、無責任は日々腹の立つことであります。
日本が戦争に突入しても、同じレベルのハンドリングになると思っていてください。

戦争そのものが愚かであるだけでなく、戦争の中に大小さまざまな愚かさが詰め合わせになって、国民の生命と生活を圧迫するのです。
今、税金を湯水のようなムダにするように人の命も浪費されます。

前回の戦争で兵站を軽視したように、今回の法案でも、またアメリカの使い走りで兵站を簡単に引き受けてしまいそうです。
どちらも軽視です。とても悪いカルマを感じます。

後方支援は、今回の法案の一端でしかありません。
日本会議、自民党、公明党は、こういうことを含む11の法案を一括審議で通そうとしています。
十分な議論はありません。ただ数の力です。

安倍首相は、アメリカへの追従の他に、近隣諸国と一戦交えたいのだ、とも言われています。
そちらはそちらで恐ろしいことです。

どこかで自衛隊員の血が流れれば、好戦的な人々はアドレナリンを沸騰させ、より声高に軍事強化を叫ぶようになるでしょう。
そうなれば、言論はますます不自由になり、歯止めはまったく利かなくなるでしょう。

ここでストップできなければ、急流を止めることはできなくなるとわたしは思っています。











JUGEMテーマ:三国志


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6/11日木曜、内臓ダンス+シンクロームのワークショップします。
詳しくはシンクロームのサイトを見てください。

http://synchrome.asia/2015/06/01/1042/
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美術教育で評価をしてはいけない件。反響がありました
前回の記事に関連して、あるお母さんから次のようなメールが来ました。


**以下引用。前略。

……。

ブログの記事で、美術の教育のあり方についてかかれておられましたけれども、先ほど息子が図工が嫌いだ。と言い出しました。
図工大好き人間だったので、理由を聞いてみると

「きれいなはなの絵を描きましょう。って先生が言うんだよ。きれいな花なんて俺、描けないよ。きれいな色使ってとか、濃淡をつけて、とか丁寧にとか色々言われる。女子じゃねぇから、俺(そんなの無理)。
俺は雑草を描きたい。雑草って、先生に怒られている子どもたちみたいじゃん。じっと先生のお怒りに耐えていて。でも、先生に許してもらえなかったら引っこ抜かれちゃうんだよ。」

うわー、ブログに書いてある通り!
と思ってしまいました。


****

こういう話、たくさん転がっていると思うのです。
いい先生もいるだろうけど、よくない先生もいる。
でも、いちばん大切なことはそこに「理念がない」、ということです。
いい先生もよくない先生もたまたまいるだけで、芸術教育の方法論とか根本的な発想がないのです。

それが、先生の勝手な思いや理屈でどうとでもできるという現状を作っています。

こんな返事を書きました。

**以下返事。

すばらしい自分が何をしたいのか明確な自覚を持っている息子さんではありませんか。

次のように伝えてください。

・・・
今回のことは先生のエゴである。
表現は強制されるものではない。

しかし、生きて行く上で他人のエゴとは必ず出会うものであるから、よい機会だ。
よく観察し、上手に切り抜けなさい。

ある一人の先生のエゴによって、図工や絵を嫌いになるのは筋違いだ。

それはそれとして、好きな絵を描きなさい、


*****


多くのお母さん、お父さんがこういうの変だよ、とわかれば、少しずつ変えていけるかもしれません。
そのために書いています。
JUGEMテーマ:


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どうしたら自分を愛せますか? 3(自分を育てる方法) 
JUGEMテーマ:恋愛/結婚


自分を愛するには「自分」について真剣に考えないといけません。

前回、こう書きました。

**

「2,000円の生活費があるとします。
1,000円を自分を責めるのに使う。
850円を自分を責められることから守るのに使う。
残りは150円です。

他の人は2,000円のエネルギーで生きているのに、わずか150円のエネルギーしか自分のために使えないのです」

**

こういう状態の場合、自分はどこにいるでしょうか?

1,000円の部分でしょうか?
850円の部分でしょうか?
150円の部分でしょうか?
それともそれを合わせた全体の2,000円でしょうか?

世間では、この2,000円の混乱状態を自分と呼ぶことが多いでしょう。
しかし、自分を愛するときには、150円の分だけを自分と考えるのです。

その理由はこういうことです。
私たちが生まれ、育ったのは自分の力ではないのです。
精子と卵子が結合して生命として誕生する。
それは神様の力、自然の力です。
そして、両親が愛し合ったのは、両親の力です。
育ててくれたのも親です。
それから学校の先生にいろいろなことを習います。

こうして考えると、外の影響を受けたことばかりで、生まれ育つ間には何一つ自分でしたことはないのです。

では、どうすれば自分が何かをしたと言えるようになるでしょうか?
いつから自分を持ち始めるでしょうか?

ちょっと考えてみてください。

とても単純なことです。
単純すぎて誰も言っていないことかもしれません。



その答えは、

1.自分の動機で何かをすること
2.その結果を自分で受け止め評価すること。

この2つです。
簡単で当たり前のことでしょう?

1について。  
意外に私たちは自分の動機で何かをしていません。
親に言われたから。先生に言われたから。会社の仕事だから。世間ではみんなそうしているから。

そういう他人の動機だけでも一定の期間生きていけるのです。
でもあるとき、ふと苦しくなります。
他人が要求することとは何か違うことを自分が求めているような気がする。
そういうことは若いときに確かめてみるべきなのです。

あまりに長いこと自分の動機で動いたことがない人は、自分が何を感じているのか、はっきりつかめなくなってしまいます。

2についても同様です。
言われたことを言われたからする。
言われた通りにする。
言われたことを守れば責任は発生しません。
言われた通りにしないと、不良になります。

評価も親がします。
先生がします。
世間がします。
自分自身が評価をくだし、受け止める時間はありません。

いつも誰かが評価してくれる。
評価を待つようになる。

自分自身で受け止めるという習慣がなくなってしまうのです。

誰かがほめるか、評価してくれないと不安になる。
自分が何をしているのかわからなくなる。
それで、すぐにモチベーションを失ってしまう人が多いのです。

僕だって、こういうブログを書いたら誰かに褒めてもらったり、しっかり読んだ感想なり意見なりの反響がほしい気持ちはあるのです。
実際は反響は期待の100分の1もないです(笑)。
それでも書くのはやめない。
それは書く理由が自分の中にあるからです。

僕はかつて「自由とは自分の理由で生きること」と書きました。
他人が評価してくれなかったらやめるんだったら、それは自分の理由とは言えません。

もちろん他人の評価の中には、していることに意味があるかどうかの指標も含まれています。
それを重視する人は多いでしょう。

たとえば作家や画家で、作ったものが片端から売れて行くなら、作る人にはたいへんありがたい。
それでお金を稼げば世間も評価するでしょう。

中には「お金の儲け方を教える」といってお金を儲けている人もいます。
中身は何もない俗流錬金術ですが、それでも何万人、何千人というファンがいます。

僕はそんなことは書けないし、書きたくないのです。
だからこれでいいのです。
他人の評価を得るために自分を変えられない人もいます。

ゴッホの絵の話を持ち出すのはあまりにベタですが……まあ、そういうことです。
自己評価が絶対ではないけれども、世間の評価もまた絶対ではありません。
僕も自由に書くけれども、世間の評価を期待していないわけではありません。
そういう割合の「塩梅」がその人の生き方のバランスをとって選択肢を広くします。
オール・オア・ナッシングで中間がないと非常に生きづらくなります。

自分で行動し、自分で評価する。
それを一定以上の割合でしないといけない。
そして、他人の評価もある割合でしか受けつけないことです。

芸術教育はとくにこの認識が重要です。
絵を描くことなど、絶対他人が評価してはいけない。
とくに子どもの絵はそうです。

勇気づけたりヒントを与えるのはいいけど、評価してはいけない。
自分で描いたものを自分で受け入れて、次にどうしようかと考える繰り返しが必要なのです。

他人が評価するのは、そのサイクルを破壊することなのです。
僕も子どもの頃、二度に渡って先生の評価ですごく迷わされました。
二度目のときなど、すっかり絵に嫌気がさしてその後30年くらい絵を描かなかったのです。

小中学校の美術の先生というのは、悪くいえば「作家になりそこねた人」ですから、謙虚にしていただきたいのです。
評価することよりも、子どもに絵の楽しさを教えることです。
子どもに絵を描かせて描くことを好きにさせるだけで、とてもいい仕事なのです。

いろいろなケースを書きましたが、元に戻りましょう。

自分の理由で行動する。
自分で自分のしたことを評価し受け止める。

これが一つのサイクルです。魚で言ったら「尾頭つき」です。

美術教育だけではなく、日本の教育にはこのサイクルがありません。
動機も評価も全部誰かが持って行ってしまいます。
中間の面白くもない努力だけが生徒に残されます。

しかし、教育がおかしいといってもよくなった試しはありませんから、自分たちはどうすればいいのか、という話をしましょう。

わたしたちが、他人の理由で行動するのに慣れてしまったこと。
これが「150円」の原因です。

150円というのは、先ほどの

**
「2,000円の生活費があるとします。
1,000円を自分を責めるのに使う。
850円を自分を責められることから守るのに使う。
残りは150円です。

他の人は2,000円のエネルギーで生きているのに、わずか150円のエネルギーしか自分のために使えないのです」

**

このことです。
この150円のエネルギーでは自分を愛せないのです。
では、どうすればいいでしょう?

この150円を投資するのです。
わざわざお金の比喩にした理由はここにあります。
投資とは、先ほどの「尾頭つき」のプロセスを小さなことでいいからしていくことです。

難しい言葉では、「投企」、あるいは「自己投企」と言います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/投企
Wikipediaの説明では、「投げる」ほうはあっても回収する、評価するほうがあやふやですね。

僕はハイデッガーなど面倒くさくて読めませんが、同じようなことを言っていると思います。
ハイデッガーの場合は、150円のことを「主体」というでしょう。
そこから話がどんどんややこしくなる。

私たちが生きていくのに役立てるには、150円でいいのです。
話を進めましょう。

150円を投資したら2割ついて180円で戻ってきます。

実際の投資話では、2割つくと言われたら騙されると思ったほうがいいです。
でも、この話の比喩では本当です。
損することもないし。

この投資で失敗するとしたら、誰かに否定されたときなのです。
しかし、自分自身を投資するのに本来人に干渉されるべきではありません。
もし干渉する人がいるなら、その人に見つからない小さなことから始めましょう。

何度か投資していくうちに、150円は複利で増えて行きます。
150円で2割だと30円ですが、500円だと100円利子がつきます。

だんだん自信がついてきます。

どうしてそんなに利子がつくかというと、
「本来自分のものであったものを取り返している」
からなのです。
自分の行動はもともと自分のものですからね。
自然に戻ろうとしているエネルギーがあるから、そちらには大きく転がるのです。

自分が雪だるま式に増えて行くわけです。
こうして150円だったものが、2,000円のうちの1,000円近くになりますと、「自分は自由だ」という感覚が芽生えます。

自分が愛せるのは、この自由な自分です。
他人の動機や評価でまぜこぜになった自分ではなく。

自分自身が外からの影響と対等になったくらいから、そのような変化が生まれます。

それでも自分自身はまだ半分。
自分はさらに1,000円を越えて全予算の2,000円に近づいてきます。
9割以上が自分のものになると「自由」という状態から、僕が「自然」と呼んでいる状態に移行し始めます。

全く別の変化が起きます。
日々の予算が2,000円であったものが、じわじわと増えて行くのです。
内部の割合ではなく、枠組み自体が拡大して行くのです。
このブログのタイトル「自然の道」とは、そういう意味です。

しかし、このことに深く立ち入るのは今はやめておきましょう。

「どうしたら自分を愛せますか?」がテーマでした。

まず他人の影響と自分を分ける。
次に自分自身を育てる。
そうすると、自分自身を自然に愛せるようになる、ということが答なのです。

「自分探し」が一時期流行りましたが、これからは「自分育て」で行きましょう。

*********

ワークショップ「自然の道」『アートの日』のお知らせ。
自分育てに最適であります!

2015年5月23日14:00
東京都
豊島区目白3-2-9-4階 東社協保育士会会議室

久しぶりに書道をやります。
参加費 3,000円。

腸の感覚を使って書道をします。
自分でやってけっこう面白かったので、みなさんにも楽しんでいただけると思います。
初めての方、歓迎です。


第一部

内臓ダンス+マンダラ+書道。
内臓ダンスで喚起した感覚を使って書を書きます。

面白いものが書けます。

いわゆる書道とは全然基準が違います。
だからしたことがない人でも大丈夫。

習っている人も、違う感覚から書を見直す機会になるでしょう。

筆という道具、墨という液体、これがあると白い紙に無限の広がりが出ます。
お手本のように書くのではなく、そういうアートとして、書を見直します。

必要なものは用意しますので手ぶらで参加できます。

**

第二部

この日の特別イベントとして、終了後、僕が習っている陶芸「サカイ工房」の展示を見に行きます(一部のみ参加も可)。

すぐ隣の池袋駅直近のギャラリーでなので、移動は5分くらいです。

実用的な陶器がほしい方、販売もしているので、けっこう掘り出し物があります。
陶芸のプロではありませんけど、皆さん個性的な作品を作ります。

もちろん、僕の作品もあります!

**

第三部

中華懇親会。

展示を見るのは20分前後。

興奮さめやらぬまま、池袋でおいしい中華を食べて懇親会を予定しております。
予算は食べて飲んで2500円。

内容盛りだくさんです。
ぜひご参加ください。

懇親会参加の方はその旨、お知らせください。

お申し込みは、entry@hiden.jpまで。

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原発事故で経済が終わること
愛の哲学、続きますが、今回はちょいと社会的なことを書きます。

3.11以降、ずっと政治や社会を見てきたけれども、ようやくそうだったのか、というところに収まったので。


**

ようやく3.11以降の政治家、官僚の動きの全貌が見えてきたように思う。

彼らは最初から福島一発で経済が終わることに気づいていて、そのことだけに対応していたのだ。

生命より経済が大切、というのは、じつは国民の生活のことではなかった。
日本経済がまもなく原発事故によって破綻する、その延命をどうするか、ということであった。

うかつにも、僕は3.11以降のどうにも焦点がズレたような動きは彼らの鈍感さからくるのか、と思ってイライラしていた。

しかし、彼らは自分の利益に関しては十分過ぎるほど頭が回る。
そして、僕らに隠して、生の質のいい重要な情報をつかんでいる。

原発が使い物にならないとなると、今まで資産であったものが、おそろしく危険な金食い虫になる。
+100が-100に逆転するのだから、日本国は倒産するのである。

先日、IMF管理の記事がでていたが、倒産するとIMFから金を借りる。
そうすると、日本全体が差し押さえられる。
公務員給与のカット、退職金ゼロは、ざまあみろな要素もあるが、国民の預金、不動産まで管理下におかれ、IMFに吸い上げられるということが起きるようだ。

このときに自民党の中枢は何を考えたか。
自分と自分の一族の特権、資産を増やすことだ。

実質的な対策よりも、除染のほうがてっとり早く金になる、というようなことだ。

自民党の一年生議員に近い連中は付和雷同しているだけだろうが、世襲議員たち、権力の中枢にいる者は、一様にこの認識を持ったはずだ。

戦争成金、戦後のどさくさに財をなした者。
戦犯ですら、処刑されなかった者は、戦時中のコネクションを活かして財をなした。

とにかく放射能対策よりも、利権があれば、自分も一枚噛むということに忙しかったに違いない。

事故の報道について、大本営発表という言われ方をしていたが、まさに、これから戦争が始まるのではなく、いまは戦時中なのだ。
古株の政治家たちは、原発に関する利権を探して鵜の目鷹の目であろう。

仮に日本が倒産しようと、自分たちは海外に預金や不動産を持ち、日本で利権をあさるだけあさったら、いつでも逃げられる選択肢を持っているはずだ。

とにかく彼らは国民から吸い上げるだけ吸い上げる。

もういわば使い捨てなのであるから、絞れるだけ絞る。
マスコミは押さえたので、他に抵抗してくる基盤はない。

政治家が忙しいのは、権力内部で自分の取り分を確保することであろう。

日本の経済は終わる(倒産する)。
もし開催できる状況であれば、たぶんオリンピックの直後くらいではなかろうか。
オリンピックで最後の金をかき集める。

経済以後に、一般人がどう生きるのか、どう備えるのか、というのは、僕のテーマの一つだが、まだ話についてきた人は一人もいない。

みんな目の前の生活で忙しいのだろう。
僕のような閑人が一人で考えないといけない。

とにかくもはや怒ったり、苛立ったりしている場合ですらない。

戦えると思う人は戦ったほうがいい。
逃げられると思う人は逃げたほうがいい。
自分も成金になれると思う人は権力に媚びたほうがいい。

信じない人、あきらめている人、どうにもできない人、面倒くさい人はいままでと何も変わらずに生きて行くだろう。

そのようにして時代は進む。



Check
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←2015年3月『心が大事』をタイトル変更しました」